ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

聖地 ガンゴトリ・・・4

2016-01-27 | ガンゴトリ

 コテージに籠っていたアメリカ人、1ヶ月は滞在すると言っていたが朝、下山した。
2日程で人の出入りが続き残っているのはドイツ人とぼくの2人だけになってしまった。
ビザの残りが1ヶ月を切るとなんとなく落ち着かない。最短でデリーへ向かうにしても3日は必要だ。
カトマンズへ行くといってもビザや夜行列車の予約で数日はかかるし
土、日の祝日をはさむと移動日数を含め最低でも10日は必要だ。
順調にいったとしての事だ、何が起こるか分からないインド、余裕を持つべきだ。
南下しスリランカ入国を考えているが最低20日は考えておくべきだろう。
そんな事を思いつつ3日が過ぎてしまった。明日、下山しなければならない。
ゴームク、ガンゴトリ小さな旅であった。

下山の朝、ぼくが住んだコテージとブルーのバックパックを記念に撮った。
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聖地 ガンゴトリ・・・3

2016-01-26 | ガンゴトリ

 聖地ガンゴトリへ巡礼バスがくるようになった。村は巡礼者で溢れ小さな寺院への参拝は順番待ちだ。
手持ちのルピーが不足しているというのに銅で作られた小振りの壷を買ってしまった。
ガンガ・パニ(聖水)が入っている、それだけの理由だが。
アシュラムの一日滞在費45ルピー×10日=450ルピー、全く足りない。
村にステートバンクなどある筈もない。ノープロブレム・・・とスワミ
インドでは不可能などない、ドル払いで良いじゃないか、と意見が一致し安心する。

夜また雨、くしゃみと鼻水で二枚のタオルはびちょ々だ。午後、決まったように太陽が消え
ビユーと砂を巻き上げ強い風が吹く。冷たい雨が体温を奪う、朝まで寒さに震えた。
太陽が恋しい。ガンガの滝が夜通し落ち冷気が立ち昇る。厳しいガンガだ。

ガートで沐浴するインド人、寺院でお参りし下山する。
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雪と二日酔い

2016-01-25 | おやじの日記



おいさん あんまり呑みなんなちゅたやろ しぇからしかぁ~
雪見酒 琴奨菊関の初優勝 祝い酒 なんちゃかんちゃ 呑む

今日も雪だねぇ~ しぇからしかぁ~
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雪と酒   

2016-01-24 | おやじの日記

琴奨菊関 初優勝 おめでとうございます
大怪我を乗り越えてやっと手にした賜杯 感動をありがとう

おいさん あんまり呑みなんな しぇからしかぁ~

よう降るなぁ こう冷えると腰が痛とうなる
あんた 仕事ばどうしたと 雪で中止になっとう
3日間 寒波が居座る おでんと残り物(もやし 大根 豚ばら)で豚汁もどきを作ってある
さすがやねぇ うまかぁ おでんも豚汁も絶品たい
食べたら褒める 人情というものだ

子供たちの声は遠く
 
(寒いのでベランダから撮った ピントがちびっとボケとうぅ)
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保釈・・・10  大使館からの手紙

2016-01-22 | 5章 デリー中央刑務所  保釈

  9月8日(金曜日)
   
9月6日、バクシ弁護士、ミス・マリーが来訪し、貴殿の要求通り十五万ルピーを支払いました。

[バクシ弁護士にお金が渡ったら問題は進む] フィリップス、マリーを信頼する。


琴奨菊~~福岡の男なら1度で良い、大輪を咲かせてください
どん底まで落ちたま松鳳山、幕下から応援していました
魁皇に続いて・・・応援しています        tomy

 
 
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保釈・・・9  エマは組織の人間 

2016-01-21 | 5章 デリー中央刑務所  保釈

   9月6日(水曜日)
 昼12時の施錠時、エマがぼくの3房に入って来た。これは刑務官の了解を得れば何の問題もない。エマの1房が1名欠員で3房が1名増えたという確認だけで済む。昼食が終った後エマはおもむろに下着の中からベビーハムぐらいの大きさの黒いビニールでラッピングされた物を取り出した。ぼくはそれが何であるか直ぐに分かった。スタッフ50gの大パケだ。ぼくは扇風機を止めた。広げた新聞紙の上にパケからスタッフが出された。刑務所内には正確なスケールはない。かなりいい加減な匙加減で10gの中パケが素早く作られていった。ぼくはサンプルとしてそのスタッフを吸ってみた。エマには5gの中パケを2~3個、作ってくれるよう頼んだ。ぼくが使用する分についてはエマがストックし、残りは他のストッカーへ回すようだ。エマはやはり組織の人間だ、ぼくはそう確信した。
No2Wardで最悪の状況に追い込まれた。要注意のへび目にパケを押収された。
[誰からか?話せ。今、話せばパケは返してやる] ぼくは話せない。
奴がSPにレポートを提出したら・・・ぼくは組織のすべてをゲロする。
組織は壊滅するだろう・・・翌朝、ジャクソン、トビキ、 エマに呼ばれた、
心配するな問題はなかった 友達じゃないか 組織の結束は固い。
支払い能力のある欧米、日本人からの収入に頼るしかない、それが裁判費用に必要なのだ
 ぼくはスタッフへの依存の深みに入り込んでいた。今では小パケではなく5g単位で買いダイクと吸い続けていた。この状態が続けば何れぼくは肉体的にも金銭的にも破綻してしまうだろう。早くここから出なければならない。


