昨日(12月2日<日>)大阪城ホールで≪1万人の第九コンサート≫が行われた。
(上)大阪城ホール天井に取り付けられた「10000人の第9」のボード
≪1万人の第九コンサート≫は、一般の人の中から公募で1万人の合唱団を募り、1年の締めくくりに“第九”の大合唱をするという催し。
私も昨日初めて知ったのだが、このコンサートが始まったのは今から30年も前なのだそうだ。
最初の指揮者は、山本直純氏。 何年か前から、佐渡裕氏がタクトを振られている。
昨年は、東日本大震災を受けて、被災者への鎮魂と復興への祈りを込めて、仙台会場と中継を結んで、同時開催された。
今年もその流れを踏襲して(というか)一層発展させて、コンサートが催される。
私は今までこのコンサートを、テレビでしか見た(聴いた)ことがなかった。
でも今年は、友人・Yさんの娘さんが合唱団に参加されているので、Yさんが苦労してチケットを2枚取って、私を誘ってくださった。
そのお陰で私は、コンサートを初めてナマで聴くことができることになったのだった。
ちなみにYさんは、(このブログにも書かせていただいたが)10月初めにご主人を亡くされた方。
今回合唱団に参加されてる娘さんは、一番下の娘さんで、Yさんと一緒に、お父さんの最期の日々を(お仕事を休んで)共に過ごされた娘さん。
その娘さんが、お父さんの看護の日々の間も必死で練習を重ねられ、昨日の発表の日を迎えられたのだ。
私の昨日のコンサートへの参加は、コンサートそのものへの興味が第一ではあったが、Yさん&Yさんの娘さんとともに、コンサートの時間を過ごした
いという思いからでもあった。
私は、大阪城ホールの中に入るのは、今回が初めて。
真ん中にステージがあって、周りをぐるりと客席が取り巻いている。
その規模の大きさに、私はまず驚いた。
と同時にもっと驚いたのは、客席の3分の2ぐらいは、女性合唱団の白いブラウスで埋め尽くされていたこと。
(もちろん黒いスーツを身にまとった男性合唱団の方々もおられたんだけれど、私たちの席からは見えにくかった。)
(下半分の、米粒みたいに見えるのは、白いブラウスの女性合唱団の方たち)
第九コンサートは、2部が、第九の演奏・合唱で、1部には、毎年いろんな音楽家たちがゲスト出演される。
今年のゲストは、な、なんと、あの辻井伸行君と、森山良子さんだった!
何度トライしてもチケットが取れなかった辻井君のピアノが、ここで聴けるなんて!
しかも、曲は、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番・第3楽章。
彼の演奏が終わると、会場全体が、感動の渦に巻き込まれ、歓声と拍手が鳴り止まなかった。
辻井君の後は、森山良子さんが、真っ赤なドレスを身にまとい、佐渡氏にエスコートされて登場された。
彼女の最初の歌は「涙そうそう」、2番目は、「家族写真」という、とてもステキな歌だった。
ご主人を亡くされたばかりのYさんが、こらえ切れずにすすり泣かれる声を聞きながら、私にはその気持ちが痛いほど伝わってきた。
二人の後に、サプライズゲストとして槇原敬之さんが登場! 歌うは、「世界で一つだけの花」。
この歌の後半では、会場は完全に一つになって盛り上がった。
観客も合唱団も手を打ち鳴らし、舞台上では、辻井君も森山さんも、歌いながら踊っておられた。
1部がすごい盛り上がりのうちに終わり、しばらくの休憩のあと、いよいよメインの「第九」の演奏が始まった。
昔は、第九の長い演奏が退屈で、早く合唱が始まらないかと、そればかり思って耐えていた。
でも今は、そんなことは全くない。
第1楽章も第2楽章も、第3楽章も、すばらしい音の起伏の連続。
こんなふうに思えるようになるって、やっぱり歳を重ねてきたからだろう。
そう思えば、年を取るのも、あながち悪いことばかりではないな、なんて思ったりする。
話が横道にそれてしまったが、いよいよソロに続いて、あの有名な合唱の始まりだ。
1万人の大合唱!
それは、予想をはるかに超える大音響だった。
1万人の方々が、心を一つにして懸命に歌われる姿と歌声は、壮絶と言ってもいいほどのものだった。
演奏が全て終わると、合唱団の方々は、安堵と感動で頬を紅潮させ、中には涙ぐんでおられる方もあった。
観客の私にも、その気持ちはよく分かった。
と言うより、この時、合唱団の人もオーケストラの人も、そして観客も、心は一つだったから。
こうして、感動の「第九コンサート」は終わった。
私たちは、コンサートの余韻に浸りながら京橋まで歩き、そこで夕食をとった後、別れて帰途についた。