そのメールは まさに卓くんが夭折されたことを ぬえに知らせるものでした。もう一気に酔いが醒めた。。ぬえにメールを送ってくれたのは、これまた伊豆の薪能で長く一緒に子どもたちの指導をしているお囃子方のT氏でした。この伊豆の催しを ぬえと同じく大切に思ってくれている、そのよしみで ぬえに知らせてくれたものでしょう。
ぬえって、今回に限らず能楽師が亡くなると、なぜかいつも誰かしらが 真っ先に知らせてくれます。友だちが多いからかもしれませんが、師匠よりもずっと先に知らされることも多くて、そんな時は ぬえから師匠にお伝えする事に。。内容が内容だけにあまり嬉しいメッセンジャーではありませんけれども。。今回もそうなってしまいました。
ぬえが卓くんが危篤だと知ったのは5月にお相手するはずだった『殺生石』が終わった直後。それから経過を知ることはできないまま3週間が経ち、なんというか、忙しさにかまけていて、「どうしたかなあ。。彼。」と、ときどき思い起こす程度になってしまったことも白状しなければなりません。3週間前に電話でご母堂さまから冷静な説明を伺って、そのときには「今年の狩野川能では10周年の記念に『望月』を勤めますので、その時までに是非快復されて。。お相手を楽しみにしております。。」と言った ぬえでしたが、それはおそらく叶わぬ望みなのだろう、と感じざるを得なかったのもまた事実。。それなのに ぬえは ずっと彼のことを心配してあげたわけではありませんでした。(・_・、) 。。ゴメンな。
ぬえ、友だちは昔から多いけれども、一代目の能楽師という自分の立場がずっと能楽界の中で自分は門外漢、という意識にさいなまれていた時期がありました。ところが『道成寺』を披くときに神経をすり減らしていたとき、公演当日の朝にある囃子方の友だちから「オマエの稽古は間違っていない。今日は楽しんでいらっしゃい」というメールを受け取って、「がんばれ」なんていう、こういう時には一番言って欲しくない言葉でなく、同じ舞台人だからこそ言える言葉に本当に勇気をもらいました。後日彼と飲みながらそのメールについてお礼を言ったのですが、そのとき彼は お礼を言う ぬえを不思議そうに見て、「だって。。仲間じゃねえか」と言ってくれた。あの言葉は忘れない。
卓くんも、形は違っても、一緒に創作舞台を作り上げ、ケンカもし、ようするにウソのないお付き合いができる仲間だった、と言えると思います。それなのに去年は大げんかをして絶交直前にまでなってしまった。そしてこの度は本気で彼の心配をし続けてあげたわけではなかったです。自分に都合のよい「仲間」にしてしまっていなかったか、悩みは深いです。
今年の狩野川能で ぬえは『望月』を勤めますが、本来この能で太鼓を打つはずだった卓くんの名前はもうチラシやポスターには載っていません。しかもその太鼓のお役は、卓くんの属する金春流ではなく観世流の太鼓方に替わっていました。シテである ぬえにはその代役は知らされていませんでした。が、この催しは大倉正之助さんが主催になるので その判断になるので致し方のないところ。。
卓くんと同じ舞台に立っているつもりで勤めたいと せめて希望は持っていましたが、『望月』では二つの太鼓のお流儀では かなり打つ手組が変わるのでそれも無理。。それでも今回『望月』の太鼓を勤めてくれる方も伊豆の催しと卓くんとの関係はよくご承知でありましょう。彼と協力して、より良い舞台を作り上げることに専心して、僭越ながら心の中では卓くんの追善のつもりで勤めたいと考えています。
卓くん。熱くて、ケンカっ早くて、鉄っちゃんで。 安らかにお眠りな。(・-・)
ぬえって、今回に限らず能楽師が亡くなると、なぜかいつも誰かしらが 真っ先に知らせてくれます。友だちが多いからかもしれませんが、師匠よりもずっと先に知らされることも多くて、そんな時は ぬえから師匠にお伝えする事に。。内容が内容だけにあまり嬉しいメッセンジャーではありませんけれども。。今回もそうなってしまいました。
ぬえが卓くんが危篤だと知ったのは5月にお相手するはずだった『殺生石』が終わった直後。それから経過を知ることはできないまま3週間が経ち、なんというか、忙しさにかまけていて、「どうしたかなあ。。彼。」と、ときどき思い起こす程度になってしまったことも白状しなければなりません。3週間前に電話でご母堂さまから冷静な説明を伺って、そのときには「今年の狩野川能では10周年の記念に『望月』を勤めますので、その時までに是非快復されて。。お相手を楽しみにしております。。」と言った ぬえでしたが、それはおそらく叶わぬ望みなのだろう、と感じざるを得なかったのもまた事実。。それなのに ぬえは ずっと彼のことを心配してあげたわけではありませんでした。(・_・、) 。。ゴメンな。
ぬえ、友だちは昔から多いけれども、一代目の能楽師という自分の立場がずっと能楽界の中で自分は門外漢、という意識にさいなまれていた時期がありました。ところが『道成寺』を披くときに神経をすり減らしていたとき、公演当日の朝にある囃子方の友だちから「オマエの稽古は間違っていない。今日は楽しんでいらっしゃい」というメールを受け取って、「がんばれ」なんていう、こういう時には一番言って欲しくない言葉でなく、同じ舞台人だからこそ言える言葉に本当に勇気をもらいました。後日彼と飲みながらそのメールについてお礼を言ったのですが、そのとき彼は お礼を言う ぬえを不思議そうに見て、「だって。。仲間じゃねえか」と言ってくれた。あの言葉は忘れない。
