長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

旧城藪稲荷の奇跡 ~縁起がいいらしいまち新城 長篠城編2~

2014年02月15日 | 縁起のいいまち新城
武田軍に囲まれ落城寸前となった長篠城を救うため、武田の包囲網を突破し織田信長、徳川家康へ救援を求める使者となった鳥居強右衛門勝商。無事に報告を終え、織田・徳川連合軍が援軍に向かうことを武田軍につかまり、武田勝頼から取引を持ちかけられます。
「援軍は来ないと言え。そうすれば、城内の士気は下がり落城する。褒美も沢山やる。」
強右衛門は取引に応じ、武田兵に連れられて城近くまで来ますが、叫んだ内容は驚くべき内容でした。
「城内の方々。まもなく援軍は来る!それまで持ちこたえられよ!」
どよめく長篠城。慌てる武田軍。
鳥居強右衛門は武田軍に磔にされて殺されますが、奮起した城内は籠城を継続。援軍が来るまで長篠城に武田軍を釘付けにし、長篠の戦いにより武田軍は殲滅され無事に長篠城は解放されます。

この郷土の英雄鳥居強右衛門が叫んだと言われる場所、実は特定されています。
長篠城の本丸入口に立てられている長篠城址保存館から眺めることができる、この場所。

※画面中央木の先端部分の道あたりです。

長篠城址記念感は城の中枢である本丸の入口にあたるといわれています。
こんな近くまで攻め込まれていたのか!?
と、いうのが正直な感想です。
それくらい逼迫していたからこそ、強右衛門を使者として派遣し徳川家康に援軍要請をする必要があったわけです。
このもう少し詳しい経緯は、こちら

ちなみに、もっとマニアックに詳しく述べると、鳥居強右衛門は城の中に入る前に既に狼煙をあげ援軍来る、という情報を城内に伝えていたようです。しかし、より確実の状況を伝えるために城の中に入ろうと様子を窺っているところを狼煙が上がったことで警戒を強めていた武田軍に怪しまれて捕まった、と言われています。

既に情報を伝えたならばなんで城の中に入ろうとしたのか。ただのうっかり強右衛門じゃねぇか。

と、思った、あなた。
それは違います。

この戦いの前に高天神城が同じような状況となります。同じように使者が派遣されて援軍来るの狼煙を上げるのですが、結果的に援軍は来ませんでした。こうした話が伝わっており「強右衛門の狼煙は上がったけど、高天神と一緒じゃね?」と、疑っている可能性があると思った強右衛門は、どうしても直接伝えたかったから入城を試みた、と、言われています。ちなみに、強右衛門のほかにもう一人、鈴木金七、という人も使者として派遣されていますが、こちらは狼煙を上げたあと、城には入らず家に帰り、そのまま農民になった、と、言われています。

後世に名を残して死ぬか、勤めは果たして寿命を全うするか。
不惑となった私としては、どちらが正しいとも思えず、むしろ金七に親近感を覚えますけどね。

話が逸れました。

さて、強右衛門が叫んだ場所まで来た我々は、ある思いに捉われた。

強右衛門様並の気合で叫べば、当たるのではないか。


と。
では、誰かが叫ばねばならぬ。

満場一致で鳳来寺山のときに裂帛の気合で「当たれ!」と叫び、見事、『自らの』宝くじの方を当選させたS田氏で決まり。

S田氏は祈りを捧げた後、おもむろに叫んだ。

「当たれ!」


声は十分に長篠城の本丸にまで響きました。
鳥居強右衛門もかくやの叫び。
さすがです。


※叫んだ後、恥ずかしさが込みあげてきた様子のS女史。

あれだけ立派な声ならば当たるのではないか。
S田氏が個人的に購入した方が・・・。

さて、強右衛門様といえば、長篠城入口にある看板。


この看板の強右衛門様は、強右衛門の最期に感動した敵方(武田方)の落合左平次という侍が強右衛門に承諾を得て自分の旗指物にしていた絵。
その絵を忠実に看板にしたところ、
「強右衛門様のギャランドゥーがすごすぎて、公序良俗的にいかがなものか。」
と、いう意見により、少し控えめになった、という噂を聞いたことがある。

実際、3年前に見た際には、上から塗った部分が見えた記憶があったため、改めて見に行ったのですが・・・。風雨に晒され続けたためか、よくわからない。無念。

その後、長篠城の本丸に移動。
500の兵で1万5千の兵を防いだ舞台です。
武田に備え鉄砲の装備や兵糧が充実しており、城の修理も終えて要塞化していたようです。
また、城近くは山が多く平地が少ないため大軍が展開できない地形。
織田・徳川方では武田勢が設楽原に出てきてくれて助かった、長篠城の付近で待ち構えられたら軍勢が展開できずに大軍のメリットが活かせないところだった、と、述懐する話なども残っています。
長篠城籠城軍から武田勢を見れば、同じことが言えるでしょう。