こどもは風の子 雪も雨も風になって遊ぶ
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逃亡・・・2   カトマンズへ

2016-01-20 | 5章 ジャンキーの旅  逃亡

山間部の日没は早い、暗くなった。頼りはヘッドライトだけで反射板もない。シフトは2速でエンジンは唸りを上げながらゆっくりと坂道を上って行った。たぶん標高1000mぐらいまで上りが続くだろう。カトマンズの標高1400mとポカラの800~900mを結ぶ幹線道路は険しい谷間と稜線にある。道路は中国の援助で完成し、その道路をチャイニーズ・ロードとぼく達は呼んでいた。
 ぼく達を乗せたバンは4時間をかけてやっと幹線道路まで上りきった。その道路はカトマンズとネパール第2の都市ポカラを結ぶ主要幹線道路だ。左折すればポカラへ、道なりに右を進むとカトマンズへ至る。右へ曲ると交通の要所であるムグリンという町がある。ここは大型長距離バスやトラックが停車できる広いサービスエリアでぼく達も1時間ほど休憩することにした。今日の行程の中間点は過ぎている。インド人の運転手は疲れている違いない。ネパールの車は左車線走行である。これからカトマンズまで左側の深い谷に沿った車線を走らなければならない。運転手は十分に休んで疲れをとって欲しい。もし彼の運転が危ないようだったらぼくがハンドルをにぎる。ぼく達はボスが進める食堂で夕食をとった。久し振りにネパールの定食を食べたが、これを食べるとネパールへ戻ったという気がする。インドと違うのはサブジの替わりにタルカリという野菜の煮付けが必ずセットでつく。それとマトンのカレー煮を頼んだ。食事をすると身体が温まる、食欲もあり美味しかった。食事が終るとトイレで小パケのスタッフを吸った。この後カトマンズに着くまで休憩はない。


朝、いったん止んだ雪が再び強く降り出した 寒い
黄色い傘をさして歩いてくる小学生 軒下の雪だまりで遊ぶ
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逃亡・・・1   カトマンズへ

2016-01-19 | 5章 ジャンキーの旅  逃亡

カトマンズに着いたのは夜中の12時を過ぎていた。約10時間の行程だった。1分でも早く少しでも遠くへ国境から遠ざかりたい、その事だけを考えていた。インド警察が追って来るということは考えられないのだが、それでも遠くへより遠くへ逃げておきたかった。逃亡者のぼくにとって100パーセントの安全なんて何処にもない。もしあるとすればトリブヴァン国際空港から飛び立ったときだ。
 スノウリを出発して暫らくは平坦な道路をインドの国境に沿うようにして東の方向へ走る。この道路をどこまでも進むとネパールの東端にあるインドとの国境の町カカルビッタに続いている。この町からインドに入国しダージリンやシッキムを旅したことがある。道路は山の裾野と平野の境にある。途中から左へ進路を変えると、いよいよ急な上り道になった。大人4人と荷物を積んだ古いバンは苦しそうに喘いでいる。この時間帯では対向車は殆どない。カトマンズやポカラ等の都市からインド国境へ向かう長距離バスがこの道路を下って来るのは深夜から早朝になる。

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ボージバーサ~聖地ガンゴトリへ・・・1

2016-01-18 | ガンゴトリ

やはりガンゴトリへもどる。ボージバーサーに滞在しても時間の無駄だ。 
早くアシュラムへ行ってメジテーションをやってみたい。移動が続いてヨガをやっていない。
デリー大学在籍中の日本人のWさんとの出会いは楽しかった。微妙な空気を感じさせてくれた日本語の会話。
もうそろそろ一人の方が良いだろう。9:30出発、昼過ぎガンゴトリ着、そこで別れる。
空模様が悪かったがガンゴトリ・テンプルで巡礼の安全御礼の参りをしていると
冷たい風が吹き雨になった。急いでアシュラムへ行くが鍵が掛かっている。
雨の中、他のアシュラムを探すが何処も同じだ、待つしかない。
大きな荷物を持ったインド人がやって来てアシュラムの入り口の鍵を開ける。
スワミはまだウッタルカシで次のバスでくるだろうが何時に着くか分からないと言う。
冷たい雨と風の中、アメリカ人とインド人それとぼくの3名は2時間ほど待った。
戻って来たスワミは1人々に4・5畳ほどの一軒家のコテージの鍵を開けてくれた。




朝から雨 西風が強い 今夜から明朝 雪の予報
1週間 寒波が居座るらしい ファンヒーターの試運転をした
 
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聖地 ガンゴトリ・・・2

2016-01-15 | ガンゴトリ

奥行き1m程のウッドデッキ、コテージの真中の引き戸を開けると両側に
造りつけの木のベッドと棚がある。右側のベッドを使う事にした。
ローソクを棚に立て衣類やノートを出す。ノックをする音、ランプを届けてくれた。
インテリアぐらいにしか考えられなかったそれが実用、必需品なのである。
準備が遅れたのだろう夕食が10時近くになって届けられた。
夕食は無理だろうと思ってビスケットとチーズで終らせた後であったが
出された食事は全て腹に収めてしまう。空いた食器はデッキに出して置く。

朝、メジテーションの合図がない、7時頃まで寝ていた。顔を洗ってボーとしていたら
チャイが届けられた。美味しい、インドの朝は何はともあれチャイで始まる。
ズボン3枚はいて寝袋にもぐって寝たがそれでも寒い。
冷えた身体に冷たい水の音はより身に滲みる。ガンガの滝の音であった。

標高3000mを超える聖地

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