農文館2

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稲刈り・はさかけ、そしてコンバイン

2014-10-01 10:53:15 | 日記
 29、30日、美術館の休館日をぬって稲刈りとはさかけをしました。稲刈りは手刈りと稲刈り機と併用です。毎年のことですが、乾き切っていない泥田の部分は手刈りで、乾いた部分は稲刈り機を使います。これも、この2、3年、毎年のことですが、稲刈り機の紐結束の箇所が、紐が絡んで難儀をしています。今年も、朝8時から始めたのですが、運転間もなく紐が絡んで、その修復に1時間半、貴重な時間をロスしました。でも何とか夕方6時までには刈り終えて、翌日30日午前中一杯で、はさかけも完了することができました。

 すでに29日の午後の段階で、足腰に痛みを覚えて、果たして来年も続けられるだろうか、と自問もしていましたが、痛みの中で翌30日にはさかけを終え、それなりに、昨年並みに2列の竿に掛けられた黄緑色の稲穂の姿を見ていると、いや来年もという気持ちの方が強くなってきます。実りの秋、稲刈りを終えて、田んぼに並ぶはさかけの風景は、それほどに僕たちには元気を与えてくれるようです。

 しかし、残念ながら、ここ数年、僻地麻績村でもその風景が見られなくなってきています。稲刈りから脱穀まで、コンバインの登場で、手間暇かかる稲刈り、はさかけ、脱穀を止める農家が増えてきたためです。もとより、農家の人たちの高齢化による肉体的劣化が、使用料の高いコンバインの利用に拍車をかけているです。わが連れ合いも、来年からはコンバインで、とちょっと口にはしましたが、わが田のはさかけ風景を見てか、二度とは口にしたかったことを見ると、それなりに満足しているのかな、とも思っていますが、確かに、いつまで続けられるのだろうか、という不安はついて回っているこの頃です。

 安倍さんの「地方創生」大いに結構。でも「一村一品運動」以来、いやそれ以前からも、どれほどに地方農村の衰退と復興が政治の場で繰り返されてきたことでしょう。一年やそこらで変わる大臣たちに地方の実態が分かろうはずもありません。霞が関の政治家や役人、それに学識経験者さんたちに望むのは、せめて任期中だけでもご家族と一緒に、僻地農村で生活したうえで、言葉を発し、政策につなげてもらいたいと思うことしきりです。はさかけの少なくなった、歯抜けのような田んぼの風景がそれを訴えているようにも思います。「美しい日本」を口にする皆さん、「田園、正に荒れなんとする」の段階は、すでに過去形の状態になりつつあるのです。
 ちなみに米価は60キロ当たり約7、8000円、生産費の半分以下、やっていられないにもかかわらず、米作りをしているのは、先祖代々の田んぼを荒れ地にし切れない、農家の人たちの心情によるところ大なのです。それに加えて「天日干し」のお米が消えてゆくのも、これまた残念なことです。

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