↑東近江市「後藤館」跡
12月1日(土)、後藤氏館は同じ東近江市内ながら生活圏外が違うので良く知らなかったが滋賀県東近江市中羽田町にあった「後藤館」跡を訪ねた。久しぶりの近江城郭探訪だ。現在は田んぼになっているが大きな土塁と門跡は当時立派な居館を思い起こさせる。
さて、後藤館跡は、中世の近江守護・佐々木六角氏の重臣・後藤氏の在地居館跡である。後藤氏は日本100名城の「観音寺城」を居城とする六角氏に仕え、代々の家老の要職にあり、佐生山(東近江市能登川地区)に居城佐生城を構えていた。
十六世紀中頃、後藤但馬守賢豊は六角義賢の信望を受けて権勢をふるったが、永禄六年(1563)六角義賢の子・義弼に謀殺された。
これが観音寺騒動の発端となり、六角氏は家臣団の信望を失い、やがて六角氏は織田信長に滅ぼされる。後藤氏は六角氏が滅んだ後、蒲生氏に仕えた。
この後藤氏の館跡は周囲に幅10m、高さ3mの土塁を築き、その外に堀の単郭構造の館跡で、東西辺100mの変形四辺形、西辺土塁の中央部に巨石の正門があった。
館跡の建物は位置は定かでないが、昭和56年発掘調査で井戸跡、厠跡、柵跡などが検出され、その位置から主要な建物は敷地内部北部中央付近にあったと推定されている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます