ベトナム戦争時、従軍カメラマンとして素晴らしい写真の数々を撮影した、沢田教一さん。
しかし彼は1970年に、34歳の若さで銃弾に倒れてしまう。
その彼の写真展が、難波高島屋のギャラリーで行われていた。
8月31日、上六で行われた食事会のあと、Kさんと一緒に観に行った。
沢田氏の写真は、戦場で撮られたものであるにも拘わらず、ほとんど残虐さが感じられない。
そこが素晴らしいと思う。
≪安全への逃避≫と題された下の作品は、ベトナム戦争の真実を伝えた作品として多くの人から評価され、ピュリッツァー賞を
獲得した。
母と子が何とか安全な場所に行き着こうと必死で川を泳いでいる姿は、戦争が庶民にもたらすものの何たるかをあぶり出して
いる。
沢田氏はこの母子に対岸から手を差し出すような気持ちで、シャッターを押されたのだろう。
「がんばれ、がんばれ!」と呼びかけつつ、シャッターを切られたに違いない。
事実、この後沢田氏は母子のその後を案じて探しておられたが、しばらくして元気な母子に再会することができたのだそうだ。
そしてこの時彼は、ピュリッツァー賞の賞金の中から何がしかのモノを、母子に渡されもしたそうだ。
このように沢田氏は、戦争という状況下で生きる(生きざるを得ない)兵士や庶民の姿を、愛情を持ってとらえられた。
そのような姿勢が、戦場写真家と言われる彼の写真を、残虐さの無い、むしろ見る者に癒しさえ感じさせるものになったのだろう。
戦場にありながら沢田氏の眼は、その先に来たるべき「平和」を、見つめていたのかも知れない。
34歳で銃弾に倒れられた沢田氏には、年上の愛妻・サタさんがおられた。
サタさんもまた写真家であり、氏とは同志的な間柄だった。
そして92歳で今も健在であるサタさんはベトナムを訪れ、沢田氏が撮るのを熱望されていた、平和になったベトナムの子ども
たちの笑顔にカメラを向けられる。
そして、「この笑顔を、沢田にこそ見せたかった!」と、しみじみと語られた。
私は、沢田ご夫妻の人間性の素晴らしさに、心から感動した。
久しぶりに行った展覧会だったけれど、心が満たされ、全く疲れることはなかった。
低気圧睡眠症候群、なんかイイなあ!私も寝るのは得意ですが、この日ばかりは恐怖でイッパイでした。