スウェーデン音楽留学サバイバル日記 ~ニッケルハルパ(nyckelharpa)を学ぶ

スウェーデンの民族楽器ニッケルハルパを学ぶため留学。日々の生活を様々な視点からレポートします。

ノルディック民族楽器セミナー その2、そして最後

2007-06-14 14:00:29 | スウェーデン生活
フィンランド人の研究者はセミナーに車で来ていた。
調べてきた道が間違っていて、私とペール・ウルフが道案内代わりに同乗することに。

ペール・ウルフは週末のニッケルハルパ・ステンマ(Nykelharpasstämman)で売るのだと大量のCDと本の箱を持ってきている。

その車の道中、ペール・ウルフのプレゼンについて説明してもらう予定だった。
有名なゴットランド島の天使の石彫りについて彼なりの解釈がある(フランス由来というもの)。
以前、説明してもらった時からさらに調査をすすめた結果、訂正(ドイツのソングブックの絵との関連)があるというのだ。
しかし、やはり研究者というのは知的好奇心にかられるものだ。
運転中のフィンランド人研究者が近々タルハルパの本を出すという一言を聞いて以来、その話題に一点集中。

ところで、ノルウェー人とスェーデン人は母国語同士で話すが、フィンランド人は「聞いて理解できるけど話す時は英語」である。
このフィンランド人も英語で話す。
なんとなく、皆から聞いていた語気の強いフィンランド訛がハハーンと分かった。
さすがロシアに近い側、というのは短絡的か。

写真左上が、タルハルパ(スウェーデン語はストローク・ハルパ stråk harpa)。
弓で弾きます。
私は始めて知ったのだけど、日本で弾いている人はいるのかな?
音色は、弓で弾くだけあって表現力がイイ。
そしてムーラハルパのような古楽器の音色だ。

さて、私への説明はまた今度ということになり、さっそくToboに着いた。
一度、寮を出ているので、再チェックイン。
ここで過ごす夜が最後かと思うと不思議な感じ。

軽くシャワーを浴びて夕食に向かうと、すでに始まっていた。
やった!私の好物。
ビーフと豆のブラウン・ソースかけ。
スティーナの得意料理。お客さんが来るとよく作ってくれる。
最後に食べれてウレシイ!
とスティーナ(英語が通じない)に言うと「そう?日本にはビーフないの?」とこの1年散々繰り返された質問を
再び最後にされた。
セミナーで知り合った、エストニア人の卒業生が言っていた。
「スティーナって変な質問ばっかするよね!
『エストニアにはチーズはあるの?』『エストニアにはパソコンはあるの?』とか」
聞いていて、別のところで内心どきっとした。私だってエストニアのことは何も知らない。
チーズってスウェーデンと同じ?とか聞かなくてよかった。
スティーナは美しく年齢を重ね、とてもオバチャン風貌ではない。
が、とても茶目っ気たっぷりのかわいらしい人なのだ。

脱線話
エストニアは、古くは元スウェーデン。文化的に共通点が多いのかも。
フィンランドも西海岸側は大昔、スウェーデンだったので、古いスウェーデンの伝統や言葉が残っている。

チーズに関して。
スウェーデン独自の製法と種類がある。
例えば、デンマークはデンマーク独自の製法でもちろん味も違う。
つまり日本に入っているイタリアンやスイスチーズなどとは異なるので、似た味のものがどれに相当するか、
日本にいると悩むところ。

さて、話を戻して。
明日からのセミナーにそなえそれぞれの職人さんが展示の準備を始めた。
見ていると面白い。
そして、ミュージシャンの集まりではないので控えめだけど、あちらこちらで楽器を弾きはじめた。
コンサート、研究者のプレゼン、展示を交えたこういう北欧民族楽器セミナーって日本でも開催できないかな
浜松の音楽博物館辺りで。もしくはどこかの大学とか。と切に思います。
人やお金さえ集まれば…。

するとエスビョンの奥さん、オーサに呼ばれた。
「これ、私達からの気持ち」と、包みを開くとトナカイの刺繍の入ったクロスだ。
オーサの目はすでにウルウルしている。
こういうときのスウェーデン人はとても感情を素直に表現する。
大げさなセリフは言わない。素朴な言葉と飾らない態度で正直に表現する。
ダメだ。感謝の言葉をならべようにも「今までありがとう」を言うのがせいいっぱいだ。
お別れの時に泣くかもと思ったのに、すでに泣いてしまった。

エスビョン(セミナー主催者)は、やってくる参加者やお客さんの相手でいそがしそうだ。
22時頃、最後のお客を案内した後、2歳の子を寝かしに一旦戻ることに。

その前にと、オーサがニッケルハルパを弾きはじめ、2歳の子供もニッケルハルパを楽しそうに弾きだした。
エスビョンと学校スタッフのAがそれに合わせてダンスをする。
こんな当たり前の光景も今夜が最後だ。

エスビョンがその子に「ほら、帰って寝るよ」というと、その子は私の手をつかむと大声で何か言いながら私を引っ張っろうとする。
遊び足りないのか?と引きずられて行くと、オーサがとめに入った。
「ほら、帰ってねなきゃっていうから。車に乗って帰るよ」と言っているらしい。
私も一緒に帰ると思っているらしいのだ。
そっか、この子ともここでお別れか。
エスビョンが「帰るからちゃんとクラマ(ぎゅっと抱き締める挨拶)しなさい」というと、ちっちゃな両手でぎゅっとしてくれた。

外に出ると、見た事のないような夕焼けだ。
最後の空は燃えるような赤だ。

さて私も部屋に戻り楽器を持ってくると、ウッレ・プランがやってきた。
「ハイ、これあげる。ドイツ製。」
とバロック弓をくれた!
「え!?なんで?」と言ううちに、ケースにつっこまれてしまった。
最後にプレゼントだって。
ウッレはべたべたしない感じだけど、いつも最大限に気持ちを表そうとする。本当にいい人だ。
ウロフも言っていた。ウッレは本当にイイ人で、この性格は職人としての利点だと。
買い手のわがままに熱心に耳を傾けて嫌な顔一つしないのだ。
頑固職人ならこだわりと伝統のもと…とプレーヤーの注文に耳をかさない人も少なくない。

さっそく弓を試した。
見た目も美しく、重量も軽い。かなりいい線いく弓だと思う。

写真右上は、ダニエルを囲んでセッションが始まった時の様子。
今回ゲストにエスビョンがノルウェイから招待したハーディンフェーレ(ノルウェーで一番と言っていた)のプレーヤーは
椅子を出しておしゃべりしながら聞いていたけど、楽器は弾いてくれなかった。

0時を過ぎた頃、エスビョン夫妻が最後のお客さんを駅で拾ってやってきた。
明日の朝は私を駅まで送るというのだけど、私が最後にみて欲しいものがあるとラップトップを持ってひきとめた。

エスビョン夫妻のために作った、スライドだ。
一緒に過ごした日々と季節の移り変わりをまとめたもの。
音楽はもちろんエスビョンの師匠、故エリック・サルストレムの演奏。
雪に覆われ、花が咲き、緑にあふれ、子供達が成長する。
楽器や伝統、スウェーデンの文化や生活をたくさん教えてくれた。
最後まで見終わると、3人で泣いてしまった。
悲しくて泣くわけではない。たくさんの想い出でいっぱいだ。

エリックが残したものはエスビョンが受け継いだ。
死の直前、全ての楽器もたくされたという。
その受け継いだものを少しでもと、私にもおすそわけしてくれた。

これ以上ここにいると悲しくなるから、また明日の朝くると言い残して帰っていった。

気を取り直して、再びセッション。
人数も減り、ソーレンと学校スタッフのA、その他、4名ほどだ。
セッションの合間、なんとか気をとりなおした私に何度もAが中断してはぎゅっと抱き締め「ちゃんと帰ったら連絡するのよ」と
何度も涙を誘う。

2時もまわった頃、Aは「明日の朝はやいでしょ」といい、私に朝食を用意しはじめた。
2人で学校のキッチンに入ると、好きなパン選んでと言う。
バターをたっぷりチーズとハムを載せ、バナナとりんごを袋に詰め、朝時間がなかったら電車で食べてと渡された。
何度もお別れをして部屋へ戻った。

2時はとっくに過ぎているというのに。
寮に戻ると、ノルウェー人がハーディンフェーレを部屋で弾いている音が廊下中に響いていた。
高く宙を舞うようなその音色にしばし聞きほれてから、部屋に戻った。

さて!ここからが大変だ!
先日の小旅行と今朝の買い物で、荷物の詰めなおし!
入らない。
スーツケースを閉めてに3分ほど座りこむ。徐々にしずんでフタが閉まるだろうと。
いーえ!何分座っても閉まりません。
涙をのんであれやらこれやら捨てはじめる。
シーツ類はニッケルハルパのフライトケースにほうりこむ。
(エスビョンの新作ニッケルハルパは、週末のイベントでガラスケース入りで展示された後、私の元へ郵送予定)
必死の形相で、感傷的な気分どころではなくなってきた。
一通り捨てると、つかれてベッドへ倒れこむ…。

翌朝は、昨日の夕焼けの通り、雨。
ペール・ウルフ、ウッレ・プランともお別れをした。
エスビョンの車に荷物をつみ駅まで乗せてもらった。
駅につくとエスビョンが「何かあげるものないかな」とポケットをごそごそする。
「マッチはどう?
「飛行機にもってけない」と私が言うと
「じゃあ、マッチのケースは?」と言う。
そのマッチは創設以来子供たちへ寄付金がいくらしくとてもスウェーデン的なのだと言っていた。
「じゃあ、これは」と取り出したら、さっき私が楽器の送料と渡した裸の現金だ。
「いや、それは何があっても受け取れないから
「あ、これは?」と2002年の夏至祭のバッジを取り出した。

なんでもいいから最後に記念になるものをあげたいのだというエスビョン。
最後に「家族の一員になってくれてありがとう」と言う。
私はなんて返したのか覚えていない。
泣きながら何か必死で言ったと思う。

