
ボケの花はあれ以来増えないが、梅の花は開花を増やした。窓越しに見える同じ景色が、気温の差でこれほどにも受ける印象が違ってくるのかと驚いている。きょうは予報通り気温が上がらず、晴れてはいるが冬の寒さだ。
参った。これは世が世ならエライことになったかも知れない。畏れながら今上天皇の誕生日を、よりによって勤労感謝の日としてしまった。一昨日の呟きである。何かおかしいという気がチラッと頭をかすめたが、そのまま立ち止まれずに呟きを続けてしまった。他人のせいにしてはいけないが、前夜に交わした某との会話のせいだ。確かに勤労感謝とくれば、その日が秋だぐらいの認識はあったはずだが、痛恨、恥。
あの日の夜だったと思う、間違いなく内閣総理大臣が平身して祝意を述べ、それに応える令和の天皇の堂々たる姿をテレビで見た。音声を消していたのか、その時でも休日と天皇の誕生日が結びつかなかった。その上、還暦を迎えたのだと思っていたら、これまた違って61歳だったとは。
― 玉座に就かれるも、いまだ大内山に落ち着かれることなく、木立繁る赤坂御所の奥からはそのご動静も先帝ほどには伝わってこない。宸襟はいかがなるかなどと一民草の身では思うだに畏れ多いが、時代は変わり、皇室の存続は国民の総意だとあらば、心穏やかならざる時もおありかと。「なるちゃん」などと呼ばれていた時代のことが、有難やということかどうか。
この失態、最近偶々かの憂国の人の著作など再読しつつ、天皇に抱く複雑難解な思いに頭を痛めていた折も折のことだった。思えばあの事件も、あれから50年が過ぎて今は遠い。「などてすめらみことは人となり給ひしか」。
身を割かれるような思いで家族を残し、戦場に消えていった多くの兵士が、今の物質経済優先の社会を見ても、憂国の人と同じような思いを共有し、同じような叫びを上げるとは思えない。あの人たちが生きた時代は貧しく、特に農村はひどく、今よりか格差もあれば、政官、民にも不正義が横行していたはずだ。
そういう時代に育った人の多くは世を去ったが、戦後民主教育を受けたと言われる我々にも親の時代の影響は残る。残滓もあろうが、そうばかりでもない。「多様性と調和」などと聞いても、首をかしげる者もいるだろう。
この誤りを指摘してくれたのは、半世紀を優に超える小学校以来の畏友KM子さんである。フム―、それにしてもこの勘違いの凄さには、つい笑ってしまう。本日はこの辺で。