ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・36

2013-11-30 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward

フィリップスは今までぼくとの付き合いで信頼を裏切った事はない、それだけに奴の言葉は信用できる。二ナは何故ぼくをスリランカ人グループに近付けようとしたのかぼくには分からない。ショッカンがショットでスタッフを刑務所内に入れたが継続的に供給出来るだけの力も組織もない、スリランカ人グループを全体として見てもだ。刑務所内の全てのドラッグを仕切っているのはアフリカン・ドラッグ・シンジケートだ。いや刑務所内だけではないニューデリー、メインバザールに集まって来る外国人旅行者に売り捌いている。ブラウン・シュガー1g、仲卸し200ルピーを300~400ルピーで売っている、高い差益率だ。外の組織がスタッフを塀の中に入れるのは刑務所内の収益率がもっと高いから、その利益が収監者の出所費用に回される。
 本当に年明けの4~5月頃に出所出来るのだろうか、フィリップスは十分可能だと言った。奴はどういうシナリオを描いているのか、ぼくはどう考えても無理なように思えて仕方がない。だがもしその頃出所出来ればぼくにとって好都合だ、ネパールの1年間のマルチビザは95年7月まで有効だから。カトマンズに戻りキャンパスに通う事も可能だし半年間の学力の遅れで進級が無理だったら再度1年の初級科を申請すれば良い。ぼくにとって必要なのは1年間の長期ビザの収得にある。

(しかしこれは甘い考えだった。保釈後パスポートのコピーを取るため裁判所に行ったとき既にパンチされていた。パスポートのページを使い切ると新たに発給してもらうか増ページするか、ぼくは後者を選んだ。過去の全出入国記録を持ち歩いて調べられた・・・アホや)
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ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・35

2013-11-28 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward

ショッカンはスタッフが切れたと言っているがまだ分からない、今では中毒者の顔になっている。スタッフが切れればお金もないのだからただの気違いだ。毛布に包まって寝ているかと思うと突然大きな声で喚きだす。早くアシアナで治療を受けさせた方がベターだ、奴の為にもぼくらの安全の為にも。スリランカ人のアンクル・チャチャが時々きつい言葉でショッカンに注意をしているが奴は反発して聞こうとしない、スタッフは恐いな。今までここから出る為の様々な可能性について相談してきた人間とは思えない、前後の見境がなくなっている。たぶん後でぼくがスタッフを入れようとすると又、当てのないスタッフの入手を餌にして少しスタッフを回してくれと言い出すに違いない。
 フィリップスはぼくの為に良くやってくれている、と言うか奴自身の利益になるからだ。弁護士、マリーと連絡を付けてくれた。1月5日、裁判所出頭のとき弁護士、マリーと今後の裁判の進め方を話し合うことが出来るようになった。奴がやってくれたそれら全ては当然ぼくからの見返りを考えての事だ。親切な行為などここインド、ましてや刑務所の住人に期待する方が可笑しい。
 夜になってまたいつものショッカンの嫌味な愚痴が始まった。しかしどうして二ナはぼくに
「アフリカンを信用しないで、スリランカ人グループに受入れの手筈はとってあるわ」
と言ったのか。最後まで外にいたのはショッカンとサンダー、それ以前、既に逮捕されていたのはディクソン、セガそれにランジャンだ。二ナはその中の誰と組んでいたのか?彼女の国籍を知らない、聞く理由もなかった。ぼくが二ナと初めて会った時にはアフリカンのフレッドと組んでいた。フィリップスは二ナを評して
「あの女は金々々、そしてドラッグそれだけの女だ」と言った。
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ジャンキーの旅        遠い道・・・・・9

2013-11-26 | 4章 遠い道・逃亡

 夕方、ネパール人を含めて4人でカトマンズ行きについて話し合った。奴は3000ルピーまで値段を下げてきた。がお金の問題ではない、この男が信用できるかどうかなのだ。当初、奴は五万ルピーと言っていたらしい、それを5000ルピーから3000ルピーと下げてきた。一緒に組める人間ではなさそうだ。8日に出発を変更するのだったら偽造パスポートを作れ、5000ルピーで俺が手に入れてやる、とフィリップスが言う。一応、彼に頼んだ。当然、日本のパスポートは無理だが韓国やアジアの中国系まで範囲を広げて探してもらうことにした。
 夜になるとあっちこっちで爆竹がなっている、大晦日だ。去年はデリー中央第1刑務所内のCバラックだった。お調子者が眠っている収監者達を起こし回りアフリカンのミサはいつまでも続いていた。保釈で塀の外には出たが2ヶ月で精神病院入りとなった、楽しい事は何もない。残っていたウイスキーを飲んでいると派手に花火が打ち上げられた。1995年の大晦日、来年こそは良いことがありますように。ウイスキーと睡眠薬2錠で眠れそうだ。
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ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・34

