スウェーデン音楽留学サバイバル日記 ~ニッケルハルパ(nyckelharpa)を学ぶ

スウェーデンの民族楽器ニッケルハルパを学ぶため留学。日々の生活を様々な視点からレポートします。

ポルスカの歴史、その2

2019-03-22 00:17:18 | ポルスカについて

先日、電話がかかってきました。最近、電話がかかるというと実家からか勧誘くらいしかなく、不愛想に「もしもし」と出ると違っていて焦りました。「ポーランドと、スウェーデンのポルスカってどういう関係だっけ?」と難しいことを聞いてくるではないですか。頭を洗濯機みたいにぐるんぐるん回しても気の利いた一言も浮かばず、「関係ないんじゃないですか」という、この人に電話して時間の無駄だったみたいなことしか言えませんでした。

スウェーデンのポルスカは、カップルダンスがヨーロッパのある時期に流行して、ポーランドを通じてスウェーデンに入ってきたことからポーランド風(ポルスカ)と呼ばれるようになりました。流行が到達した後、どんな音楽でどんな風に踊るか、スウェーデン独自に発展していきました。また、経験上、メロディラインなどは特にポーランドよりもフランスの影響を受けているように思えて、ポルスカとポーランドは名前だけで音楽的な関係は薄いのではと思っていました。

でも、電話を切った後モヤモヤしてきます。だって、ポルスカって、スウェーデンの伝統音楽の中核であり、名前はまさにポルスカ(ポーランド風)。関係ないはずがない。ポロネーズという、ヨーロッパ中に与えた影響を考えても「さあ?カンケ―あったけ?」で済ませられる話ではありません。

ところで、なぜそんな電話がかかってきたかというと、6月にヤヌシュ・プルシノフスキ・コンパニャ Janusz Prusinowski Kompaniaというポーランドのミュージシャンの来日コンサートがあり、その企画関係の方から聞かれたのでした。ポーランドと言えば、ショパンやマズルカが有名で、ダンスもきらびやかなものが多くあります。ですが、ダンスで言えば見せるために創作された部分の多いショーであり、マズルカもクラシックを通して再現されたリズムやモチーフであったり、本来の農村で受け継がれた民俗音楽は?というとすごく土臭い独特な個性がある音楽です。

以前50分ほどのドキュメンタリー動画をこのブログで紹介しました。(スウェーデンとポーランドのミュージシャンの交流を描いたドキュメンタリー。すごく面白いです!)

Polska - Dance Paths

かつての社会主義国で民俗音楽を弾いてはいけない風潮があり、民俗音楽の指導者や学校がスウェーデンのようにある訳でもなく、伝統音楽の保存や普及活動はされてきませんでした。ですが、今回聞いた話では、ヤヌシュが中心となり、ほぼ眠っている状態の民俗音楽を掘り起こし、ポーランド中でリバイバルブームとなっているそうです。

それにしても、フランスのポロネーズにしても、ノルウェーのポルスにしても、ポーランドと名前がつく音楽(ダンス)がこんなにもヨーロッパ中にあって、ポーランドの音楽それ自体との関係は本当はあるのかないのか、すごく気になってきました。そして、電話を切ってから、ふと、まだ読んでいない本があることを思い出しました。

The Polish Dance in Scandinavian and Poland(Svenskt visarkivet) CD付き(英語)

これは2001年にスウェーデン主導で、ノルウェー、デンマーク、フィンランド、スウェーデン、ポーランドの研究者を集めて、北欧諸国で400年の歴史がある民俗音楽の会議を初めて開催した時の論文をまとめたものです。

