ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

保釈・・・1    フィリップスのリリース

2015-10-20 | 5章 デリー中央刑務所  保釈

 モンスーンに入り熱さの峠は越えた。ホワイトブルーの空を黒い雲が蔽い激しい雨を降らせた。房の入口に立ち流れる雨水を見ている、ひとつの夏を生き延びた。雨がやむと収監者達は外へ出て意味もなく歩き回った。大きな木の下の台座に座っていると木の葉から雨水が落ち身体を濡らす、気持ちが良かった。
 フィリップスの釈放が8月14日と決まった。彼はやっと落ち着きを取り戻した。釈放の日、ぼくとフィリップスは台座に座って今後の方針を綿密に話し合った。
「俺が出たら1ヶ月以内にお前をリリースさせる」
その為に弁護士を替える。ラジン・バクシ弁護士の弁護費用は少し高いが保釈を専門とし、裁判所や病院それに刑務所内に広いパイプ網を持っている。彼に弁護を依頼するには15万ルピーくらいのアドバンスが必要だ。出来るだけ早く日本からの送金を手配しておいてくれ。バクシ弁護士が弁護を引き受けてくれたら直ぐ連絡をする。この日、夕方フィリップスは釈放された。房の出口でぼくの手を強く握り
「心配するな、友達じゃないか」
「分かった、お前に任せる」
ぼくが蛇のような目をしたリーダーにパケを取られ捕まった事があった。不安に落ち込んでいたぼくに
「心配するな、友達じゃないか」
と言ってジャクソンはぼくを助けてくれた。そして今、フィリップスは友達じゃないかとぼくに言った。全てを彼に任せよう。
  
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第9話  ぼくはカメラマン?・・・3   計画 

2015-10-19 | 第9話 ぼくはカメラマン


昼食の準備をするババ 石のまな板 燃料はガンガに流れる小枝など

 ぼくにはアシュラムの学習スケジュールが決まっている。午前中は早朝の瞑想が終ってから第2瞑想が始まる10時までの2時間くらいが空いている。第2瞑想は11時に終るがすぐ昼食になり、毎朝4時起きだから昼食後は当然2時頃まで昼寝をする。それはババ達も同じで昼寝をしている。午後の空き時間は3時30分から始まるハタ・ヨガまでの約2時間だ。ババ達の写真撮りは2~3日かかるだろうが何も急ぐことはない、ぼくがリシケシを出発するまで後2週間ぐらいは残っている。写真撮りはどうせすんなりとは進まないだろう。ああしろ、こうしろと注文をつけてくるに違いない。もう一つ問題がある。写真撮りが数日かかると小さい村だ、噂が広がるかもしれない。別館下へ行けばお金がなくてもカラー写真を撮ってもらえると、インド人達が集まりだしたらたまったものではない。この件についてはサフランババに釘を刺しておかなければならない。 
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第9話   ぼくはカメラマン?・・・2   ババ達の相談

2015-10-16 | 第9話 ぼくはカメラマン


サフラン・ババ 最上段 彼の寝床 

「ジャパニーババお前は日本人だろう、だったらカメラを持っているな」
といきなりわけの分からないことをサフランババが言いだした。どうしたんだ、このババは何が言いたいのか
「俺は日本人だ、それがどうした。俺に何の用があるんだ?」
ぼくはズーム付きのバカチョン・カメラと数本のカラー・フィルムを日本から持ってきていた。が寺院や風景を撮る趣味は持っていない、カメラはバックパックの中に放り込んだままだ。
「カメラがどうした」
「写真を撮ってくれ、頼む」
ぼくに皆の写真を撮らせようと相談をしていたのか、やっとこの雰囲気の意味がつかめた。
「だめだ、カラー写真1枚で2ルピーもするんだぞ、だめだ」
「そう言うな、皆が写真を欲しがっている。撮ってくれ」
「ババ~お前2ルピーが払えるのか?」
「金はない、そこのところを何とかしてくれ、頼む」
こんな問答をいつまでやっても埒があかない、と周りを見るとババ達の視線がぼくに向けられていた。ババ達は真剣な顔をしてジャパニーババ、ジャパニーババと情けなくも追いすがるような声をだしやがる。何なんだ、たかが写真1枚じゃないか、いくらぼくでもここまで言われたら断わる事は出来ない。
「分かった、撮ってやる」
と約束してしまった。だが相手はババといえども海千山千のインド人だ、ぼくがちよっとでも甘い顔をすると痛い目に会う。
「いいか、1人2枚だ。顔のアップと全身の2枚だけだ、分かったか」
「アッチャー」(分かった)だがこのアッチャーをどのように理解して言っているのだろうか、ぼくに不安が残った。
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第9話   ぼくはカメラマン・・・1

