今日は実技はなく講義でした。
この学校の名前にもなっている、Eric Sahlström(エリック・サルストレム1986年死去)について。
娘であるソニアが写真やDVDを用いて、さかのぼることひいおじいちゃんの代まで(ひいおじいちゃんも弾いていた)話してくれました。
ごくごく簡単に話題をピックアップします。
1900年代初め
ニッケルハルパを弾く人は1900年代前半、5、6人だったとか、10人程度だったとか言われている。つまり、衰退の一途をたどり絶滅寸前。ニッケルハルパという名前すら知られておらず、もし知っていても年寄りの古い楽器のイメージだったそう。
エリックとニッケルハルパの出会い
農家に生まれたエリックはくじで当てたアコーディオンに夢中になるも、そのアコーディオンを借りて弾いた友人が壊してしまう。そこでニッケルハルパに転向。
エリックの活動
ギターその他なんでも弾きこなす才能と実力で、若いうちから評判は急速に広まる。若者達は、踊りたいときはプレーヤーがいるからとエリックの住む村に集まってきたらしい。1939年頃からニッケルハルパを改良し、作り方も含め各地で講義。国営ラジオでの収録、ソ連や日本を始め国内外で評価を受ける。
年配の頃の写真はよく見るけど、結婚式の写真や世界大戦中の写真など若い頃の写真は初めて見た。結構、カッコイイ。そして、ソニアのお母さん(エリックの奥さん)、やさしい表情の美人でソニアにそっくり。写真のアンティークなベールもすごくキレイ。
世界大戦中はエリックは国境警備隊で、もちろんニッケルハルパを持参しらしく、軍服で弾いている写真も見せてもらった。
軍隊の中でも"ミュージシャンがいる!"と人気者で、いろんな面でヒイキされていたそう。ある日、休暇を終えて実家から楽器を持たずに来たエリックに、「家まで楽器をとりに戻りなさい!」と命令されたこともあったとか。
ミュージシャンとしての生計
ただ、評価をされても生活は楽ではなかったらしい。ソニアのお母さんが小さな農場を持っていて、エリックの音楽活動の重要性をしっかり認識していて、エリックに頼ることなく切り盛りしていたのだとか。でも、小さすぎて生活には十分ではなく、エリックはその後、(今もここToboにある)モナークという会社の工場でも働いていた。50歳のときには、工場は閉鎖され、仕事を見つけるには難しい年齢だったため、政府からお金がもらえるよう友人が努力してくれたらしい。
数々のメダル、リクスペルマン(国が認めたミュージシャン、称号のようなもの)、国内外での講義、コンサート。どんなに評価があろうと、メダルがあっても食べていくのは大変。
家族がエリックの才能や活動を支援し続けたから今があるのだろう。
DVD(1977年頃の映像)エリックや、ハッセ(9/15参照。若かりし頃の映像のはずなのに、こないだ会った時と全く一緒。演奏はめちゃめちゃ上手い。こないだの授業で、激ウマと書かなかったけど年齢のせいなのかもね)、ヴィクスタ・ラッセ(バイオリン)、その他大勢が登場する。
ヴィクスタ・ラッセの演奏はCDで聴くより、このDVDのほうが比べ物にならないほどうまい。(ピッチやリズムにしても録音状態の良し悪しが影響していたのかも)
映像では、みんな本当に楽しそうに弾いている。ヴィクスタなんか、弾く前も弾いたあともしゃべりながらも、常にウシャウシャ、ウヒウヒ笑っていてしゃべってるんだか笑ってるんだか。でも、とっても楽しそう。
昨日の講師、アンダシュも言っていた。練習しすぎて「楽しむ」ことを忘れてはならぬ、と。フォークミュージックは、他のクラシックなどと違って、「社交」のためのもの。みんなで楽しくしゃべりながら弾いたり踊ったりするコミュニケーションの場だと。もし、誰か一人でも自分は下手だとか、居心地悪く思う人がいてはならぬ、と。誰に対してもオープンでみんなで楽しく弾く、これがフォークミュージックだ、と。
今日の映像からも伝わってきました。