すぐに電車が入ってきた。
雨でよかった。晴天で緑が美しかったらこの地を去るのがもっとつらかっただろうと思う。
電車に乗りこみ、軽く手を振ると、エスビョンは雨の中こばしりに車へ戻っていった。

窓の外は雨の中でも本当に美しい。写真は最後の車窓。
こんな土地で、こんなに温かく迎えられ、誰もが助けてくれ、素晴らしい1年だった。

結局、空港に着くまでの1時間泣きっぱなしだった。
空港について泣き止んだと思ったのに、カネルブッレ(シナモンパン)を最後にとかじるとまた泣けてきた。

また来ることもあるだろうに、一体、なんでこんなに泣けてくるのか分からない。
きっと、つっぱしった1年だったからだ。
充足感と、人や自然への感謝の気持ちだ。

留学しようか迷った頃は、「音楽」というジャンルが生活に非現実的なこと、「伝統音楽」自体が周囲の理解を超えていること、
新卒や在学中のようなやり直しのきく年齢ではないこと、その他たくさんの事情で周囲に激しく反対された。
「舞台にあがる事にあこがれを抱いている」くらいにしか思われず。
(もちろん、そんなあこがれはない。皆無。それが「じゃあ、なぜ!?」とさらに思わせたみたい)

ただ、反対は私のため、私の将来を思ってということは分かるので、聞き入れるべきだと迷った。
でも特に「伝統音楽の意味」を理解していない人からの反対は、どこかでひっかかるものがあった。
飛行機のチケットはかなり直前でとったが、その時までまだ取り消せると迷った。
しかし、エスビョンが「全面的にサポートする」と言ってくれていたこのチャンス、逃すとじゃあ来年とはいかない。

そんな中、だまって背中を押してくれた人もいた。
そして「その経験で人生が豊かになるなら行く意味がある。
そんな豊かな人生経験を持つ妹は、私の自慢だ。
第一、行ってみてやっぱり面白くないって引き返したって何も悪くない」と姉が言った。
「人生を豊かにする」この言葉が決定打となった。

ブログは、徐々ににアクセス数が増えると自分のためだけでなく、読んでいる人のためと励みになった。
実際、こんなとこも、あんなとこも写真とるの!?というとこまで撮れたのは「ブログかいてるんで」と言えたからだ。
分からない箇所を分からないままにできなかったのも、単に性格ではなく、日本で知られていないこの情報を
正しく伝えないと感じたからでもある。

最後まで読んで、独り言につきあってくれた皆様、ありがとうございました。

果たして、人生は豊かになったのか?
なんでも物事に結論を出すべきだとは思わない。
それは態度にあらわれ、周囲が判断するでしょう。

でもこんな充実し、こんなに時の流れを早く感じた1年はない。
こんなにたくさんの人に支えられたのも初めてだった。
日本で支え続けてくれた人、スウェーデンで支えてくれた人、ありがとう!

Tack så mycket!

**************************************************************************
ブログが「留学日記」という性質上、さらに更新するのはどうかと思っています。
しばらく、このまま置いておきます。

リアルタイムに書いていたため、誤った情報がある可能性もありますが、今後は確認しながら徐々にHPにまとめていきたいと思います。

何かご質問等あれば

nyckelharpa@mail.goo.ne.jp

までどうぞ。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノルディック民族楽器セミナー その1

2007-06-13 19:14:52 | スウェーデン生活
13日はストックホルムに着くとお昼までぶらぶらし、日本に持って帰ろうとライ麦パンや
ひまわりの種の入った黒いパンをたらふく買ってストックホルムの駅のコインロッカーに預けたバッグを取りに
必死で歩いていた。

すると「やあ!」
声の方を振り向くと、ニッケルハルパ職人のソーレン・オーケル(Sören Åhker)だ。
「え!こんなとこでバッタリなんて!ひょっとして今日のセミナーで?」
と聞くとやっぱりそうみたい。
「また会ったね!」もう一人いて声をかけられた。
「あ、ダニエル!こんちわ!」
ダニエルは卒業生でもあり、今は有名なプレーヤーだ。
「荷物とりにいくとこだから、向こうでね!」と言い足早に別れた。

セミナーは、私が楽器のことを色々とおそわったエスビョンの主催。
今年で14回目を迎える(初日の様子その他の写真)。
nordiska folkmusikinstrument、 北欧民族楽器セミナーと訳せる。

集まった人は、スウェーデン以外では、主にノルウェイ、フィンランドの楽器職人、ミュージシャン、研究者だ。
初日はストックホルム。その後も約1週間続くが私の参加はこの日のみ。

音楽博物館に到着すると、学校のスタッフ、校長、エスビョンなどなどみんなからZornの結果をオメデトウ!と言われた。

写真左上は、博物館外で雑談の様子。
右はダニエル。話している相手は研究家ペル・ウルフ。
ペール・ウルフの左は、Sigurd Sahlströmで、エリックサルストレムの息子。
さらにその奥、顔がちょうど見えないけど、ニッケルハルパ職人のウッレだ。

さっそく受付後はみんなでランチ。
すぐ側にある豪華なオペラ劇場の上のOpera Cafeにて。
写真のようにテラスでご飯は気持ちいい。
船着場を一望できる。
豪華なレストランなのにランチは日替わりで91krだった。
この日のメニューは、白身魚のフライ、ザリガニのタルタル、ポテトとパン。
ザリガニは初めてだったけど美味。
ロブスターっぽい食感で、海老より好き。
テーブルにはエストニア人の卒業生で、今はノルウェイに留学しているJの隣に座った。
ノルウェイでは、フィンランドのタルハルパ(と聞こえたが間違ってるかも)を使って音大に留学しているのだとか。
(その楽器は、上記リンクのセミナーの写真に写っている)
カンテレをちっちゃくシンプルにした形で弓で弾く。
色んな楽器があるものだ。

さて博物館に戻るとさっそくエスビョンの演奏とウェルカム・スピーチでセミナーの開始。
まずは参加者の自己紹介から。

なんと、Erika&Ceciliaのセシリアが来ていた。
「フランス製のニッケルハルパを弾いています」と会場に挑戦的な挨拶をしていた。(挑戦的と思ったのは私だけかもしれない

私の番になり一言だけ挨拶すると、エスビョンが割ってはいった。
「彼女は昨日Zornでディプロムをとりました。日本人初です。オメデトウ!」といい、最後列に座っていた私を
みーんな一斉に振り返り拍手がおきた。
内心「おい、おい…」と思ったが拍手はやまない。
日本人初とはいえ、まだディプロムはたいしたことないのに・・・
どうしようと思いながら「Tack, tack!(ありがと)」と言い大きく頷いてみせると静まった。

さてさて、初日のテーマはスウェーデンのニッケルハルパだ。

まずは博物館館長の挨拶、博物館の概要、本の宣伝など。

次はダニエル・ペテション(Daniel Pettersson)によるデモ演奏を交えながら、ペール・ウルフから最新の研究報告。

そしてグンナル・アルベックによる、スウェーデンでおきたフォークミュージック・リバイバルとニッケルハルパの状況変化について。

そして、さらに館員の宣伝が入り、FIKA(ティーブレイク)。
館の人は、「この博物館で展示されず保存している楽器は膨大です。みなさん、どうぞ使ってください。
ぜひこの財産を有効活用してください」と。
でも…私も使っていいって訳じゃないよね?きっと研究者向けなんだろうな、いいな。
ということで、保存庫から持ち出した貴重な楽器がずらっとならんでいる(写真右上)。
ちなみに手前は緑のハーディガーディ。

Fikaではまた卒業生に会った。
若手有望視されているニッケルハルパ職人のミカエルだ。
「最近、作ってないらしいね?」と言うと
「そうそう。大学(マスター)でギターの勉強してて、後1年。
それからはもっと作るよ。学業と同時だからまだ8台しか作ってないんだよね」
「え!?8台であの評判!?ウロフが推薦してるからかな。すでに名前、有名」と言うとたいそう喜んでいた。
日本のみんなにも、もう少し待ったらもっと作ると言っといてねと言われた。

8台は少ないけど、ウッレの300数台という数もすさまじいと思う。
ウッレの大量生産(作るスピードが速い)は有名な話。
この楽器を欲しがっている人の手に早く届けることができ、普及にとても貢献している。

さて、FIKAの後は、うちの学校ESIの校長プレゼンとSigurd(エリックの息子)の演奏だ。
国がこの伝統的な音楽や楽器にどう関わっているか、教育機関やその取り組みは?といった内容。

日本では、伝統音楽を政府がサポートしているか、雑談の中で聞かれたことがある。
どうなんでしょう。事情を知りません。
でも琴はローカルな民のための民族音楽ではなく宮廷音楽だと思う。
楽器や音楽の定義が難しい。
しかし、日本政府は炭鉱節のようなフォーク・ソングの普及と発展に税金を使いそうにない。
そういう意味では、北欧諸国は宮廷音楽ではなく、ローカルな民族音楽・民族楽器に税金を投入し、
真の伝統保存を真剣に考えている。

博物館の館長が言っていた。
「楽器職人、ミュージシャン、それだけでは成り立たない。
研究者が真の価値を見出し、その成果や価値を社会に訴えかけていく必要がある」

さて、最後にアンデシュ(Anders Peev, Godrunメンバー)が登場。
これからの新しいニッケルハルパの形として、通称ガンバ・ハルパ(テノールハルパ。ヨハン・ヘディン考案。
ペーデルシェルマン(Peder Källman)作)
を演奏した。
ガンバ・ハルパはバイオリン属ではなくガンバ属の形をしている。
そして4弦あり、チューニングはバイオリンと同じ。
そしてペーデル作の楽器は、一部、kvartston(半音の半分)がついている。

その後は貸切バスで全員でToboへ向かう。
(明日からのセミナーはToboで開催)
セミナーは時間がおしていて、バスの時間があるため最後はどたばたと切り上げて撤収。
私はフィンランドから来たタルハルパ研究者の車にのせてもらい、ペール・ウルフも同乗、Toboまでの道案内をした。