目次を読むと、ポーランド人による「ポルスカ」の歴史、デンマークのポルスカがなぜ消えたのか、メロディの変遷(時代と場所が変わっていく中で同じ曲がどう変わったか)、ノルウェーのスプリンガルや、フィンランドのポルスカについてなど、それぞれその国の研究者が書いたものがズラリ。本は収集だけじゃなく、ちゃんと読まないといけませんね~。読んでないどころか、持っていることさえ忘れてました。早速読んでみましたが、残念ながなら、知識が深まったところもありますが、結局、謎は謎のままミステリーなんだなと再認識したのでした。地球上で起きるあらゆることは、調べたら何でも分かるものではありませんが、歴史も同じ。過去に起きたことは調べたら分かると思ってしまいますが、有名人でもない人が移動や交流を繰り返し、口伝により、証拠や手がかりも乏しいとなると、わずかな手がかりから推論に推論を重ね幾通りもの仮説ができるのみです。

抜粋でも翻訳でもないのですが…自分なりに雑にまとめた内容を書きます。文献や注釈も沢山掲載があり興味深いので本をぜひ読んでください。

ポーランドのダンス、Polish Danceという言葉(概念)が記録上、登場しはじめたのはいつなのか。

<記録上、一番古いポーランドのダンス曲>

1540年に書かれたオルガンの本に、ポーランドに触れていないものの、マズルカという名称もないものの、マズルカの典型的なリズム(タタタンタン)が使われているそうです。マズルカの元となるリズムはこの頃作られたと考えられています。1554年にはチェコの兄弟が書いたsongbookに今でいう典型的なマズルカのパターンが書かれているそうです。この点については、マズルカの原型がチェコ起源であったとしてもポーランドにそれを複雑に発展させていく土壌があったという推論が書かれていました(マズルカと一言でいっても、オベレック、クヤヴィアックなど数種類のダンスや音楽があります)。また、ポーランド語のアクセントと、マズルカのリズムが似ており、深く根付いていったのは自然なことという説も紹介されています。

16-17世紀に残されたマズルカのリズムを持った曲のほとんどはポーランド以外の外国で書かれたもので、オルガンやリュートの楽譜に「ポーランドのダンス」という記載が見られるそうです。同じ時代にポーランド国内では「ポーランドのダンス」と書かれたものはないそうです。自分たちの曲というのは特別な意識はなく、外国人の目を通して初めて個性的で異国風だと認識されるのではないかと書いてあり、妙に納得してしまいました。

構成3拍子のポロネーズとマズルカ

最初は2拍子だったものが、すぐに前半が2拍子で後半が3拍子という二部構成のダンス曲になったそうです。このスタイルが広まってからは、前半ではゆっくりとした曲、後半は早くて飛び跳ねる曲(ダンス)という表現が残されているそうです。今も国や地域によっては、2拍子のポロネーズがあります。当時は、先に触れた二部構成、polonaise(2または4拍子)+ propotio(3拍子)、オプションで + serra(3拍子)が加わりました。また、昔は上流階級で踊られ、ブルジョワ、農民、と徐々に広まっていった経緯は、国が違っても同じ状況のようで、特に後半の速い曲(3拍子のproportioのこと)は身分の低い者が踊ると書かれているものがいくつも見つかっており。3拍子のダンス曲が一般民衆に広がっていく状況が推測されます。

17世紀の終わりには、前半の2拍子のパートが消えていきます。後半の3拍子のパートが残りフランスでポロネーズとして流行するにつれ、後半パートが独立したダンス音楽となっていきます。1640年以降、プロシア、ハンガリー、チェコ、スウェーデンで、"polish proportio"という表記の音楽が見られるそうです。そして、肝心のマズルカですが、基本のリズムやポーランドのダンスという概念があったとしても、この名称が登場するのはそれから1世紀も後(1800年代)のことなのだそうです。

デンマークには3拍子の曲がない!?

