スウェーデン音楽留学サバイバル日記 ~ニッケルハルパ(nyckelharpa)を学ぶ

スウェーデンの民族楽器ニッケルハルパを学ぶため留学。日々の生活を様々な視点からレポートします。

ノルディック民族楽器セミナー その2、そして最後

2007-06-14 14:00:29 | スウェーデン生活
フィンランド人の研究者はセミナーに車で来ていた。
調べてきた道が間違っていて、私とペール・ウルフが道案内代わりに同乗することに。

ペール・ウルフは週末のニッケルハルパ・ステンマ(Nykelharpasstämman)で売るのだと大量のCDと本の箱を持ってきている。

その車の道中、ペール・ウルフのプレゼンについて説明してもらう予定だった。
有名なゴットランド島の天使の石彫りについて彼なりの解釈がある(フランス由来というもの)。
以前、説明してもらった時からさらに調査をすすめた結果、訂正(ドイツのソングブックの絵との関連)があるというのだ。
しかし、やはり研究者というのは知的好奇心にかられるものだ。
運転中のフィンランド人研究者が近々タルハルパの本を出すという一言を聞いて以来、その話題に一点集中。

ところで、ノルウェー人とスェーデン人は母国語同士で話すが、フィンランド人は「聞いて理解できるけど話す時は英語」である。
このフィンランド人も英語で話す。
なんとなく、皆から聞いていた語気の強いフィンランド訛がハハーンと分かった。
さすがロシアに近い側、というのは短絡的か。

写真左上が、タルハルパ(スウェーデン語はストローク・ハルパ stråk harpa)。
弓で弾きます。
私は始めて知ったのだけど、日本で弾いている人はいるのかな?
音色は、弓で弾くだけあって表現力がイイ。
そしてムーラハルパのような古楽器の音色だ。

さて、私への説明はまた今度ということになり、さっそくToboに着いた。
一度、寮を出ているので、再チェックイン。
ここで過ごす夜が最後かと思うと不思議な感じ。

軽くシャワーを浴びて夕食に向かうと、すでに始まっていた。
やった!私の好物。
ビーフと豆のブラウン・ソースかけ。
スティーナの得意料理。お客さんが来るとよく作ってくれる。
最後に食べれてウレシイ!
とスティーナ(英語が通じない)に言うと「そう?日本にはビーフないの?」とこの1年散々繰り返された質問を
再び最後にされた。
セミナーで知り合った、エストニア人の卒業生が言っていた。
「スティーナって変な質問ばっかするよね!
『エストニアにはチーズはあるの?』『エストニアにはパソコンはあるの?』とか」
聞いていて、別のところで内心どきっとした。私だってエストニアのことは何も知らない。
チーズってスウェーデンと同じ?とか聞かなくてよかった。
スティーナは美しく年齢を重ね、とてもオバチャン風貌ではない。
が、とても茶目っ気たっぷりのかわいらしい人なのだ。

脱線話
エストニアは、古くは元スウェーデン。文化的に共通点が多いのかも。
フィンランドも西海岸側は大昔、スウェーデンだったので、古いスウェーデンの伝統や言葉が残っている。

チーズに関して。
スウェーデン独自の製法と種類がある。
例えば、デンマークはデンマーク独自の製法でもちろん味も違う。
つまり日本に入っているイタリアンやスイスチーズなどとは異なるので、似た味のものがどれに相当するか、
日本にいると悩むところ。

さて、話を戻して。
明日からのセミナーにそなえそれぞれの職人さんが展示の準備を始めた。
見ていると面白い。
そして、ミュージシャンの集まりではないので控えめだけど、あちらこちらで楽器を弾きはじめた。
コンサート、研究者のプレゼン、展示を交えたこういう北欧民族楽器セミナーって日本でも開催できないかな
浜松の音楽博物館辺りで。もしくはどこかの大学とか。と切に思います。
人やお金さえ集まれば…。

するとエスビョンの奥さん、オーサに呼ばれた。
「これ、私達からの気持ち」と、包みを開くとトナカイの刺繍の入ったクロスだ。
オーサの目はすでにウルウルしている。
こういうときのスウェーデン人はとても感情を素直に表現する。
大げさなセリフは言わない。素朴な言葉と飾らない態度で正直に表現する。
ダメだ。感謝の言葉をならべようにも「今までありがとう」を言うのがせいいっぱいだ。
お別れの時に泣くかもと思ったのに、すでに泣いてしまった。

エスビョン(セミナー主催者)は、やってくる参加者やお客さんの相手でいそがしそうだ。
22時頃、最後のお客を案内した後、2歳の子を寝かしに一旦戻ることに。

その前にと、オーサがニッケルハルパを弾きはじめ、2歳の子供もニッケルハルパを楽しそうに弾きだした。
エスビョンと学校スタッフのAがそれに合わせてダンスをする。
こんな当たり前の光景も今夜が最後だ。

エスビョンがその子に「ほら、帰って寝るよ」というと、その子は私の手をつかむと大声で何か言いながら私を引っ張っろうとする。
遊び足りないのか?と引きずられて行くと、オーサがとめに入った。
「ほら、帰ってねなきゃっていうから。車に乗って帰るよ」と言っているらしい。
私も一緒に帰ると思っているらしいのだ。
そっか、この子ともここでお別れか。
エスビョンが「帰るからちゃんとクラマ(ぎゅっと抱き締める挨拶)しなさい」というと、ちっちゃな両手でぎゅっとしてくれた。

外に出ると、見た事のないような夕焼けだ。
最後の空は燃えるような赤だ。

さて私も部屋に戻り楽器を持ってくると、ウッレ・プランがやってきた。
「ハイ、これあげる。ドイツ製。」
とバロック弓をくれた!
「え!?なんで?」と言ううちに、ケースにつっこまれてしまった。
最後にプレゼントだって。
ウッレはべたべたしない感じだけど、いつも最大限に気持ちを表そうとする。本当にいい人だ。
ウロフも言っていた。ウッレは本当にイイ人で、この性格は職人としての利点だと。
買い手のわがままに熱心に耳を傾けて嫌な顔一つしないのだ。
頑固職人ならこだわりと伝統のもと…とプレーヤーの注文に耳をかさない人も少なくない。

さっそく弓を試した。
見た目も美しく、重量も軽い。かなりいい線いく弓だと思う。

写真右上は、ダニエルを囲んでセッションが始まった時の様子。
今回ゲストにエスビョンがノルウェイから招待したハーディンフェーレ(ノルウェーで一番と言っていた)のプレーヤーは
椅子を出しておしゃべりしながら聞いていたけど、楽器は弾いてくれなかった。

0時を過ぎた頃、エスビョン夫妻が最後のお客さんを駅で拾ってやってきた。
明日の朝は私を駅まで送るというのだけど、私が最後にみて欲しいものがあるとラップトップを持ってひきとめた。

エスビョン夫妻のために作った、スライドだ。
一緒に過ごした日々と季節の移り変わりをまとめたもの。
音楽はもちろんエスビョンの師匠、故エリック・サルストレムの演奏。
雪に覆われ、花が咲き、緑にあふれ、子供達が成長する。
楽器や伝統、スウェーデンの文化や生活をたくさん教えてくれた。
最後まで見終わると、3人で泣いてしまった。
悲しくて泣くわけではない。たくさんの想い出でいっぱいだ。

エリックが残したものはエスビョンが受け継いだ。
死の直前、全ての楽器もたくされたという。
その受け継いだものを少しでもと、私にもおすそわけしてくれた。

これ以上ここにいると悲しくなるから、また明日の朝くると言い残して帰っていった。

気を取り直して、再びセッション。
人数も減り、ソーレンと学校スタッフのA、その他、4名ほどだ。
セッションの合間、なんとか気をとりなおした私に何度もAが中断してはぎゅっと抱き締め「ちゃんと帰ったら連絡するのよ」と
何度も涙を誘う。

2時もまわった頃、Aは「明日の朝はやいでしょ」といい、私に朝食を用意しはじめた。
2人で学校のキッチンに入ると、好きなパン選んでと言う。
バターをたっぷりチーズとハムを載せ、バナナとりんごを袋に詰め、朝時間がなかったら電車で食べてと渡された。
何度もお別れをして部屋へ戻った。

2時はとっくに過ぎているというのに。
寮に戻ると、ノルウェー人がハーディンフェーレを部屋で弾いている音が廊下中に響いていた。
高く宙を舞うようなその音色にしばし聞きほれてから、部屋に戻った。

さて!ここからが大変だ!
先日の小旅行と今朝の買い物で、荷物の詰めなおし!
入らない。
スーツケースを閉めてに3分ほど座りこむ。徐々にしずんでフタが閉まるだろうと。
いーえ!何分座っても閉まりません。
涙をのんであれやらこれやら捨てはじめる。
シーツ類はニッケルハルパのフライトケースにほうりこむ。
(エスビョンの新作ニッケルハルパは、週末のイベントでガラスケース入りで展示された後、私の元へ郵送予定)
必死の形相で、感傷的な気分どころではなくなってきた。
一通り捨てると、つかれてベッドへ倒れこむ…。

翌朝は、昨日の夕焼けの通り、雨。
ペール・ウルフ、ウッレ・プランともお別れをした。
エスビョンの車に荷物をつみ駅まで乗せてもらった。
駅につくとエスビョンが「何かあげるものないかな」とポケットをごそごそする。
「マッチはどう?
「飛行機にもってけない」と私が言うと
「じゃあ、マッチのケースは?」と言う。
そのマッチは創設以来子供たちへ寄付金がいくらしくとてもスウェーデン的なのだと言っていた。
「じゃあ、これは」と取り出したら、さっき私が楽器の送料と渡した裸の現金だ。
「いや、それは何があっても受け取れないから
「あ、これは?」と2002年の夏至祭のバッジを取り出した。

なんでもいいから最後に記念になるものをあげたいのだというエスビョン。
最後に「家族の一員になってくれてありがとう」と言う。
私はなんて返したのか覚えていない。
泣きながら何か必死で言ったと思う。

