バンビのDVDを見ていて、
ウサギの子供が「この子の名前は?」って聞くと、
バンビのお母さんが
赤ちゃんのバンビを優しく抱きながら
「何にしようかねえ、バンビがいいかしら…」と
答えるシーンが出てきた。
上の娘が、びっくりした顔をして
「なんで赤ちゃん、名前がないの?」と言う。
「赤ちゃんは、みんな最初名前がないんだよ。
お父さんとお母さんが名前を付けるんだよ」
というと、ふえええっ~て顔をしている。
色々もののわかってきた上の娘の「なんで病」は、
最近、かなり本質的なところをついてくる。
「自分が全て」という乳児の万能感には挫折したものの
「自分と他の人」という関係を見つけて、
怖がりながら、楽しみながら、人と交わっていこうとする3歳児。
そんな時に「名前」はかなり重要なアイテムらしい。
「名前」は、自分をパワーアップさせる強力な武器にもなるしね。
むしろ子供の方が、「名前」の力をよく知って使いこなせているのかもしれないと思う。
(そいえば、一時期娘に「シンデレラ~」と呼びかけると、
トイレとかお風呂とか嫌いなことをさっさとしてくれて非常に便利だった。
でも、都合良く使われている自分に気がついたらしく、最近は効力がない)
一方、
ものに名前があるということを理解し始めた1歳10カ月の自由人は、
ただただ、名前を連呼することに無情の歓びを感じているらしい。
壊れたレコード(死語!?)のように、
目に付いた物の名前は必ず4-5回連呼するのが常。
でも、
「かーやああん」と連呼するのは、近所の手前止めてほしいんだけど。
(虐待してるみたいじゃん)
ウサギの子供が「この子の名前は?」って聞くと、
バンビのお母さんが
赤ちゃんのバンビを優しく抱きながら
「何にしようかねえ、バンビがいいかしら…」と
答えるシーンが出てきた。
上の娘が、びっくりした顔をして
「なんで赤ちゃん、名前がないの?」と言う。
「赤ちゃんは、みんな最初名前がないんだよ。
お父さんとお母さんが名前を付けるんだよ」
というと、ふえええっ~て顔をしている。
色々もののわかってきた上の娘の「なんで病」は、
最近、かなり本質的なところをついてくる。
「自分が全て」という乳児の万能感には挫折したものの
「自分と他の人」という関係を見つけて、
怖がりながら、楽しみながら、人と交わっていこうとする3歳児。
そんな時に「名前」はかなり重要なアイテムらしい。
「名前」は、自分をパワーアップさせる強力な武器にもなるしね。
むしろ子供の方が、「名前」の力をよく知って使いこなせているのかもしれないと思う。
(そいえば、一時期娘に「シンデレラ~」と呼びかけると、
トイレとかお風呂とか嫌いなことをさっさとしてくれて非常に便利だった。
でも、都合良く使われている自分に気がついたらしく、最近は効力がない)
一方、
ものに名前があるということを理解し始めた1歳10カ月の自由人は、
ただただ、名前を連呼することに無情の歓びを感じているらしい。
壊れたレコード(死語!?)のように、
目に付いた物の名前は必ず4-5回連呼するのが常。
でも、
「かーやああん」と連呼するのは、近所の手前止めてほしいんだけど。
(虐待してるみたいじゃん)
ただし、康太の場合はバスも電車も犬も植物もすべて、
「あだー」
なので、一日100回くらい聞かされます。
前は電車は「でーんーんぐぐ」とか、犬も
「わんわーあー」とか近しい音を発していたのに、
最近はすべて「あだー」で済ませています。
退化するなよなー。
きっと話したいことがいっぱいありすぎて
まどろっこしいから、
つい「あだー」って言ってしまうのかもね。
話せなくても
実はかなりいろいろな事をわかっているらしい
彼女・彼ら。
話せるようになると、ほんとこちらの想像を超えるぐらいいろんなことを知ってるし、話します…。
うちのも、放水したダムみたいになってますけど、
今。