有名なRasmus Stormの楽譜集(1760年)など18世紀のデンマークで3拍子の曲は見られるものの、18世紀前半には既に廃れていたのではと書かれていました。デンマークでは、Fanøといった一部の地域を除き3拍子の曲は残っていません。仮説として書かれていましたが、後半の3拍子のパートよりも、前半の2拍子のパートだけが生き残ったのではないかと書かれています。(Fanøの話などは読み飛ばしました、興味のある方、すみません…)

ノルウェー

おそらくスウェーデンより後に、このポーランド風というヨーロッパ中で人気がでたダンス音楽の流行が到達したらしいです。デンマークと違って、スウェーデンとノルウェーでは、豊かなバリエーションが産まれ独特の音楽/ダンスを形成していきました。ノルウェーのスプリンガルでは2または3小節のモチーフがバリエーションを変えながら繰り返していく曲が多く、ポルスはスウェーデンのポルスカのように2-4小節のモチーフで8小節まとまりという割と固定された構成の曲が多いのだとか。2種類のリズムが交わるRorosのことや地域の話など詳細が書かれていたので、ノルウェーの曲に詳しくないと内容を多面的に捉えられない気がしました。ただ、ポロネーズの特徴はノルウェーでは1800年頃には消えていき、今あるノルウェーの民俗音楽に当時の特徴や痕跡はほとんど見られないと書かれており、強い独自性を感じます。

スウェーデン

スウェーデンで一番古いポーランドのダンス曲という記載は、1595年ストックホルムのドイツ教会に残されている4つの曲だそうです。(ちなみに、1500年代終わり頃、スウェーデン・ヴァ―サ家の出身の王がポーランドとスウェーデンの両国を治めていました)スウェーデンは、このポーランド風の曲をスカンジナビアに広めた中心地です。また、この4つの曲のことではありませんがスウェーデンの古い曲には、ゆっくりした3拍子のヨーロッパ風ポロネーズ、早くて勢いのあるポーランドのマズルカ、どちらの影響を受けた両方のダンス曲あるそうです。1600年代後半、スウェーデンでは、2拍子のポロネーズは上流階級に、3拍子は農民のダンスと分かれて行ったようです。現在、2拍子のポロネーズは、ノルウェー、デンマーク、フィンランド、スウェーデンでは南部で見られます。(とはいえ、スウェーデンのポロネーズは一般的に3拍子です。)

以前、ポルスカの講義を受けたこともあるマグヌス・グスタフソンの論文では、ダーラナのHjort Andersの有名曲が(私は知らない曲)、さかのぼるとヘルシングランド地方の1800年代の曲を弾いたものだそうで(その曲も私は知りません)、さらに辿ると、私もよく知る1700年代後半のアンドレアス・ダールグレンの曲で(これは知っている曲!)、ここまで比較されると確かに楽譜を見比べて、Hjort Andersと100年以上の時を隔ててダールグレンの曲が同じ曲だと分かります。さらに辿ると、なんとヨーロッパから輸入されていたようなのです(デンマークの1760年のRasmus Stormに記載されていた曲)。つまり、バリエーション豊かに変化しつつも100年、200年たっても原曲は大きな差がなく(途中のメロディの変化にはとまどいましたが原曲とされる曲と最近の曲は非常に似ています)、時の推移や土地の移動、口伝などの条件であっても原曲は割と正確に伝わるということですね。楽譜に記載されている曲というのは後の研究者が発見したもので、村の奏者が目にするものではありません。他の論文では、各地の曲のパターンを数値化しグラフでどのくらい似ているか比較した論文もありました。これによればスウェーデンの曲は、いわゆるヨーロッパのポロネーズと似ており、ポーランドのマズルカとは似ていないとのことでした。(ただし、忘れてならないのがスウェーデンの古い曲にはマズルカに似た曲があるという事実です。上品でメロディアスなポルスカやポロネーズ以外に、農村の奥地に中東、中欧のような不思議な旋律の曲が残っており、私も以前からこの2タイプの曲があるなと思っていました)

フィンランド

フィンランドも、ノルウェー同様に初めて知る話が多く、まとめるのは躊躇します。ですが、フィンランド人の論文では、17世紀にドイツでポーランドのダンスが人気出ると同時にスカンジナビアにドイツから流行が到達したが、ドイツで流行したポロネーズとスウェーデンのポルスカが関係するかどうはあやしいという説、ポーランドの音楽との関連性すらあやしいが、南スウェーデンの音楽、フィンランドのポルスカ、東ヨーロッパの音楽には関連が強くみられるといった説など書かれています。また、フィンランドは以前スウェーデンだった地域があり(今でもスウェーデン語圏があり、ムーミンがフィンランドでスウェーデン語で書かれたのも有名ですね)、その違いや地域についても詳しく書かれていました。結婚式のダンス曲としての伝統がある、2拍子のポルスカ(ポルスカは、もやは異国風という意味しかなく特定のダンスを指していないとか)の話や、1700年代にロシア占領下、3万人のフィンランド人がスウェーデンに移民としてわたり、文化的な交流が進んだことにも触れていました。

