↑松戸城だった戸定邸(旧徳川昭武松戸別邸)の正門
夏のように暑くなった5月19日(金)午前、松戸市の松戸城と金山城に出掛けた。
歴史によると松戸城の確かな築城時期は不明だが1465年頃には千葉氏の配下の原氏によって築かれていたものと思われている。文明年間には太田道灌の配下に属し、永正から永禄時代には里見氏や高城氏に属した。
永禄七(1538)年の第一次国府台合戦では、国府台城付近に布陣する小弓公方軍に対し、北条氏綱・氏康父子の軍は「松渡の渡し」付近から渡河し、「松戸台といふ山」に先陣を上げた。この「松戸台」が松戸城であるとされる。
その後は高城氏の小金城の支城として高城筑前守が在城した。天正十八(1590)年の小田原の役で小金城の開城とともに松戸城も廃城になったと推測される。
明治時代に入ってから、第十五代将軍徳川慶喜の舎弟で水戸徳川家第十一代、徳川昭武の別邸が置かれ、現在は「戸定が丘歴史公園」「戸定邸(旧徳川昭武松戸別邸)」として開放されている。
これまでこの場所にはウォーキングで何回か来ていたが中には入ったことがなかった。中は城の面影はなく、別邸と庭園そのもので市により綺麗に管理されている。庭園は千葉大学農学部のキャンパスと繋がっている。
↑戸定邸説明
↑戸定邸の由来
↑広く綺麗に整備された邸内
↑一部石垣