すぐに電車が入ってきた。
雨でよかった。晴天で緑が美しかったらこの地を去るのがもっとつらかっただろうと思う。
電車に乗りこみ、軽く手を振ると、エスビョンは雨の中こばしりに車へ戻っていった。

窓の外は雨の中でも本当に美しい。写真は最後の車窓。
こんな土地で、こんなに温かく迎えられ、誰もが助けてくれ、素晴らしい1年だった。

結局、空港に着くまでの1時間泣きっぱなしだった。
空港について泣き止んだと思ったのに、カネルブッレ(シナモンパン)を最後にとかじるとまた泣けてきた。

また来ることもあるだろうに、一体、なんでこんなに泣けてくるのか分からない。
きっと、つっぱしった1年だったからだ。
充足感と、人や自然への感謝の気持ちだ。

留学しようか迷った頃は、「音楽」というジャンルが生活に非現実的なこと、「伝統音楽」自体が周囲の理解を超えていること、
新卒や在学中のようなやり直しのきく年齢ではないこと、その他たくさんの事情で周囲に激しく反対された。
「舞台にあがる事にあこがれを抱いている」くらいにしか思われず。
(もちろん、そんなあこがれはない。皆無。それが「じゃあ、なぜ!?」とさらに思わせたみたい)

ただ、反対は私のため、私の将来を思ってということは分かるので、聞き入れるべきだと迷った。
でも特に「伝統音楽の意味」を理解していない人からの反対は、どこかでひっかかるものがあった。
飛行機のチケットはかなり直前でとったが、その時までまだ取り消せると迷った。
しかし、エスビョンが「全面的にサポートする」と言ってくれていたこのチャンス、逃すとじゃあ来年とはいかない。

そんな中、だまって背中を押してくれた人もいた。
そして「その経験で人生が豊かになるなら行く意味がある。
そんな豊かな人生経験を持つ妹は、私の自慢だ。
第一、行ってみてやっぱり面白くないって引き返したって何も悪くない」と姉が言った。
「人生を豊かにする」この言葉が決定打となった。

ブログは、徐々ににアクセス数が増えると自分のためだけでなく、読んでいる人のためと励みになった。
実際、こんなとこも、あんなとこも写真とるの!?というとこまで撮れたのは「ブログかいてるんで」と言えたからだ。
分からない箇所を分からないままにできなかったのも、単に性格ではなく、日本で知られていないこの情報を
正しく伝えないと感じたからでもある。

最後まで読んで、独り言につきあってくれた皆様、ありがとうございました。

果たして、人生は豊かになったのか?
なんでも物事に結論を出すべきだとは思わない。
それは態度にあらわれ、周囲が判断するでしょう。

でもこんな充実し、こんなに時の流れを早く感じた1年はない。
こんなにたくさんの人に支えられたのも初めてだった。
日本で支え続けてくれた人、スウェーデンで支えてくれた人、ありがとう!

Tack så mycket!

**************************************************************************
ブログが「留学日記」という性質上、さらに更新するのはどうかと思っています。
しばらく、このまま置いておきます。

リアルタイムに書いていたため、誤った情報がある可能性もありますが、今後は確認しながら徐々にHPにまとめていきたいと思います。

何かご質問等あれば

nyckelharpa@mail.goo.ne.jp

までどうぞ。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノルディック民族楽器セミナー その1

2007-06-13 19:14:52 | スウェーデン生活
13日はストックホルムに着くとお昼までぶらぶらし、日本に持って帰ろうとライ麦パンや
ひまわりの種の入った黒いパンをたらふく買ってストックホルムの駅のコインロッカーに預けたバッグを取りに
必死で歩いていた。

すると「やあ!」
声の方を振り向くと、ニッケルハルパ職人のソーレン・オーケル(Sören Åhker)だ。
「え!こんなとこでバッタリなんて!ひょっとして今日のセミナーで?」
と聞くとやっぱりそうみたい。
「また会ったね!」もう一人いて声をかけられた。
「あ、ダニエル!こんちわ!」
ダニエルは卒業生でもあり、今は有名なプレーヤーだ。
「荷物とりにいくとこだから、向こうでね!」と言い足早に別れた。

セミナーは、私が楽器のことを色々とおそわったエスビョンの主催。
今年で14回目を迎える(初日の様子その他の写真)。
nordiska folkmusikinstrument、 北欧民族楽器セミナーと訳せる。

集まった人は、スウェーデン以外では、主にノルウェイ、フィンランドの楽器職人、ミュージシャン、研究者だ。
初日はストックホルム。その後も約1週間続くが私の参加はこの日のみ。

音楽博物館に到着すると、学校のスタッフ、校長、エスビョンなどなどみんなからZornの結果をオメデトウ!と言われた。

写真左上は、博物館外で雑談の様子。
右はダニエル。話している相手は研究家ペル・ウルフ。
ペール・ウルフの左は、Sigurd Sahlströmで、エリックサルストレムの息子。
さらにその奥、顔がちょうど見えないけど、ニッケルハルパ職人のウッレだ。

さっそく受付後はみんなでランチ。
すぐ側にある豪華なオペラ劇場の上のOpera Cafeにて。
写真のようにテラスでご飯は気持ちいい。
船着場を一望できる。
豪華なレストランなのにランチは日替わりで91krだった。
この日のメニューは、白身魚のフライ、ザリガニのタルタル、ポテトとパン。
ザリガニは初めてだったけど美味。
ロブスターっぽい食感で、海老より好き。
テーブルにはエストニア人の卒業生で、今はノルウェイに留学しているJの隣に座った。
ノルウェイでは、フィンランドのタルハルパ(と聞こえたが間違ってるかも)を使って音大に留学しているのだとか。
(その楽器は、上記リンクのセミナーの写真に写っている)
カンテレをちっちゃくシンプルにした形で弓で弾く。
色んな楽器があるものだ。

さて博物館に戻るとさっそくエスビョンの演奏とウェルカム・スピーチでセミナーの開始。
まずは参加者の自己紹介から。

なんと、Erika&Ceciliaのセシリアが来ていた。
「フランス製のニッケルハルパを弾いています」と会場に挑戦的な挨拶をしていた。(挑戦的と思ったのは私だけかもしれない

私の番になり一言だけ挨拶すると、エスビョンが割ってはいった。
「彼女は昨日Zornでディプロムをとりました。日本人初です。オメデトウ!」といい、最後列に座っていた私を
みーんな一斉に振り返り拍手がおきた。
内心「おい、おい…」と思ったが拍手はやまない。
日本人初とはいえ、まだディプロムはたいしたことないのに・・・
どうしようと思いながら「Tack, tack!(ありがと)」と言い大きく頷いてみせると静まった。

さてさて、初日のテーマはスウェーデンのニッケルハルパだ。

まずは博物館館長の挨拶、博物館の概要、本の宣伝など。

次はダニエル・ペテション(Daniel Pettersson)によるデモ演奏を交えながら、ペール・ウルフから最新の研究報告。

そしてグンナル・アルベックによる、スウェーデンでおきたフォークミュージック・リバイバルとニッケルハルパの状況変化について。

そして、さらに館員の宣伝が入り、FIKA(ティーブレイク)。
館の人は、「この博物館で展示されず保存している楽器は膨大です。みなさん、どうぞ使ってください。
ぜひこの財産を有効活用してください」と。
でも…私も使っていいって訳じゃないよね?きっと研究者向けなんだろうな、いいな。
ということで、保存庫から持ち出した貴重な楽器がずらっとならんでいる(写真右上)。
ちなみに手前は緑のハーディガーディ。

Fikaではまた卒業生に会った。
若手有望視されているニッケルハルパ職人のミカエルだ。
「最近、作ってないらしいね?」と言うと
「そうそう。大学(マスター)でギターの勉強してて、後1年。
それからはもっと作るよ。学業と同時だからまだ8台しか作ってないんだよね」
「え!?8台であの評判!?ウロフが推薦してるからかな。すでに名前、有名」と言うとたいそう喜んでいた。
日本のみんなにも、もう少し待ったらもっと作ると言っといてねと言われた。

8台は少ないけど、ウッレの300数台という数もすさまじいと思う。
ウッレの大量生産(作るスピードが速い)は有名な話。
この楽器を欲しがっている人の手に早く届けることができ、普及にとても貢献している。

さて、FIKAの後は、うちの学校ESIの校長プレゼンとSigurd(エリックの息子)の演奏だ。
国がこの伝統的な音楽や楽器にどう関わっているか、教育機関やその取り組みは?といった内容。

日本では、伝統音楽を政府がサポートしているか、雑談の中で聞かれたことがある。
どうなんでしょう。事情を知りません。
でも琴はローカルな民のための民族音楽ではなく宮廷音楽だと思う。
楽器や音楽の定義が難しい。
しかし、日本政府は炭鉱節のようなフォーク・ソングの普及と発展に税金を使いそうにない。
そういう意味では、北欧諸国は宮廷音楽ではなく、ローカルな民族音楽・民族楽器に税金を投入し、
真の伝統保存を真剣に考えている。

博物館の館長が言っていた。
「楽器職人、ミュージシャン、それだけでは成り立たない。
研究者が真の価値を見出し、その成果や価値を社会に訴えかけていく必要がある」

さて、最後にアンデシュ(Anders Peev, Godrunメンバー)が登場。
これからの新しいニッケルハルパの形として、通称ガンバ・ハルパ(テノールハルパ。ヨハン・ヘディン考案。
ペーデルシェルマン(Peder Källman)作)
を演奏した。
ガンバ・ハルパはバイオリン属ではなくガンバ属の形をしている。
そして4弦あり、チューニングはバイオリンと同じ。
そしてペーデル作の楽器は、一部、kvartston(半音の半分)がついている。

その後は貸切バスで全員でToboへ向かう。
(明日からのセミナーはToboで開催)
セミナーは時間がおしていて、バスの時間があるため最後はどたばたと切り上げて撤収。
私はフィンランドから来たタルハルパ研究者の車にのせてもらい、ペール・ウルフも同乗、Toboまでの道案内をした。

つづく
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オーディション-その2

2007-06-11 23:17:14 | スウェーデン生活
さて、Zorn(オーディション)受けようと思ったのは3月。

この学校は試験がない。
悪い所を指摘・指導はしてくれるが向上心をつぶすような本音は言ってくれない。
成績は残るので評価が必要なときは発行するというのだけど、日本の内心書と同じで下手なことは
書かないのではないかと思う。

本場の国の、その道の人から、公正な判断・評価をもらいたかった。
Zornがその代わりになるか分からないけど、1年の留学を終えた頃に開催されるタイミングも
自分へのテストとして、ちょうど良いと思ったのだ。

それに、自分なりの解釈や表現も大事だけど、これが正しい伝統だといえるスタイルを身に着けたいとも思った。
日本で認知度の低いこの楽器、またはこのジャンルの音楽、望む望まざるに関係なく自分の言動に責任も感じる。
そういう正統派を勉強するにあたって、良い機会だ。

3月頃に、先生のディッテは根が正直で話を熱心に聞いてくれるので、まずディッテに相談した。
ここで「ぷぷぷ。何言ってるの?」という反応だったら受けるのやめようと思っていた。
でもディッテは「がんばれ!」と言ってくれた。

実はエスビョンに先に相談していた。
挑戦しても恥ずかしいレベルじゃないかな?と言うと「まずは弾いてみて。自分は別のオーディションで審査員とか
したことあるから、正直に言う」と言うではないか。
何でもいいから好きな曲弾いてみてと言われ、適当に弾いてみた。
コメントは言葉少なく、褒めもけなしもせず、私の癖を指摘すると直すよう言われた。
そして「受けてみる価値はある。受けるなら応援する」と言ってくれたのだ。

その翌日には、スタッフとしても学校に常駐しているソニアに選曲の相談をしに事務所をのぞいた。
選曲のコツは「その地方の典型的、かつシンプルな曲を選ぶ」こと。
難しい曲や有名であっても作曲された曲はさけたほうがいいらしい。
ウップランド地方にはエンゲルスカはないので、そういう選択肢も消える。
ショティシュは比較的新しい伝統なので、これも避けるのがベター。
「例えばこんな曲どう?」と楽器を取り出しながらソニア「今弾いたげるからMDを持ってきて」と言う。

結局、なかなか決めれず、最終的に決めたのは前日。
もっと弾いてと言われる場合の予備も含めて、全てAnders Sahlströmの曲にした。
Andersは故エリックのお父さん、ソニアのおじいちゃんにあたる。

さて、今年の場所はDegeberga。スコーネ地方。
北海道より北だけど、スウェーデンでは南の果ての地だ。

6/11
ウプサラへ出て、ストックホルムでのりかえる。
切符を車掌にみせると短期滞在の旅行者と思われたようで「ようこそ、スウェーデンへ!」とにっこり笑いかけてくれた。
なんだかウレシイ。
さらにHässelholmでKristianstad行きにのる。
ここまで約6時間。
Kristianstadに前泊することにした。
この街は、南部でヨーロッパの影響がつよいのか、ウップランド地方とはずいぶん建物の雰囲気が違う。
素朴さよりも重厚な石造りの街だ。

駅から2km離れたB&Bに泊まることにした。
電話で話した感じもアットホームな感じで良かった。

B&Bについて部屋のに入ると、ここも北欧風インテリアで心地よい。
明るい木目の床にシンプルモダンデザインのランプと椅子。
バストイレも清潔で広々している。
朝食はもちろんスウェーデン風。ハムや野菜のサンドイッチを自分で作るタイプ。
フレークや飲み物ももちろんある。

6/12
翌朝、チェックアウトして街をぶらつくのもいいけど、荷物が邪魔。
第一、本番で緊張したらどうしよう。
指ならしでもしてたほうが落ち着くかも。
そう思い、チェックアウト後、裏庭で練習させてもらった。
掃除中のスタッフが手をやすめ、コーヒーとタバコ片手に離れたところから聞いていた。
私が一通り弾いて満足すると遠くから拍手してくれた。
その人はフルートとピアノを弾くそう。
「I can't imagine a life without music」(音楽なしの人生なんてありえない)
彼女はとても音楽が好きなのだと真剣な表情で語ってくれた。

さて、会場はさらにここからバスにのります。
牧草広がるのどかな田舎道を走るとDegeberga着。
さらに15分、てくてくと歩きます。

会場は普段はキャンプ場だ。
着くとさっそく受付。フレンドリーな2人にイチゴやフルーツをすすめられながら手続きをした。
名前や住所の確認、そして今日弾く曲の名前を言う。
(名前って無いのだけどね。歌ってみせると「それAndersなの?Ericじゃない?」さすがツッコミが入る…
でも孫にあたるソニアに聞いたのだからマチガイない)

「日本人って初めて?」
多分そうだろうと思ったけど、一応きいてみた。
すると「え?いっぱい受けにくるよ。たっくさん」と言うではないか。
おかしいな、そんな「たくさん」って本当かな?
この団体、ダンスがメイン。
ダンスのメダルの方は日本人が毎年のように受けているって聞いたからごっちゃになっているのかもしれない。

さてさて練習したい人は、受付向かいのデスクでワゴンを予約。
案内されると中には、ペットボトルの水、キャンディー、イチゴがおいている。
さっそく中で弾いた。
エスビョンに言われていた。本番用の曲は練習するなと。
弾き過ぎないよう本番の数日前、本番直前と弾かないほうがいいというのだ。
そのいいつけは守れず、1回だけ弾いた。
後はいろんな地方の好きな曲を好きに弾いた。

時間が近づいてきた。
ダメだ、手と足の力が入らない。これは体が緊張してきいる証拠だ。
歌を歌って見たけど歌い終わったとたんお腹の力も抜けてしまう。
「緊張する!緊張する!」と携帯で日本に電話したら、夜中で迷惑がられてしまった。

ヤバイなぁ!と陸上選手のようにダーっとその場でモモ上げをしてみた。
体に少しだけ血がめぐってくる。
すると長身でエレガントで美しい女性が私の名前を呼びにきた。
「あら、こんにちは」といいそうになった。
エリン(Elin)だ。
つい先日、Edward&Elinの演奏をビデオでみて顔を覚えていて知り合いのような気分になってしまったのだ。
いや、相当、脳みそも緊張でおかしくなったらしい。

面接などで緊張はしてもにっこり笑って隠せる。
でも、弦楽器はそうはいかない。
力が入ると固い演奏になる。力を抜くと振るえが音に伝わる。

すたすたと早足に廊下を歩くエリンの後を追いかけ、ドアをくぐるともう一枚ドアを開ける。

中には6人くらい、審査員が一列にならんでいる。
逆光で顔ははっきりと見えない。
エスビョンに言われたとおり、部屋の中央にマイクが設置されている。
これはvisarkivetの保存記録用となる。
部屋の横にいる人がおそらくarkivetの人だ。
エリンは部屋の後ろに座った。後ろには、さらにもう一人いる気配。
審査員に見つめられ、振り向く余裕はない。

まずは、テンションを下げようと自己紹介など雑談をした。
審査員も緊張をほぐそうとフレンドリーだと聞いていたとおり、穏やかかつにこやかだ。
「日本人が受けるのは初めてだから写真をとっていいか」と聞かれた。
やっぱり初めてなんだ。
そして「いつでも好きなときに弾き初めてください」と。

頭の中で一曲目の出だしをイメージした。
このメロディー、この装飾音、この雰囲気、このテンポ…

よし!と息を吸い込み弾きはじめる。

「最初はもったいぶってゆっくりと、それからテンポアップ。自信ありげにみせるテクだから」とエスビョンの
アドバイスを思い出す。

ちょっとぎこちないな、と弾きながら思った。やはり緊張のせいか…
すると、途中で曲を忘れてしまった。
こんなこと今までなかったのに。「もう一度ひきます」といい
弾きはじめた。すると同じ箇所でまた忘れた。
えー?どんな曲だっけ?すると、審査員の一人が歌ってくれた。
それでも、思い出せない。
考えようにも頭の中は真っ白。
「こんなこと今までなかったんですけど」と言い、頭を抱え込んでしまった。
このままで帰れるか!ハラがたったせいか頭がまわり始めた。
思い出した!

人は窮地に追い込まれると、パニックになる人と開き直る人がいる。
その時の私は開きなおりだった。
思い出したのがうれしく、心から気持ちよく弾いた。
次から次へと軽やかな音が出る。今までで最高の演奏だ。
審査員は演奏中も写真をぱちぱちとっている。
2曲目、3曲目も無事に弾き終えると、さらに要求されると思っていた。
これは友人や先生みんなに言われていたから。
でも、雑談や度忘れで時間がくったのか、私はこれで終りだった。

その後、18時に紙がはりだされる。
のぞいた瞬間飛び上がって叫び声をあげ飛び出して言った子がいた。

「何もとれなくても落ち込まないように。Zornはそんな簡単なものじゃないのだから」とエスビョンに言われていた。
それでも期待と不安の中、私もおそるおそるのぞいた。
あった!名前がある(ネットで12日の結果はこちら)。
ほっとしたというのが正直な感想。
すると側にいた人が「Täbyであなたのこと見かけて、覚えている」という女性がぎゅっと抱きしめて
「おめでとう!」と言ってくれた。
審査員も部屋から出てきて「おめでとう!」と言ってくれた。
これから、銀をとるまで、長い道のりのはじまりだ!

ネットで別の日に参加した友人達の発表をみた。
16歳でdiplomをとっていた友人Sは、今回は銅メダル。
音大を中退し先生をしてからこの学校にやってきたKも初参加でdiplom取得(地方はBoda)。
ハーバード博士課程のアメリカ人Dは、5回目の挑戦で銀!(地方はハリエダーレンで参加)
外国人初のリクスペルマンの登場だ!
みんなおめでとう!

