長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

現代に蘇る鳥居強右衛門 ~縁起のいいらしいまち新城 百間滝編4~

2013年10月26日 | 縁起のいいまち新城
前回、無事に百間滝滝行を終えた我々。
そのまま滝行は終了するはずだった。
その時、我々は対岸の崖上方に何かがあることに気がついた。

岩のくぼみを祠に見立てたかのように何かが置かれている・・・。

いかにも曰くありげなそれは、我々の興味を曳いた。

「ひょっとして、さっきのワンカップの蓋みたいに、気が出ている部分を示しているのではないか?」
と、誰かが呟く。

滝壺に近い方が大きな力があるのではないか。
我々は、舌切り雀が用意したつづらで、何の迷いも無く大きい方を選ぶであろう。
そんな我々にとって『滝壺に近い方』ということは、大いに興味をそそるものであった。

皆目を凝らし、カメラのズーム機能を駆使して確認しようとする。
が、遠くて何かわからない。
この、わからないという状態は、かえって我々の意欲というか欲を刺激した。

率先してふんどしとなり滝壺で修養を行ったI泉氏は、それが何なのかを確かめ、そして、あわよくば最もパワーを得ようと、険しい岩を登り始めた。

※角度によっては全裸にも見える。

このとき我々以外人がいなかったのは幸いだった。
他人がいれば、新城市の防犯メールで不審者情報として流されたことであろう。

しかし、かなりの斜度でそそり立つ崖は、その険しさで人を寄せ付けない。
いにしえの修験者達も険しさに挑み、克服することで力を得ようとしていた。
その険しさはI泉氏の挑戦意欲をより強固なものとするのみであった。

岩にしがみつき、その手で栄光を掴み取らんとする姿は、我々にある光景を思い出させた。

鳥居強右衛門勝商(とりいすねえもんかつあき)。

※画像出典:wiki

郷土の英雄鳥居強右衛門。
長篠合戦で長篠城を救った漢(おとこ)。

天下最強を謳われた1万5千の武田軍に対し、長篠城に籠城する徳川方の奥平貞昌は500。
父信玄の死去とともに自らを裏切り徳川方に走った奥平家。その憎き奥平が、自分が家督を継いだ直後に奪われた城、長篠城に籠城している。武田勝頼は怒りに燃え、落城させるべく猛攻撃を掛け、長篠城の大半を落として、なおかつ兵糧を奪います。
このままでは長篠城は落城する。
この危機を徳川家康につたえ、援軍を確実に送ってもらわなければならない。
そのため、徳川家康への使者を募りますが、使者として城を離れているときに落城してしまえば、逃げたと思われてしまうこともあって、誰も行きたがらない。そんな時、主君が困っている様を見て志願したのが鳥居強右衛門。
夜中に密かに豊川を泳いで脱出。岡崎まで向かい徳川家康に情報を伝えることに成功します。そして、織田信長とともに徳川家康が援軍を率いてやってくることを長篠城に伝えようと城に入ろうとしたところを怪しまれ、武田軍に捕まってしまいます。

「『援軍は来ない。』と言え。そうすれば城の士気は落ちて落城させられる。お前にも褒美をたくさんやるがどうだ?このまま殺されるよりも楽しい人生が待っていると思うが。」

捕まった鳥居強右衛門は、武田勝頼から取引を持ちかけられます。
強右衛門はしばらく考えた後、取引に応じます。

そして城の近くまで引き出された強右衛門。城に向かって叫びます。
「皆もの、徳川殿は織田信長の兵とともにまもなく到着する!それまで城を堅固に保つのだ!」
沸き立つ城内。
慌てたのは武田軍。強右衛門が全てを言い終わる前に彼をぼこぼこにしてひきずって行きます。

その後、彼は城の対岸で磔にされてしまいます。
しかし、磔にされた彼を見て感動した武田方の落合左平次は息も絶え絶えの鳥居強右衛門に言います。「貴公の忠義には感動した。今の姿をワシの旗指物としても良いか?」
強右衛門は了承します。
その旗指物がこの絵なのです。


その後、武田軍は織田・徳川連合軍に設楽原で決戦を挑むも、馬防柵と大量の鉄砲によって壊滅させられます。
そして、長篠城を守り抜いた奥平貞昌は、徳川家康の長女を嫁にもらい、織田信長から「信」の一字を貰い奥平信昌となり、幕府の要職を歴任し、子孫は家康の血を引くことから優遇されます。

奥平家の栄光の礎となった鳥居強右衛門は、未だに郷土の英雄として語り継がれているのです。
どれだけ褌からギャランドゥーがはみ出していようとも・・・。

必死に崖を登るI泉氏を見た我々は、いにしえの鳥居強右衛門もかくや、と、連想させずにはいられなかった。
そして、強右衛門のような最期にならないように、とにかく無事に帰還してくれ、と願う。

現場に到着し確認をした彼は、そのまま降り始めた。


ところが、この降り、加藤清正の石垣のように逆バンクだったため、降るのに難渋してしまいます。
ハラハラと我々が見守る中、なんとか降りるルートを見つけ無事に降りたときには、皆安堵のため息。
ほんと、良い子は真似しないでくださいっ!