つづく
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガムラ・スタン

2007-06-13 17:31:35 | スウェーデンのこと...
ガムラ・スタン(Gamla Stan)はストックホルムの旧市街。

13日の早朝、ストックホルムについたので、お店が開いてなくてもいいやと散策にでました。
荷物はストックホルム駅の地下のコインロッカーに預けました。

中世の面影をのこします。
でも、おみやげ物屋と人でごったがえし、とてもとても中世の気分には浸れません…

おススメは、朝早くか夜。人が半分くらいに減ります。
夏の夜なら日もいつまでも明るい。
冬の夜ならオレンジの街灯に照らし出された、ひっそりとした石畳がまるで中欧のよう。

でも、ごったがえす時間帯でも、ガムラスタン奥の人のいない方、いない方と細い路地の奥をすすむと、ひっそりしたエリアが。
雑貨屋やアンティークショップ、高級レストランがぽつりぽつりとあります。

写真中央は、そのひっそりしたエリアの高級レストラン(Fem Små Hus)前にある郵便受け。

写真右は、長くつしたのピッピ
知らないというスウェーデン人がいたらエセです!
アストリッド・リンドグレーン(Astrid Lindgren)の作った国民的キャラクター。
たしか生誕100周年か何かのはず。

ニッケルハルパで弾いているときも、誰かがよくこのテーマ・ソングを弾きはじめタ誰もかれも皆弾き出すということが
しょっちゅうありました。
映画版では、スモーランド地方のポルケッとを別のキャラクターが口ずさんでいたそう。
作者のアストリッドは、フォークをたくさん聞いて育ったらしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Harjedalspipan

2007-06-12 23:56:10 | おススメCD~Swedish folk
Härjedalspipan

トラッド度合 ★★★
アレンジ度合 ★☆☆

話は5月末に戻し、学校が終りみんなが寮を去る頃のこと。

それぞれの地方出身者に、それぞれの地方の伝統曲を教えてもらうなり、録音や楽譜をコピーさせてもらうなど
最後の収集をしていた。

その時、セーデルマンランド地方の友人が「そういうことなら、私の出身とは関係ないけど
HärjedalspipanってCD持ってる?」と聞かれた。
(注:ニッケルハルパのCDではない)

タイトルの通り、Härjedalen地方の曲。
アーティストはAlle MöllerやMats Berglundなどなど。

彼女によると「曲がすごくかっこよくて、みんなそのCD持ってるから、セッションとかでその地方の曲を弾くとなると
そのCDに入ってる曲が有名」なのだそう。

さっそく買ってみると、ふむふむ。どこかで耳にした曲がたくさん。
コンサートや他のCDとかじゃなく、確かにどこかで誰か弾いていたなぁという感じ。
それだけバイブル的存在ということなのかも。
試聴はこちら

タイトルに「pipa」とあるくらいだから笛が主役だけど、バイオリンも2人いる。

脱線ネタ

話が完全に横にそれてしまうけど、「バイオリン」と「フィドル」について一度触れて見たいと思っていた。

日本では「バイオリン」と「フィドル」と、名称を使い分ける傾向がある。
どちらも同じバイオリンのこと。
「バイオリン」という名称にはクラシック音楽のイメージが強すぎるからか、
ジャズ、ポップス、民族音楽、その他のジャンルでは、「フィドル」(英語でバイオリンの俗称)という呼ばれ方をすることが多い。
フィドルと聞くと、カジュアル感が増すと思うし、私も以前は普通につかっていた。

でも。しかし。
スウェーデンで「フィドル」という名称は一般的ではない。
バイオリンはスウェーデン語で「フィオール(fiol)」。
ジャンルも関係なくフィオールだ。
英語で話すときにわざわざ「violin」、「fiddle」といい分ける人は、私の出会った範囲では、よほどの通だ。
(アメリカなど海外ツアーの多いウロフは普通にfiddleと口にする)

スウェーデンで、fiddleと言うと、逆に「ふふんっ」て感じがしたり、アメリカン・ジャズやブルーグラスをしているの?と
英語の響きから「民族音楽」ではなく「英語圏の国の音楽」をイメージすることも。
そして私がfiddleというと、聞き返されて2,3度言うか、バイオリンと言いなおすことが多いので、
スウェーデンに来てからは、すっかり「バイオリン」一本化してしまった。

思うに、スウェーデンのバイオリンは「バイオリン市民権」を得ていて、一般にフツーに浸透していて、
クラシックが正統派だの軽音楽は軽いだの、他ジャンル間での垣根が低いのかも。

お国事情、おもしろいなと思いました。

************************
★の意味

独断と偏見でどちらの色が濃いか、★を使って3段階表示しました。

トラッド度合
素晴らしいテクニックや、マニアックな曲など、伝統的な特徴を聞きたい人などにはたまらないですが、
トラッド色が濃くなると興味のない人には退屈かもしれません。

アレンジ度合
アーティストとしてアレンジもカッコよく、独自の作品を作り上げています。
本来のトラッドの姿からは結果、遠くなります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オーディション-その2

2007-06-11 23:17:14 | スウェーデン生活
さて、Zorn(オーディション)受けようと思ったのは3月。

この学校は試験がない。
悪い所を指摘・指導はしてくれるが向上心をつぶすような本音は言ってくれない。
成績は残るので評価が必要なときは発行するというのだけど、日本の内心書と同じで下手なことは
書かないのではないかと思う。

本場の国の、その道の人から、公正な判断・評価をもらいたかった。
Zornがその代わりになるか分からないけど、1年の留学を終えた頃に開催されるタイミングも
自分へのテストとして、ちょうど良いと思ったのだ。

それに、自分なりの解釈や表現も大事だけど、これが正しい伝統だといえるスタイルを身に着けたいとも思った。
日本で認知度の低いこの楽器、またはこのジャンルの音楽、望む望まざるに関係なく自分の言動に責任も感じる。
そういう正統派を勉強するにあたって、良い機会だ。

3月頃に、先生のディッテは根が正直で話を熱心に聞いてくれるので、まずディッテに相談した。
ここで「ぷぷぷ。何言ってるの?」という反応だったら受けるのやめようと思っていた。
でもディッテは「がんばれ!」と言ってくれた。

実はエスビョンに先に相談していた。
挑戦しても恥ずかしいレベルじゃないかな?と言うと「まずは弾いてみて。自分は別のオーディションで審査員とか
したことあるから、正直に言う」と言うではないか。
何でもいいから好きな曲弾いてみてと言われ、適当に弾いてみた。
コメントは言葉少なく、褒めもけなしもせず、私の癖を指摘すると直すよう言われた。
そして「受けてみる価値はある。受けるなら応援する」と言ってくれたのだ。

その翌日には、スタッフとしても学校に常駐しているソニアに選曲の相談をしに事務所をのぞいた。
選曲のコツは「その地方の典型的、かつシンプルな曲を選ぶ」こと。
難しい曲や有名であっても作曲された曲はさけたほうがいいらしい。
ウップランド地方にはエンゲルスカはないので、そういう選択肢も消える。
ショティシュは比較的新しい伝統なので、これも避けるのがベター。
「例えばこんな曲どう?」と楽器を取り出しながらソニア「今弾いたげるからMDを持ってきて」と言う。

結局、なかなか決めれず、最終的に決めたのは前日。
もっと弾いてと言われる場合の予備も含めて、全てAnders Sahlströmの曲にした。
Andersは故エリックのお父さん、ソニアのおじいちゃんにあたる。

さて、今年の場所はDegeberga。スコーネ地方。
北海道より北だけど、スウェーデンでは南の果ての地だ。

6/11
ウプサラへ出て、ストックホルムでのりかえる。
切符を車掌にみせると短期滞在の旅行者と思われたようで「ようこそ、スウェーデンへ!」とにっこり笑いかけてくれた。
なんだかウレシイ。
さらにHässelholmでKristianstad行きにのる。
ここまで約6時間。
Kristianstadに前泊することにした。
この街は、南部でヨーロッパの影響がつよいのか、ウップランド地方とはずいぶん建物の雰囲気が違う。
素朴さよりも重厚な石造りの街だ。

駅から2km離れたB&Bに泊まることにした。
電話で話した感じもアットホームな感じで良かった。

B&Bについて部屋のに入ると、ここも北欧風インテリアで心地よい。
明るい木目の床にシンプルモダンデザインのランプと椅子。
バストイレも清潔で広々している。
朝食はもちろんスウェーデン風。ハムや野菜のサンドイッチを自分で作るタイプ。
フレークや飲み物ももちろんある。

6/12
翌朝、チェックアウトして街をぶらつくのもいいけど、荷物が邪魔。
第一、本番で緊張したらどうしよう。
指ならしでもしてたほうが落ち着くかも。
そう思い、チェックアウト後、裏庭で練習させてもらった。
掃除中のスタッフが手をやすめ、コーヒーとタバコ片手に離れたところから聞いていた。
私が一通り弾いて満足すると遠くから拍手してくれた。
その人はフルートとピアノを弾くそう。
「I can't imagine a life without music」(音楽なしの人生なんてありえない)
彼女はとても音楽が好きなのだと真剣な表情で語ってくれた。

さて、会場はさらにここからバスにのります。
牧草広がるのどかな田舎道を走るとDegeberga着。
さらに15分、てくてくと歩きます。

会場は普段はキャンプ場だ。
着くとさっそく受付。フレンドリーな2人にイチゴやフルーツをすすめられながら手続きをした。
名前や住所の確認、そして今日弾く曲の名前を言う。
(名前って無いのだけどね。歌ってみせると「それAndersなの?Ericじゃない?」さすがツッコミが入る…
でも孫にあたるソニアに聞いたのだからマチガイない)

「日本人って初めて?」
多分そうだろうと思ったけど、一応きいてみた。
すると「え?いっぱい受けにくるよ。たっくさん」と言うではないか。
おかしいな、そんな「たくさん」って本当かな?
この団体、ダンスがメイン。
ダンスのメダルの方は日本人が毎年のように受けているって聞いたからごっちゃになっているのかもしれない。