2015-10-15 | 第9話 ぼくはカメラマン


 朝の瞑想が終りチャイ屋で朝食をすませるとぼくは別館下へ行った。ババ達が1ヵ所に集まって何やら話し合いをしているような雰囲気がある。ここには常時10人ぐらいのババ達が生活をしているがメンバーが固定しているわけではない。いろんな聖地を巡っているババもいる。サドゥ(修行者)といえどもここはインドである、カースト制度は彼らの生活のありようを拘束している。別館下はガンガ河畔にあるが上部の本通りから河辺へ向けて傾斜がついている。その斜面に長い年月をかけてそこに住んだサドゥ達によって寝床が作られていた。両横に通路があり斜面にはできる限り多くの寝床が作られている。旅をしてきたサドゥが寝場所の様子を見にくるが空きがなければ他を探しに行く。だがもし空いた場所があったとしても使わせてもらえるかどうかはカーストにもよる。上部から下部にかけてカーストの序列に従って寝床の位置が決まっている。上部の場所が空いていたとしてもそこに低いカーストの者が入るということはない。時々、ババ達の寝床が替わっている事があったが、場所を繰り上げたり下げたりして新参者の寝床を融通しあっていたのではないだろうか。それでも別館下に入れない若いサドゥがいた。空き寝床があるのにどうして入らないのか聞いたことがある。だが外国人のぼくが彼等のカーストに関わる問題に口を出すことは禁句であることを後で知った。
 最上段に一つの寝床ある。サフラン色の衣服を身に着けたババは長いこうもり傘を持ち毎日ヒンディー語の新聞を読んでいる。彼はインテリでありこのコミュニティの相談役でもある。サフランババがぼくにちょっとここに来てくれないか手招きをする。どうもいつもの別館下の雰囲気と異なっているようにぼくには感じられる。皆で何か相談したような節があるが、しかしそれぞれカーストが異なっているから全員で行動をするという事はないはずだ。ぼくが別館下に入ったときから皆の視線がぼくに向けられている。ババ達の並んだがん首をよく見ると、なんと汚い格好をしていることか髪も髭も伸び放題だ。
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コ・パンガン・・・3     バンコク~コ・パンガン

2015-10-13 | コ・パンガン

移動はやっぱり疲れる。バスはリクライニングで楽だったしタイ人の手順もいい、インドとは大変な違いだ、がそれでも疲れた。
カオサンを出発したのは夕方6時頃、途中で食事しスラターニ着は翌朝5時30分、フェリーは8時発、コ・サムイ着11時、コ・パンガンには12時頃着いた。時間も正確だしすべてスピーディーだった。フェリーの中には有料だがACルームもあった。
ポカラで会ったジャンキーから教えてもらったライト・ハウスへ向かう。港で乗り合い船に乗りハドリンビーチへ、そこから先は小舟をチャーターした。ブルーサファイヤの海面は太陽の光を吸収し放出していた。島の突端の小さな山の斜面に少し大きなビーチハウスがありその周りにバンガローが点々とある。近くの船着場で降り歩く。何もかも小気味よく進行する、ぼくにとってはその事が有り難い。疲れているとき理解できない時間待ちは神経を逆なでする。
一軒のバンガローにやっと落ち着いた。綺麗とは全く言えない、蚊も多そうだ。あるのは静けさとその中に囁くような波の音だけ・・・
初日の感じとしては1ヶ月もいることは無理なように思われる。とにかく虫が(蚊、南京虫、ヒル、のみ全部体験済み)嫌いだから。ここでSさんと会う約束なのだが辛い待ちになるのかもしれない。
日中の暑さからは想像できなかったが夜は蚊帳の中に入っても涼しかった。夜中は少し肌寒いとまではいかないが薄いシーツを掛けバリウムを飲んで快適に眠った。夜だけでも涼しく眠れるようであれば長居は可能だし、それはひとつの救いであった。
普段、必要な物はビーチハウス内のレストランとフロントを兼ねた売店で用が足りる。ビーチ内であればタバコ、ミネラルウオーター等を買ってもその都度、現金で支払う必要はない、最後に清算すれば良い。食事はちょっと高いが部屋代が50Bと安い、50B×6=300円×30日=9000円  エ~~そんなもんでいけるのかぁ~のんびり楽ができるかもしれない?
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コ・パンガン・・・2     パッポンで買い物

