瀬戸の夕凪の中、老夫婦が散歩されている。 しっかりと手をつないで。
男性は、美術作家・高橋秀さん(89歳)、女性は、布貼り絵作家の藤田桜さん(94歳)だ。
ここは、岡山県倉敷市沙美海岸。 この海岸の向かいに、お二人のアトリエがある。
このアトリエ(右の建物)で夫・秀さんは美術作品の制作に余念が無く、妻・桜さんは、住居(左側の建物)のリビングルームで、
布を使った作品(布貼り絵)の制作を楽しんでおられる。
お二人の、比較的最近の作品。
高橋秀 「黄金の稜」 (2006)
藤田桜 布貼り絵 「春の独楽」(2016)
同上 「桜」 (2013)
同上 「とうがら峠」 (2008)
お二人が結婚されたのは、今から61年前の1958年のこと。
当時、福山から上京された秀さんは、アルバイトをしながら絵画の勉強をしておられ、桜さんは既に仕事に就かれていた。
下が、結婚当時のお二人の写真。 (桜さんはふくよかで可愛く、秀さんはとってもハンサム!)
結婚後程なくの秀さんの作品。 もちろんモデルは桜さん。
そして1961年、秀さんは、「月の道」によって、新人画家の登竜門・安井曾太郎賞を受賞される。
「月の道」 (1961)
これで画家としての地位が保証された秀さんだが、彼は1963年、突如日本を出てローマに向かわれる。
その時の心境について、彼は次のように語られている。
「安井賞を受賞した自分に対して、画壇・画商が要求したのは、「月の道」ふうの作品の制作であり、それでは自分の創作の可
能性が狭められ制限されると、強い危機感を感じた。」
その言葉を聞いて私は、秀さんが現状に安住しないで創造の道を追求していく、いかにも芸術家らしい芸術家だと感じた。
一方桜さんは、結婚前から仕事をされていて、その中でも、絵本・『よいこのくに』の表紙を40年近くに亘って担当された。
『よいこのくに』 創刊号
とにかく日本を脱出することだけを考えてローマに赴かれた秀さん(夫妻)だが、当時のヨーロッパの芸術家たちの「自分の考え
や主張・思いを、荒々しいまでに追求する姿勢」に共感して、自らの道を真剣に模索し追求していかれるようになる。
そして、当初は≪エロスの画家・高橋秀≫として世界から高く評価され、80年代になってその作品は巨大化していく。
「鏡の中で」 (1976)
大きな作品2つ (共に、1989年)
そして1993年には、秀さんのローマ滞在30年を記念して、ローマ国立近代美術館で大々的な個展が開かれた。
一方桜さんは、以前から担当されていた『よいこのくに』の表紙を引き続き描かれる一方で、「布貼り絵」という新しいジャンルを
開拓される。
その「布貼り絵」で作られた『ピノッキオ』の絵本は、「布貼り絵」という方法の新鮮さと技術の高さによって、高く評価されている。
41年間に亘ってローマで活躍されたお二人だが、2004年にローマを後にして帰国され、上記のアトリエに移り住まれた。
そしてそこでそれぞれに創作活動をされるのだが、それだけでなく、アトリエの2階を子どもたちに開放してアート教室を開か
れたり、海外で芸術を学びたいと思う若い人たちのために、「秀桜基金」を設立して留学費を援助されたり、などという活動もさ
れている。 ステキだなあ!
そして今、東京・世田谷美術館で、お二人のこれまでの作品を集めた展覧会が開かれている。
その展覧会にも出展されている、お二人の最新作。
桜さん 「初夏のなかま」
秀さん 「環」
展覧会場を訪れられたお二人
今お二人は、一日の終わりにグラスを交わしながら、「おめでとう!」と言い合われるのだそうだ。
芸術家としてはもちろん、人間としても、豊かな人生を紡いでこられたお二人。
お二人の61年の生活に、乾杯!
そして、俳人でもある桜さんが詠まれた歌を最後に載せて、この長いブログを閉じます(^_^;)
「舫い船 睦ぶとも見え 浜おぼろ」