さてさて練習したい人は、受付向かいのデスクでワゴンを予約。
案内されると中には、ペットボトルの水、キャンディー、イチゴがおいている。
さっそく中で弾いた。
エスビョンに言われていた。本番用の曲は練習するなと。
弾き過ぎないよう本番の数日前、本番直前と弾かないほうがいいというのだ。
そのいいつけは守れず、1回だけ弾いた。
後はいろんな地方の好きな曲を好きに弾いた。

時間が近づいてきた。
ダメだ、手と足の力が入らない。これは体が緊張してきいる証拠だ。
歌を歌って見たけど歌い終わったとたんお腹の力も抜けてしまう。
「緊張する!緊張する!」と携帯で日本に電話したら、夜中で迷惑がられてしまった。

ヤバイなぁ!と陸上選手のようにダーっとその場でモモ上げをしてみた。
体に少しだけ血がめぐってくる。
すると長身でエレガントで美しい女性が私の名前を呼びにきた。
「あら、こんにちは」といいそうになった。
エリン(Elin)だ。
つい先日、Edward&Elinの演奏をビデオでみて顔を覚えていて知り合いのような気分になってしまったのだ。
いや、相当、脳みそも緊張でおかしくなったらしい。

面接などで緊張はしてもにっこり笑って隠せる。
でも、弦楽器はそうはいかない。
力が入ると固い演奏になる。力を抜くと振るえが音に伝わる。

すたすたと早足に廊下を歩くエリンの後を追いかけ、ドアをくぐるともう一枚ドアを開ける。

中には6人くらい、審査員が一列にならんでいる。
逆光で顔ははっきりと見えない。
エスビョンに言われたとおり、部屋の中央にマイクが設置されている。
これはvisarkivetの保存記録用となる。
部屋の横にいる人がおそらくarkivetの人だ。
エリンは部屋の後ろに座った。後ろには、さらにもう一人いる気配。
審査員に見つめられ、振り向く余裕はない。

まずは、テンションを下げようと自己紹介など雑談をした。
審査員も緊張をほぐそうとフレンドリーだと聞いていたとおり、穏やかかつにこやかだ。
「日本人が受けるのは初めてだから写真をとっていいか」と聞かれた。
やっぱり初めてなんだ。
そして「いつでも好きなときに弾き初めてください」と。

頭の中で一曲目の出だしをイメージした。
このメロディー、この装飾音、この雰囲気、このテンポ…

よし!と息を吸い込み弾きはじめる。

「最初はもったいぶってゆっくりと、それからテンポアップ。自信ありげにみせるテクだから」とエスビョンの
アドバイスを思い出す。

ちょっとぎこちないな、と弾きながら思った。やはり緊張のせいか…
すると、途中で曲を忘れてしまった。
こんなこと今までなかったのに。「もう一度ひきます」といい
弾きはじめた。すると同じ箇所でまた忘れた。
えー?どんな曲だっけ?すると、審査員の一人が歌ってくれた。
それでも、思い出せない。
考えようにも頭の中は真っ白。
「こんなこと今までなかったんですけど」と言い、頭を抱え込んでしまった。
このままで帰れるか!ハラがたったせいか頭がまわり始めた。
思い出した!

人は窮地に追い込まれると、パニックになる人と開き直る人がいる。
その時の私は開きなおりだった。
思い出したのがうれしく、心から気持ちよく弾いた。
次から次へと軽やかな音が出る。今までで最高の演奏だ。
審査員は演奏中も写真をぱちぱちとっている。
2曲目、3曲目も無事に弾き終えると、さらに要求されると思っていた。
これは友人や先生みんなに言われていたから。
でも、雑談や度忘れで時間がくったのか、私はこれで終りだった。

その後、18時に紙がはりだされる。
のぞいた瞬間飛び上がって叫び声をあげ飛び出して言った子がいた。

「何もとれなくても落ち込まないように。Zornはそんな簡単なものじゃないのだから」とエスビョンに言われていた。
それでも期待と不安の中、私もおそるおそるのぞいた。
あった!名前がある(ネットで12日の結果はこちら)。
ほっとしたというのが正直な感想。
すると側にいた人が「Täbyであなたのこと見かけて、覚えている」という女性がぎゅっと抱きしめて
「おめでとう!」と言ってくれた。
審査員も部屋から出てきて「おめでとう!」と言ってくれた。
これから、銀をとるまで、長い道のりのはじまりだ!

ネットで別の日に参加した友人達の発表をみた。
16歳でdiplomをとっていた友人Sは、今回は銅メダル。
音大を中退し先生をしてからこの学校にやってきたKも初参加でdiplom取得(地方はBoda)。
ハーバード博士課程のアメリカ人Dは、5回目の挑戦で銀!(地方はハリエダーレンで参加)
外国人初のリクスペルマンの登場だ!
みんなおめでとう!

帰りは寝台列車でストックホルムへ。女性用の部屋をネットで選んでいた。
ニッケルハルパとベッドに横たわると、割り箸のように寝るしかスペースがない。
でも、割り箸だって、縦か横向きかくらいの選択肢はある。
柵もなにもない上中下の一番上のベッドで落ちたら死ぬんじゃないかと思いながらもぐっすり寝た。
寝心地がよかったかどうかなんて覚えていない。
気がついたら、車掌さんが「6時です!」と起こしにきたのだ。
7時まで停車するので列車内にいて良いと言う。
それじゃあと、2度寝しようとすると、みんな他のお客さん達は出て言ってしまった。
結局、一人残されたのが嫌で出てしまった。
お店が開く時間まで、ストックホルムの駅で目を開けたまま寝るかのように体も思考も完全ストップしたまま2時間ほど過ごした。

さあ!今日はセミナーだ!
つづく
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オーディション-その1

2007-06-10 23:14:34 | スウェーデン生活
学校終了やみんなとの別れ、とても感慨深いものであるはずなのに、気もそぞろというか感傷に浸っている場合ではなかった。

というのも12日にZornmärket(英語ならZorn Badge)と呼ばれるオーディションのようなものに出る予定だったので。
振り返りながらこの数日の話をアップしていきます。
(記事の投稿日付は5/10ですが、後から日付を編集したものです)

Zornmärket(ソーン・メルケ)とは
1910年からの歴史を持つ。
Folkdansringenという非営利団体(政府から補助金は出るものの完全民間団体)が主催するイベントの一つ。
この団体は、伝統文化(ダンスや音楽、衣装などなど)を若い世代へ継ぐことを目的に設立された団体。

仕組み
guld(金メダル)
silver(銀メダル)
silver diplom(銀の副賞のようなもの?)
brons(銅メダル)
brons diplom(銅の副賞のようなもの?)
と4段階ある。

金、銀、銅と聞くと、オリンピックのようなイメージがあるけど、仕組みは全く違う。
どちらかというと空手や書道の「段」や「級」に近い気がする。

まず、金メダルはもらうものではなく、実力もありかつ貢献した人に贈られるもの

それ以下の4つの賞(メダル)はオーディションで審査員の前で3曲弾く。
(「他にも弾ける?」と言われることが多く、実際は5-6曲用意しておく)
普通、この4つは下から順番にとるもの。
なのでsilverまでは最低4回(年1回)は参加しないといけない。
それも、4回受けてストレートでsilverまで行ければ、かなり優れた人だ。
silverを取る実力の人でも、その道のりで1、2回は落ちるものらしい。
そして20年受け続けて何もとれないという伝説的な人の話しも聞いたことがある。

もちろん例外(飛び級)もいて、そういう人は天才的だったり既に国内外で活躍中の有名人だったりする。
(オーディションなんて興味ないわ!という実力派プレーヤーも当然いる)

そしてsilverをとると「リクスペルマン(riksspelman)を名乗ってよい」とされているが
例えば国家資格のような公の資格や称号ではない。

このリクスペルマンは、なぜだか日本でずいぶん誤解を招いている気がする。
リク=国 スペルマン=演奏家 なので"国を代表する演奏家"といった意味になるけど、この説明が
政府から授与とか、人間国宝とか、誤解を招いているみたい。

スウェーデンではこの「リク」のついたものや名前があふれていて、私の想像だけどなんでも「リク」をつけると
重みが増すというか、要は好きなんじゃないかと思う。

ともかくこの「リクスペルマン」という重みは、人によって感じ方が違う。
音楽なんて、やってやり足りるものではないからだ。
それでも「その地方の伝統曲に精通している」という共通認識は浸透していると思う。

ちなみに、ニッケルハルパ貢献者のエリック・サルストレム(Eric Sahlström)は、この団体から金メダルももらっているし、
akademi(文部省のようなとこ)からも表彰され、国王から授与された。
エリックなら間違いなく人間国宝だ。

参加
folkringdansenのHPからPDFの申込み用紙を入手して応募する。
ここで重要なのは「演奏する地方」を書かないといけないこと。
スウェーデンの音楽が地方で特徴があり、伝統を残すという意味では地方性なくしてなりたたない。

アレ・メッレル(Alle Möller)という有名なスウェーデン人ミュージシャンの有名なセリフがある。

ー「スウェーデンの伝統音楽」というものは存在しない。地方ごとの音楽(local music)のみが存在する。

リクスペルマンも、何のメダルにしろ「○○地方の~」または「○○の伝統の~」なのだ。
オーディションでは、この「地方性」と「技術」が審査対象となる。

ちなみに、より地域性を強調するために、その地方の特定の伝承者に絞る場合も多い。
(ウップランド地方の曲全般を選曲してもいいけど、Elika&Ceciliaのエリカのように
「ヴィクスタ・ラッセが弾いていた曲」と伝統をさらに限定することも多い)

さてさて、私の参加意志が固まったのは実は3月のこと。
極度の緊張とプレッシャーに弱いという難題を抱える私は、この不特定多数が見るブログで具体的に触れるかどうか
最後まで迷った。
結果がどうでても書きたかったけど、実際落ちると書かなきゃよかったと思うかもしれないし、
その気持ちは予想できない。
むこう100年くらい噂されるかも!?という恐怖心もあり、全くもって自意識過剰気味である。
が、迷ったのです…

その2で、当日の様子を書きます。

写真は、当日会場に掲示していた写真や記事など。
ちなみに右の小さい女性の写真はErika。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Toboを後に、南へ!