2015-10-12 | コ・パンガン

二日酔いみたいに身体が重い。みたいじゃなくて久し振りにアルコールを飲んだ。タイ・ビール、ウイスキーなど、二日酔いだったのだ。ドラッグの二日酔いには慣れていたけどアルコールの酔いの引き方はちょっと違う。冬へ向かうカトマンズから暑いバンコクへの移動による体の調整がきつい。疲れも溜まっていることだから無理をしないことだ。カオサンに行って明日のコ・パンガン行きバスの予約をした。バス、船代全部で240バーツ。ついでに1ドルの海賊テープをまた買ってしまった。よい部屋に落ち着く事ができれば1ヶ月ぐらい動かないかもしれない。本と音は必要だ、のんびりしたいよ。
昼食後また下痢になる。そんな事より買いましたぁ、なにじゃないょ~薬だよ薬。
昼飯を食っていると、ここ空いてますかと変な日本人が話しかけてきた。他のテーブルは幾らでも空いている、がどうぞと言って相手の顔を見た。バイブレーションというやつなのだろう、合いそうだ、Sさん。彼はもっぱらタイを中心に旅をしている。おもしろい薬が買える店を知っているという、夕方、2人で出かけることにした。
派手なネオン街のパッポン、路地に入って目的の店へ。バリウム30錠(100B)×2、アンフェタミン(スピード)12錠×5シート、Capthagon粉切りに使う、その他、何かないか迷っていると可愛い女性店員がにっこり微笑んでアンフェタより強いのがあるョ~ときた。1錠(95B)×5コだけ買った。
何とかブツは揃った、Lsdとガンジャはコ・パンガンで手に入る。
北京飯店でビールを飲み食事をして別れた。明日ぼくは夜行バスで出発する。
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タイ北部   チェンライ・アヘン村

2015-10-11 | チェンライ・ミャンマー国境



べぇ~ろ~ぅ てぇめぇ~ぇ 二度とミャンマーなんかくるかぁ~
と悪態ついてトラックの荷台に乗り次の目的地へ向かう。虎の牙だと思って300バーツも出して買ったのに運転手は笑って豚の牙だ、そんな金を払ってお前はアホかという顔をしていた。虎の皮の前で売ってんじゃねぇ~よぅ くそじじぃ~ぃ
パドゥア村(ヤオ族)へ行き、帰りにチェンライの近くのメイヤオ村(ヤオ族)に寄った。
この村に入った途端、生アヘンの臭いがした。村全体に煙が滲みついてバイブレーションを発している、中断されていたLSDが誘発されそうだ。
小屋の前に所在なげに座っているおやじの目は虚ろでリアリティーとは無縁の世界を彷徨っている。
おやじの前に座る。お互いの視線が合った。おやじはこの瞬間、帰って来た、とぼくは感じた。
竹筒でアヘンを吸う格好をするとおやじはゆっくり腰をあげ手招きをして小屋の中へ入っていった。
薄暗い小屋の中を外から見ていると入って来いと合図をする。
今日はろくなことがなかった、慎重に値段の交渉だけはすべきだ
「なんぼや・・・」
「一回30バーツや」
ちょっと耳を疑う、余りにも安い。裏があるのではないのか?警察が隠れているとか・・・
心配することは何も起こらなかった。二回吸って舞い上がりおやじと信頼の握手をして別れた。

(メイヤオ村を検索したが不明だった。タイ人の発音による違いだろうか?)
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コ・パンガン・・・1   カトマンズ~バンコクへ

2015-10-10 | コ・パンガン

何故だか昨夜、無事に飛ぶ事を祈った。いつもはそんなことはしない。
早朝、空港に着くと様子が違う。ある筈の飛行機がないのである。えらい一日の始まりだった。ドバイと香港へ飛んでいるRNAの二機が帰ってきてない、どないなってんのかぁ~~うぅ~   会社の車でニューロードのRNAオフィスへ移動する。ネパール美人の説明だからそれぞれにおとなしい、が今日中に飛ぶのかはっきりしない。ドバイからでは出発しましたと言われても困る。10時頃になってやっと午後4時には出発できる目途がついたのだろう、2時にチェックインしてくれとなった。
何時に出発したのか定かではないがタイ時間で8時頃着いた。時差と飛行時間を考えればネパール時間では6時過ぎだろう、がとにかく着くには着いた、そんなもんだ。
定宿ホテルJulyに着いたのは9時過ぎ、早速、前の屋台へ直行。ビールを飲んでエビ、貝、イカを焼いて貰って食す。久し振りや、誰が何と言おうと美味しかった。ビール2本、ウイスキー小瓶、全部で(二名分)350バーツ、散財した。屋台は12時過ぎまでやっていてフラ々で部屋へ戻る。何が何だか分からないうちに眠りに落ちる。暑さは我慢できるが出費の足は速い。


