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西部邁さんの自死

2018-01-27 09:44:03 | 日記
 西部邁さんが1月21日亡くなられた。享年78歳。60年安保の同世代の一人として西部さんの言葉には常に関心をもって接してきた。必ずしもよって立つところは同じではないが、対米追従、大衆迎合批判など与するところも多かった。昨年の今頃、60年安保当時からの小生の”目覚めへの旅”について、このブログでその一端を「井野論文雑感」という形で紹介させていただいただけに、一層感慨深い思いに駆られている。西部さんのことを左翼から保守派への転向者という向きも多くあるけれど、自分の来し方を顧みながら、必ずしもそうではなかったという思いもある。

 物心つき始めてからおよそ60年、「知」とは究極「無知の知」であることを知り、「知」は実践に結びつかなければ、という学者としての道徳観が背柱となっていったのは、智を愛する者の宿命であり、左右の思想にその隔たりはあまりないと理解するようになっている。その点でも今日的状況ー大宅壮一風に言わせれば「一億総白痴化」的状況ーに、西部さんが「魯迅の絶望」を超えて、絶望感を抱いていたことは首肯できる。痛みの伴う持病に加えて加齢による肉体の劣化、聞けば数年前に同志的存在であった伴侶を亡くされたという。日日、全く同じ体感外感を味わっている者としては、いう言葉もない。昨年、フジテレビの「プライムニュース」に出演している姿を見たのが最後となったが、印象に残ったのは白い手袋をしている西部さんだった。実は小生も手袋を離せないでいる。後で知れば、これも持病によるという。そしてその結論としての西部さん最後の実践が自死だった。カント流「純粋理性批判」から「実践理性批判」だったのか。

 我が身の内奥を知ってか知らずか、これからも「頑張れ」と言われる中、西部さんの自死が他人事ではなく”ズシン”ときた。自死の願望を抱きながらも果たせず病に倒れたわが娘のことがそれに重なる。自死を選択できなかった痛みと哀しさとが。

 西部さんのこれまでの歩みと最後の実践に敬意を表して、ご冥福を祈ろう。 合掌    

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