ぬえの能楽通信blog

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陸奥への想い…『融』(その5)

2013-09-02 09:08:29 | 能楽
シテ柱に戻りワキと対したシテは、問われるままに都の景物を教えてゆく、いわゆる「名所教エ」の段になってゆきます。

これまで舞台は河原院にいる二人がそのまま陸奥の塩釜に飛んで移動したように、塩釜の景物を愛でていたものが、ここで舞台は都の中に引き戻されると同時に、河原院から外へと一挙に世界を拡げてゆきます。河原院は塩釜であっただけではなく、じつは近景は千賀の浦の景物を模しながら、遠景は都のおちこちの名所を望遠する、二重構造で造られた邸宅だったのでした。

シテ「さん候皆名所にて候。御尋ね候へ教へ申し候べし。
ワキ「まづあれに見えたるは音羽山候か。
シテ「さん候あれこそ音羽山候よ。
ワキ「さては音羽山。音に聞きつゝ逢坂の。関のこなたにと詠みたれば。逢坂山も程近うこそ候らめ。
シテ「仰せの如く関のこなたにとは詠みたれども。あなたにあたれば逢坂の。山は音羽の峯に隠れて。この辺よりは見えぬなり。
ワキ「さてさて音羽の嶺つゞき。次第々々の山並の。名所々々を語り給へ。
シテ「語りも尽さじ言の葉の。歌の中山清閑寺。今熊野とはあれぞかし。
ワキ「さてその末につゞきたる。里一村の森の木立。
シテ「それをしるべに御覧ぜよ。まだき時雨の秋なれば。紅葉も青き稲荷山。
ワキ「風も暮れ行く雲の端の。梢も青き秋の色。
シテ「今こそ秋よ名にしおふ。春は花見し藤の森。
ワキ「緑の空も影青き野山につゞく里は如何に。
シテ「あれこそ夕されば。
ワキ「野辺の秋風
シテ「身にしみて。
ワキ「鶉鳴くなる。
シテ「深草山よ。


これでまだ半分。それにしても分量の多い名所教エです。ほかにも能『田村』など名所教エがある能はいくつかありますが、『融』はその中では突出して登場する地名が多いです。

シテとワキの問答の形式を取って進行する名所教エの中で、シテは次第に興に乗って、問われる前に自分から名所をワキに紹介する体。ワキに駆け寄るように近づいてその袖を取り、右手で名所を指し示して教えます。『田村』にもある型で、高調したシテの言葉を地謡が引き取って代弁し、さらにワキの言葉を地謡が受け持って会話が表される「ロンギ」となります。

地謡「木幡山伏見の竹田と右までサシ、ワキの袖を離して少し出て見淀鳥羽も見えたりや。とワキへ向き
地謡「眺めやる。其方の空は白雲の。はや暮れ初むる遠山の。嶺も木深く見えたるは。如何なる所なるらん。
シテ「あれこそ大原や。
と右の方を見小塩の山も今日こそは。御覧じ初めつらめ。なほなほ問はせ給へや。とワキへ向き
地謡「聞くにつけても秋の風。吹く方なれや峰つゞき。西に見ゆるは何処ぞ。
シテ「秋もはや。秋もはや。半ば更け行く松の尾の嵐山も見えたり
と幕の方まで見て二足出

ロンギの途中のここまでで名所教エは完了するのですが、数えてみたところ、ここで登場する地名は合計16箇所にも及びました。ちょっと地図で表してみるとこのような感じ。



現在八条にある京都駅の近くに六条があり、駅からもほど近い「枳殻邸」。。正式には東本願寺に属する「渉成園」が河原院の旧跡といわれていますが、『融』の名所教エはそこから見て東山の方向から南に話題が進み、時計回りにぐるっと西の嵐山にまで及んでいることがわかります。

面白いのは、流儀によってそれぞれの場所を見る方向が違うこと。観世流の場合はワキ柱を東に、幕の方を西に取る決マリになっていますが、型もこれに従って東に見えるはずの音羽山を脇座の方。。シテから見て正面よりやや左の方に見、そこからだんだんと南。。角柱の方へ、シテからは右の方向に見てゆくことになります。ちょうどロンギになってからの大原・小塩山を教えるところで角柱を超えて右の方に目を転じ、ロンギの最後に出てくる地名の嵐山はぐっと深く右に見込んで、幕の方へ向く事になります。

こうして地図に乗せて地名を見てみると、北山の方はまったく見ないことになりますね。作者・世阿弥の時代には現在のような能舞台はまだ確立しておらず、鏡板(松を描いた、能舞台の背にある板壁)はなかっただろうし、それどころかあまり厳格な舞台の規格そのものがなく、催しをする会場の条件によって様々な形の舞台が造られただろうと考えられていまして、現に橋掛リが舞台の後方に架けられた絵図も現存しています。また都が舞台で、その名所を教える場面がある『融』のような能では、都で演じる場合は当然その名所が本当に存在する方向を意識して演じていたでしょう。それでも『融』の名所教エの詞章を見ると、舞台の一方が塞がれて、そちらには演技の方向が向けられなかった。。いまの能舞台のように鏡板に代わる何物かが建てられていた舞台を想定しているのかもしれない、と思いました(もっとも下掛かりのお流儀の『融』を拝見したときには「木幡山伏見の竹田」とシテはワキの袖を取るとお客さまに背を向けて後方。。笛座の方角を見たのを実見したことがありますので、実際にはそこに鏡板のような障壁があっても、それはないものとして、それを透かして遠方を見る演技をすることは不可能ではないのですが)。

さて実際の『融』の上演では、前述のようにシテ方の流儀により東西南北の取り方が違うので、地名を教えながら見る方角はあらかじめワキとよく打合せをしておく必要があります。


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