帰りは寝台列車でストックホルムへ。女性用の部屋をネットで選んでいた。
ニッケルハルパとベッドに横たわると、割り箸のように寝るしかスペースがない。
でも、割り箸だって、縦か横向きかくらいの選択肢はある。
柵もなにもない上中下の一番上のベッドで落ちたら死ぬんじゃないかと思いながらもぐっすり寝た。
寝心地がよかったかどうかなんて覚えていない。
気がついたら、車掌さんが「6時です!」と起こしにきたのだ。
7時まで停車するので列車内にいて良いと言う。
それじゃあと、2度寝しようとすると、みんな他のお客さん達は出て言ってしまった。
結局、一人残されたのが嫌で出てしまった。
お店が開く時間まで、ストックホルムの駅で目を開けたまま寝るかのように体も思考も完全ストップしたまま2時間ほど過ごした。

さあ!今日はセミナーだ!
つづく
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オーディション-その1

2007-06-10 23:14:34 | スウェーデン生活
学校終了やみんなとの別れ、とても感慨深いものであるはずなのに、気もそぞろというか感傷に浸っている場合ではなかった。

というのも12日にZornmärket(英語ならZorn Badge)と呼ばれるオーディションのようなものに出る予定だったので。
振り返りながらこの数日の話をアップしていきます。
(記事の投稿日付は5/10ですが、後から日付を編集したものです)

Zornmärket(ソーン・メルケ)とは
1910年からの歴史を持つ。
Folkdansringenという非営利団体(政府から補助金は出るものの完全民間団体)が主催するイベントの一つ。
この団体は、伝統文化(ダンスや音楽、衣装などなど)を若い世代へ継ぐことを目的に設立された団体。

仕組み
guld(金メダル)
silver(銀メダル)
silver diplom(銀の副賞のようなもの?)
brons(銅メダル)
brons diplom(銅の副賞のようなもの?)
と4段階ある。

金、銀、銅と聞くと、オリンピックのようなイメージがあるけど、仕組みは全く違う。
どちらかというと空手や書道の「段」や「級」に近い気がする。

まず、金メダルはもらうものではなく、実力もありかつ貢献した人に贈られるもの

それ以下の4つの賞(メダル)はオーディションで審査員の前で3曲弾く。
(「他にも弾ける?」と言われることが多く、実際は5-6曲用意しておく)
普通、この4つは下から順番にとるもの。
なのでsilverまでは最低4回(年1回)は参加しないといけない。
それも、4回受けてストレートでsilverまで行ければ、かなり優れた人だ。
silverを取る実力の人でも、その道のりで1、2回は落ちるものらしい。
そして20年受け続けて何もとれないという伝説的な人の話しも聞いたことがある。

もちろん例外(飛び級)もいて、そういう人は天才的だったり既に国内外で活躍中の有名人だったりする。
(オーディションなんて興味ないわ!という実力派プレーヤーも当然いる)

そしてsilverをとると「リクスペルマン(riksspelman)を名乗ってよい」とされているが
例えば国家資格のような公の資格や称号ではない。

このリクスペルマンは、なぜだか日本でずいぶん誤解を招いている気がする。
リク=国 スペルマン=演奏家 なので"国を代表する演奏家"といった意味になるけど、この説明が
政府から授与とか、人間国宝とか、誤解を招いているみたい。

スウェーデンではこの「リク」のついたものや名前があふれていて、私の想像だけどなんでも「リク」をつけると
重みが増すというか、要は好きなんじゃないかと思う。

ともかくこの「リクスペルマン」という重みは、人によって感じ方が違う。
音楽なんて、やってやり足りるものではないからだ。
それでも「その地方の伝統曲に精通している」という共通認識は浸透していると思う。

ちなみに、ニッケルハルパ貢献者のエリック・サルストレム(Eric Sahlström)は、この団体から金メダルももらっているし、
akademi(文部省のようなとこ)からも表彰され、国王から授与された。
エリックなら間違いなく人間国宝だ。

参加
folkringdansenのHPからPDFの申込み用紙を入手して応募する。
ここで重要なのは「演奏する地方」を書かないといけないこと。
スウェーデンの音楽が地方で特徴があり、伝統を残すという意味では地方性なくしてなりたたない。

アレ・メッレル(Alle Möller)という有名なスウェーデン人ミュージシャンの有名なセリフがある。

ー「スウェーデンの伝統音楽」というものは存在しない。地方ごとの音楽(local music)のみが存在する。

リクスペルマンも、何のメダルにしろ「○○地方の~」または「○○の伝統の~」なのだ。
オーディションでは、この「地方性」と「技術」が審査対象となる。

ちなみに、より地域性を強調するために、その地方の特定の伝承者に絞る場合も多い。
(ウップランド地方の曲全般を選曲してもいいけど、Elika&Ceciliaのエリカのように
「ヴィクスタ・ラッセが弾いていた曲」と伝統をさらに限定することも多い)

さてさて、私の参加意志が固まったのは実は3月のこと。
極度の緊張とプレッシャーに弱いという難題を抱える私は、この不特定多数が見るブログで具体的に触れるかどうか
最後まで迷った。
結果がどうでても書きたかったけど、実際落ちると書かなきゃよかったと思うかもしれないし、
その気持ちは予想できない。
むこう100年くらい噂されるかも!?という恐怖心もあり、全くもって自意識過剰気味である。
が、迷ったのです…

その2で、当日の様子を書きます。

写真は、当日会場に掲示していた写真や記事など。
ちなみに右の小さい女性の写真はErika。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ナショナルデー

2007-06-06 23:48:11 | スウェーデン生活
今日は祝日、ナショナルデー(Nationaldagen)。
何をする日かというと、スウェーデンを祝う日だそう。

エスビョンに誘われ、オステルビブルックの集まりへ。
国旗をもらって中へ行くと丁度、ハッセ・イッレ(Hasse Gille)がニッケルハルパを弾いているところに遭遇。
ハッセイッレはこのブログにも度々登場した昔からのこの地方のプレーヤーで、楽器職人でもある。
とくにコントラバスハルパを使っているミュージシャンは、ほとんどがハッセの作だ。

さて、その後、全員起立して国歌を歌います。
みんなで国を祝うんだよーという和やかな雰囲気。
日本では、国歌を歌うこと自体が軍国主義うんぬんと議論を呼ぶところだけど、外国に身をおいてみると、
日本のそんな状況は非常に特殊に見えます。
長い歴史や長い文化を含め国を誇りに思うことは西洋ではごく普通のこと。

エスビョンとスウェーデンについて話していて、スウェーデン人は戦う意欲があまりないのだと教えてくれた。
「最後の戦争は多分2-3百年前くらいかな」と言っていた。
同じヨーロッパの中で、何がスウェーデンだけそんな風にするのか。
エスビョンは「さあ、分からないけど。スウェーデン人は元々、意見が合わないからって大声だして喧嘩するような
国民性じゃないしね」と言っていた。

さて、楽器製作は最後の仕上げが中途半端なままどうなったの?と思っている人もいるでしょう。
私も思っています...。楽器はまだ受け取っていません。
最近、別のプロジェクトやセミナーで忙しいらしく、あの時以来、全く手をつけてないと言っていた。
そんな多忙と聞けば、こちらからもじゃあいつ?とは聞けません...。
進展があれば、紹介します。

さて、写真左は、以前のせたタンポポ畑のその後。
先日、イタリアの空気中にコカインが浮遊しているというショッキングなニュースを読んだけど、
ここTobo近辺では、タンポポのふわふわが浮遊している。
その濃度たるや想像以上!口も目も閉じないと、ゴホゴホ状態。

そして写真右
エスビョン宅へ戻って、庭で肉を焼きました。
しっかりゴツく見えるけど、柔らかく香ばしくおいしかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Visarkiv

2007-06-05 23:51:30 | スウェーデン生活
今日はストックホルムのvisarkivetに行ってきた。
これは国立というのか国営というのか、国のアーカイブ(資料館?)でジャズとフォークミュージック(民族音楽)を扱っている。
アメリカじゃあるまいし、国とジャズがなぜくっつくのか?不思議。
Visarkivのvisaは歌のこと、arkivはアーカイブ。
(arkivではなくarkivetとも呼ばれる理由は、スウェーデン語では「the」がつく代わりに名詞が変化するためで、
例えばpolskaがpolskanと変化するのも同じ理由)
でも、歌だけを扱っている訳ではない。
以前、先生のディッテが、アメリカでこの施設名を”song”と英訳、つまり誤訳されたことに憤慨していた

場所
中央駅から歩くこと約10分。
HPでは地下鉄案内が出ているけど、中央駅からなら歩いたほうが早い。
Torsgatan 19, StockholmとEniroの住所欄に入れると詳細地図がみれる。
(Eniroは、googleマップのスウェーデン版みたいなもので、つかんでグリグリできる便利な地図)

建物の入口がまるで従業員用みたいに質素なのでしばし入口にたたずんで考えてしまった。
じーっと考えていると目の前のドアから人が入っていくので、まぁいっかと思い、私も中へ。
エレベーター横の表示は、Plan3とPlan5がvisarkivとあるが、Plan5がビジター用
Plan3は管理オフィスっぽい。

中へ入ると以外に小さい。
ディッテに話を聞いただけであまり詳しくないので、さっそく人をつかまえて尋ねた。
「ここは何ができる場所なんですか?
ついでに、Eric Sahlström Institutetで、ここを先生に薦められたことなど話した。

すると丁寧に教えてくれた。ここは片方が国立音楽図書館のカウンター、もう片方のカウンターがvisarkivと分かれている。

音楽図書館では、音楽のジャンルや国は関係なくあらゆる資料がある。
でもこの部屋に実際置いている本は貸し出し禁止の閲覧のみ。
借りられるものは、いくつか置いているパソコンから検索(英語可)。
印刷しカウンターに持っていくと、30分後くらいに係りの人が本を下のオフィスから持ってきてくれる。

Visarkivetのカウンターでは、フォーク・ミュージックとジャズなら何でも質問に答えてくれるらしい。
「どんな質問でもOK」と言っていた。質問が何も浮かばなかったので聞きようがない。残念。
今思えば、ゴットランド島の楽譜はあるかとか何とか、アバウトなことを言ってみればよかった。
こちらでリクエストした資料は、貸出はしていないが、館内で閲覧またはコピー(実費負担)が出来る。

そして館内の専用PCで、色んなCDが聞ける。
(全ジャンル。でもフォークは特にレーベルが限られていた)