ところで、例のモノは一体、何だったのか。

「金髪の水着のお姉ちゃんが印刷してあるクリアファイルだった。」
とのこと。

・・・。
あれだけの苦労の結果はそれか・・・。
これは一体何を暗示しているのか。

これだけにことをやったのだ。きっと何か良いことがあるのではないか!
それとも、全ては徒労に帰す、ということなのか・・・。

I泉氏の努力を賭けて、スクラッチを削る!


が、特に奇跡は起こらず・・・。

そして我らとしては、サマージャンボの当選を祈るのみ。


パワースポットが集中するという中央構造線城にある滝。
きっと石にも力が宿っているのでは無いか。
そう考えた我々は石にはさんで祈りを捧げた。
そして、滝の水を汲んだペットボトルにもラベル代わりに貼り付けて、その力を得ようと考えたのであった。



その後、滝の上流にあるポットホールへ差し掛かる。


ポットホールとは何か。

説明しよう。

河底や河岸の表面が硬い場合、表面に割れ目などの弱い部分があるとそこが水流による浸蝕のためにくぼみとなる。このくぼみの中に礫が入ると渦流によってその礫が回転し丸みを帯びた円形の穴に拡大する。その後川底が侵食の影響で下がり、甌穴(おうけつ)のできた場所は水面より高くなる。その結果、甌穴が地表に見られるようになる。

と、ウィキペディアが言ってました。

要は、川底に石が入り込んで水流でぐるぐると回っているうちに川底を削り、その後石がどっかへいってしまい穴が開いた部分、ってことです。
なかなか珍しいものだそうで、天然記念物になってるものもあったりするそうです。

そんな珍しいものなら御利益があるのでは?!

いにしえに、森羅万象全てに霊性を感じ、敬い奉ったアニミズム信仰のように、我々はなんらかの珍しいものがあれば、全てに御利益を感じずにはいられなくなっていた。

ポットホールに宝くじを浮かべてみる。


すると沈まない!

これは、これこそはきっと何かがあるのではないか。
我々は期待を胸にこの場を去った。

結果は・・・。
また来るから。
当たるまで来るから。

いよいよ次回、百間滝最終回!
「へだまの水」
堂々の完結へ!


4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ギャランドゥって、通じます? (山江まろん)
2013-10-30 23:20:37
まだ、十代のころ、東名高速上で、鳥居強右衛門のこの姿を見つけ、強烈に、「この人誰だろう?」と、思い図書館で調べました。
正位置とリバースが存在しますね。
一日で、フルマラソン2回と、バイクなしのトライアスロン。
どんだけ?鉄人?
岩にとりついている勇者も、負けてませんね。
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ギャランドゥは通じます。 (うらにわ)
2013-11-01 00:22:31
ギャランドゥは元ネタを知らない状態で流通もしているかと。10代とかはわかりませんが、20代からはOKかと。
ちなみに強右衛門は城から川でスイミング、その後標高500mまでのトレイルランを行った後、自分の出身地作手で馬を借ります。岡崎までは走って行ったのではないのです。
私も新城に住むまでは強右衛門は全部走ったのだと思っていましたが違いました。流石に早すぎるとおもいましたもん。マラソン選手並のスピードで、足場の悪いところを走るのは流石に無理です。

勇者は、いろんな意味で勇者でした。
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初めまして (マイロ)
2014-03-08 21:01:26
歴史好きで、三河好き。"武田 落武者”で検索かけて、こちらに辿り付きました。
鳥居強右衛門は、本田作左衛門と同じくらい好きな武士です。 そして、名古屋から毎年作手にお米も買いに行きます(笑) 

城好きで言えば、逸話萌えの部類に入るなあ。
って一人でウケていました。
上げられてる記事が、興味深いものばかりだったので、また遊びに来るかもしれません^^ お怪我に気をつけて、今後も城攻め頑張って下さい。


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ようこそおいでくださいました (うらにわ)
2014-03-08 21:32:07
マイロさんはじめまして。作手にお米買いに行かれるとは!新城よい場所ですよね。私も今では名古屋から新城へよくいきます、と、いうか、先ほど作手から帰宅しました。是非これからもこちらのブログをご贔屓に。
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