入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

    ’17年「冬」 (23)

2017年12月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 雪催いの天気、年の瀬らしい。昨日が天皇誕生日で冬至。寒空にどこからか風に乗って「君が代」の曲が流れてきたと思ったら、そのうち大音響、驚いた。そしてきょうはクリスマス・イブ、明日はクリスマス。
 
 クリスマスにかこつけて、Nと雪の谷川に出掛けたことがあった。山を始めたころの、遠い昔のことだ。どういう理由だったかもう覚えていないが、雪洞を掘って、その中に身を置いただけで満足して、確かあの時は何もせずに帰ってきた記憶がある。雪山にはしゃぎ、谷川という山に浮かれ、駆け出しの身でいっぱしのクライマーにでもなったような錯覚を起こさないで良かったと思う。その後何度か、そういう錯覚に陥り、痛い思いをしたことがあるからだ。
 こう書いていて思うが、山岳事故は、想定を超えた状況に、いわゆる〝適切″に対処できずに起きている場合が、初心者もだが、ベテランにも多いという気がする。それが山であり、またその怖さが魅力でもあるのだろうが、「適切な対処」にはさらに加えてもう一つ、性格がからんでくる。
 これが非常に厄介な問題で、未経験であったり想定外の事態を前にした時、その判断、対処にはこの性格というものが大きな影響を与えてしまうと思う。特に、単独の場合には、運不運や経験もあるが、それが大きいと言える。
 細心のとか、慎重にとか、山にはこうした言葉が付きまとう。しかし、その客観的な基準などない。各自で判断するしかない。もう一人の植村だったら、もう一人の森田、長谷川、小西だったら・・・、無事に帰ってきたかも知れない。「山が読め過ぎて」無理ができなくなったと、あの人はそうまで言っていたのに、越えてしまったのだろう。
 もう危険な山になど行く気はないが、それでも自分の性格、判断については自信がない。そう、里でもだ。

 1年ぶりに年末年始の営業をすることにしました。また冬季の営業については以下をクリックしてください。
「冬季営業の案内(’17年度」は、前年のものを流用している部分もあって、段落や改行がおかしく、見苦しいかも知れませんが何卒ご容赦を。少人数の場合は一応ご相談ください。また他の団体と計画が合えば、少人数でも管理棟の予備の部屋10畳ふた間を利用することができます。

 



 
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    ’17年「冬」 (22)

2017年12月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                                Photo by Ume氏

 これだけ好天が続くと、空気が乾燥してくる。市の広報が連日のように火の取り扱いに気を付けろと言ってる。事実、年の瀬には火事がよく起きる。そう思いつつも、さすがに庭に散ったモミジの葉だけは放っておけず、ようやく集めて燃やした。
 年末らしいことは一切無視を決めてるつもりだったが、こういうことをすると、次から次へと気になることが出てくる。何しろ、手入れなぞしたことのない古色一色の家である。徒長したサツキや生垣にまで手を出したくなるから、それで打ち止めにした。もちろん、大掃除なんてとんでもないことである。昔は、大湯を沸かして家族みんなでやったものだが、もうもうやらない。
 神棚はほこりまみれ、床の間の鏡餅はいつのものか、しめ縄もしめ飾りも、門松すら飾る気がない。これでは、折角福ををいっぱい持ってきてくれても、神様の依り代がない。我が家は素通りするだろう。
 正月料理とも縁がない。作れないことはないし、実際、出汁を引くのは得意だから「やれよ「」という声がどこからかしてくる。しかし、雑煮すらどうするか決めていない。いつからこんな体たらくになってしまったか、それすらも思い出せない。
 そんなふうに世相に背をむけつつそれでも、この年が終わる前にしておきたいことが幾つかある。それさえ済ませてしまえば、入笠で越年となる。
 そういえば越年で思い出した。芝平の集落、とある一軒には、土蔵の横になぜか幾つもがの餅臼が放置されている。あれを頂戴して上に持ってくれば、餅つきができる。いや、探せば家のどこかに臼も、蒸籠もあるはずだ。高遠の辛味大根で突きたての餅を食べたら、来た人たちは喜ぶだろう。今年はもう無理だが、一考の価値ありかも知れない。
 来週になれば天気は崩れるらしい。「白い恋人たち」が舞い、白銀の世界が現出するだろう。

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    ’17年「冬」 (21)

2017年12月22日 | 入笠牧場からの星空

          オリオン星雲 Photo by かんと氏(再録)
 