借りる場合の図書カードは、3ヶ月以上滞在予定の人に発行される。
また図書カードがある人は、上記全ジャンルCDが聞けるサイトに自宅からログインできる。

色々教えてくれた人は最後に「じゃあ、ニッケルハルパの勉強したのね」と。
さすが、学校名だけで分かるんだと感心。
「私も持っているのよ、弾けないけどね」と笑って戻っていった。

質問がある人、長期滞在予定の人はどうぞ。

その後はぶらぶらして、地下鉄の中央駅(広場の下)のCDショップMega Storeへ。
ストックホルムに来るたびにのぞくCDショップ(フォーク専門ではなく普通のレコード店)。
今日world musicコーナー見るとGigaレーベルのCDはほとんどなくなっていた。
来るたびに減っていっている。
多分、一人経営だった社長が亡くなった後で再入荷未定状態なのでしょう。
数年前は、現在廃盤のsonetシリーズの在庫もまだあり、Gigaレーベルは新譜もぞくぞくという感じで、
かなり選択肢があったのに、今は寂しい感じ。
Gigaレーベルは、ウプサラなど地方のショップのほうが在庫がまだあると思う。

今日はマニアな一日だった訳ではなく、アクセサリーや服のお店も回った。
途中で雑貨を扱うかわいらしいお店に入り、ダーラへスト(dalahäst 3/3の写真参照)を見つけた。
スウェーデン土産の定番。でも...親指くらいのサイズで90kr(1kr=18円)はする。
スウェーデンに来るたびに買うべきか迷い、どうせ買うならおっきいのが欲しいけど、おっきいのはさらに高いし
持って帰るにはデカすぎる!とあきらめてしまう。
でも今日は「1年もスウェーデンにいて、ダーラヘストさえ持ってないなんて」という気持ちになり買おうと手にした。
手にしてじっと見つめていると、なぜだか自分で作れるような気がしてきた。
一応、ニッケルハルパのペグくらい助けなしで作れたし。後はペンキでひょいひょいって描いたらいいんじゃ?
すると急に買う気がなくなってしまいました。
とはいえ、本当に作ったりしないと思う。誰か作ってー!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウロフに再会

2007-06-03 23:43:52 | スウェーデン生活
ストックホルム在住の友人Lが、近くで小さなステンマ*があるから来る?と言われた。
*ステンマ(stämma):伝統音楽を弾くフェスティバルのようなもの。

とても小さなステンマで、お昼に始まり夕方に終わる(大きいものは、夜通し数日ある)。

ストックホルムと聞いて「自然の豊かな都会の郊外」や学校を借りてするのかな?くらいの想像していた。
行ってびっくり。ヴェンデル(6/2参照)並の田舎だ。
普段利用しているウプトーゲットというローカル電車の終点からテビィ(Täby)へバスに乗り、さらにバスも走っていない外れに、
Täby Spelmansgilleという地元の演奏グループの集会所のような小屋がある。
(その日はLのお父さんが駅から車を出してくれた)

Täby郊外は、ヴェンデル同様、周囲はルーン石碑があったり、バイキング時代以前、水面下だったと思わせる平らな草原。

午前中はウロフ(うちの学校の先生)によるワークショップが行われた。
主催グループのメンバー限定だったけど、友人Lが問い合わせてくれて会費を払うということでメンバーにしてもらったのだ。
さて、当日、会の会長さんMに「はじめまして、今日はありがとう!」と挨拶。
どこかで見た雰囲気の人だ。
でも外人なんて日本人からしたらそんなもの、と思っていた。
ところが、その会長Mが黒い帽子(シルクハットみたいな)をかぶって5弦バイオリン(共鳴弦付のスウェーディッシュ・ヴィオラダ・モーレ)を
手にした瞬間思い出した!
数年前にHovraで開催された1週間コースで一緒だった人だ。
やはりフォーク(民族音楽)の世界は狭い。こんなところで再会するとは。
当時、彼はヴェルムランド地方の曲ばかり弾くからてっきりそっちの人かと思っていた。
そして、あまりに上手すぎて、しかもリーダーの風格もあり、鮮明に覚えている。
びっくりウレシイ再会です。
再会といえば、日本人のSさんカップルにも偶然再会。
そっか、ストックホルム在住だったもんね。こちらも再び、数年ぶりの再会。

さっそくウロフがやってくるとすぐに私達に気づきシェーナ!(やあ!)とにこやかに。
今日は、ニッケルハルパ、コントラバスハルパ、バイオリンを持ってきていた。
同じ曲でも楽器をあれやこれや持ち替えながら進めていく。
なんか変な感じ。

学校でもウロフはしょっちゅうバイオリンを持ってきていた。
おそらくリハやレコーディングのついでに持ってきていたのだろうけど、
ニッケルハルパの学校なので、持って来たバイオリンケースのふたを開けたことはなかった。
そのウロフが「バイオリンで弾いた方が分かりやすい」と言いながらニッケルハルパを置き、すぐにバイオリンに持ちかえるのだ。
タヌキが化けたような不思議なモヤモヤがわいてくる。
北や南に帰っていった友人KやI に教えたくなる。
(とはいえ、私もバイオリンで弾いていた曲はニッケルハルパで弾くと変な感じなので分かるのだけどね)

ワークショップでは曲を教えることが中心。
楽しい雰囲気の中、ウロフも楽しそうでいつもより伸び伸びとしてみえる。
なぜか再び変な感じ。
学校の時のウロフとは違い、かるーく、じゃんじゃん飛ばして進む。
私もこういうイヴェント系のワークショップは何度と受けてこんなものだ知っているのに改めて実感した。
学校は終わったのだ。細かいテクニックやニュアンスはもう教えてくれない、自分で気づくしかない。
改めていかに貴重な1年だったかと思う。

それでも、こういう短いワークショップでも、バイオリンだと曲に終始することが多いけど、ニッケルハルパの場合は
大抵、歴史に触れるのでちょっと面白いかも。時代による楽器の種類。
さらに時代の話から、フランスから来たポロネーズなどフォーク・ミュージックの歴史に触れられる場合が多い。

とは言え、メロディだけでなく、リズム感についてはもう少しはつっこんでやってくれた。
そして気になる発言「アメリカとか外国で教えると、リズムが違ってびっくりすることがあるんだよね。日本とかもね!
むむむ!聞き捨てなりません。
他の人からも、本場を離れると雰囲気やリズムが違って来る話を聞くけど、ここでも再び!
絶対に「ほら、日本人だから」と言わせまい!
(とはいえウロフの「日本で」はジョークだと思う。私の知る限り、日本では一度しか教えてない。
ウソやお世辞が似合わない根が正直なウロフのその時の様子は、そんな風ではなかった)

リズムの特徴、ハウ・ツー
こういう地方性や独特なリズムを身につける場合、一つの地方(村)または一人のプレーヤーに絞って、
特徴を体に入れるがおススメ。
(プレーヤというのは、ウップランド地方だけでみても例えば、ゴース・アンデシュが弾く曲と
サルストレム・ファミリーでは結構違うので)
ダーラナ地方だと村が変わると曲調も変わるので、この地方は特に要注意。
この目的の場合、譜面から入ると×です。特徴も独特なリズムも譜面には書いていません。
(耳と譜面のどちらも、状況がそろっていればOK)
伝統的にも耳で世代から世代へ語り継がれていることを思えば、耳で覚えるのが自然。
離れた日本ならCDで。バンドものよりソロやデュオなどシンプルなトラッドものを。
スピードもバカにできない。ダンス曲なので、早すぎても遅すぎても「分かってないなぁ」と思われます。
(もちろん、それを超越した存在の自己表現ミュージシャンはいます)
その後、他の地方や、他のプレーヤーに移ると違いがはっきりするでしょう。

先日、カイサに言われて気づいたことがある。「ついてくるの上手いよね」と。
言われて思った。
これは私の個人的な考え。
演奏する人は「引っ張るのが上手い」タイプと「ついていくのが上手い」タイプがいると思う。(上手下手ではなく、単に2タイプあるという意味)
プロはどちらも上手いけど、突きつめればどちらかのタイプではないかと思う。
引っ張るのが上手い人は、すごくきらびやかで派手な演奏が出来る。
でも、自分なりの解釈なりを強引に進めて、他の人が合わせないといけなかったりする。
ついていくのが上手い人は、リードを取らせると派手さがあまりないかも。
でも、一緒に弾く人の息づかいや全体の雰囲気を反射的に感じる。
空気を読みながら盛り上げていける。
地方による曲調を身に着けるときは、「ついていく」気持ちは重要だと思います。

話を戻し、ワークショップ終了後ウロフと少し話をした。「カイサに見せてもらった、古い新聞のウロフの写真、別人みたいだったよ!
でも背は今も昔も高いよね」というと
「そう、生まれたときからこの身長」。いやいや、ありえません、190cm。

さて、ステンマが始まり、アル・スペル(みんなで弾く)で入場行進します。
弾きたい人は誰でもやれる。(ふと後ろをみるとウロフも混ざっていた)

後はあちこちで人が集まっては演奏。ミニ簡易ステージでは30分おきにいろんな人が演奏。
ウロフも飛び入りで演奏だ。ステージでバイオリンを弾く姿は見たことないので新鮮(写真右上)。
新作ソロCDの宣伝(5/9参照)をかねています。

ミニ・ステンマなので夕方にはおしまい。
それから友人Lとその友人Hと3人でTäbyの教会まで歩いた。

ストックホルムはガムラ・スタン(Gamla stan)と呼ばれる旧市街以北がウップランド地方。
以南はセーデルマンランド地方に分割される。

それでいうとTäbyはウップランド地方だ。この地方の教会が独特だと書いたことがあるが、Täbyの教会も同タイプ同時代のものらしい。
行くと...ショック。やはり夕方で閉まるみたい。入れなかった。
中は鮮やかな壁画だそう。骸骨とチェスをしている絵などもあるみたい。

でも外壁に面白いものが(写真左下)。
そう、ルーン石碑。「当時は石が足りなくて、ルーン石碑もつかったんだって」とL。
さらにHが補足。「ルーン石碑はキリスト教が入ってくるちょっと前、異教時代のもの。だから異教を取り除いて教会で清める
という意味って聞いたことあるよ」と。

