スウェーデン音楽留学サバイバル日記 ~ニッケルハルパ(nyckelharpa)を学ぶ

スウェーデンの民族楽器ニッケルハルパを学ぶため留学。日々の生活を様々な視点からレポートします。

オンラインあれこれの続き(楽譜集のID番号)

2020-07-06 23:31:52 | ポルスカについて
7月最初の水曜日。スウェーデン最大の伝統音楽の集まり、ビングシュー・ステンマの日ですが、1969年より続くこのイベントも今年初めてキャンセルとなりました。
 
さらに残念なことに、スウェーデンを代表する偉大な伝統音楽奏者、ペシュ・ハンスPers Hansが金曜に77歳で亡くなりました。お父さんのPers Erik、祖父のPers Olleと続く伝統音楽の家系で(ソーン金メダル、文化賞受賞歴)、70年代伝統音楽ブームを牽引した1人です。私が初めてスウェーデンに行った時、あまりに伝説的奏者だったので過去の亡くなった人だと思いこんでいまして(白黒写真しか見たことがなかった)。すると、目の前で本人を紹介され…「!!」とびっくりしたのでした。演奏も録音で聞いていたとおりの流麗さで、ダーラナの伝統美を隅々まで感じる演奏だったのを思い出します。時は流れ、次の世代に引き継がれる。分かっていても、悲しいですね。
PERS HANS OLSSON
 
さて、話を変えて、日本では6月、オンラインイベントが二つありました。
北欧のおうちでピクニック、約4時間半、一気に見てしまいました!
途中お客さんが来たりスマホやPCや場所を移動しながらですが、一人ずつが個性豊かで目が離せませんでした。
その前夜祭かのように東京北欧セッションがズームで開催。ズームを初めてダウンロードしてログインしたものの、夏至のディナーと被って見れませんでした。ごめんなさい!こちらも、ワークショップなど濃密なプログラムを組んでいましたね。
 
前回の続きです。
頸椎ヘルニアを指摘されてから姿勢を正して過ごしています。
背筋が反りすぎないよう、顎を上げすぎないよう…。3週目過ぎた頃が一番辛かったです
身も骨も、一夜干しのホッケになった気分でした。
 
さて、伝統曲のセッションを現地でする時、自分とメロディ、装飾、リズムに違いがあると、誰に習ったの?と聞かれます。楽譜もないので、教える人が違えば少しずつ違いが生まれ、これが伝統曲の豊かさにも通じます。
 
では、楽譜の曲はどうでしょう?皆同じように弾くと思いますか?
※ここでいう楽譜は、最近の人が楽譜に書いてネットにあげたものではなく、古い楽譜集で伝わった曲のことです。
 
そもそも楽譜の曲というのが特殊です。ブログで何度か書いたことがありますが、ここで簡単におさらいを。
---楽譜についてのおさらい---
口伝の伝統曲は楽譜がありませんでした。今も習う時には使いません。
1900年代に収集/出版された有名なSvenska Låtarスヴェンスカ・ロータル(スウェーデン曲集)という楽譜集がありますが、これは資料です。「それを見て弾いてね」というものではありません。
主に1600-1800年代、楽譜を書く知識のあった人がnotbok(ノートブック、楽譜集)という、自分用に曲を書き留めたものがあります。ほとんどが現代に伝わっていない曲で、作った曲、習った曲、街の流行曲もあり、作曲者にも触れていなかったり、いわば私的な覚書です。そうした古い楽譜集をのぞくことは、現代の伝統音楽奏者にとっては、「新曲」発見のツールでもある訳です。
 
そして、先ほどの「楽譜があれば皆同じように弾くのか?」の答えですが、「イエス」でもあり、「ノー」でもあります。
(私の個人的な意見ということを断っておきます)
古い楽譜集から曲を探した人は、楽譜から解釈をすることがあります。バロック的なアプローチだったり、楽譜に間違いがあったり、あきらかな簡略化の楽譜に音を足して…等々、理由はそれぞれ。そうやって譜面から自分のものにした曲を人に教える際は、伝統にのっとり楽譜を使いません。そして、その人のバージョンが広まるという訳です。楽譜集の掘り出し物調査は最近の流れなので、バージョン違いが生まれるほど年月も経っていません。ただ、楽譜の曲は分かりやすい曲が多いので、編曲され色んなアンサンブルに使われます。
このため、「楽譜集掘り起こし曲」の多くは、古い楽譜とはなんだか違う、でも誰もが同じバージョンを弾いている、アレンジしやすくアンサンブル向き、という「イエス」でもあり「ノー」でもあるということになりがちなのです。
 
さて、こうした古い楽譜集のうち、スウェーデンのvisarkivetが管理している分については、1曲ずつID番号を割り振っています。
以前は、直接行かないと見せてもらえませんでしたが、2000年代に入ってからデジタル保存され、今はネットで見れるようになりました(システム統合などで2019年以前のリンクは古くなり、あちこちのサイトでリンク切れになっているので注意)。
 