2007-06-09 23:50:22 | 未分類
いよいよ明日、Toboを後にし、南へ向かいます。

水曜日には、ストックホルムへ戻り、音楽博物館で半日セミナー。
エスビョン主催のノルディックなんとか(ど忘れ)に招待された。

卒業生でその後活躍しているAnders(Godrunというパンクなバンドで日本人ベーシスト採用している。
そしてAndersは教育実習で一日うちの学校にも来た)、それからエスビョンちでも会ったDanielが招待されている。
ダニエルはニッケルハルパプレーヤー代表として。
アンデシュは、ペーデル・シェルマンのテノールハルパ(ヨハンと同じもの)を使っているため、
新しいタイプの楽器の弾き手として参加する。

後の参加者はスウェーデンとノルウェイの専門家や研究者、演奏家。
つまり私は場違いなのである。
Per-ulfやOlle Plahn、Gunnar(歴史の講師をしてくれた)などなど、みんな勢ぞろいするらしい。
「帰国前、最後のプレゼントだ」と。
こんなによくしてくれて、本当にありがたい。
色んな人との出会い、助け、全てに感謝しつつも、エスビョンとの出会いがあったから、
この留学の価値は2倍にも3倍にもなったのだ。
あまりに泣けてくるので、写真を動画風にしたて、エリック・サルストレムの演奏をBGMにスライドショーを作った。
完成後、あまりの出来にわれながら泣けてくる。
自分で言うのもなんだけど、ちょっとおもしろおかしく、そして感動を誘うつくりだ!これを最後の日に見て泣いてもらおう!

次の更新時に、ダイジェスト版に短くしたものをこのブログにのせたいと思うもののファイルがWMVなのです。
このブログでは受付けていない形式みたい。何とか方法を考えつつ...。

話を戻し、ストックホルムから一行をのせた貸切バスでToboまで戻りディナーで私は最後。
このセミナーは私が帰った後も数日続くみたい。

とりあえずPCなど荷物は持ちまわらないので、更新は帰国後になるかもしれません。

そして、先に日本に送ったので名前をおぼえていないのですがCDを2、3枚と、ここTobo-ウプサラ-空港とを結ぶ
ローカル電車の回数券の残りを売りたいなぁと思っています。
それも詳細は更新時に。
(希望者をつのるか、ヤフーオークションに出すかどちらかのつもり)

さらに更新の予告。ニッケルハルパといえばあの人!というEdward Anderssonやトルビョン・ネスボンと思われる
ビデオクリップをネットで発見。
今は時間がないので、それも次回に。

という訳で、次回の更新までしばらくお待ち下さい。

写真は初夏のToboの様子。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新しい弓

2007-06-08 23:24:45 | ニッケルハルパ
今日、フランスから新しい弓が届いた。
日本でもそうだと思うけど、スウェーデンでも小包番号が分かれば配達状況がネットでみれる。

先日、弓を作ってくれたJean-Claudeに番号を教えてもらい、さっそくサーチ。
スウェーデン郵便局のトップページで入力すると...
ふむふむ、6月5日はスウェーデン南部のMalmöに到着...その後二日かかってÖrbyhusの郵便局に...へぇー面白い。

という訳で、郵便局からの通知を手に取りに行ってきた。
(家まで配達というのはしていない。ここだけか全国同じシステムかは知らない)

この弓、手にいれるまで長いこと待った。
はじめ、英語でメールを出すと無視されてしまい、フランス人の卒業生にヘルプを頼み注文できたものの
待つこと数ヶ月。どうなったのか聞きたかったけど、その卒業生とJean-Claudeはちょっとしたトラブルがあるらしく
「今は間に入りたくないのよ」と言われてしまったのだ。

自分でなんとかするしかない!
最初、フランスに留学していたクラスメートMに訳してと頼んだけど、訳してくれた文を見てふと思った。
なんで?私、読んで意味分かる。
そーだ!遠い、昔、フランス語を習ったんだった。すっかり忘れていた。
習ったことはもちろんおぼえていたけど、ドイツ語やスペイン語、ロシア語と色々やりすぎて全然あやつれず、
フランス語もそのうちの一つだと思っていた(ロシア語なんて一単語も思い出せない)。
でも、よくよく考えるとフランス語は特にまじめに長いことやったんだった。
仏検とか受けてたことすら忘れてた。
語学とは使わないと忘れるというけど、使わないと習った事実も記憶のかなたへゴーである。
いやはや、おそろしい。
それにしても「withってフランス語でなんだっけ?」と考えると、「med」とかスウェーデン語ばかり思い浮かぶ。
オンライン辞書があるではないか!と何とかかんとか、あやしいメールがかけた
すでに頭は日本語と英語と不思議なフランス語と奇怪なスウェーデン語で洗濯機のようにぐるんぐるん状態。

でも、メールを交わすうち、話が徐々に込み入ってきた。
これは...なんちゃってフランス語学習者にはキビシイ
でも、今の世の中、本当に便利。
オンライン辞書のように、自動翻訳してくれるページ(他多数アリ)を見つけたのだ。
日英⇔英日は結構あてにならないというか、笑っちゃう訳になることもあるけど、
言語構造の似た西洋言語同士は、なーんと、すらすらって感じ。
(英仏でやりました)

さて、そもそもジャン・クロード・コンディ(Jean-Claude Condi)って誰?という方へ。
何度かブログで触れたことがありますが、フランスの楽器職人。
ニッケルハルパも弓も作っています。
機械にプログラミングして削るのだとか。そのため値段も高い。
ニッケルハルパは図面だけ入手し、独自のアイデアで作ったそう。
なので評価(好み?)は分かれるところ。
ともかく弓はかなりの評判。
この学校の先生、ディッテやウロフをはじめ、私が出会ったプロやちょっと有名といった人、品質にこだわる人などなど
彼の弓を持っている人はとっても多い。
でも伝統的なスタイルではない独自のものなので、ダメ!という人もわずかにいるけど、弓は音に影響しても
音そのものではないからいいのではと、私の考え。
でも、そんな人達もコントラバスハルパやムーラハルパなど古楽器系のときは必ずオールドスタイルの弓で弾きます。

気に入っている人の言い分は大体一致している。
・弓のデザインが美しい。
・弓のバランスがよくコントロールしやすい。

デザインは写真の通り。
オールドスタイルの弓ほどカーブはしていない。
でも、私が今まで使っていたバロック弓ほど真っ直ぐでもない。
先端部分のアップを見て分かるように、ぎりぎりまで毛がきていて寸法は、同じ毛の長さの弓でも
ジャン・クロードのほうがデザイン的にトータルでいうと短くなる(←メリット)。

私の古い方の弓と弾き比べると、すぐに違いに気づく。
弓の安定感がすごくいい。
音に関しては...、毛を減らしてくれ!と言い忘れたのであまり変化無し。
私の古い弓でも多すぎる!とウロフに言われていたけど、それよりさらに多い。
帰国後、楽器屋さんに持って行きくつもり。

私は特にジャン・クロードの弓にこだわったわけではない。
最初の頃「今使っているこの弓はあまり...」と遠まわしに先生達に言われていたのだ。
楽器買ったら弓がついてきただけだし、色んな人の弓を「弾かしてー!」と借りれるこの時期に
自分で選んで弓を買おう!と決めたのだ。
でも、良いとすすめられた弓は重くごつく感じた。
(それでもクラスメート達は結構買っていた)
で、次に目がいったのが、よく見るこのフランスものだったという訳。

ニクラスの弓もかなり高くていいらしいけど(ストックホルムの弓職人)、使っている人は他に会ったことなく、
試す機会が単になかった。

ヨハン・ヘディンはアメリカ製の弓。
弾かせてもらったけど、私には長すぎてバランスがイマイチぴんとこなかった。

さて、今日、手元に届いたこの弓、一生の友となるでしょうか!?
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フォークミュージックフェスティバルとステンマ

2007-06-07 23:48:29 | ニッケルハルパ
今日は、フォークミュージック・フェスティバル(Folkmusik festival)とステンマ(Stämma)についてちょっとだけ紹介。

何それ?
フォークミュージック(folkmusik、伝統音楽または民族音楽ともいう)のフェスティバルで、
半日規模から夜通し数日までいろいろ。
ステージや会場がいくつもあり、同時にいろんなイベントがあります。
(イベントとは、誰もが参加できるダンスや、有名・無名を問わず各種コンサート)
1~2時間の楽器やダンスのコースがいくつもあります。
プロ・アマ問わず、あちこちで好きに弾きます(セッション)。

時期
夏(6-8月)が本場!スウェーデン全土でかなりの数あります。
小・中規模なものは1年中あります。

違いは?
フォークミュージック・フェスティバルは、ステージものにお金をかけている。弾かない見るだけの人も結構多い。
ステンマは、参加タイプイベントが多い。言ってみれば弾きたがりが多く来ます。
とはいえ、どちらも同じもの。

交通
夏の場合、交通の不便な田舎(草原や森の広がるエリア、キャンプ場など)であることが多いです。
特別直行バスがでることもあります。

宿泊する場合
ロッジがある場合すぐに一杯。事前の計画が必要。
普通は、車でのりつけ車中泊。または、テントと寝袋持参。
都会である場合は、近くの学校を借りて床に寝袋、または近くのユースホステルを利用、などもよく聞きます。

交通・宿泊は、イベントごとに状況が異なるのであくまで参考です!

