今日は、仕事のある人や遠方の人のためのディスタンス・コースが開催される日。
夜はその人たち向けに、アンデシュ・リリフォシュとボッセ・ラーションによるコンサートがあった。
私達は、学校で行われるイベントには自由に参加できる。
時間に間に合うように、冷凍チキンをオーブンでじゅうじゅう焼いて、冷凍野菜をいため、タイのチリソースをかけて食べた。
アンデシュは、フォークミュージックに貢献した人に送られる金メダル所持者。
ボッセは、ウップランド地方の有名フィドラー、ヴィクスタ・ラッセの甥にあたる。(写真左)
その後のFIKA(ティーブレイク)では、ハロンのチョコケーキ(写真右)。
それから、今夜も恒例セッションです。
(セッション:みんなで一緒に自由に弾くこと)
延々、弾いていると夜中の1時をまわっていた。
そして、こ腹がすいたねぇ、と数人で学校のキッチンをあさり、再びFIKA!
黒いパンに、バターをたっぷり塗り、チーズをのせ…こんな夜中に食べていいのか!?
ところでこういうセッションでは、うちの学校の生徒(ディスタンス・コースのことではなくて)はあまり出てこない。
出てくる人はだいたい決まっていて、約3分の1。
スウェーデンのフォーク・ミュージック(民族音楽)演奏者は、私の勝手な分類によると2つに大別される。
ミュージシャン・タイプか、フォークミュージシャン・タイプか。
注:どちらもプロかアマチュアかは関係ない。
ミュージシャン・タイプの人は、肩書きあるような立派な人とは弾きたがる。
でも、普段の生活で同じように学んでいる人達とはあまり弾きたがらない。
セッションが「交流」だという感覚があまり無い。
「作品」としての音楽、「芸術性」のほうに目が行きがちで、日々の練習は怠らないし、もちろん向上心もある。
フォークミュージシャン・タイプの人は、伝統的にセッションが「交流」であることを意識しているので、
レベルに関わらず色んな人とセッションをする。
自分の知らない曲をそこから仕入れたり、人の手法を盗んだり、自分の好きな曲をみんなに教えたり、
音楽談義を他の人と楽しんだりする。
さて、日本にも来日コンサートしたヨハン・ヘディン(Johan Hedin)はどちらでしょう?
人から聞いた話からすると、後者。フォークミュージシャンだと思う。
色んな集まりに顔を出しては、楽しくみんなと弾く様子をよく聞く。
同じく来日コンサート経験者かつ優れたプレーヤーである、ビョーン・シュトービ(Björn Ståbi)、
ペーテル・ヘドルンド(Peter Hedlund)などはどうでしょう?
彼らも、私は後者だと思う。
実際に、その辺の草むらで老若男女みんなと戯れながら演奏を楽しむ姿を何度も目にしている。
「伝統」という言葉は少々かたい感じに聞こえるけど、ここでいうフォークミュージックの「伝統」とは「交流」のことで、
この「交流」があったからこそ「伝承音楽」(口伝えの音楽)が成立し、クラッシック音楽と違って
地方や村ごとの個性をぷんぷん臭わせながら独自の文化を形成してきたのだと思う。
かっこいいフォークのCDが出回り、コンサートが頻繁に行われ、ロックとの融合も進み、
フォークミュージックの「伝統」に対する考えが若い人の間で二極化していっているのかもしれない。
若さゆえ他の「交流」に忙しいだけかもしれない。
まあ、固い話はおいといて。
昨夜は、ケーキも食べれたし!カッコイイ曲も仕入れたし!
夜中のチーズを囲んでの雑談は、みんなどこかネジがゆるんでいて楽しかった。
木曜のハリング・ダンスで未だにまともに歩けない足を引きずって部屋に戻ったのは02:30am。
夜はその人たち向けに、アンデシュ・リリフォシュとボッセ・ラーションによるコンサートがあった。
私達は、学校で行われるイベントには自由に参加できる。
時間に間に合うように、冷凍チキンをオーブンでじゅうじゅう焼いて、冷凍野菜をいため、タイのチリソースをかけて食べた。
アンデシュは、フォークミュージックに貢献した人に送られる金メダル所持者。
ボッセは、ウップランド地方の有名フィドラー、ヴィクスタ・ラッセの甥にあたる。(写真左)
その後のFIKA(ティーブレイク)では、ハロンのチョコケーキ(写真右)。
それから、今夜も恒例セッションです。
(セッション:みんなで一緒に自由に弾くこと)
延々、弾いていると夜中の1時をまわっていた。
そして、こ腹がすいたねぇ、と数人で学校のキッチンをあさり、再びFIKA!
黒いパンに、バターをたっぷり塗り、チーズをのせ…こんな夜中に食べていいのか!?
ところでこういうセッションでは、うちの学校の生徒(ディスタンス・コースのことではなくて)はあまり出てこない。
出てくる人はだいたい決まっていて、約3分の1。
スウェーデンのフォーク・ミュージック(民族音楽)演奏者は、私の勝手な分類によると2つに大別される。
ミュージシャン・タイプか、フォークミュージシャン・タイプか。
注:どちらもプロかアマチュアかは関係ない。
ミュージシャン・タイプの人は、肩書きあるような立派な人とは弾きたがる。
でも、普段の生活で同じように学んでいる人達とはあまり弾きたがらない。
セッションが「交流」だという感覚があまり無い。
「作品」としての音楽、「芸術性」のほうに目が行きがちで、日々の練習は怠らないし、もちろん向上心もある。
フォークミュージシャン・タイプの人は、伝統的にセッションが「交流」であることを意識しているので、
レベルに関わらず色んな人とセッションをする。
自分の知らない曲をそこから仕入れたり、人の手法を盗んだり、自分の好きな曲をみんなに教えたり、
音楽談義を他の人と楽しんだりする。
さて、日本にも来日コンサートしたヨハン・ヘディン(Johan Hedin)はどちらでしょう?
人から聞いた話からすると、後者。フォークミュージシャンだと思う。
色んな集まりに顔を出しては、楽しくみんなと弾く様子をよく聞く。
同じく来日コンサート経験者かつ優れたプレーヤーである、ビョーン・シュトービ(Björn Ståbi)、
ペーテル・ヘドルンド(Peter Hedlund)などはどうでしょう?
彼らも、私は後者だと思う。
実際に、その辺の草むらで老若男女みんなと戯れながら演奏を楽しむ姿を何度も目にしている。
「伝統」という言葉は少々かたい感じに聞こえるけど、ここでいうフォークミュージックの「伝統」とは「交流」のことで、
この「交流」があったからこそ「伝承音楽」(口伝えの音楽)が成立し、クラッシック音楽と違って
地方や村ごとの個性をぷんぷん臭わせながら独自の文化を形成してきたのだと思う。
かっこいいフォークのCDが出回り、コンサートが頻繁に行われ、ロックとの融合も進み、
フォークミュージックの「伝統」に対する考えが若い人の間で二極化していっているのかもしれない。
若さゆえ他の「交流」に忙しいだけかもしれない。
まあ、固い話はおいといて。
昨夜は、ケーキも食べれたし!カッコイイ曲も仕入れたし!
夜中のチーズを囲んでの雑談は、みんなどこかネジがゆるんでいて楽しかった。
木曜のハリング・ダンスで未だにまともに歩けない足を引きずって部屋に戻ったのは02:30am。