↑飯山満城があったところ
快晴の10月20日(木)午前、船橋市の飯山満(はさま)にあったと言う「飯山満城」を光明寺から王子神社の近辺が城跡だと言うので探索したが明確な場所が判らなかった。
10月21日(金)に改めて周辺を訪れた。
東葉高速鉄道「飯山満駅」から東へ約600mくらいの光明寺の北東約150mが城跡と先達が述べている。光明寺の北側周辺に旧家もあるが宅地造成が行われ今では宅地になり地形が変わっている。
しかし、周辺を探索してみるとそれらしい地形も残っている。明確な場所が判らなかったので城趾らしき雰囲気のO氏宅にお聞きしたら、”当たり”で、そこが城趾があった場所だった。
昭和40年代に周囲が削られ宅地になってしまっている。O氏は元々近くの王子神社の宮司だったという。現在のところに赤門があったらしいが明治に火事があり消失した。付近の光明寺、王子神社周囲一帯は城域だったのだろう。
飯山満城も高根城と同様に今では個人宅の敷地になっている。どうやら飯山満城主は織戸加賀守藤原光晴だったようである。
↑飯山満城があったO氏敷地内)
↑飯山満城から近くの光明寺
↑飯山満城と光明寺に近い王子神社
↑王子神社の歴史
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