城将奥平貞昌は当時21歳。
城兵をよく統率して防いだと言えます。
実際、織田信長から「信」の字を貰い、徳川家康から長女を嫁に貰うなど、かなりの褒美を貰っていることからも、奥平が果たした役割の大きさが窺えます。
長篠を取られてしまえば、徳川家は領土が寸断されてしまいます。徳川の領土防衛が不安定になれば、織田は領土の東側が不安定になってしまい、領土拡張戦争に専念できません。
長篠とは、このように重要な場所だったのです。

奥平氏は、給料が安く抑えられている譜代大名としては異例の10万石という大きな領地を貰い、なんだかんだで明治時代まで生き残ります。

こんな開運の城であれば、きっと効果が高いはず。

我々は祈りを捧げずにはいられなかった。

※宝くじを崇め奉る一同。

夕暮れの長篠城。
熱心に祈りを捧げる集団。

異様な光景かもしれない。
が、しかし、長篠城という奇跡の地が、我々をそうせざるを得ない心境にさせたといえる。

さて、その後、旧城藪稲荷へ向かう。
長篠城本丸には立派な土塁が残っています。
この土塁の上に昔、おとら狐という狐を祭る城藪稲荷という稲荷がありました。

※跡、です。

おとら狐は城を守る狐と言われている割には、寂しくなるといたずらしたりするようです。
この稲荷が朽ちてきたので、近くの大通寺に改めてお祭りし直した時期と、市内の宝くじ売り場で億単位の当選を連発するようになった時期が一緒だ、という情報を我々は掴んでいた。

おとら狐は、結構霊力が強いので、危険な気もする。
しかし、一時の栄華も見ずに死ぬのか、一時とはいえ栄華を見てから死ぬのか。
その選択を迫られた場合、一時の栄華でも良い、わんぱくでもいいたくましく育って欲しい。(by30年近く前のハムの宣伝)
我々はそう思い、城藪稲荷様への参詣を行うこととした。

土塁上のこの場所は、既に場所を移され魂は入っていない。
が、こうした場所は、長年祈りを捧げ続けられてきたことから、案外と力が残っている可能性は高い。
我々はそう考え、まず、ここを訪れた。


祈りを捧げ、そしてスクラッチを削る。
様々な欲望が渦巻く中、結果は出た。
そして、驚きの結果が!

縁起かいいらしい開運のまち新城 長篠城編2



「え?!」

「こっちも・・・?!」


なんと、当たれと叫んだS田さん、そして、鳳来寺で0.1tの巨漢を運び上げたM田氏の両名に千円の当選が出た!
にこやかに笑みを浮かべる両名。


※当選者を眺めながら、自分のハズレを再確認するI泉強右衛門氏は画面一番右。

この結果には、正直、我々は驚いた。
スクラッチくじは10枚買うと200円は必ず当たる。
しかし、今回は、5枚とか7枚とか、皆、端数の購入をしていたため、そもそも当選が出にくい状況だったのです。
そんな状況下、200円ではなく1,000円、しかも同時に2名。
こんな事態は今まで無い。確率から考えても相当な結果。

今まで、さんざんスクラッチ削ってきた我々だけに、この事態に驚きを禁じえなかった。


※画面右側2名は笑顔。それを羨ましそうに見つめる左3名。(撮影者の私も羨ましい組)

『これはすごい・・・。』

我々全員の心の中では、同じフレーズが響いていたに違いない。
そして、今後宝くじが発売されるたびに、密かにここで祈るメンバーをあなたは目撃するだろう。

さて、歩きつかれて疲労が溜まり始めていた我々が、俄然やる気を取り戻す。
そして、さらに上回る結果が!

目が離せない次回をお楽しみに。


4 コメント

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何もかもすっ飛ばして・・・ (きっと)
2014-02-15 19:10:09
毎回反応してしまってすみません。

縁起のいいらしいことはわかった気がしますが
何もかもすっ飛ばして強右衛門さんのギャランドゥにアンテナが
立ってしまいました。
私が初めて長篠城を訪れた30数年前、記念館の中にあった
強右衛門さんのギャランドゥは確かにボーボーでした。
同じく歴女であった岡崎在住の先輩と指を指して笑った記憶があります。
どこからかクレームでもついたのでしょうか?・・・・
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悔しいけれど (うらにわ)
2014-02-16 17:18:54
ギャランドゥに夢中になられてしまいましたか。
館の中の強右衛門は未だに相当なギャランドゥです。国道沿いの看板はクレームが付いたという話を聞いたことがありますが、館並みに出していれば、少々、恥じらいになる方もおみえだったのかもしれません。
残念ですが。
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こんにちは (山江まろん)
2014-02-19 18:02:56
参考サイト
 「長篠の落ち武者ブログ・うらにわ様」
と、こんな感じで、掲載しました。
「戦国のメロス」かっこいいです。
返信する
ごぶさたしてます (うらにわ)
2014-02-19 22:52:47
ありがとうございます。戦国のメロス強右衛門。最近ではメロスは歩いていた、などと言われていますが(笑)、強右衛門は最期まで男を見せたとして郷土の英雄です。
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