稽古に出かける前に意を決して、日曜日に突然竜巻が襲った茨城県つくば市へ行ってみました。
じつはこの周囲の街には ぬえは馴染みが深くて、何度か印象的な公演や、また稽古を通じて思い出に残る出会いがありました。それらもいつの間にか時間が隔たってしまいましたけれども、ときどき訪れて静養する場所があったり、親戚が住んでいたり、はたまたこの6月に石巻を訪問する共演者がこのあたりの人であったり、と、なんだか茨城県とは縁が深いのです。
そんな思いもあって つくば市の災害現場に行ってみようと思い立ったわけですが、つくば市は常磐道を下りて筑波山の方向にあり、その中のほんの一部だけを竜巻が襲いました。国道を進んでいくと渋滞が起こり始め、迂回路を探しながら進んでいきました。。が、やはり通行止めの道もちらほら。。夏に三陸の海岸線を走ったときの記憶が蘇ります。
目的地に近づいたところで渋滞を避けて少し離れた場所に車を停めて歩き出しましたが、最初は被害がどこで起こったのかもわからないほどの のどかさ。ところが歩いていくと、拡声器を片手に炊き出しのお知らせを呼び掛けるボランティアさんとすれ違いました。。
小学校を過ぎ、テレビで報道された団地が見えてきた頃から屋根に登って修繕をする人影が見え始めましたが、ひとつの路地。。と言っていいほどの小さな通りから様子が一変。倒壊した家屋やなぎ倒された並木が現れました。
集合住宅の裏手から国道の方ヘ出ると、竜巻はずっと平地が続く南の方から国道を斜めに横切って、山の方ヘ向かって過ぎていったらしいことがようやく解ってきました。破壊力はすさまじいもので、車は津波被害と同じように大破し、テレビで報道されていたように集合住宅はベランダ側の窓ガラスがすべて破壊されているのですが、じつは裏側。。玄関側も同じ。ところがすぐそばのショッピングセンターは無傷で、被害の範囲が極端に狭いことが印象的です。
ところがじつは国道に面した鉄筋造りの家屋の被害よりも、北側の山に向かって続く民家の集落の方が被害ははるかに深刻なのでした。道を引き返して狭い道を山の方に向かって行くと電柱が折れ、家屋は倒壊したり屋根が吹き飛んでいたり。。あちこちで片づけが行われていました。
それにしても復旧のための作業は迅速に行われています。自衛隊はここでもすでに作業を行っていましたし、なんとボランティア団体も各地から集結を始めていました。ぬえが見た範囲では、名古屋から来たボランティアもいた模様(!)。こういう力、東北でもいかに役だったことでしょう。ショッピングセンターにはすでに募金箱も置かれています。そうしてあちこちで電気の復旧のための工事や、電柱を建て直す作業が進められていました。テレビの取材班もたくさんいましたが、とくに人だかりがしている所を見ると。。つくば市長さんが視察に見えていました。
この日は稽古の予定があって何もできる事がありませんでしたが、東北で見たのと同じような自然災害の威力を肌で感じることができました。規模の違いはあっても突然平和な生活が根底から覆される自然災害の甚大な被害は目を覆う惨状です。震災被害では水の重さが致命的な破壊力を持つ事実を知ったのですが、ここでは被害をもたらしたのは水よりずっと軽いはずの「風」でした。我々は知らないことが多すぎる。。
震災後3ヶ月半の頃に石巻に初めて行ったとき、ぬえは「どうしてもっと早くここに来なかったんだろう。。」と思いました。支援活動も被害の実態への共感が持てて初めて意味を成すこともあるでしょう。それは実際には簡単な事ではないのですが、多忙を理由にして怠慢をしたのではないか。。あの時の後悔はあまりに苦いものでした。今回はそういう思いをしないために、とりあえず現地に赴いてみたのですが。。非力ながら片づけのお手伝いなどの支援にもお邪魔しようと考えております。
じつはこの周囲の街には ぬえは馴染みが深くて、何度か印象的な公演や、また稽古を通じて思い出に残る出会いがありました。それらもいつの間にか時間が隔たってしまいましたけれども、ときどき訪れて静養する場所があったり、親戚が住んでいたり、はたまたこの6月に石巻を訪問する共演者がこのあたりの人であったり、と、なんだか茨城県とは縁が深いのです。
そんな思いもあって つくば市の災害現場に行ってみようと思い立ったわけですが、つくば市は常磐道を下りて筑波山の方向にあり、その中のほんの一部だけを竜巻が襲いました。国道を進んでいくと渋滞が起こり始め、迂回路を探しながら進んでいきました。。が、やはり通行止めの道もちらほら。。夏に三陸の海岸線を走ったときの記憶が蘇ります。
目的地に近づいたところで渋滞を避けて少し離れた場所に車を停めて歩き出しましたが、最初は被害がどこで起こったのかもわからないほどの のどかさ。ところが歩いていくと、拡声器を片手に炊き出しのお知らせを呼び掛けるボランティアさんとすれ違いました。。
小学校を過ぎ、テレビで報道された団地が見えてきた頃から屋根に登って修繕をする人影が見え始めましたが、ひとつの路地。。と言っていいほどの小さな通りから様子が一変。倒壊した家屋やなぎ倒された並木が現れました。
集合住宅の裏手から国道の方ヘ出ると、竜巻はずっと平地が続く南の方から国道を斜めに横切って、山の方ヘ向かって過ぎていったらしいことがようやく解ってきました。破壊力はすさまじいもので、車は津波被害と同じように大破し、テレビで報道されていたように集合住宅はベランダ側の窓ガラスがすべて破壊されているのですが、じつは裏側。。玄関側も同じ。ところがすぐそばのショッピングセンターは無傷で、被害の範囲が極端に狭いことが印象的です。
ところがじつは国道に面した鉄筋造りの家屋の被害よりも、北側の山に向かって続く民家の集落の方が被害ははるかに深刻なのでした。道を引き返して狭い道を山の方に向かって行くと電柱が折れ、家屋は倒壊したり屋根が吹き飛んでいたり。。あちこちで片づけが行われていました。
それにしても復旧のための作業は迅速に行われています。自衛隊はここでもすでに作業を行っていましたし、なんとボランティア団体も各地から集結を始めていました。ぬえが見た範囲では、名古屋から来たボランティアもいた模様(!)。こういう力、東北でもいかに役だったことでしょう。ショッピングセンターにはすでに募金箱も置かれています。そうしてあちこちで電気の復旧のための工事や、電柱を建て直す作業が進められていました。テレビの取材班もたくさんいましたが、とくに人だかりがしている所を見ると。。つくば市長さんが視察に見えていました。
この日は稽古の予定があって何もできる事がありませんでしたが、東北で見たのと同じような自然災害の威力を肌で感じることができました。規模の違いはあっても突然平和な生活が根底から覆される自然災害の甚大な被害は目を覆う惨状です。震災被害では水の重さが致命的な破壊力を持つ事実を知ったのですが、ここでは被害をもたらしたのは水よりずっと軽いはずの「風」でした。我々は知らないことが多すぎる。。
震災後3ヶ月半の頃に石巻に初めて行ったとき、ぬえは「どうしてもっと早くここに来なかったんだろう。。」と思いました。支援活動も被害の実態への共感が持てて初めて意味を成すこともあるでしょう。それは実際には簡単な事ではないのですが、多忙を理由にして怠慢をしたのではないか。。あの時の後悔はあまりに苦いものでした。今回はそういう思いをしないために、とりあえず現地に赴いてみたのですが。。非力ながら片づけのお手伝いなどの支援にもお邪魔しようと考えております。
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