カトマンズ フリークストリート ぼくの定宿ウパハル・ゲストハウス
毎夜 遊びにきていたナイジェリア人のイサ 年が明けてバンコクから帰ってきた
どこに消えたのかデリー・メインバザールでも会うことはなかった
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第11話  ヨガ・アシュラム・・・10   聖なるガンガ

2015-10-09 | 第11話  ヨガ・アシュラム

この山に住んでいるババ達は自分の力であの急な階段を下りることは不可能だ。
ババ達はこのアシュラムで最後を迎えるのだろう、狭いアシュラムだが。
しかしババ達が修行で得た解脱の世界は大きく広がっているに違いない。
読経は続いている、それは死を直前にして横たわるババに聖なるガンガを夢想させている。
そのような場景をぼくはお堂の中に見たような気がする。
ヨギはぼくがお堂に入ることを許さなかった。
お堂の戸は閉められているが次の日も中から読経が聞える。
堂の正面を通り奥を見ると1棟の宿舎があり、堂との間に変な祠があるのにぼくは気づいた。
祠の前に消し炭が残っている。マントラ行の跡だろうか、死者の供養をやっていたのかもしれない。
   ガンガの嵐
 この旧アシュラムに入ったのは初めてだ。
各地から多くの信者が集まり先代スワミの供養をやっている。
その場所が表の陽だとすれば、
今ぼくが旧アシュラムと呼んでいるこの場所が裏の陰のように思える。
生と死は表と裏でありそれは何処かで繋がっている。
昨夜の雨は朝にはやんでいた。
風はガンガの流れに乗ってヒマラヤから吹いてくるが、昼には嵐になった。
風はガンガ河畔で乱れ砂を巻き吹き荒れた。
閉めた戸はガタガタと音をたて床や机の上に開いたノートに砂を降らせた。

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第5話      両替ババ・・・1

2015-10-08 | 第5話 両替ババ


(photo by M Sakai) 

 チラムを吸ってトリップしているぼくと出店のババは訳の分からないことばかりをしていた。それを見て前の露店の親爺がにやにやしている。何の商売をしているのかぼくが見に行くと、パチンコ玉ぐらいの白い玉を幾つも作ってはザルに入れている。ガンガに泳いでいる魚の餌らしい、白い玉が入ったビニール袋が並べてある。台の上には10パイサのアルミコインを重ね並べて置いてある、自称両替ババである。ババの商売はマネー・チェンジだと言う、じゃあドルの両替もするのかと聞くとそんなお金はやらないという返事だ。聖地では小額のコインが沢山いる。寺院への賽銭や乞食にやるバクシシだ。両替ババが言うマネー・チェンジとは客から1ルピー札(約3円)を受け取って10パイサ9枚に交換する商売だ。1回の利益はたったの10パイサだ。なんとみみっちい商売であることか。それで商売になるのかとぼくが聞くと、ババは待ってましたとばかりにぼくの腕を捕まえると愚痴をこぼし始めた。
「いいかジャパニー、1ルピー両替して俺の取り分はたったの10パイサだ。10人両替してやっと1ルピーの利益しかない。これで生活がやっていけるか?おージャパニー。この魚の餌が売れたらなぁ、これを1ルピーで売っているが半分は利益だ。この魚の餌が1日に10個売れたらなぁー・・・」
と両替ババの愚痴が続いている、そこに乞食がやって来た。乞食が何の用だ、と思って見ているとババは乞食と親しそうに話をしている。乞食は坐ると周りを気にしながら懐からボロ袋を取り出した。袋を開けると中にはかなりの10パイサが入っている。乞食はその10パイサを9、10、11と数えて11枚重ねた山を作る。5山を作ると両替ババから5ルピーを受け取っていた。単純に考えると1ルピーを両替して1割を取り、乞食との再両替で1割の儲けだから合計2割の美味しい利益率だ。率は高いが金額が小さすぎる「そうだろう」というババのうめき声が聞えるようだ。乞食は腹の辺りの布に受け取った5ルピーを巻き込んでいる。覗いてみるとかなり貯めこんでいた。ぼくは冗談でバブーバクシシ(旦那様お恵みを)と言って手を出すと乞食はその手をぴしゃりと叩いてラムジュラへ戻って行った。
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