このID番号から見えるスウェーデン伝統音楽の話を書きたいと思います。
 
Sven Donatの楽譜集
この中の一曲を例に紹介したいと思います。
Sven Donat(1755-1815)は兵士で伍長になったフィドル奏者で、200曲以上ノートブックに書き留めました。
私の知らない、ある1曲が流行っていて、聞くと、Youtubeでマグヌス・ホルストレムが弾いていて人気になったようです。その動画を見ると、アドリブ的な部分も感じたので原曲の譜面がみたいなと思い、ネットで検索しました。folkwikiという自由投稿の楽譜サイトがヒットし、タイトルに「Polska efter Sven Donat (Ma5 42)」とあります。ノートブックのID番号が複数掲載、そして、「マグヌスの動画参照。ヨハン・ヘディンを通して有名」という一言が添えられています。ヨハン・ヘディンは、バロック音楽(バイオリン)にも精通したニッケルハルパ奏者です。最初にヨハンが広めたとしたら、独自の解釈をしてそうな気がします。
 
掲載されていた、ID番号はこちらです。同じ曲がこれだけの楽譜集(5冊)で見られるということは、古くからの人気曲だったのでしょうね。
 
Sven Donatと、以下4つが掲載されていました。楽譜集のIDを調べて、その名前も付け足しました。
Ma5:042, Sven Donat
Sö12:064, Malcolm Åhlander
Sm2:007, Lars Sundell "Lasse i Svarven"
Ma10:050 nr394,  Sam Wåhlberg
Ma7:025 nr.62, Andreas Dahlgren
 
それぞれの楽譜をネットで見ると、4つはCm(動画はGm)、メロディラインの印象も動画とは異なります。
唯一、Lars Sundell(1874-1923)はGmで、メロディが動画に似てると思うところも、違う箇所もあります。
時代でいえば、Lars Sundellが一番最近の人で、Sven Donat(1755-1815)、Sam Wåhlberg(1700年代)、Andreas Dahlgren(1758-1813)は同世代。だからこの3人の譜面はそっくりなのかも。(Malcolm不明)
動画のメロディを「Sven Donatのポルスカ」と呼ぶには、どの譜面とも違うし、どういう経緯だったのか…ぜひ知りたいところです。
感慨深いのは、当時の楽譜をこんなに簡単に見比べることができる時代になったことですね。
 
Ma、M、MMD、地名、SvL
Spelmäns böcker(フィドラーの本)の分類には3つあります。
Mはmelodibokメロディブック、aはavskrift原書からの写し(ただし、Maとあっても原書のことがある)、MMDは旧・音楽歴史博物館(現・パフォーミングアーツミュージアム)が所有していたダンスブックの曲集です。
それ以外では地方名の略語が24種類あります。は、Södermanland、DrはDalarnaなど。Svenska Låtarの楽譜集はこの膨大なコレクションをもとに出版されました。この楽譜集の曲に言及する場合、SvLという略語を使います。(SvL Skåne nr80とあれば、”Svenska Låtarのスコーネ地方の巻、80番”)
CDの曲解説で、こうしたID番号が掲載されていることが多いです。
 
アルファベットの後の数字
楽譜集ごとに割り当てた番号です。Mには1-189まで(189冊)あります。
コロンの後の3桁の数字はスキャンした写真の番号です。025は25番目の曲ではなく、25ページ目でもなく、スキャナー画像の42枚目です。
nr62のようにさらに番号が書いてある場合は、原書に書かれている曲番のことです。
 
検索はこちら
 
検索サイトの組織について
 
-FMK(Folkmusikkommissionen )
直訳するとフォークミュージック(伝統音楽)委員会、FMKが1908年にできました。
創始者は弁護士でフォークミュージシャンのニルス・アンデション(1864-1921)。最初のメンバーにはアンデシュ・ソーンもいます(著名な画家で、最初の伝統音楽の集まりを始めた人)。活動は、曲の収集や保存です。1910年代には地方ごと、奏者ごとにまとめられた楽譜集「Svenska Låtar」の出版に着手しましたが、1921年にニルスは亡くなりました。その後、残ったメンバーで毎年出版を続けたそうです。FMKのメンバーではなかったのですが、当時、ニルスの助手として活躍していたウロフ・アンデション(1884-1964)がその後、FMKの収集、編集業務を委託される形で活動を続けました。スキャナー画像の譜面でもウロフによる膨大な写しが見れます。1936年に、FMKのコレクションは、当時の音楽歴史博物館(後の音楽博物館、現・パフォーミングアーツミュージアム)に預けられ、引き続きウロフ・アンデションが作業を行いました。彼は、エストニアのスウェーデン語を話す地域の曲も調査し、本を出版しています。FMKのコレクションと、博物館のノートブック・コレクションと、合わせるとスウェーデンで一番大きなアーカイブとなりました。彼の死後1976年にFMKは解散、2003年よりVisarkivetがコレクションを管理しています。
 