この学校の名前にもなっている、Eric Sahlström(エリック・サルストレム1986年死去)について。
娘であるソニアが写真やDVDを用いて、さかのぼることひいおじいちゃんの代まで(ひいおじいちゃんも弾いていた)話してくれました。
ごくごく簡単に話題をピックアップします。
1900年代初め
ニッケルハルパを弾く人は1900年代前半、5、6人だったとか、10人程度だったとか言われている。つまり、衰退の一途をたどり絶滅寸前。ニッケルハルパという名前すら知られておらず、もし知っていても年寄りの古い楽器のイメージだったそう。
エリックとニッケルハルパの出会い
農家に生まれたエリックはくじで当てたアコーディオンに夢中になるも、そのアコーディオンを借りて弾いた友人が壊してしまう。そこでニッケルハルパに転向。
エリックの活動
ギターその他なんでも弾きこなす才能と実力で、若いうちから評判は急速に広まる。若者達は、踊りたいときはプレーヤーがいるからとエリックの住む村に集まってきたらしい。1939年頃からニッケルハルパを改良し、作り方も含め各地で講義。国営ラジオでの収録、ソ連や日本を始め国内外で評価を受ける。
年配の頃の写真はよく見るけど、結婚式の写真や世界大戦中の写真など若い頃の写真は初めて見た。結構、カッコイイ。そして、ソニアのお母さん(エリックの奥さん)、やさしい表情の美人でソニアにそっくり。写真のアンティークなベールもすごくキレイ。
世界大戦中はエリックは国境警備隊で、もちろんニッケルハルパを持参しらしく、軍服で弾いている写真も見せてもらった。
軍隊の中でも"ミュージシャンがいる!"と人気者で、いろんな面でヒイキされていたそう。ある日、休暇を終えて実家から楽器を持たずに来たエリックに、「家まで楽器をとりに戻りなさい!」と命令されたこともあったとか。
ミュージシャンとしての生計
ただ、評価をされても生活は楽ではなかったらしい。ソニアのお母さんが小さな農場を持っていて、エリックの音楽活動の重要性をしっかり認識していて、エリックに頼ることなく切り盛りしていたのだとか。でも、小さすぎて生活には十分ではなく、エリックはその後、(今もここToboにある)モナークという会社の工場でも働いていた。50歳のときには、工場は閉鎖され、仕事を見つけるには難しい年齢だったため、政府からお金がもらえるよう友人が努力してくれたらしい。
数々のメダル、リクスペルマン(国が認めたミュージシャン、称号のようなもの)、国内外での講義、コンサート。どんなに評価があろうと、メダルがあっても食べていくのは大変。
家族がエリックの才能や活動を支援し続けたから今があるのだろう。
DVD(1977年頃の映像)エリックや、ハッセ(9/15参照。若かりし頃の映像のはずなのに、こないだ会った時と全く一緒。演奏はめちゃめちゃ上手い。こないだの授業で、激ウマと書かなかったけど年齢のせいなのかもね)、ヴィクスタ・ラッセ(バイオリン)、その他大勢が登場する。
ヴィクスタ・ラッセの演奏はCDで聴くより、このDVDのほうが比べ物にならないほどうまい。(ピッチやリズムにしても録音状態の良し悪しが影響していたのかも)
映像では、みんな本当に楽しそうに弾いている。ヴィクスタなんか、弾く前も弾いたあともしゃべりながらも、常にウシャウシャ、ウヒウヒ笑っていてしゃべってるんだか笑ってるんだか。でも、とっても楽しそう。
昨日の講師、アンダシュも言っていた。練習しすぎて「楽しむ」ことを忘れてはならぬ、と。フォークミュージックは、他のクラシックなどと違って、「社交」のためのもの。みんなで楽しくしゃべりながら弾いたり踊ったりするコミュニケーションの場だと。もし、誰か一人でも自分は下手だとか、居心地悪く思う人がいてはならぬ、と。誰に対してもオープンでみんなで楽しく弾く、これがフォークミュージックだ、と。
今日の映像からも伝わってきました。