都会暮らしの旅行者には不便に聞こえるかもしれませんが、こういうイベントを楽しむ人たちは自然が大好き。
朝まで弾きとおすのも、寝袋でねるのも大好き。
私が聞いた人は「湖で体を洗ったりして楽しい」と言っていました。
(とはいえ簡易トイレや簡易シャワーくらいある)
日帰りプランのだと、サンドイッチなど持参してピクニックしている人をよくみます。
でも、最低でも軽食くらい売っています。

セッションって!?
みんなで弾くこと。レベル?関係ないです。条件は、楽しむこと!
アドリブや伴奏なんてする必要はありません(もちろんすれば喜ばれる)。
メロディを弾くだけで十分。
こういうイベントでは、あっちでもこっちでも人の輪ができて弾いています。
「あ、この曲知ってる!」と思ったら、輪に入って勝手に(?)一緒に弾きます。
その時にアイコンタクトで周囲ににっこり微笑みかければバッチリ。
言葉を交わさなくても、弾くことでコミュニケーションできて新鮮。
友人と数人で行く人は、試しに自分達で弾いてみてください。
人が勝手に輪に入ってきて次第に増えてきます。
さらにしばらくすると減ったり増えたりし、勝手が分かるでしょう。
次の曲になって、「この曲しらなーい」とか「あっちのグループものぞきたいな」と思ったら、
にっこり笑顔で立ち去ったり「ヘイドー(サヨナラ)」とか一声かけたり。
要は出入り自由ということ。

地方ごとのレパートリー
これはスウェーデン独特ではないかと思います。
スウェーデンでは地方ごとで曲調も違い、つまりレパートリーが違います。
大規模になればなるほど色んな人がいて関係ないですが、小規模になればなるほど、
その地方の代表的な曲を知っておいたほうが楽しめます。

アルスペル(Allspel)、アルスペル・ロータル(Allspel låtar)
みんなで弾く、みんなで弾く曲(共通の持ち曲)。
ステンマなどでは、プログラムの最初が「アルスペル」となっていることが多いです。
これはみんなで(参加したい人は誰でも)列になり、マーチを弾きながら入場、その後、ステージなど会場に到着すると
そのまま数曲弾きます。
「今回のイベントでのアルスペル・ロータル」と主催者が気を利かせて用意している場合が多いです。
(ネットで無料配布など)

これからあるフォークミュージック・フェスティバルのほんの一例
Korrö(スモーランド地方) 2007年7月26~29日

ステンマのほんの一例
Ransäter(ヴェルムランド地方) 2007年6月8~10日
nyckelharpasstämman(ウップランド地方) 6月16-17日
Bingsjö(ダーラナ地方) 2007年7月4日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ナショナルデー

2007-06-06 23:48:11 | スウェーデン生活
今日は祝日、ナショナルデー(Nationaldagen)。
何をする日かというと、スウェーデンを祝う日だそう。

エスビョンに誘われ、オステルビブルックの集まりへ。
国旗をもらって中へ行くと丁度、ハッセ・イッレ(Hasse Gille)がニッケルハルパを弾いているところに遭遇。
ハッセイッレはこのブログにも度々登場した昔からのこの地方のプレーヤーで、楽器職人でもある。
とくにコントラバスハルパを使っているミュージシャンは、ほとんどがハッセの作だ。

さて、その後、全員起立して国歌を歌います。
みんなで国を祝うんだよーという和やかな雰囲気。
日本では、国歌を歌うこと自体が軍国主義うんぬんと議論を呼ぶところだけど、外国に身をおいてみると、
日本のそんな状況は非常に特殊に見えます。
長い歴史や長い文化を含め国を誇りに思うことは西洋ではごく普通のこと。

エスビョンとスウェーデンについて話していて、スウェーデン人は戦う意欲があまりないのだと教えてくれた。
「最後の戦争は多分2-3百年前くらいかな」と言っていた。
同じヨーロッパの中で、何がスウェーデンだけそんな風にするのか。
エスビョンは「さあ、分からないけど。スウェーデン人は元々、意見が合わないからって大声だして喧嘩するような
国民性じゃないしね」と言っていた。

さて、楽器製作は最後の仕上げが中途半端なままどうなったの?と思っている人もいるでしょう。
私も思っています...。楽器はまだ受け取っていません。
最近、別のプロジェクトやセミナーで忙しいらしく、あの時以来、全く手をつけてないと言っていた。
そんな多忙と聞けば、こちらからもじゃあいつ?とは聞けません...。
進展があれば、紹介します。

さて、写真左は、以前のせたタンポポ畑のその後。
先日、イタリアの空気中にコカインが浮遊しているというショッキングなニュースを読んだけど、
ここTobo近辺では、タンポポのふわふわが浮遊している。
その濃度たるや想像以上!口も目も閉じないと、ゴホゴホ状態。

そして写真右
エスビョン宅へ戻って、庭で肉を焼きました。
しっかりゴツく見えるけど、柔らかく香ばしくおいしかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Visarkiv

2007-06-05 23:51:30 | スウェーデン生活
今日はストックホルムのvisarkivetに行ってきた。
これは国立というのか国営というのか、国のアーカイブ(資料館?)でジャズとフォークミュージック(民族音楽)を扱っている。
アメリカじゃあるまいし、国とジャズがなぜくっつくのか?不思議。
Visarkivのvisaは歌のこと、arkivはアーカイブ。
(arkivではなくarkivetとも呼ばれる理由は、スウェーデン語では「the」がつく代わりに名詞が変化するためで、
例えばpolskaがpolskanと変化するのも同じ理由)
でも、歌だけを扱っている訳ではない。
以前、先生のディッテが、アメリカでこの施設名を”song”と英訳、つまり誤訳されたことに憤慨していた

場所
中央駅から歩くこと約10分。
HPでは地下鉄案内が出ているけど、中央駅からなら歩いたほうが早い。
Torsgatan 19, StockholmとEniroの住所欄に入れると詳細地図がみれる。
(Eniroは、googleマップのスウェーデン版みたいなもので、つかんでグリグリできる便利な地図)

建物の入口がまるで従業員用みたいに質素なのでしばし入口にたたずんで考えてしまった。
じーっと考えていると目の前のドアから人が入っていくので、まぁいっかと思い、私も中へ。
エレベーター横の表示は、Plan3とPlan5がvisarkivとあるが、Plan5がビジター用
Plan3は管理オフィスっぽい。

中へ入ると以外に小さい。
ディッテに話を聞いただけであまり詳しくないので、さっそく人をつかまえて尋ねた。
「ここは何ができる場所なんですか?
ついでに、Eric Sahlström Institutetで、ここを先生に薦められたことなど話した。

すると丁寧に教えてくれた。ここは片方が国立音楽図書館のカウンター、もう片方のカウンターがvisarkivと分かれている。

音楽図書館では、音楽のジャンルや国は関係なくあらゆる資料がある。
でもこの部屋に実際置いている本は貸し出し禁止の閲覧のみ。
借りられるものは、いくつか置いているパソコンから検索(英語可)。
印刷しカウンターに持っていくと、30分後くらいに係りの人が本を下のオフィスから持ってきてくれる。

Visarkivetのカウンターでは、フォーク・ミュージックとジャズなら何でも質問に答えてくれるらしい。
「どんな質問でもOK」と言っていた。質問が何も浮かばなかったので聞きようがない。残念。
今思えば、ゴットランド島の楽譜はあるかとか何とか、アバウトなことを言ってみればよかった。
こちらでリクエストした資料は、貸出はしていないが、館内で閲覧またはコピー(実費負担)が出来る。

そして館内の専用PCで、色んなCDが聞ける。
(全ジャンル。でもフォークは特にレーベルが限られていた)

借りる場合の図書カードは、3ヶ月以上滞在予定の人に発行される。
また図書カードがある人は、上記全ジャンルCDが聞けるサイトに自宅からログインできる。

色々教えてくれた人は最後に「じゃあ、ニッケルハルパの勉強したのね」と。
さすが、学校名だけで分かるんだと感心。
「私も持っているのよ、弾けないけどね」と笑って戻っていった。

質問がある人、長期滞在予定の人はどうぞ。

その後はぶらぶらして、地下鉄の中央駅(広場の下)のCDショップMega Storeへ。
ストックホルムに来るたびにのぞくCDショップ(フォーク専門ではなく普通のレコード店)。
今日world musicコーナー見るとGigaレーベルのCDはほとんどなくなっていた。
来るたびに減っていっている。
多分、一人経営だった社長が亡くなった後で再入荷未定状態なのでしょう。
数年前は、現在廃盤のsonetシリーズの在庫もまだあり、Gigaレーベルは新譜もぞくぞくという感じで、
かなり選択肢があったのに、今は寂しい感じ。
Gigaレーベルは、ウプサラなど地方のショップのほうが在庫がまだあると思う。

今日はマニアな一日だった訳ではなく、アクセサリーや服のお店も回った。
途中で雑貨を扱うかわいらしいお店に入り、ダーラへスト(dalahäst 3/3の写真参照)を見つけた。
スウェーデン土産の定番。でも...親指くらいのサイズで90kr(1kr=18円)はする。
スウェーデンに来るたびに買うべきか迷い、どうせ買うならおっきいのが欲しいけど、おっきいのはさらに高いし
持って帰るにはデカすぎる!とあきらめてしまう。
でも今日は「1年もスウェーデンにいて、ダーラヘストさえ持ってないなんて」という気持ちになり買おうと手にした。
手にしてじっと見つめていると、なぜだか自分で作れるような気がしてきた。
一応、ニッケルハルパのペグくらい助けなしで作れたし。後はペンキでひょいひょいって描いたらいいんじゃ?
すると急に買う気がなくなってしまいました。
とはいえ、本当に作ったりしないと思う。誰か作ってー!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウロフに再会

2007-06-03 23:43:52 | スウェーデン生活
ストックホルム在住の友人Lが、近くで小さなステンマ*があるから来る?と言われた。
*ステンマ(stämma):伝統音楽を弾くフェスティバルのようなもの。

とても小さなステンマで、お昼に始まり夕方に終わる(大きいものは、夜通し数日ある)。

ストックホルムと聞いて「自然の豊かな都会の郊外」や学校を借りてするのかな?くらいの想像していた。
行ってびっくり。ヴェンデル(6/2参照)並の田舎だ。
普段利用しているウプトーゲットというローカル電車の終点からテビィ(Täby)へバスに乗り、さらにバスも走っていない外れに、
Täby Spelmansgilleという地元の演奏グループの集会所のような小屋がある。
(その日はLのお父さんが駅から車を出してくれた)

