
「冬の終わりに」 Photo by かんと氏
かんとさんがきょうの星景写真に付けた題名は「冬の終わりに」。昨年の作。シリウスの光ばかりが目立ち、オリオン座や他の星座が消沈しているように見えたせいと、そればかりかこのタイトル、普段は撮影者の心情など言葉にしないのに、極寒のこの夜、たった一人きりで冬の星々に別れを告げる、そんな氏の気持ちを推し量ったりしてるうち、掲載させてもらう機会を逸してしまった。月日が経つのは早い。
と、ここまで呟いたところで電話が入った。先年、アラスカの荒野を目指し長い旅を続けてきた井上氏からで、この旅のことはそれを綴った労作「おやじは荒野を目指す」という著書も含め、ここで紹介したことがある。きょうの電話はそれとはまったく関係のない話で、しかし恐れ入った。
この呟きの題名が「’20年」のままだという。言われて気付いたが、ズボンのあの部分のジッパーを上げ忘れて面接試験を受けたような間抜け(そういうこともあった)、当然多くの人が気付いていたと思う。慌てた。年が明けてすでに1ヶ月半も経っている。月日が経つのは早い。
「’」を押すと、自動的に「20年」が続いて出てしまう。「21年」に直したはずだが、PCは使用回数の多い方を選び、それに気付かなかったということだと思う。
いつのころからか、年ばかりか、月まで誤っていることがある。つい先日の2月4日の呟きでも「(1月3日記)」とやらかしている。これはTDS君から指摘された。まさか今が春や夏だとは思っていないが、四季すらも怪しくなることがある。まして曜日や、その日など、この呟きなどなければまず気にならないでいる。実生活に殆ど支障がなくなってしまっているからだろう。
それでいて、時の経過には敏感だという事実もある。一昨日だったか、「そうか、狩猟期間(2月15日まで)はもう終わったんだ」と、何の脈略もなく思い出し、その早さに驚いた。後走中、いくらブレーキを踏んでも減速できない車の夢を見ることがあるが、自分の年齢に関してはそれと似た気がしている。この件では佐賀の友人に皮肉られた。さすがにそれまでは忘れていないが、まあ、でなければ認知症だろう。まだそこまでは、と思ってはいるが、日頃、「自分を褒め」るのでなく、その逆に殴りたくなることが多くて困る。
ただここで一つ自戒すべきだと思うのは、そうした日常の過ちをどれも年齢に持っていき、生来の欠陥まで誤魔化かそうとしてないかという点である。これは注意しようと思いつつ、恥ずかしながら数日前、もち米と米を間違えて炊いてしまった。これは、ウーン、年齢のせいではないと思っているが・・・、乞うご見解を。
大変に失礼しました。多謝井上殿、本日はこの辺で。