卓くんも、形は違っても、一緒に創作舞台を作り上げ、ケンカもし、ようするにウソのないお付き合いができる仲間だった、と言えると思います。それなのに去年は大げんかをして絶交直前にまでなってしまった。そしてこの度は本気で彼の心配をし続けてあげたわけではなかったです。自分に都合のよい「仲間」にしてしまっていなかったか、悩みは深いです。
今年の狩野川能で ぬえは『望月』を勤めますが、本来この能で太鼓を打つはずだった卓くんの名前はもうチラシやポスターには載っていません。しかもその太鼓のお役は、卓くんの属する金春流ではなく観世流の太鼓方に替わっていました。シテである ぬえにはその代役は知らされていませんでした。が、この催しは大倉正之助さんが主催になるので その判断になるので致し方のないところ。。
卓くんと同じ舞台に立っているつもりで勤めたいと せめて希望は持っていましたが、『望月』では二つの太鼓のお流儀では かなり打つ手組が変わるのでそれも無理。。それでも今回『望月』の太鼓を勤めてくれる方も伊豆の催しと卓くんとの関係はよくご承知でありましょう。彼と協力して、より良い舞台を作り上げることに専心して、僭越ながら心の中では卓くんの追善のつもりで勤めたいと考えています。
卓くん。熱くて、ケンカっ早くて、鉄っちゃんで。 安らかにお眠りな。(・-・)
私は沼津に住んでいます。三島卓とは大学時代に同じサークルに籍を置いていました。彼は3年後輩でした。
一昨日、ふとしたきっかけで彼が既に逝去していることを知りました。
卒業以来会うこともなく、漠然と能の世界で頑張って居るんだろうなと思うだけでした。
遅ればせながら知った事実に衝撃を受けつつ、当時の状況を知りたく検索をかけてこちらにたどり着きました。
そこで狩野川能についても知りました。
私は沼津に住んでいます。その為、卓には会う気になれば会えたんだ・・・ともう戻ることのない過去に悔恨の念を抱きました。
本当に今更ながらで、偲ぶことも出来ない状態だったので、こちらに書き込みをさせて頂きました。
以前、能楽関連のメルマガを発行していたことがあり、卓先生のサイトから、お能の公演スケジュールなどを拝借させていただいたご縁で、しばらくメールのやりとりをしていました。
実際には一度もお会いしたことはなかったのですが(お祖父様の三島太郎先生には、浦声会で何度か舞囃子を…)、とても残念です。
天国で、本物の天女の舞に、太鼓を打っていらっしゃるといいですね。合掌
卓くんのお父様、元太郎師から頂いた四十九日法要のあとの会葬御礼文にも彼を悼む言葉に触れられたのでしょう「幸せなヤツだったと思います」と書かれてありました。
元太郎師ともその後何度かお会いしてお話をさせて頂きましたが、元のあの明るいお顔で快活に話されておられました。…しかしご心中は如何ばかりか…お察し申し上げることしか ぬえにはできませんが…
卓。でもあいつのことだから天国でも太鼓打っているかも。お~い、そっちにおられるのは先輩ばかりだから叱られたり、教えて頂いたりしている~? いや…一緒に芸論戦わせながら飲んでいるかも。
突然のコメント失礼します。
私は能楽とは無縁のものですが、卓さんの大阪のご自宅のすぐ近くに住んでいました。
卓さんをはじめ、お母様、お父様である元太郎様にもよくしていただき、今までお会いした中でも、本当に理想とする素敵な家族でした。
よく三人で仲良く出かけられる姿をほほえましく拝見していました。
卓さんが亡くなられる一年ほど前に引越しをしたので、事情をまったく知らず、まさか亡くなっているなどとは夢にも思わなかったので、偶然こちらのブログを読ませていただき、大変ショックです。
ご家族にもどうにか言葉をかけたいのですが、何もうかびません。
大阪時代、ご自宅から稽古をされている太鼓の音が聴こえてきて、心地よい響きに癒されたものです。
卓さんのやさしいお人柄を懐かしく思います。写真を見ていると涙が出てきます。
スピリチュアル的観点からいくと、この世の修業を早々と終えることができ旅立ったということなのでしょうけれど、残されたご家族のことが思われてなりません。
けれど、ご家族は周りが思うほど消沈されていないのでしょうか・・・
卓さんのご冥福と、ご家族のお幸せをお祈りするばかりです。
長々と失礼しました。
出来る事なら今も太鼓続けたかったな。
いまだに卓くんの記事にコメントがつくなんて、やっぱり愛されていたんだと思います。
そうか。。あのときの「殺生石」、お相手お願いしていたのに急に代役が立てられて。そんなことがありましたね~
ケンカもよくしたけれど、今となっては懐かしいです。
そう言えば亡くなった後、同じ年代の能楽師と話をしていて「アイツは居なくなっちゃダメなんだ」と誰かが言っていた。
今はみんなを見守ってくれていると思いますよ。
もちろん友実や…すいませんコメント返さなかったけどmiuさんのことも。。