ぬえの能楽通信blog

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扇の話(その14) ~どの鬘扇? なぜ修羅扇?<5>

2008-02-22 19:00:04 | 能楽
摺箔はインナーウェア、というお話をしましたが、だから『羽衣』で最初にシテが登場するときに縫箔を腰巻に着付けて上半身は摺箔がむき出しの、いわゆる裳着胴の姿になっているのは、いわばセミヌードなわけですね。『班女』や『浮舟』のような狂女の後シテがしばしば唐織の右肩を脱いでいる(脱下ゲ、と言います)のも、狂った女性が肌を露わにしている、という意味で、まあセミヌードの一種と言えるかも。『江口』の後ツレの一人、船の棹を持つ者はやはり右肩を脱ぎ下げていますけれども、これはその作業のためで、セミヌードではないのでしょう。。

『安達原』の後シテや、同じく鬼女である『葵上』や『道成寺』の後シテが『羽衣』のように裳着胴であるのは、これは全く違った意味で、怒りに狂った鬼女が上着。。つまり理性を脱ぎ捨てた姿、と ぬえは解釈しています。もっとも『道成寺』の場合は、それよりも もっと激しい。。獣性をむき出しにしたような感じにも思えますですね。

ただ、『道成寺』と『葵上』は後シテは唐織(小書がつけば白練)を最初は身に巻き付けていて、途中で「鱗落とし」と言って橋掛りに行く途中で唐織を脱ぎ捨てます。蛇が脱皮するような感覚の名称ですが、それじゃ脱皮する前の後シテはまだ子どものヘビなのかしらん? いやいや、やはり ここは理性をかなぐり捨てた瞬間と捉えた方がよいのでしょう。『道成寺』『葵上』の二番はシテは本来は人間だったのです。ですから後シテも「恥じらい」。。というか理性として唐織(前シテが着ていた装束ですから「人間」のカケラ、でしょう)を身にまとっているわけで、ワキと対峙する間に次第に怒りがシテを本性からの鬼に変えてしまう。。そう考えれば理屈が合うように思います。そして生来の鬼女であり、前シテはその化身に過ぎない『安達原』では、後シテは前シテの装束を身に巻き付けることはしません(前シテが唐織であっても水衣を着ている場合でも、その装束は後シテでも一応は登場します。もっともそれは薪をまとめるために用いられているだけで、後シテは橋掛りに登場するとすぐに背負っていた薪を捨ててしまいます)。

え~と次は黒地紋尽腰巻。いつになったら扇の話に戻るのやら。。

腰巻、という装束はありません。腰巻とは着付方の一種で、下半身にだけ装束を着付けて、上半身は両肩とも脱いで腰の後ろに垂らすのです。そして、腰巻という着付け方をする装束はただ一つ、縫箔だけです。上に書いた『羽衣』も縫箔を腰巻に着付けていて、この曲では上半身は摺箔だけですが、摺箔を着ている上半身の上にはさらに何かの装束を着ているのが普通で、その場合は縫箔は、見所からはシテの腿のあたりから下しか見ることが出来ません。腰巻の上に着る装束としては水衣(『隅田川』『松風』『三井寺』など)や長絹(『羽衣』の物着のあと、『杜若』『井筒』など)、唐織(『葵上』『鉄輪』の前シテ、『花筐』で小書がついた場合など)、舞衣(『富士太鼓』『梅枝』『羽衣』で小書がついた場合など)。。と、およそ女性の役が上着に着る装束はほとんど着付けることが可能です。

で、『羽衣』のように下半身に腰巻の着付をしているのに上半身がインナーウェアである摺箔だけしか着ていない状態を、全身の着付の総称として「裳着胴」(もぎどう)と呼んでいます。この呼称は女性の役に限らず、『野守』や『小鍛冶』などの切能で、小書がついた場合に上半身が厚板、下半身が半切という装束の取り合わせになる場合も、やはり同じく裳着胴と呼んでいます。本来は上半身には厚板の上に法被や狩衣を着ているのに、インナーとしての厚板だけの姿になっているからで、裳着胴とは役の種類によらず装束の取り合わせに対する呼び方なのですね。

ついでに言えば、上記『富士太鼓』や『葵上』の前シテなど、腰巻の上に舞衣や唐織を着る場合に、その舞衣や唐織を、何というか、上半身に三つ折りに折り込んで着付ける場合(わかります? おおまかに言えば首から下が唐織・唐織・縫箔のように三等分に見える着付の方法を言いたいのですが。。)、その舞衣や唐織を「壺折り」に着付ける、と言います。


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