さてToboの駅についたのは23:50ほど。駅と学校を結ぶ途中(写真右下)。
一面、霧に覆われ北西の空に夕焼けが。息を呑む美しさ。
スウェーデンの夏は、冬に見た砂糖をこぼしたような満天の星はもう見られない。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウップランド・スウィング

2007-06-02 23:47:18 | スウェーデン生活
今日はカイサの実家、ヴェンデル(Vendel)へ。
カイサは私が以前参加したサマー・コースの先生で、最近ウプサラで一緒に演奏もしたウップランド地方の
有名なニッケルハルパ・プレーヤーだ。

学校すぐ側のバス停からバスに乗り込み、のどかな牧草地を行くこと約20分。
そこにヴェンデルはあります。
これはエリカ & セシリアのエリカの出身地でもある。

広い広い牧草や草原が見渡す限り地平線の先まで広がり、その先をさえぎるのは遠くの森だ。
今住んでいるいるトボ(Tobo)よりも、もっともっと田舎だ。
こんな田舎だとトボが都会に見えてくる。

写真1まずは降りたバス停Husbyの目の前に西暦500年頃の王墓がありカイサがさっそく説明してくれた。
これは昨日の記事のガムラ・ウプサラの王墓より古い。
そして以前も触れたことがあるけれど、西暦500-800年のバイキング時代以前はヴェンデル時代(Vendel tid)と呼ばれ
この一帯は重要なエリアだった。
特に周囲は平らな大地が続くのは、当時はまだこの地が水面下だったためだとか。

写真2
この王墓を含む牧草地にはゴットランド島特有の種類の羊が飼われている。
この毛でつくるウールは、特に厚い生地ができ、また毛もからずに落ちるのだそう。
へぇー、と言いながら二人で王墓の後ろ側に回りこみ、羊の群れに近づくと...
一頭がふと立ち上がってこっちを見た。
ん?なんか雰囲気が...?と思うと、なんと羊の群れが一斉に私達を見て立ち上がった。
え?ちょっとヤバイ?とカイサを見ると、すたこらさっさと走って逃げていく。
え?と羊のほうを振り向くと、大群が私達めがけて走ってくる!
二人してひゃーっと言いながら走って王墓のまわりをぐるっとまわって逃げた。
「まさかここまで追って来ないよね?」と言った瞬間、羊の大群が王墓をまわりこんでどどどっと迫ってきた!
さらに逃げて間一髪、柵の向こうに出ると、羊達はぴたっと動きが止まった...
一体なんなんでしょ!?

写真3
さらにバス停とカイサのおうちの中間に、紀元前1500年~500年頃の遺跡がある。
小さな穴がいくつかあり、太古の昔、祭祀で供え物など置く台だったとか。
それより、こんな道端にぽーんってあっていいのかな。

写真4
カイサの実家は元農家。最近やめたばかりらしい。
なので広大な敷地が広がります。家もデカイ!
1920年頃に建てた家だというのに古さは全くない。
キッチンもブルーが基調でとてもさわやか。
到着するとさっそく庭でfika(ティーブレイク)。楽器も弾きます。

カイサの両親は昔ながらの農家の習慣で、未だにお昼ご飯が一番豪勢なのだそう。
朝7時頃から畑仕事するからね、と言っていた。
なので、夜は朝食か昼食のような簡単なものを食べるのだそう。
とても健康的だ。

夕食」はスウェーデン語でmiddagという。
正午」もスウェーデン語でmiddagだ。
(ちなみに「午後」は昼の後という意味でeftermiddag)
そうか、middagが「お昼」と「夕食」って二つ意味があるのって変なのと思っていたけど、
由来はそんな習慣から来ていたのか。
昼食の「ランチ」という言葉はこの50年くらいの間に入ってきた言葉だと言っていた。

なので豪勢なランチが出てきました。
ランチも庭で。
鳥の鳴き声がここちよく響きます。
でも虫もハチもいます。
向こうにバンビが走っていくのが見える。

チキンをしょうゆとレモンとコショウで味を調えオーブンで。
それとライスと豆。
サラダはカイサ特製、アボガドやカブにパプリカなど野菜盛りだくさん!

写真5
隣の家にはカイサの姉?妹?夫婦が住んでいる。
そこのチビちゃん。とっても元気。
まるで映画の「ロッタちゃん」を彷彿とさせるおしゃまな女の子。
裸足で庭中を駆け回り、庭のルバーブ(5/29参照)をちぎって食べ始めた。
「おいしいよ、食べて」と渡されたルバーブは生では「オェ!」という感じ。
カイサが「こっちはおいしいから」とすすめられたのは食後のデザート。
ルバーブのさくさくパイ。バニラソースをかけて食べます。
旬のいちご(日本より甘い)とちぎったミントの葉も一緒に。
さっぱりした酸味がおいしい。
するとその子「これも食べなきゃためよ!」と庭のネギをちぎってもってきた。
「こうやって食べるの」とパクパク食べる...。

写真6
近所のツアーへゴー!

近くにはヴィクスタ(Viksta)がある。
これは故ヴィクスタ・ラッセ(Viksta Lasse ウップランド地方の有名フィドラー 80年代に亡くなる)の
名前の由来だ。ヴィクスタというところに住んでいるラッセなのでそう呼ばれている。
このヴィクスタにある教会へ。これも11~12世紀の教会でとても古くウップランド地方独特の教会だ。
その教会の向かいにはヴィクスタ・ラッセの像が。そしてお墓もここにある。

次はスムルトロンイェーデ・イーダ(Smultrongärde Ida 同じく故プレーヤー、この地方では有名)
の元おうちへ。
彼女の名前の由来は、スムルトロンイェーデ(野イチゴ畑)に住むイーダである。
舗装されていない道路の先にその家はあった。
彼女は魔術を使えたらしく(風邪を治すなど)、子供達には怖がられていたみたい。
こんな湖と森のそばの小屋に住んでいれば尚更だ。付近には家もないし。

帰り道にはヴェンデルの教会へ(これが写真)。
中は鮮やかに壁画が残っているらしいが、遅すぎてちょうど扉が閉められてしまった。残念。
これまた12世紀くらいの古い教会。

この教会の前には、バイキングの墓(船に動物、食べ物など入れられ埋葬)が13も見つかったらしい。
物はストックホルムの歴史博物館に行ってしまったらしい。
その場所には記念碑がたっている。

さておうちへ戻ると、軽い夜ご飯がまっていました。
パンと乾パン、チーズに七面鳥のハム、パンにのせる野菜など、紅茶で頂きました。

それから再びカイサが「ちょっと弾こうか」と楽器を取り出した。
それがただ弾くのでなく、なんと気前よくプライベート・レッスンが始まったのだ。
ヴェーセンのウロフが伝統を受け継いでいるカート(クート?)の曲やヴィクスタ・ラッセのあまり知られていない
曲などを教えてくれた。

そしてウップランド地方の方言ともいえるスウィング感についてカイサなりの考えも教えてくれたのだ。
「ウップランドのプレーヤーはみんな骨の髄までこのスウィング感がしみこんでいるのよ」と。
つねにこのスウィング感を意識しているとどの曲を弾いていても、そのリズムがあちこちに現れるのだと。
「よく8の字ボーイングなど呼ばれるがそういう頭で考えるものではない。
一指し指を使って弓の動きを指で感じるのがコツ!」
と教えてくれた。
そんな彼女は、私の中ではウップランド・スウィングのトップだ。
本当に活き活きと弾く。

そして「このスウィング感がないと、間違いじゃないけどクラッシックみたいでしょ。
そして、ここをタターンとやる人がいてストックホルム・ビートと呼ばれてるから
気をつけて」
つまりストックホルムのような本場と離れた都会では、人々はこう弾きたがる、そしてそれがかっこいいと思っている
という悪い例。
(ストックホルムの人はみんなそう、という意味ではない)
前も別の人からストックホルムでは...とかニューヨークでは...とか聞いたことがある。
ハイ。
日本人だから...と言われることがないように正確を心がけます!

ヴィクスタ・ラッセはカイサの家にもよく遊びに来ていたらしく、ヴィクスタ・ラッセの弓の持ち方や
スウィング感の出した方、弾き方の特徴など物マネしてくれた。
ヴィクスタ・ラッセは飽きっぽかったのかもしれない。
同じ弾き方、均一な弾き方などはしなかったらしい。
そして有名なEklundapolskaもヴィクスタ風に弾いてくれた。
この曲はヴィクスタ・ラッセが12歳の時に作ったのだそう。

21時頃、家の外にでると一面、畑の広がる低い空に太陽が見えた。
こんなに見晴らしがよいと全てが美しく見えます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

DesignTorget

2007-05-29 23:11:51 | スウェーデン生活
今日も一人、また一人と帰っていく。
それも今日は一日中雨で物悲しさが増す…。
スウェーデンで、梅雨があるのかどうか分からないけど、6月は雨が多いらしい。

お知らせ
帰国までの間は学校も終わったので、更新は不定期的になります

さて、写真左について。
学校の裏で取ってきたと、見たことのない植物を両腕に抱えてEがやってきた。
「これ何?」と尋ねると、ロバルベルと言っていたような気がするが、すでにうろ覚えであやしい。
この時期にとれるもので、さわやかな酸味があり、パイにするとおいしい。
以前、アップルパイと思って食べたことがある。
でも、調理前の姿を見たのは初めて。
それ以外にも、この植物とイチゴのパンナコッタを食べたこともある。
甘いイチゴと、さっぱりしたこの物体の相性はとても良い。
この日、Eは細かく刻んで鍋で煮てジュースのようにしていた。
スウェーデンでは一般的で誰に聞いても知っているみたい。

今日は久々に買い物目的でウプサラに行った。
友人に教えてもらって行ったお店、入ってみて気づいた。ストックホルムにもあるDesignTorgetというお店。
アイデアもののキッチン雑貨、リビング小物、子供用品、などなど雑貨屋さん。
でもデザイナーものらしい。

写真中央はビニール製の花瓶。水を入れるとしっかり立ちます。
使わないときはどこかにしまえるので便利。
写真右はものを挟めるようになっているスプーン。
一緒に写っている小さなカードサイズのもの。ガーリックカード(Garlic Card)と書いてある。
使うかどうか疑問だと思いながら、コンパクトでカードみたいなデザインについひかれてしまった。
他にも色々と買ってしまいました。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

庭で...