 われわれの太陽は誕生から46億年、寿命はあと同じくらい残っていると思っていた。ところが、もう10億年もすると、太陽はその終局に向かって外殻を吹き飛ばし、地球も太陽の発した高温プラズマに晒されて焼けただれてしまうという。当然、そこで人類の痕跡は跡形もなく消えてしまう。ところがわが「双子の探査機」ボイジャーはその時になっても、広大な宇宙のどこかを優雅に飛行しているかも知れないというのだ。
 人類が遥か遠い昔、銀河の片隅で存在したことを示す「唯一の証拠となるかもしれない」とあの人、フランク・ドレイクは言ってる。この人は、この宇宙の知的生命体の存在について、その可能性を探る上で一つの指標となる方程式を考えた科学者で、「ドレイクの方程式」としてカール・セイガンの「コスモス」に詳しく紹介されている。
 ボイジャーの機体には、黄金のディスクが積み込まれていて、それには、探査機がどこから来たのか、またそれを送り出した人類や地球についての様々な情報が入っている。「これは小さな、遠い世界からの贈り物です。我々の音、科学、画像、音楽、思想や感情の証です。我々の過ごした時を、あなたがたに残すことができればと思っています」。元アメリカ大統領ジミー・カーターが、受け取り人不明の宛先に発した印象的なメッセージである。
 それにしても、万年ではない。うん十億年先の話である。科学が予見する壮絶な太陽系の未来もだが、認識の限界をはるかに超えてしまうような時間の先に、このディスクを解読するかも知れない知性を、ドレイクのような人たちは空想できるのだ。凄い、そして呆れる。
 ついでに気になることだが、われわれ人類の様々なことは、悪行・不名誉なことも含め、すでに電波によって遥かな宇宙に発信し続けられている。あれもわれわれの存在を明かす証拠であり、すでに傍受されているか、あるいはいつか誰かに傍受されるのではないのか。
夕暮れが来る。他にも疑問は尽きないが、妄想を終えるときが来た。今夜も寒天に眉月が美しいだろう。

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    ’17年「冬」 (20)

2017年12月21日 | 入笠牧場からの星空

馬頭星雲 Photo by TBI氏(再録)

 ボイジャー1号、2号が打ち上げられてから今年で40年が経った。この2機の探査機については、独り言でもたまに触れていたから、そのことを忘れてはいなかった。しかし、記念すべきその節目の8月20日(2号)と、9月5日(1号)、敢えて何も書かなかった。「星空のきれいな牧場」の一介の管理人としては、浅い知識で云々するのは僭越、しかるべき人にお任せすべきだと思ったからだ。
 それにしても、40年はあっという間だった。年の瀬に過ぎ去ていく1年を振り返えり感じるように、40年の歳月の速さ、呆気なさを今更のように思う。この独り言を読んでくれている人の中には、まだ生まれてなかった人もいるだろうし、生まれていても小さくてこの歴史的な意義を理解できなかった人もいよう。もちろん、科学の未来に胸を膨らませた少年、青年、壮年もいただろうが。
 それから40年。宇宙探査は紆余曲折しても、やがて、人類はもっともっと早い探査機を開発するだろう。ボイジャーは結局、一種のタイムカプセルとして我々の子孫によって回収される可能性の方が、いるかいないか分からない知的生命体に発見されるよりもはるかに高いと思い、そう独り言ちった。ボイジャー1号が40年かけてきょうまでに達成した距離(約220億キロ)は、光なら1日かけずに到達できる。人工の飛行物体としては最速(時速約6万キロ)でも、4.3光年のαケンタウルスまでは8万年を要する。この広大な宇宙を思えば、ボイジャーは遅すぎる。こんなことも書いた。
 ところがその考えは、浅かった。ボイジャーの使命にはもう一つ、もっと重要な任務があったのだ。「長い目で見れば、これはわれわれが存在したことを示す、唯一の証拠となるかもしれない」という、仰天しそうな大任が。認識の領域が狭過ぎた。その人は、10億年後(!)の太陽系の運命を考えて、このように言ったのだ。(もう少しだけ、明日も)

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    ’17年「冬」 (19)

2017年12月20日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                  Photo by Ume氏

 天気は悪くないが、寒い日が続く。今朝6時に起きた時には、室内でも零度を割っていた。年が明ければさらに寒くなるだろうが、それに対する有効な手立てなどない。というか、そう決めてしまうのは諦めもあるが、子供のころはもっと寒かったはずだという、遠い記憶が現状を受け入れ、耐えようとする気持ちにさせる。
 あるエライ先生が書いていた。冬季の寝室の温度で愛妻と毎年諍いを繰り返してきたが、首巻をすれば15度でも大丈夫もということで夫婦間の合意ができでたという。ところが、先生よりかなり若そうな奥方が、最近は暖房無しまで主張するようになって閉口していると、いつもの惚気調で綴っていた。なお、エライ先生の推測では、暖房を切れば室内温度は10度ぐらいになってしまうらしい。
 これを読んで、目下の暮らしが他人様とは相当違っているかも知れないと、少し不安になっってきた。信州に暮らし15回目の冬を迎えることになるが、暖房を効かせて寝たことなど一度もない。真冬になれば零下4度くらいまでは下がるが、それがこの陋屋の冬の暮らしだと納得していた。最近、深山に人目を避けて暮らした人たちに関心を持ったりしたが、この暮らしはそういう人たちにも負けないほど過酷で、悲惨だと、あのエライ先生なら思うかも知れない。
 雪の山に挑む、困難な登攀をする、そういうことに自信や不安や、そしてある種の誇りも感じていた。それが今この老体をして厳寒の夜を、暖房のない零下の環境に眠り、耐える。「清貧」と居直ってもいいが、哀れでみすぼらしいだけだろう。まあ、藁布団というわけではなく、一応2枚の毛布と羽毛布団を着て寝ているが。

そろそろまた、入笠が呼んでいる。

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