-MusikverketとVisakivet
Musikverketは、スウェーデンの官庁の一つで音楽と劇場芸術を司り、パフォーミングアーツミュージアム(旧・音楽博物館)、Visarkivet、Capriceレコードなどもあります。
Visarkivetは、伝統音楽とジャズの収集/保存、研究、出版をする機関です。分かりにくいのですが、Visarkivetには、バラッドや子供の歌、録音資料など様々なコレクションがあり、FMKがかつて所有してた古い楽譜集のコレクションも含む、ということです。この関係が分からないと、サイトの中でMusikverket、ミュージアム、visarkivetのコレクションと、ぐるぐるさまよいがちです。

FMKが収集した曲
対象は、文化的、歴史的に保存する意義のある古い曲です。ウェブサイトの説明によると、1880年頃までを目安にしているそうです。アコーディオンの流行に伴い新しい音楽の時代になったのがその頃で、「ありとあらゆる奏者の全てのレパートリーを記録することを目的としていない」とのこと。ですが、1900年代に写しなど記録/編集されたものも多数あります。1930年代にプロシアやリガの曲を音楽歴史博物館のために写したもの(原本は世界大戦で消失)もあるそうです。
また、バラッドなどの膨大な物語歌は対象とせず、ほぼ全て器楽曲(羊飼いの歌や村の讃美歌など多少あります)、それもほとんどがフィドルの曲というのが特徴です。バラッドは、FMKではなく、Visarkivetのコレクションとしてあります。スウェーデンの伝統音楽は、歌をのぞいても現在10万曲あると言われ(収集により今も増加中)、これは他国と比べても膨大な数なのだそうです。FMKの現在のスキャンデータは3万ファイルとも4万5千ファイルとも記述がまちまちですが(まだスキャンされていないもの多数)、1イメージに複数の曲が書かれているので、合計でいうとかなりの曲数がネットで見れる状態です。
 
全ての楽譜集は所有していない
ただし、FMKと旧・音楽歴史博物館所有のコレクションがスウェーデンの伝統音楽の全てではありません。
例えば、よく聞く有名なEinar Övergaardの収集も、ブログでも書いたグスタフ・ブリドストレムの楽譜集も(ロシアで捕虜で過ごすうちに300曲書き留めた)、Himlens Polskaとよばれるあの名曲の書かれた楽譜集も別の組織が所有しています、
ヒムレンス・ポルスカは、フィンランドの曲とされていますが、スウェーデンのセルムランド出身、アドルフ・フレドリック・スターレの楽譜集の曲です。1806年、二十歳そこそこでフィンランドに留学し自分のノートブックを置き忘れて帰国してしまい、その2年後に亡くなりました。忘れ物を回収する人もいず、以降、現在まで200年もの間、フィンランドのシベリウスミュージアムに保存されています。
 
こうして書いていくと、スウェーデンでは自国の伝統音楽を守るために、国家予算を割き、国をあげて自国の文化を保存・継承する姿勢がすごいな、という印象があります。
ですが、実際には、強く訴え、働きかけ、組織を立ち上げたのは一般の人の力です。政府は、活動が軌道にのったなと気をゆるめるとすぐに予算削減まっしぐらです。私が知る、この10年、20年でも、様々なせめぎあいがあり、個人の活動家の熱意で成り立ってきたと感じます。
FMK創始者のニルス・アンデションの記事を読んでも、組織を作り、資金調達し運営をし、また資金調達してSvenska Låtarを出版し、一つずつ起業家精神で活動をしていたことが感じられます。
 
スウェーデンの伝統音楽の黄金時代を造った、偉大な伝統音楽奏者、Pers Hansの死亡記事ひとつ、文化ニュースにとりあげられないことに伝統音楽の愛好家は憤りを感じ、メディアへ働きかけをしていると聞きました。
私はこうして、聞いたこと、読んだことをここに書くだけしかしていません。スウェーデン人の行動力にはとても及ばないと情けなく思いながら、それでも一つでも誰かの記憶に残るストーリーを伝えていけたらと思います。
 
お知らせ
-数年前に書いた、浜松の楽器博物館の図録に寄せた個人的なエッセイ、とうとう出版となったようです。様々な楽器の奏者が書いたそれぞれのエッセイがおさめられています。
-3月にキャンセルとなった、アトリエ・ポルッカでのハーディングフェーレ&ニッケルハルパ、樫原聡子さんとのデュオライブ、秋開催の可能性を探っているところです。
興味のある方、もう少々お待ちください。
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