Täby郊外は、ヴェンデル同様、周囲はルーン石碑があったり、バイキング時代以前、水面下だったと思わせる平らな草原。

午前中はウロフ(うちの学校の先生)によるワークショップが行われた。
主催グループのメンバー限定だったけど、友人Lが問い合わせてくれて会費を払うということでメンバーにしてもらったのだ。
さて、当日、会の会長さんMに「はじめまして、今日はありがとう!」と挨拶。
どこかで見た雰囲気の人だ。
でも外人なんて日本人からしたらそんなもの、と思っていた。
ところが、その会長Mが黒い帽子(シルクハットみたいな)をかぶって5弦バイオリン(共鳴弦付のスウェーディッシュ・ヴィオラダ・モーレ)を
手にした瞬間思い出した!
数年前にHovraで開催された1週間コースで一緒だった人だ。
やはりフォーク(民族音楽)の世界は狭い。こんなところで再会するとは。
当時、彼はヴェルムランド地方の曲ばかり弾くからてっきりそっちの人かと思っていた。
そして、あまりに上手すぎて、しかもリーダーの風格もあり、鮮明に覚えている。
びっくりウレシイ再会です。
再会といえば、日本人のSさんカップルにも偶然再会。
そっか、ストックホルム在住だったもんね。こちらも再び、数年ぶりの再会。

さっそくウロフがやってくるとすぐに私達に気づきシェーナ!(やあ!)とにこやかに。
今日は、ニッケルハルパ、コントラバスハルパ、バイオリンを持ってきていた。
同じ曲でも楽器をあれやこれや持ち替えながら進めていく。
なんか変な感じ。

学校でもウロフはしょっちゅうバイオリンを持ってきていた。
おそらくリハやレコーディングのついでに持ってきていたのだろうけど、
ニッケルハルパの学校なので、持って来たバイオリンケースのふたを開けたことはなかった。
そのウロフが「バイオリンで弾いた方が分かりやすい」と言いながらニッケルハルパを置き、すぐにバイオリンに持ちかえるのだ。
タヌキが化けたような不思議なモヤモヤがわいてくる。
北や南に帰っていった友人KやI に教えたくなる。
(とはいえ、私もバイオリンで弾いていた曲はニッケルハルパで弾くと変な感じなので分かるのだけどね)

ワークショップでは曲を教えることが中心。
楽しい雰囲気の中、ウロフも楽しそうでいつもより伸び伸びとしてみえる。
なぜか再び変な感じ。
学校の時のウロフとは違い、かるーく、じゃんじゃん飛ばして進む。
私もこういうイヴェント系のワークショップは何度と受けてこんなものだ知っているのに改めて実感した。
学校は終わったのだ。細かいテクニックやニュアンスはもう教えてくれない、自分で気づくしかない。
改めていかに貴重な1年だったかと思う。

それでも、こういう短いワークショップでも、バイオリンだと曲に終始することが多いけど、ニッケルハルパの場合は
大抵、歴史に触れるのでちょっと面白いかも。時代による楽器の種類。
さらに時代の話から、フランスから来たポロネーズなどフォーク・ミュージックの歴史に触れられる場合が多い。

とは言え、メロディだけでなく、リズム感についてはもう少しはつっこんでやってくれた。
そして気になる発言「アメリカとか外国で教えると、リズムが違ってびっくりすることがあるんだよね。日本とかもね!
むむむ!聞き捨てなりません。
他の人からも、本場を離れると雰囲気やリズムが違って来る話を聞くけど、ここでも再び!
絶対に「ほら、日本人だから」と言わせまい!
(とはいえウロフの「日本で」はジョークだと思う。私の知る限り、日本では一度しか教えてない。
ウソやお世辞が似合わない根が正直なウロフのその時の様子は、そんな風ではなかった)

リズムの特徴、ハウ・ツー
こういう地方性や独特なリズムを身につける場合、一つの地方(村)または一人のプレーヤーに絞って、
特徴を体に入れるがおススメ。
(プレーヤというのは、ウップランド地方だけでみても例えば、ゴース・アンデシュが弾く曲と
サルストレム・ファミリーでは結構違うので)
ダーラナ地方だと村が変わると曲調も変わるので、この地方は特に要注意。
この目的の場合、譜面から入ると×です。特徴も独特なリズムも譜面には書いていません。
(耳と譜面のどちらも、状況がそろっていればOK)
伝統的にも耳で世代から世代へ語り継がれていることを思えば、耳で覚えるのが自然。
離れた日本ならCDで。バンドものよりソロやデュオなどシンプルなトラッドものを。
スピードもバカにできない。ダンス曲なので、早すぎても遅すぎても「分かってないなぁ」と思われます。
(もちろん、それを超越した存在の自己表現ミュージシャンはいます)
その後、他の地方や、他のプレーヤーに移ると違いがはっきりするでしょう。

先日、カイサに言われて気づいたことがある。「ついてくるの上手いよね」と。
言われて思った。
これは私の個人的な考え。
演奏する人は「引っ張るのが上手い」タイプと「ついていくのが上手い」タイプがいると思う。(上手下手ではなく、単に2タイプあるという意味)
プロはどちらも上手いけど、突きつめればどちらかのタイプではないかと思う。
引っ張るのが上手い人は、すごくきらびやかで派手な演奏が出来る。
でも、自分なりの解釈なりを強引に進めて、他の人が合わせないといけなかったりする。
ついていくのが上手い人は、リードを取らせると派手さがあまりないかも。
でも、一緒に弾く人の息づかいや全体の雰囲気を反射的に感じる。
空気を読みながら盛り上げていける。
地方による曲調を身に着けるときは、「ついていく」気持ちは重要だと思います。

話を戻し、ワークショップ終了後ウロフと少し話をした。「カイサに見せてもらった、古い新聞のウロフの写真、別人みたいだったよ!
でも背は今も昔も高いよね」というと
「そう、生まれたときからこの身長」。いやいや、ありえません、190cm。

さて、ステンマが始まり、アル・スペル(みんなで弾く)で入場行進します。
弾きたい人は誰でもやれる。(ふと後ろをみるとウロフも混ざっていた)

後はあちこちで人が集まっては演奏。ミニ簡易ステージでは30分おきにいろんな人が演奏。
ウロフも飛び入りで演奏だ。ステージでバイオリンを弾く姿は見たことないので新鮮(写真右上)。
新作ソロCDの宣伝(5/9参照)をかねています。

ミニ・ステンマなので夕方にはおしまい。
それから友人Lとその友人Hと3人でTäbyの教会まで歩いた。

ストックホルムはガムラ・スタン(Gamla stan)と呼ばれる旧市街以北がウップランド地方。
以南はセーデルマンランド地方に分割される。

それでいうとTäbyはウップランド地方だ。この地方の教会が独特だと書いたことがあるが、Täbyの教会も同タイプ同時代のものらしい。
行くと...ショック。やはり夕方で閉まるみたい。入れなかった。
中は鮮やかな壁画だそう。骸骨とチェスをしている絵などもあるみたい。

でも外壁に面白いものが(写真左下)。
そう、ルーン石碑。「当時は石が足りなくて、ルーン石碑もつかったんだって」とL。
さらにHが補足。「ルーン石碑はキリスト教が入ってくるちょっと前、異教時代のもの。だから異教を取り除いて教会で清める
という意味って聞いたことあるよ」と。

さてToboの駅についたのは23:50ほど。駅と学校を結ぶ途中(写真右下)。
一面、霧に覆われ北西の空に夕焼けが。息を呑む美しさ。
スウェーデンの夏は、冬に見た砂糖をこぼしたような満天の星はもう見られない。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウップランド・スウィング

2007-06-02 23:47:18 | スウェーデン生活
今日はカイサの実家、ヴェンデル(Vendel)へ。
カイサは私が以前参加したサマー・コースの先生で、最近ウプサラで一緒に演奏もしたウップランド地方の
有名なニッケルハルパ・プレーヤーだ。

学校すぐ側のバス停からバスに乗り込み、のどかな牧草地を行くこと約20分。
そこにヴェンデルはあります。
これはエリカ & セシリアのエリカの出身地でもある。

広い広い牧草や草原が見渡す限り地平線の先まで広がり、その先をさえぎるのは遠くの森だ。
今住んでいるいるトボ(Tobo)よりも、もっともっと田舎だ。
こんな田舎だとトボが都会に見えてくる。

写真1まずは降りたバス停Husbyの目の前に西暦500年頃の王墓がありカイサがさっそく説明してくれた。
これは昨日の記事のガムラ・ウプサラの王墓より古い。
そして以前も触れたことがあるけれど、西暦500-800年のバイキング時代以前はヴェンデル時代(Vendel tid)と呼ばれ
この一帯は重要なエリアだった。
特に周囲は平らな大地が続くのは、当時はまだこの地が水面下だったためだとか。

写真2
この王墓を含む牧草地にはゴットランド島特有の種類の羊が飼われている。
この毛でつくるウールは、特に厚い生地ができ、また毛もからずに落ちるのだそう。
へぇー、と言いながら二人で王墓の後ろ側に回りこみ、羊の群れに近づくと...
一頭がふと立ち上がってこっちを見た。
ん?なんか雰囲気が...?と思うと、なんと羊の群れが一斉に私達を見て立ち上がった。
え?ちょっとヤバイ?とカイサを見ると、すたこらさっさと走って逃げていく。
え?と羊のほうを振り向くと、大群が私達めがけて走ってくる!
二人してひゃーっと言いながら走って王墓のまわりをぐるっとまわって逃げた。
「まさかここまで追って来ないよね?」と言った瞬間、羊の大群が王墓をまわりこんでどどどっと迫ってきた!
さらに逃げて間一髪、柵の向こうに出ると、羊達はぴたっと動きが止まった...
一体なんなんでしょ!?

