ぬえの能楽通信blog

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太鼓入りの『梅枝・越天楽』(その5)

2008-01-23 01:28:42 | 能楽
今回の『梅枝』が、その背景となる事件をめぐって前シテが語る物語と、間狂言が語るそれとが食い違わなかった理由。。それはひとえに前述の通り、おシテが「富士この役を賜るに依って」の一句を謡わなかった、という点に尽きます。聞いているお客さまにとっては 些細な事なのかもしれませんが、能一番の物語世界が成立するのか、あるいは瓦解するのか、大げさに言ってしまえばそれほどの重みを脚本に与える言葉なのだと思います。

催し本番のお舞台でも。。やはりおシテはこの一句を謡われませんでした。それどころか、地謡に座っていた ぬえは、その日のお舞台が進行してゆくにつれて、そこで初めて間狂言が『富士太鼓』の物語を語られるのを知って驚いたのでした。。なぜって、申合ではシテに関係するところだけを演じてみる、という約束が昔からあって、間狂言はもちろんのこと、おワキの登場場面から道行、そして待謡なども申合ではまったく演じられないのです。シテ方やお囃子方などの出演者も催しの当日に能が上演されて初めて、それらの場面を目にすることになるからです。

今回、前シテが「富士この役を賜るに依って」の一句を謡わなかった事によって、その後の間狂言の物語と矛盾が生じることもなく、間狂言は前シテの物語をもっと詳細に、深く掘り下げて説明することになります。そしてその語リが、自然な流れとしておワキが前シテのことを「富士の妻の幽霊であろう」と考える事に繋がってゆき、さらにはおワキは脇座を立って作物の前に着座し、ワキツレもその左右に従えた重厚な待謡。。(これまた普段の能とは違って読経の文句をおワキではなく地謡が担当する、という壮麗な回向の場面)にも無理なく接続してゆけるのでしょう。

そういえば後シテは夫の形見の鳥兜を頭に戴き、同じく形見の装束を着ていますが、この男装の姿も『井筒』や『松風』『杜若』などなど、能の中では類型的な姿とはいえ、後シテはみずからの事を「妙なる法の受持に遇はば、変成男子の姿とはなどやご覧じ給はぬぞ」と言っていますね。あとでクセの中で「執心を済け給へや」という文言は登場するものの、どうもこの後シテは救われない自分の魂の救済を渇望してワキ僧の前に現れる、というよりは、どちらかと言えばワキの回向によってすでに成仏に近づく光明を見いだしつつある、というように ぬえには感じられます。それほどこの能の中でおワキの回向は重い意味を持っているのでしょう(ああ、そういえば開演前におワキはワキツレを呼び寄せて、かなり念入りに同吟の謡について注文を出している姿を楽屋で見ましたっけ。。「もっと静かに」「もっとシッカリ」と。やはりおワキもこの回向の場面を大切にしておられるのでしょう)。こういう場面にまで前シテの演技から無理なく繋げていけた事を思えば、やはりあの一句の有無は大きな違いと言うべきだと思いますね。

そして、こう考えているうちに ぬえは『梅枝』という曲が『富士太鼓』となぜこうまで印象が違うのか、に思い至った気がしました。現在能である『富士太鼓』のシテの富士の妻は、夫の死を知らされて驚愕し、失望し、しかしその現実を受け入れざるを得ない。。さりとて太鼓の役を得ようと浅間に横槍を入れたために招いた死は自業自得であり、そのうえ夫の仇を討つ見込みもない彼女は思いあまって狂乱する。。夫の形見である太鼓を「あかで別れし我が夫の失せにし事も太鼓ゆゑ」と仇に見立てて打ち、しかし一方では「また立ち帰り太鼓こそ憂き人の形見なりけりと見置きて」帰ってゆく終曲。こんな、何ともやりきれない気分の残る『富士太鼓』に対して、その妻さえ世を去った後世に、救われない彼女が幽霊となって再び現れる『梅枝』の方が、なぜか見終わったところで後味が良い(と言うのか。。)ように思えるのは。。最初からシテが諦念のようなものを持って登場するから敵討ちの気持ちが彼女の中にはなく、それでも残る夫との不慮の死別に対する執心が、次第に晴れていく構造に作られているのですね。


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