私の好きな番組のひとつ…「小さな旅」。
今回は、山本哲也アナウンサーが、秋田県・田沢湖を訪ねられた。
「田沢湖」は、太古の昔噴火によって生まれた、(水深423メートルの)日本で一番深い湖なのだそうだ。
そこには年間200万人の人が訪れ、田沢湖のブルーの水と周囲の豊かな自然を楽しまれている。
田沢湖を訪れその水の青さに魅了された山本アナウンサーは、湖畔を巡って<田沢湖を愛してやまない3人の方>に出会わ
れる。
<その1> 田沢湖畔を颯爽と走る、御年81のロードバイクインストラクター・土屋朋子さん。
ロードライダー姿の土屋朋子さん(81歳)
安保闘争まっ盛りの1960年に大学を卒業された土屋さんは、、大手広告代理店に就職され、女性の社会進出の先駆けとなら
れた。
若き日の土屋さん
その後、仕事先で出会った「ツール・ド・フランス」に魅せられて40代で会社を立ち上げ、国内の自転車レースの普及に努められ
たのだそうだ。
そして70歳、仕事を辞められた土屋さんが、終の棲家として居を構えられたのが、田沢湖畔だった。
3年前に夫を亡くされた土屋さんだが、今も家の前の畑で野菜などを作られ、田沢湖の自然を満喫して暮らされている。
「これからも、田沢湖に感謝しながら、田沢湖から多くのものを戴きながら、暮らしていきたい」
そして今、土屋さんの周りには、かつての講習会で、ロードライダーと土屋さんの魅力にはまった女性ライダーたちが、東京周辺
から集まってこられて、ツーリングを楽しんでおられるのだそうだ。
アッパレ!強くしなやかに生きる、女性ライダー土屋さんとその仲間たち
<その2> 「神秘のブルー」の“光”と“影”……絶滅した「クニマス」に、今もあこがれ続ける、三浦久さん。
次に山本アナが向かわれたのが、一軒の茶屋。
そこには、「きりたんぽ」ならぬ「みそたんぽ」の幟が、ひるがえっていた。
昔から子どものおやつだった、素朴な「みそたんぽ」
その茶店の主が、三浦久さんだった。
久さんが言われるには、以前田沢湖には多くの魚が住んでいた。
中でも、田沢湖にしかいない「クニマス」は、とても美味しく、高級魚として、昔は将軍にも献上されたという。
そこで田沢湖畔の人たちは、代々漁師として暮らしを立て、久さんのところも例外ではなかった。
(昔の写真で、ずい分ボヤケテますが…)
写真ではちっとも美味しく見えない…「クニマス」(涙)
ところが、日本が戦争に突き進んだ昭和15年、電力の不足を補おうと、国策で、田沢湖の上流にダムが造られることになった。
そしてダムが造られると、上流から強い酸性の水が、ドッと田沢湖に流れ込んできた。
田沢湖に流れ込む「酸性の水」
酸性の水には、生き物は(もちろん魚も)住めない。1年足らずで田沢湖の魚は絶滅したという。
残ったのは、生き物がいなくなった湖の、透明で青く澄みきった水。 神秘の「田沢湖ブルー」だった。
しかし一方では、魚が住めなくなった田沢湖では、当然ながら漁はできない。
みんなが漁師をやめざるを得なかったが、三浦家も同じで、久さんの祖父の代で泣く泣く漁師をやめ、茶屋を始められたのだ
そうだ。
まさに、「神秘の田沢湖ブルー」の、“光”と“影” だ。
久さんは今、田沢湖にしかいなかった「クニマス」という魚の存在と、「自然は一旦破壊すると取り返しがつかない」ことを、若い
世代に伝えていきたいと、講演会などを開かれているそうだ。
<その3> 故郷に居残り続け、故郷の歩みをフィルムに撮り続ける、難波和夫さん。
最後に、田沢湖の遊覧船の上で山本アナが出会われたのが、難波和夫さんだ。
難波さんは、田沢湖から一山越した村で農家を営まれていたが、高度経済成長や減反の影響で、農業は壊滅的な状況だった。
そこで多くの人々が出稼ぎに出たり、故郷を捨てて都会に移り住んだりしたが、何故か難波さんは故郷を離れられなかった。
彼は消防署に職を得、仕事をしつつ、人々の暮らしと変わりゆく故郷の風景(特に田沢湖の)を、写真で残していきたいと思わ
れる。
下が、彼の撮られた写真の一部です。(テレビ画面の筋が入って、醜い写真になってしまいました。ゴメンナサイ。)
護岸工事のため、この桜の風景も無くなったそうだ。