写真3
さらにバス停とカイサのおうちの中間に、紀元前1500年~500年頃の遺跡がある。
小さな穴がいくつかあり、太古の昔、祭祀で供え物など置く台だったとか。
それより、こんな道端にぽーんってあっていいのかな。

写真4
カイサの実家は元農家。最近やめたばかりらしい。
なので広大な敷地が広がります。家もデカイ!
1920年頃に建てた家だというのに古さは全くない。
キッチンもブルーが基調でとてもさわやか。
到着するとさっそく庭でfika(ティーブレイク)。楽器も弾きます。

カイサの両親は昔ながらの農家の習慣で、未だにお昼ご飯が一番豪勢なのだそう。
朝7時頃から畑仕事するからね、と言っていた。
なので、夜は朝食か昼食のような簡単なものを食べるのだそう。
とても健康的だ。

夕食」はスウェーデン語でmiddagという。
正午」もスウェーデン語でmiddagだ。
(ちなみに「午後」は昼の後という意味でeftermiddag)
そうか、middagが「お昼」と「夕食」って二つ意味があるのって変なのと思っていたけど、
由来はそんな習慣から来ていたのか。
昼食の「ランチ」という言葉はこの50年くらいの間に入ってきた言葉だと言っていた。

なので豪勢なランチが出てきました。
ランチも庭で。
鳥の鳴き声がここちよく響きます。
でも虫もハチもいます。
向こうにバンビが走っていくのが見える。

チキンをしょうゆとレモンとコショウで味を調えオーブンで。
それとライスと豆。
サラダはカイサ特製、アボガドやカブにパプリカなど野菜盛りだくさん!

写真5
隣の家にはカイサの姉?妹?夫婦が住んでいる。
そこのチビちゃん。とっても元気。
まるで映画の「ロッタちゃん」を彷彿とさせるおしゃまな女の子。
裸足で庭中を駆け回り、庭のルバーブ(5/29参照)をちぎって食べ始めた。
「おいしいよ、食べて」と渡されたルバーブは生では「オェ!」という感じ。
カイサが「こっちはおいしいから」とすすめられたのは食後のデザート。
ルバーブのさくさくパイ。バニラソースをかけて食べます。
旬のいちご(日本より甘い)とちぎったミントの葉も一緒に。
さっぱりした酸味がおいしい。
するとその子「これも食べなきゃためよ!」と庭のネギをちぎってもってきた。
「こうやって食べるの」とパクパク食べる...。

写真6
近所のツアーへゴー!

近くにはヴィクスタ(Viksta)がある。
これは故ヴィクスタ・ラッセ(Viksta Lasse ウップランド地方の有名フィドラー 80年代に亡くなる)の
名前の由来だ。ヴィクスタというところに住んでいるラッセなのでそう呼ばれている。
このヴィクスタにある教会へ。これも11~12世紀の教会でとても古くウップランド地方独特の教会だ。
その教会の向かいにはヴィクスタ・ラッセの像が。そしてお墓もここにある。

次はスムルトロンイェーデ・イーダ(Smultrongärde Ida 同じく故プレーヤー、この地方では有名)
の元おうちへ。
彼女の名前の由来は、スムルトロンイェーデ(野イチゴ畑)に住むイーダである。
舗装されていない道路の先にその家はあった。
彼女は魔術を使えたらしく(風邪を治すなど)、子供達には怖がられていたみたい。
こんな湖と森のそばの小屋に住んでいれば尚更だ。付近には家もないし。

帰り道にはヴェンデルの教会へ(これが写真)。
中は鮮やかに壁画が残っているらしいが、遅すぎてちょうど扉が閉められてしまった。残念。
これまた12世紀くらいの古い教会。

この教会の前には、バイキングの墓(船に動物、食べ物など入れられ埋葬)が13も見つかったらしい。
物はストックホルムの歴史博物館に行ってしまったらしい。
その場所には記念碑がたっている。

さておうちへ戻ると、軽い夜ご飯がまっていました。
パンと乾パン、チーズに七面鳥のハム、パンにのせる野菜など、紅茶で頂きました。

それから再びカイサが「ちょっと弾こうか」と楽器を取り出した。
それがただ弾くのでなく、なんと気前よくプライベート・レッスンが始まったのだ。
ヴェーセンのウロフが伝統を受け継いでいるカート(クート?)の曲やヴィクスタ・ラッセのあまり知られていない
曲などを教えてくれた。

そしてウップランド地方の方言ともいえるスウィング感についてカイサなりの考えも教えてくれたのだ。
「ウップランドのプレーヤーはみんな骨の髄までこのスウィング感がしみこんでいるのよ」と。
つねにこのスウィング感を意識しているとどの曲を弾いていても、そのリズムがあちこちに現れるのだと。
「よく8の字ボーイングなど呼ばれるがそういう頭で考えるものではない。
一指し指を使って弓の動きを指で感じるのがコツ!」
と教えてくれた。
そんな彼女は、私の中ではウップランド・スウィングのトップだ。
本当に活き活きと弾く。

そして「このスウィング感がないと、間違いじゃないけどクラッシックみたいでしょ。
そして、ここをタターンとやる人がいてストックホルム・ビートと呼ばれてるから
気をつけて」
つまりストックホルムのような本場と離れた都会では、人々はこう弾きたがる、そしてそれがかっこいいと思っている
という悪い例。
(ストックホルムの人はみんなそう、という意味ではない)
前も別の人からストックホルムでは...とかニューヨークでは...とか聞いたことがある。
ハイ。
日本人だから...と言われることがないように正確を心がけます!

ヴィクスタ・ラッセはカイサの家にもよく遊びに来ていたらしく、ヴィクスタ・ラッセの弓の持ち方や
スウィング感の出した方、弾き方の特徴など物マネしてくれた。
ヴィクスタ・ラッセは飽きっぽかったのかもしれない。
同じ弾き方、均一な弾き方などはしなかったらしい。
そして有名なEklundapolskaもヴィクスタ風に弾いてくれた。
この曲はヴィクスタ・ラッセが12歳の時に作ったのだそう。

21時頃、家の外にでると一面、畑の広がる低い空に太陽が見えた。
こんなに見晴らしがよいと全てが美しく見えます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スヴェア族の墳墓

2007-06-01 23:35:35 | スウェーデンのこと...
今日は、前から気になっていたガムラ・ウプサラ(Gamla Uppsala)に行って来た。
ガムラはoldという意味で、つまりOld Uppsala。
だからといって、ヨーロッパ観光都市の旧市街とは全く趣きが違う。

ウプサラからバスで15分ほど行ったところにある。
丘のようなこんもりした山と古い教会が、ウプサラに到着する少し前、電車の窓からいつも見えていた。
友人カップルが行ってみたらとても良かった、というのでいつか行きたいと思っていた。
側にあるミュージアムは、英語の説明も併記してあるから分かりやすいよとも聞いていた。
他にも数名で行くことになっていたけど、結局タイミングあわずじまい。
でも、思い立ったが吉日、ふと思い出したのでぷらっと行ってみたのだ。

写真1
こんもりした山々はお墓。
ここは5~6世紀に栄えた中心地で、スヴェア族の王墓

いろんな面白い話が、ミュージアムの説明で書いてある。
ぷらっと行ったわりにあまり時間がなくてじっくり見れなかった。
この時代、キリスト教が入ってくる前で、このバイキングの王による異教だったというのだ。
そもそも「異教」という呼び方自体がキリスト教からの視点なのでかなり違和感あるのだけど、
それでも説明を読むと、異教っぽいと思ってしまった。
生贄を結構やっていたらしいのだ。
馬とか人とか木から吊るしていたらしい。
「その聖なる木がどれかは分かっていないが、王墓の西側の木ではないか...」というようなことが書かれていた。
それから当時は王は世襲制ではなく、力のある者が王になれたのだそう。

さらに面白い話は、1800年代に、伝説の通りお墓なのか、自然の作り出した景観なのか熱い議論が繰り広げられたそう。
それで、3つのうち、西と東の二つの山を掘って大がかりな調査して決着がついたらしい。
ただ、実際に何と言う名前の王かということまでは確認できていないそう。
また、この3つの王墓以外のいくつかの山(←と呼ぶのか分からないけど)は、結構盗掘されていたのだとか。

写真2、3
さて、その王墓の反対側に、見るからに古いガムラウプサラ教会(Gamla Uppsala Kyrka)がある。
これは原型は11世紀。その後、火災にあったのでオリジナルではない。
13世紀と15世紀にも手を加えられたそう。
中に入ってみると...やはり、ここもそうか。
ウップランド地方の中世からの古くて小さい教会は、みんなこんな感じだ。
細かい装飾の絵が独特。
ウップランドの中世スタイルなのか、スウェーデン全土でそうなのかは分からない。
ウップランド地方は2世紀頃の入植以来、ずっと中心地として栄えてきたので、他の地方にも伝播して同じスタイルなのか
興味のわくところだ。

写真4
王墓からウプサラ大聖堂とウプサラ城が遠くに見える。

美術館、博物館は、絵画や歴史の知識がないと興味がわかない場合がある。
ルーブルくらい有名だと観光気分で行ける。
でも、スウェーデン人でもそうだけど、バイキングや中世というものになぜか歴史ロマンのようなもを感じ
惹かれる人達がいる。
今とは違う宗教観、教会の古めかしい作り、バイキングの世界...。
特に知識がなくても雰囲気を楽しめて、おススメです。

行き方ウプサラからバスで15分ほど。
Gamla Uppsala行きに乗って終点だけど、なぜかバス停の名前はGroaplanという。
バスは10~15分おきに出るので便利。
(駅横は、地図ではバスターミナルだけど、始発バス停は街中に点在するので注意)
時刻表検索(Uppland lokaltrafik 英語)
駅横発以外のバス停の場所はUppland lokaltrafikのここで。
07年6月1日現在では、リンク先の地図の通り、Hのバス停から2番のバス。

ミュージアムについて(リンク先は英語)
Gamla Uppsala Museum
開館時間
ガムラウプサラの歴史

ウィキピディア(日本語)のウプサラの「歴史」で少しだけ触れています。

写真5、6
さて、バスでウプサラ市内に戻ると小腹がすいた。
最近はイチゴ屋さんがあちこちにあり、甘い香りがする。
でも、もっと重くて簡単なものが食べたい気分。
varmkorv(ホットドッグ)に決定!
このスタンドもあちこちにある。
一番安い10krのものを買うとちっちゃいパンにゆでたソーセージをのっけて渡される。
ぶら下がっているケチャップとマスタードをかけ、ぱくぱくっと食べます。
満足!

ちなみに、本日6月1日。一番、日が長いらしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする