
以前、「3人寄れば山岳会」などと言われた時代があった。半世紀以上も昔の話で、登山はあまり金がかからず、手軽で人気が高かったのだ。そういえば、そうした作業着、野良着同然の登山姿の中で、ニッカーボッカーだけは特別で、登山者の正装だった。今はあまり見かけなくなった気がするがどうだろう。
そのころは遭難の原因として、「装備不足」ということが、雪崩や、滑落以上に指摘された時代でもある。米軍払い下げの寝袋があればいい方で、それが破れてテント内が一夜にして鳥小屋になってしまったという経験もあれば、そういう話を他でも聞いた。
また、それから少し経った70年代、田舎からの出身者が都会に出てきて4畳半のアパートという狭い畳敷きの個室に暮らし、世の中は高度成長だというのに仕事で満たされず、その不満を山に行って晴らそうとする者を典型的な「田舎者の俗ぶつ」だと言って嘲い、また嘲われた時代だった。
今のように、最新の山支度に身を固めた中高年の姿などなかった。登山人口の一翼を占めるこうした登山者の中には、かなりの割合で、若いころにこうした登山を経験した人たちがいるはずだ。時間的、経済的に余裕ができ、若いころにはなかったり、手に入れたくも高価で諦めた登山用品に守られて、遠ざかっていた山へ戻ってきたのだろう。
よく「昔は良かった」という声を聞く。しかし、山に関してはどうだろうか。過去の山を美化し、懐かしがったりする人も当然いるだろうが、今日の登山現象に口を尖らせ、批判するような声をあまり耳にしない。
登山人口の推移は分からないが、装備ばかりでなく道路、ロープウエイなど、入山時からさまざまな面で便利になり、山小屋は味気なかった食事を改め、待遇が大分良くなったらしい。情報の飛び交う時代、そうしなければ山小屋はたちまち評判を落としてしまうからだろうが、佃煮と塩気の強い玉ねぎの入った味噌汁にお新香と比べたら、利用者にとっても悪いことではない。山は変わらずも、登山はより快適で、便利になった。その傾向はさらに進んでいくだろう。
われらが入笠牧場にも山小屋があり、キャンプ場もある。あまり文明開化は進んでいないが牧場も含めて、無定見にそれを進めたりするのは反対だ。が、先は分からない。オカシナことを、一時の思い付きでやろうとする人がいたりするから。
さてさて、落としどころが見付からない。雪山の孤独なテントの中で、長い夜に思ったり考えたりしたことを呟くつもりだったが、中途半端な思い出話になってしまった。本日はこの辺で。