<リオデジャネイロネイロ・オリンピック>は、強い感動を残して今日閉幕した。
極限まで鍛えられた肉体と技術、そしてその肉体に宿る強靭な精神が一体となったとき、アスリートたちの素晴らしいパフォーマンス
が生まれ、それが私たちを、強い感動と興奮の渦に巻き込む。
(下の写真は、そんなアスリートたちの、ごく一部の写真です。 ~毎日新聞より)
そんなオリンピック期間中、私の心の中にはもう一つ、<戦争と平和>のことが、常におもりのように存在していた。
<戦争と平和の問題>は、普段でも私の重大関心事だ。
でもこのオリンピック期間中には、8月6日のヒロシマ原爆の日・9日のナガサキ原爆の日があり、15日はもちろん、終戦(敗戦)の
日だ。
オリンピックでの選手たちの活躍に心を躍らせる一方で、第二次世界大戦で日本が犯した加害と受けた被害のむごさに、私の心は
強く痛み、今後二度とこんな悲劇が繰り返されることのないことを、切に祈っていた。
せめてもの気持ちで私は、ヒロシマに原爆が投下された6日とナガサキの9日には、毎年平和祈念式典のテレビ中継を見ながら、原
爆投下時に合わせて黙祷を捧げる。そして今後の平和を祈る。(祈るだけでは不十分なことは分かっているけれど…)
長崎平和祈念式典で、毎年素晴らしい<平和宣言>をされる田上長崎市長。
今年の宣言も、今の日本と世界の情勢を的確にとらえた素晴らしいものだった。
その長崎市長の<平和宣言>の一部を、次に載せます。
「不信のサイクルを信頼のサイクルに転換するためにできることの一つは、粘り強く信頼を生みつづけることです。」
そして市長は、「福島との連帯」を強く訴えられ、「同じ放射能の被害を受けた街として、福島を応援しつづけます。」とも言われた。
一方この時期には、いろんな放送局で<戦争と平和>に対する特集番組を組んでいる。
私はできる限りその番組を見て、戦争と平和について、今までに知らなかったことを、できるだけ知るようにしてきた。
今年も何本かの番組を見て、「こんなことがあったのか!」と、改めて、強い驚きと怒りを感じた。
今その一つ一つについて書くことは(しんどくて)できないけれど、一つだけ、NHKで放映された「映像の世紀」に、ちょっとだけ触れ
ておきたいと思います。
この番組では、誰もが知っているような有名な科学者の生き方を、映像と共に紹介していた。
ダイナマイトを発明したノーベルが、そのダイナマイトを戦争(第一次大戦)に使用して大儲けをし、皆から「死の商人」と呼ばれ、戦
後、名誉挽回のために、かの「ノーベル賞」を創設したしたことを、私はこの番組で(恥ずかしながら)初めて知った。
その他、ライト兄弟やガトリン、エジソンやキューリー夫人までもが、戦争に積極的に協力したり、させられたりした。
絶対の平和主義者だったアインシュタインでさえ、ユダヤ人であることでドイツを逃れなければならなくなり、逃亡したアメリカで結局、
原子爆弾の製造に協力してしまうことになる。
科学者たちの素晴らしい発明や技術が、戦争の時代には、人殺しの武器をつくり出すことに使われ、莫大な犠牲者を出してしまった
のだ。
もちろんアインシュタインは、原子爆弾が実際に日本に投下されたことを知り、自分の行為を深く反省して、その後<核廃絶の運
動>を強力に推し進められることになるのだが‥。
(アインシュタインの呼びかけを受けた湯川秀樹博士が、その運動に、最期の時まで心血を注がれたことは、よく知られている。)
この番組だけでも、戦争が人間をいかにゆがめてしまうものであるかを、如実に物語っている。
話を最初のオリンピックに戻すと、私たちを感動させたアスリートたちのパフォーマンスは、平和があってこそ、花開くものだと思う。
今回のオリンピックには紛争地帯から参加した方たちもおられたけれど(それはそれで素晴らしいことだが)、もし紛争や戦争が無い
状態なら、彼女や彼らの数はもっと多くなり、もっともっと素晴らしい力を発揮できただろう。
アスリートたちが、平和な世界で、その力を存分に発揮できる世界になることを、強く願ってやまない。
<追記> 4年後の東京オリンピックが、全ての日本国民の幸せの上に、そして世界の平和がさらに広がる中で、<平和の祭典>と
して行われることを 心から願っている。 でも、今の日本の政治の流れを考えると、東京オリンピックが果たしてそのよう
なものになるか、一抹の不安を感じてしまう。