-本を読み終えて-

結論と呼べるのか分かりませんが、私が経験上感じた、古いスウェーデンの曲はフランスの影響を感じるといった点も間違いではなさそうです。この本でも触れているのは、スウェーデンのポルスカは、東欧やポーランドに似たものもあり、ヨーロッパの上流階級を通して入ってきたポロネーズの影響もある、ということです。ですが、やはりノルウェーがより特徴的ですが、流行が川の流れのように隅々に広がっていき狭く閉鎖された土地では流れは一旦とまり、その土地に浸み込み独自のものを醸成していくという印象がぬぐえません。スウェーデンはヨーロッパの片隅の田舎の国で行き止まりではありますが、古くから北欧の中心地でもありそこから小さな枝葉を伸ばし、混ぜこぜになった輸入ものの痕跡と独自の農民音楽とがバランスよく育っていったのではないかと思いました。

ここで宣伝なんて、嫌らしい‥と思わせたらごめんなさい。

結局、電話の後、こうした会話を繰り返すうち、ヤヌシュ・プルシノフスキ・コンパニャ Janusz Prusinowski Kompaniaの来日公演のオープニングをつとめることになりました(神戸公演のみ)。youtubeの演奏を聞くと、ポーランドの民俗音楽は、wildで生き生きとして、そして計算されていない複雑さや面白みを感じました。オープニングは、私と野間さんとのデュオで、軽くお話と2-3曲?程度の演奏です。ポーランドの生きた民俗音楽が、こうした北欧諸国のようにもっともっと掘り返され、議論され、弾いて踊って(創作のショーでなく)、広く伝えられることを願って。また、ポーランドの当時の大きな影響の結果(スウェーデンのポルスカ)をただ楽しんでいただけたらいいなと思います。

また、フィンランドの音楽は全く無知なのですが、フィンランドのスウェーデン語圏のポルスカは知った曲もあり、今年の阪急フェアのテーマがフィンランドなのでそうした曲も交える予定です。

そして、最後になりますが、明日から海外の親せき宅へ行くのでコメントをいただいてもすぐにお返事できません。誤りなど、ご指摘くださった方がいたらすみません。(その前夜の0時過ぎに、準備もせずブログを書いてる私って…


お知らせ(詳細情報、リンクが不足していますが、後から上書きで足していきます)

4/20(土) Spel och dans 東淀川スポーツセンター 1年以上ぶり?曲を覚えて弾いて、その曲で踊ってみるワークショップ。曲は私担当、ダンス指導はベテランのひろみさんです。参加費1500円にしていましたが、参加者が少なく部屋代もかかるので一旦2000円に戻しました。

4/27(土) ケイット・ルオカラ 淀屋橋の小さな北欧という感じの、スープ食堂で、ハープの奈未さんとイースターや春をテーマにしたランチコンサートです。

5/25(土)北欧の森音楽会(松阪)過去3回演奏させていただきました!今年4回目は、Lirica&michikoでミニライブです!

5/31-6/2 梅田、阪急百貨店で1週間の北欧フェア。今年はフィンランドがテーマでフィンランド曲を交えます!北欧の大御所、大森ヒデノリさん&セッションの仲間たち、hatao&namiやシャナヒー&アンニコルなど北欧の世界たっぷりに。私の出演は、5/31、6/2です。

6/1(土) トリオのタイムブルーでのライブは、都合によりキャンセル(延期)となりました。予定してくださった皆様申し訳ありません!

6/13 ヤヌシュ・プルシノフスキ・コンパニャ神戸公演、オープニングアクト

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