2007-05-27 23:15:55 | スウェーデン生活
今日はエスビョンの作った楽器をとりにスコーネ地方から人がやってきた。

私もなぜか呼ばれて家に行くと、昨日から来ていた卒業生や学校スタッフなど大勢いて、
庭でコーヒーを飲んでいた。

その後はさっそく誰かが楽器を弾き始めると、みんな次々楽器を弾き始めた。

私は自転車で来た上に弾くと思っていなかったから持ってこなかったけど、人のを借りてさっそく弾いた。
芝生の上で踊る人もいる(写真中央)。

写真右は、その取りに来たという人の楽器と私の楽器。
さて私のはどっちでしょう?
正解は左(やや赤みが強い)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昼食会で演奏

2007-05-22 23:07:42 | スウェーデン生活
今日は授業を休んでカイサ(Cajsa Ekstav 紹介は過去の記事参照)と演奏。
明日は天皇皇后両陛下がウプサラに来る関係で日本関連の行事が多い。
そのうちの一つ、研究者対象の昼食会で演奏した。

ちなみに以前、学校を休んでイベント参加とはケシカラン!と書いたことがある。
矛盾してるのでは?と思われるかもしれないけど事情が少し違うのだ。
話を持って来たカイサはウップランド地方を代表する有名ミュージシャン。
その彼女が、うちの学校の先生や校長などに私を借りていいか?と事前に許可をとった上で私に振ってきた話なのだ。
(とはいえ、うちの校長はミュージシャン。カイサ達とジャズのCDなども出している。
実は今日その事実を知って驚いた)
ともかく彼女はベテランなのでなんでも進め方がプロなのだ。
今回も見ていて実感。

まずはカイサのアパートへ行き着替え。
彼女は2年前、日本に演奏で来たことがあり、その時に買ったという緑茶のコレクションを見せてくれた。
でも入れてくれたのは最近スウェーデンで買ったという緑茶。

今日はウップランド地方(ハーブローと言っていた)の衣装を借りた。
スウェーデンのアパートは外か見ると狭く見えたり、シンプルだったりする。
でも中に入るとやはり広々としている。
カイサのアパートもそんな感じ。ゆったりとした空間に見晴らしのよい明るい窓、
そしていかにも北欧風のインテリアで、ライトブラウンの床に白を基調にした落ち着く雰囲気の部屋だ。

さっそく入れてくれた緑茶を飲みながら、今日演奏予定の曲を通しリハ。

そういえば、プーマ(Peter Hedlund 有名ニッケルハルパプレーヤー)が過去にニッケルハルパを
盗まれた話をしていて、カイサが教えてくれた面白い話。
カイサのアコーディオン弾きの友人が車にアコーディオンを乗せて離れ、しばらくして戻ってくると
車の窓ガラスが割られていた。
「しまった!盗まれたか!?」と思い、確かめるとなんと
アコーディオンが2台に増えていたというのだ。
まぁ!なんとも不思議な!

さて、その後私達が向かった建物はウプサラ大聖堂すぐ側のGustavianumという大学付属の博物館。
上記リンクから見れる写真の建物中央に一部高くなった塔のような部分がある。
この部分は部屋があり、中央を囲んで見れるような上部へ続く座席の配置になっている。
ここで1600年代、学生が見守る中、人体解剖実験の授業が行われていたそう。
他にもエジプトからのものなど展示している。
カイサが合間に中をガイドしてくれた。
ちなみに、この人体解剖実習室で今週末、結婚式があるそう。
カイサはここで演奏するらしく、立ち位置などをついでに確認。

さて短い20分ほどの演奏を終えると、昼食会で余ったというご飯を食べさせてくれた!
ヴェステルボッテン地方のチーズ(特に強いクセがあるらしい)にスウェーデン産キャビアがのったもの
サーモンとポテト、デザートもごちそうになった。
この食事を担当したのは、ウプサラでも一番と評判の魚料理レストラン。
名前は忘れたけど、大聖堂近くの川沿いにあるお店。
ごちそうさまでした!

その後、ウプサラ大学の中で一番古いとされている建物に案内してくれた(写真右上)。
さっそく入るとカイサのお友達にばったり。

なんでも明日、天皇皇后両陛下がこの建物にやってくるそうで準備中の部屋にいれてくれたのだ。
中では数人の人がセッティング準備に追われていた。
当日、座る予定の椅子などがすでに並んでいた。
「まだ準備中だから今弾いてもいいよ」というので
部屋の中央で弾かせてもらった!

さらに通りかかったカイサの友人のために、屋外内でも何曲か演奏。
その後、カイサの車でウップランド地方を代表する花の由来となった場所などに連れて行ってくれた。
写真下はその場所。

そして再び着替えにカイサのアパートへ。
お茶や食事、デザートにチリ・チョコなどよばれながら、興味深い新聞記事のスクラップを見せてくれた。

カイサとヴェーセンのウロフ・ヨハンソンは1歳違い。
同じ高校だったらしく、昔は演奏活動も国内外と一緒にしていたらしい。
そしてカイサと若かりし頃のウロフの写真の載った新聞記事を見せてくれたのだ。
見てびっくり!え!?って感じ。
言われなければ本人と分からないかも...。

他にもErika&CeciliaのErikaが12歳の時に教えるカイサの記事など...面白い!
ちなみに私が数年前この学校のサマーコースをとったときの新聞記事(田舎は平和すぎてそのくらいでも記事にする)
までスクラップしていた。

そして彼女の出身地、ヴェンデル(vendel)について少し教えてもらった。
vendelはウップランドにある単なる小さな村だと思っていたら大間違いだった。
スウェーデンのバイキング時代よりも前、ヴェンデル時代とよばれる時代があり(西暦500-800年)、
この時代の首都だったそう。
当時はバイキングの王は船に入れられ動物や食べ物などと一緒に埋葬されたそう。
ヴェンデルではたくさんのこうした船のお墓?が発見されたのだとか。
(ヴェンデル時代に触れたwebページを発見
英語のウィキピディアならこちら)

何気なく行ったことはあったけど、そんな歴史のある村だとは知らなかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新緑と花

2007-05-18 23:43:02 | スウェーデン生活
写真は最近の新緑の様子。

写真右上は、学校の裏にある、りんごの木のつぼみ。
もう、今にも花が咲きそう。

今日は最終リハの後、自転車でスーパーへ。
その途中で遭遇した、ヤギの放牧(写真左下)。

写真右下は友人のバイオリン。ストリング・ホルダー部分に花が!
1940年代に流行ったらしい。

明日から1週間やるコンサートを前に今夜はみんなで、中庭でソーセージを焼いてリラックス。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

滞在許可の延長手続き

2007-05-04 23:15:01 | スウェーデン生活
移民局からe-mailがきた。
1ヶ月ほど前、滞在許可(ビザ、またはResidence Permit)の延長手続きをしている話を書いた。
その返事が来たのだ。(延長は2週間だけ)
東京のスウェーデン大使館のサイトに、延長申請のみ移民局のHP上で行えるという説明あり。

まず必要書類を用意。
:理由(校長先生に手紙を書いてもらった)、:成績表(無かったので、学校終了時に発行する
という手紙を書いてもらった)、:経済状況(郵貯の英文預金証明書を日本より送ってもらった)、
:パスポート(郵送の場合はコピー)
(申請料金は基本的に有料だが、日本人は無料)

スウェーデン移民局のHPelectronic formsから延長の申し込み開始。
入力内容も書式も最初の申請時とほぼ変わりなし。
送信すると受付番号が表示される。
必要書類は、郵送(郵送先はどこを見ても書いてない!)か、スキャナーにとりこみネットで送ることができる。
ネットで送る場合はその場でも後ほどでもOK。メールの添付ファイルの要領に似ていた。

さて今朝。
子供達がたくさんやってきた。オルビヒュスの小学生達20人。
「スウェーデン語で話さないと、子供が怖がるかも」と友人E。
「私だって、スウェーデン語しか分からない子供、怖いんだけど」と、もちろん私。
米国人Jは元教師なので「べっつにー」という様子。
とりあえず遠巻きに様子を見ることにした。

まずはニッケルハルパ体験。積極的に触りたがる子、誘っても来ない子など様々。
その後は、ダンサー達を交え、ポルケットでロングダンスを踊った。
ロングダンスはもちろんロングダンスの曲で踊るものだけど、軽快な弾むポルケットでやるのも楽しい。

その後は分刻みでコンサートのリハ。
でも私は今日、薬局に行かないといけなかったのでリハを一つ欠席した。
「そんなこと認めない」という気迫で迫られたけど「コンサートより大事だし、
そう言うならコンサートでない」と言い返すと顔色を変えて立ち去った。
さらに怒らせたようだ。怒るようなことではないはずだ。
みんな時期的にぴりぴりしているのだ。

そうそう、なぜ薬局へ行ったかというと、一昨日、ニクラスの授業の後、病院へ行ったのだ。
実は、なんと生まれて初めて「痔」を経験。
病気じゃないんだから日本へ持ち越そう!と頑張ったけど、3ヶ月ほど痛みと出血が続き、
薬を2ヶ月塗り続けたら「病院」という2文字が脳裏を横切る。

ネットで検索すると「ひどいと肛門が脱落」というホラー映画のようなことが書いてある。
「そこから癌」みたいな説明も他のサイトにあり、点滴を打たれながら医者付きで日本に帰国する図が浮かんでは消える。
日本にいる友人知人に相談すると大体笑われるけど、笑ってる場合ではないのだ!
さらにHPでサーチすると「日本人の3人に1人が痔」。
さては笑ってるヤツラ、隠しているに違いない。
「痔の患者の13%は手術が必要」ともある。

仕方ない。エスビョン夫婦に話してみた。
すると身内に医者や薬剤師が何人もいてすぐに電話で聞いてくれたのだ。

電話を終えると「まずは医者に行け」と。
はぁー、やっぱり。海外で病院というだけでも勝手が分からなくて嫌なのに。
相手が日本人の医者でもためらうような箇所をスウェーデン人の医者に披露するなんて。
これは日本人として屈辱ではないか!
「その人、教会の洗礼式(先週土曜)に来てたから、その前に言ってくれたら診てもらえたのに」とエスビョン。
いや、教会で見せるものでは...。
エスビョンは「これで立派なスウェーデン人になれる」と肩をつかんで言う。
そんなもん、ならんでええわ!

