
ある人から昨日の呟きに対して「あれが靴が大事だという人の履く靴なの」と、きついことを言われてしまった。ウムー、確かにそう言われたら、返す言葉に些か窮する。キャンプや小屋に来た客や、富士見側の交通規制に携わる人からも、靴を新調すると即「あ、新しい靴にしましたね」などと言われ、日ごろの牧場管理人の気の毒な靴については、口にこそ出さずも、何人もの人が気付いているのだとそれで分かる。貧しい人だから、知らないふりをしておこうというやさしい心遣いが、心に余計痛い。
確かにフックの飛んでしまった靴や、切れた紐をいい加減に結んだ靴、生地が破れかけた靴などなどと、ひどい靴ばかり履いていたことは覚えている。大体、長くて2年で履きつぶす。靴によっては1年ということもある。まあ、必要経費と考え、この機会にできるだけみっともない靴を履くのはよそうと思う。

ただ、貧乏はその通りだが、なかなか気に入った靴に出会えないということも、実はある。家から100㍍もしない田圃の中に結構名のあるスポーツ店があり、そこで3足くらいは買った記憶がある。しかし、最初から分かっていたが、まず保(も)たない。それなりの値段の、それなりの靴を買うとなれば、松本まで行くしかないのだが、無精者だからいよいよとならないと行かない。「いよいよ」というのは靴底が訴えてきてからだ。あんなボロ靴を履いていてもその点は注意しているから、まだ捻挫など起こしたことはない。信じられないか?
靴の用途は多種多様である。だからといって、どこの靴の制作会社だって牧場管理人向けの靴など考えたこともないはずだ。多くの人はゴム長靴である。ところが、山気分が抜けないのか、仕事でも主に登山靴を履いている。だから、それの良し悪しなら分かるし、欠点を指摘しろと言われればそれもできないことはないけれど、これは牛守にとって、声高に言うことではない。
ともかく、こんなことを呟いて思いがけない反響を得たから、心しなければならない。と、思うが、あまり変わらないかも知れない。何しろ着る物だって肌着ぐらいは分かるが、他はどこへ行けばよいのか分からず、自分で買ったことなどまずない。古い世代の人間だから。クク。
古い世代と言えば、男女差別とやらを口にして、ボコボコに叩かれている元総理大臣のあの人、それに抗議する意味だとか言って笑顔を浮かべながら白い服を着てみたり、胸に花を胸に飾ったりして得意になっている国民の代表者、今のご時世、どちらを見ていても力が抜ける。
本日はこの辺で。