この間の「N響アワー」で、シューベルトの「未完成交響曲」を取り上げていました。
←シューベルト(1797~1828)
「未完成交響曲」の哀愁ただよう調べは、私も大好きですが、その番組で私の心に沁みたのは、その交響曲を作曲する頃にシューベルトが語った、
次のようなことば(詩)でした。
私は 遠い地方へさすらいの旅に出た
私は歌を 永い永い年月にわたって歌い続けた
私が愛を歌おうとすると
それは苦しみに変わった
そして私が苦しみばかり歌おうとすると
それは愛に変わった
こうして私を愛と苦しみが
真っ二つに引き裂いたのだ
「私の夢」(1822)より
次はずいぶん前になりますが、やはりNHKの「歴史秘話ヒストリア」で、細川ガラシャを取り上げた時のこと。
明智光秀の女(むすめ)として生まれ、細川忠興の妻となり、関ヶ原の戦の折、人質になるのを拒んで自害した彼女ですが、彼女が詠んだ、辞世の
歌。
散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ
なんという潔さだろう!
もちろん私には、爪の垢ほども真似はできないけれど‥。
次は最近の「新日本風土記」で、京都の仏像を取り上げた時の、二つのちっちゃな仏さまの映像です。
一つ目は、京都三千院のお庭に、そっと置かれた(いらっしゃる)二体の石の仏さま。
二つ目は、櫻井覚山さん(仏師)が、祈りを込めて彫られ、東日本大震災で被災された人々のもとに贈られた、手のひらサイズの仏像。
仏像を持っておられる手は、被災者のものです。
ほとんど無宗教に近い私ですが、穏やかな仏像のお顔や姿は、やはり心に沁みます。
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