痔になる心当りは、全くない。何の変化も前兆もなかった。
おそらく食事の変化(脂肪が多い)よりも、気候(激ドライ)ではないかと思う。
皮膚科に行くこともあるくらい敏感肌の私は、こっちにきてヒドイ状態。

「電話で水をたくさん飲めと言っていた」とエスビョン。
見るとその日は私だけやたらデカいグラスが置いてある。
飲むと「もっと飲め」と水を注がれ、お腹はちゃぷんちゃぷん。

さっそくエスビョンのホームドクターのいる病院へ予約の電話。
ここではエスビョンからアドバイスをもらっていた。
「痛くてつらい。今すぐなんとかしてくれ。救急窓口に行きたい」と大げさに訴えろ
というのだ。でないとスウェーデンでは予約だけで1週間かかるらしいのだ。
演技派でない私は、電話で症状を聞かれたので(これまた屈辱的だと思いながら)素直に説明。
たどたどしい英語で説明する外国人を不憫に思ったのかもしれない。
夜21時までやっている救急窓口に今日来ていいと言う。

さっそく留学保険(このサイトより三井住友に加入した)に電話をした。
事情でフリーダイヤルにかけられず、深夜の東京03に電話するしかなかった。
病院に行きたいと訴える私に保険会社の人は鬼気迫る緊張感を持って応対してくれた。
そして、おなじみのセリフ「で、どのような症状でしょうか!!
何度、口にしても屈辱的である。

病院へ着くとまずは受付へ。
エスビョンがくれたメールの通り、ドアの左のボタンを押した。
ブザーがなり中へ入ると、最初の手続きをする。
そしてスウェーデンの市民権がない人は1460krをここで払う
初診は診るだけだから料金が一律で前払いなのかな?

私の保険は急すぎてキャッシュレス対応が間に合わず、ひとまず自費で。
3時間も待ち22時になろうとした頃、やっと名前を呼ばれた。

そして広い部屋に通され看護士さんと症状を再び話した後、しばしお医者さんの登場を待つ。
やってきたお医者さんはいかつい顔をした人だった。
私に握手の手を差し伸べたときだけ不似合いな笑顔をニカっと見せてくれた。
でも、怖い顔がちょうどいい。
愛想のいい医者に痔なんて診てほしくない。
この一日、何度も何度も繰り返した症状を再び説明。(注:病院でのやりとりは全て英語)
すると何やら器具を山ほどのせたワゴンを押して看護師が入ってきた。
「じゃあ、脱いで」
カーテンも何もなくお医者さんと看護士さんの目の前で脱ぐというのは日本ではないだろう。
痛くないからね」そうお医者さんが言うと、看護士さんがさっとかけより私の両手を握った。
こ、これって痛いっていう意味じゃ?

ともかく、想像していた屈辱的な体勢もとることなく、
「Okay, あなたは痔です。」と改めて宣告を受けると
極めてスマートに診察は終わった。

終電は行ってしまったので、タクシーの番号を尋ねると手配までしてくれた。
提携しているようで料金も安く一定。
看護士さんが学校まで戻るタクシー料金を先に教えてくれた。

その夜、リハをドタキャンした私を心配そうに待っていた友人達には
アレルギーで薬をもらいに病院に行った
とまことしやかな話をした。実際アレルギー持ちだからリアルに言える。
この話を学校中の友人と分かち合いたいと思わないし。

とまぁ、タイトルと随分かけ離れた話になりましたが、スウェーデンに、冬、長期滞在する方、
お気をつけ下さいませ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウップランドの花

2007-04-29 23:57:54 | スウェーデン生活
以前も書いたウップランド地方の花、kungsängsliljor。
やっと最近咲き始めました。

写真でみたときは花びらの模様が気持ち悪いと思ったけど、実物はそんなことない。
下を向いて咲く姿にかわいげもある。

写真はエスビョンの家の玄関前。

昨日は教会でのdop後、みんなで家へ移動したのでその際にとったもの。
こういう親戚メインの集まりで家に行っていいの?と思ったけど、
牧師さんから友人からほんとにみんなで押しかけていた。

初め遠慮した私に「なんで?」という顔をされたほど。
文化が違います。

ところで、明日と明後日は祝日。
学校は水曜から。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

洗礼式

2007-04-28 23:22:24 | スウェーデン生活
洗礼式は、スウェーデン語ではdop、英語ではbaptising
簡単に言うと、公に「信者になります」という儀式らしい。
今日は中世の教会であるdopに行ってきた。

最近では宗教よりも昔からそうしているからという伝統でやるのだそう。
小さな赤ちゃんがするのが多いが、判断できる年頃まで待って本人に決めさせることもある。
考えてみれば、日本の七五三だって神社にいって祝詞を神主さんにあげてもらうけど、
神道だからというより伝統だからと多くの人が答えるのと同じこと。

今日はエスビョンの近く1歳になる子のdop。エスビョンも習慣でしているだけだと言っていた。

いずれにせよ、日本では映画でしか見たことがないこの儀式、興味シンシンだ。

でも、まずはマナーが分からない。
日本の冠婚葬祭までとは言わなくても暗黙のルールがあるはず。

エスビョン本人に聞くのも何なので、学校のクラスメートに尋ねた。
が、聞いた相手が若すぎた。
「行ったことないもんね」
と返された。
ここは、アメリカから来たクラスメート(注:ここにアメリカ人は複数いる)が
私よりもずっと年上だから経験者のはず!すると
「さあね。行ったことないよ。だって熱心な信者、周囲にもいないし」
あらら。
この一言だけで米国の洗礼式事情を想像するのは危険だけど、アメリカではスウェーデンのように
「伝統行事」ではなく「宗教行事」なのかな。
それとも彼の出身エリアはシカゴ近辺なので、地域性や都会かどうかも関係するのかも。

さらに数人に尋ねてリサーチして大体のマナーは分かった。

服装
学生ならジーンズでもいいけど、こぎれいな格好ができるならした方がいい。

プレゼントを持参する
1:子供が大人になった時に使えるもの 2:今使うもの(おもちゃ)
のどちらか。

渡すタイミング
洗礼式の後は、教会の側の集会所のようなところでfika(ティーブレイク)があるので、
そこで。普通はプレゼントを置くテーブルがあって、勝手に置くだけ。
両親や子供に手渡さなくていい。

ふむふむ、これで十分でしょ。
後、何かソソウがあれば異国の人ということで勘弁してもおう!
服は一応、黒のパンツ。
その上にブルーのワンピースを重ねた。
靴は...シューズしか日本から持ってきてないので、選択の余地なし。
14時スタートなので13:30を目指し、自転車にまたがりひとっとび。

写真1
開催場所のTegelsmorakyrkaという中世の教会(2/22に雪の中でとった写真あり)は、
エスビョンの家へ行く途中、寮から4kmほど行ったところにある。
この教会の側にエリック・サルストレムの銅像がある。
もちろんお墓もここに。墓石にはニッケルハルパが彫ってあります。
この学校に来ることがある人は、散歩がてらにいかが?

写真2
教会に入るとまずエントランスホール。ここには中世の壁画が当時のまま残っているが、
半分は消えかけている。
写真は教会の内側から撮ったエントランス。小さくて見えないかもしれないけど、
ドアの右には悪魔らしい絵が見える。古い教会の絵は大聖堂などで見られる絵とは違う。
ちなみに教会内部の絵は修復の際、消されてしまったそう。
絵が施されていたら、Tolftaの教会のようだったでしょう。

写真3
洗礼式の後移動した集会所。
これが、そのプレゼント置き場。部屋に入るなり、「ハハァーンこれが」とうなずきプレゼントをおきました。
テーブルにちっちゃいニッケルハルパも写っている。
ここでコーヒー、紅茶、こけもものジュース、ストロベリーケーキ、各種ケーキ、
クッキー、サンドイッチなどなどが振舞われた。
多分、全部、エスビョン一家の手作り。

プレゼントは曲でもいい。ヴェーセンの有名なジョセフィーヌ・ドップヴァルスという曲は、
ジョセフィーヌのdop-のときに作曲されたワルツだ。
ちなみにbrud-と頭につく曲は結婚式関係。ブルドヴァルスなら結婚式のワルツ。

写真4
まず、お母さんが銀の壷に入った水を何との呼ぶのか分からないモノに注ぎます。
そして神父さんが子供を抱き、その水を手で救い、子供の頭にパシャパシャかけます。
泣きもせず目をぱっちり開け、手足をバタバタさせていた。
後で聞いて驚いたのだけど、神父さんは200kmはなれた遠方の知人にお願いしたそう。
ひょっとして顔見知りでなかなかったのかも。
この子、私のこともちゃんと認識してるみたい(覚えている)だし。
それに加え、地域の神父さんをオーダーする必要がないというオープンな所もちょっと驚く。

写真5
子供を頭上に抱え上げ...意味は分かりません。
ニッケルハルパの歴史学者、兼、レコード会社やっているPer-ulfが隣にいたので
尋ねたけど「さあ...?」とのこと。

写真6
その後、神父さんが子供を抱いて私達、お客さんの間を歩きます。
ちなみにこの子の衣装はウップランド地方の民族衣装
お母さんの手作り。本物の衣装からの生地を使ったリメイク。
(特定の村のものかどうかは不明。村単位でデザインが異なることが多い)

今日の空は真っ青で澄み切っている。
Per-ulfが言うには「こんなクリアなスカイブルーのときは、大抵、北風」
つまり、乾燥していて寒い。
確かに!寒い!
新聞の天気予報は最高気温10度だったけど。
帰りの自転車は無理かも...という心の叫びが聞こえたのか、
「僕の車の後ろに自転車つんで乗ってく?」
助かった
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする