のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

≪田沢湖≫を愛し、そこで暮らし続ける人たち (NHK <小さな旅> )

2019-08-09 16:09:09 | 日記

 私の好きな番組のひとつ…「小さな旅」。

 今回は、山本哲也アナウンサーが、秋田県・田沢湖を訪ねられた。

                

 

                    

 

 

 「田沢湖」は、太古の昔噴火によって生まれた、(水深423メートルの)日本で一番深い湖なのだそうだ。

                

 

 

 そこには年間200万人の人が訪れ、田沢湖のブルーの水と周囲の豊かな自然を楽しまれている。

               

 

 

 田沢湖を訪れその水の青さに魅了された山本アナウンサーは、湖畔を巡って<田沢湖を愛してやまない3人の方>に出会わ

れる。


 <その1> 田沢湖畔を颯爽と走る、御年81ロードバイクインストラクター土屋朋子さん。

              

                  ロードライダー姿の土屋朋子さん(81歳)

 

  安保闘争まっ盛りの1960年に大学を卒業された土屋さんは、、大手広告代理店に就職され、女性の社会進出の先駆けとなら

れた。

              

                       若き日の土屋さん

 

 その後、仕事先で出会った「ツール・ド・フランス」に魅せられて40代で会社を立ち上げ、国内の自転車レースの普及に努められ

たのだそうだ。

 そして70歳、仕事を辞められた土屋さんが、終の棲家として居を構えられたのが、田沢湖畔だった。

 3年前に夫を亡くされた土屋さんだが、今も家の前の畑で野菜などを作られ、田沢湖の自然を満喫して暮らされている。

            

 

              

         「これからも、田沢湖に感謝しながら、田沢湖から多くのものを戴きながら、暮らしていきたい」

 

 

 そして今、土屋さんの周りには、かつての講習会で、ロードライダーと土屋さんの魅力にはまった女性ライダーたちが、東京周辺

から集まってこられて、ツーリングを楽しんでおられるのだそうだ。

            

 

            

           アッパレ!強くしなやかに生きる、女性ライダー土屋さんとその仲間たち

 

 

 <その2> 「神秘のブルー」の“光”と“影”……絶滅した「クニマス」に、今もあこがれ続ける三浦久さん

  次に山本アナが向かわれたのが、一軒の茶屋。

  そこには、「きりたんぽ」ならぬ「みそたんぽ」の幟が、ひるがえっていた。

            

 

              

              昔から子どものおやつだった、素朴な「みそたんぽ」

 

 

 その茶店の主が、三浦久さんだった。

              

 

 

 久さんが言われるには、以前田沢湖には多くの魚が住んでいた。

 中でも、田沢湖にしかいない「クニマス」は、とても美味しく、高級魚として、昔は将軍にも献上されたという。

 そこで田沢湖畔の人たちは、代々漁師として暮らしを立て、久さんのところも例外ではなかった。

 (昔の写真で、ずい分ボヤケテますが…)

             

             写真ではちっとも美味しく見えない…「クニマス」(涙)

 

            

 

 

 ところが、日本が戦争に突き進んだ昭和15年、電力の不足を補おうと、国策で、田沢湖の上流にダムが造られることになった。

 そしてダムが造られると、上流から強い酸性の水が、ドッと田沢湖に流れ込んできた。

            

 

              

                   田沢湖に流れ込む「酸性の水」

 

 酸性の水には、生き物は(もちろん魚も)住めない。1年足らずで田沢湖の魚は絶滅したという。

 残ったのは、生き物がいなくなった湖の、透明で青く澄みきった水。 神秘の「田沢湖ブルー」だった。

 しかし一方では、魚が住めなくなった田沢湖では、当然ながら漁はできない。

 みんなが漁師をやめざるを得なかったが、三浦家も同じで、久さんの祖父の代で泣く泣く漁師をやめ、茶屋を始められたのだ

そうだ。

 まさに、「神秘の田沢湖ブルー」の、“光”と“影” だ。

 久さんは今、田沢湖にしかいなかった「クニマス」という魚の存在と、「自然は一旦破壊すると取り返しがつかない」ことを、若い

世代に伝えていきたいと、講演会などを開かれているそうだ。

            

 

 

 <その3> 故郷に居残り続け、故郷の歩みをフィルムに撮り続ける、難波和夫さん

  最後に、田沢湖の遊覧船の上で山本アナが出会われたのが、難波和夫さんだ。

            

 

 

              

 

 

 難波さんは、田沢湖から一山越した村で農家を営まれていたが、高度経済成長や減反の影響で、農業は壊滅的な状況だった。

 そこで多くの人々が出稼ぎに出たり、故郷を捨てて都会に移り住んだりしたが、何故か難波さんは故郷を離れられなかった。

 彼は消防署に職を得、仕事をしつつ、人々の暮らしと変わりゆく故郷の風景(特に田沢湖の)を、写真で残していきたいと思わ

れる。

 下が、彼の撮られた写真の一部です。(テレビ画面の筋が入って、醜い写真になってしまいました。ゴメンナサイ。)

            

 

           

             護岸工事のため、この桜の風景も無くなったそうだ。

 

            

 

           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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2 コメント

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美しい田沢湖 (じゅん)
2019-08-10 08:41:12
田沢湖はまだ行ったことはありませんが、ブルーが美しく、本当に水鏡のようですね。私たちもニセコへ移住してから自転車を購入して、洞爺湖一周などトライしていましたが、最近は全く自転車には乗っていません。長時間乗ると、結構お尻が痛くなります。土屋さんはすごい方ですね。
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じゅんさんへ (のんスケ)
2019-08-10 14:42:39
 そうなんですか!洞爺湖一周されてたなんて、さすがじゅんさんご夫妻ですね♪
 土屋さんが乗っておられるのは、ロードバイクという、体にフィットしてとても軽い自転車だそうです。
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