2013-11-25 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward

夜12時頃になってショッカンがやっとスタッフを出してきた。馬鹿だからスタッフを吸った後ビリがないと大騒ぎを始めた。15ルピー出すから1本分けてくれと言っても誰も出さない。スタッフは入れたがエンジンが掛からない状態だ。このスタッフを吸い続けているがもう身体に耐性が出来たのだろうか最初のような強いキックは感じない。ディクソンのビリ探しに最後の期待をかけて待っているがこれで今日は終わりだな。やっと少しキックしてきた。今夜も眠れないだろうな。ディクソンはまだ回っているが無駄のようだ。
   1994年12月31日(土曜日)
 デリー中央第1刑務所第2収監区Cバラックで年を越すことになった。寒い1日だった。本当の寒さはこれからだ。日中、暗い雲に覆われて太陽は姿を見せないそして冷たい雨になった。そんな天気が2~3日続くと時によっては死者が出る。気温が零下になる事は決してないが濡れた衣服のまま寒い夜になると体力を消耗する、特に路上生活者にとっては厳しい冬だ。冷たい風雨の悪天候は3日くらい続くことが多い。
 去年も12~1月はデリーにいた。それからカトマンズへ向かった。カトマンズのホテルにチェックインするとすぐバザールでストーブを買った。12~2月のカトマンズは寒い。デリーは寒いと言っても寝袋さえあれば十分だ、身体を洗うときバケツ一杯のお湯が欲しいけど。
 何もない寒々とした1日だった。1年最後の夕食はいつもと同じただのダルだけだ。今日にかぎってトマト・オニオンのサラダもなかった。
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ジャンキーの旅        遠い道・・・・・8

2013-11-22 | 4章 遠い道・逃亡

 午前中はマリーに手伝ってもらい買物に行った。彼女が一緒だと心強い、ぼく1人だとぼられる。ダーク・グリーンのハイネックはすぐに決まったが、厚地のシャツはサイズがない、どれも大きい。あれこれ試着しているとちょうど良いのがあった。しかし何か変だと思って良く見るとボタンの位置が違う女性用だ。面倒臭いからそれを買った、人に見られても分からないだろう。次は革ジャンの店に入った。インドの革ジャンは安いがなめしが良くない、湿気が多い日本では臭いがするかもしれない。高かったけど無理して買った。バッグは今、使っているものより少し大きめにした。マリーは当面必要がないものは後で送ってやると親切に言ってくれたがそれ程の荷物はない。荷物は軽い方が良い、冬用衣類を着てしまえば着替えと英和辞書くらいしか残らない。夕方、彼女と会う約束をして別れた。
 1日中、頭痛が続いている。午前と午後の2回、痛み止めを飲んだが効かない。ドアをノックする音、開けるとラジューが立っていた。ドアの間から階段を見ると2人のポリが下りている、ホテル・チェックだ。今、調べられてもぼくは何も持っていない。グリーンやピクニックGHのようにアフリカンは泊まっていない。主な客はインド人のビジネスマン等だからチェックも見回り程度だろう。今日は大晦日だ、時々、爆竹の音がしてインド人も少し浮かれている。ポリの方を気にしているぼくに心配ないとラジューが言う。そして奴は手で酒を飲む仕草をして、
「飲むか?」
「おぅ、飲もう」
奴にお金を渡して酒を買いに行かせた。30分もするとポケットに隠したウイスキーと魚の唐揚げふうのつまみを買って戻って来た。インド人は飲酒を良い事だとは考えていない。聖地リシケシにいたときサドゥ達はチラムを通りでも堂々と吸うが密造酒を飲むときはこそこそ隠れて飲んでいた。アルコールで酔払っても捕まることはない。ドラッグに酔っても現物を持っていなければ逮捕はされない。考えてみればアルコールもドラッグだろう、飲み続ければ中毒にもなるし依存症にもなる。インド人と飲むのは初めてだ。ぼくはウイスキーを口に含んでちびちびと飲む。ラジューは一気に胃の中へ流し込むという飲み方をする。奴は仕事中だ、小さいティーカップで2杯くらい飲んだら部屋を出て行った。
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ジャンキーの旅        遠い道・・・・・7

2013-11-19 | 4章 遠い道・逃亡

 ベッドで横になり今日、一日を振り返ってみた。汽車の切符は明日には、はっきりするだろう。同行するネパール人は何とかなりそうだ。ぼくにとって最も望ましい形は国境を抜けるまでの同行だ。ぼくがカトマンズ行きのバスに乗った時点で、ネパール人はデリーへ戻る。カトマンズまで一緒だと後腐れが残る、お金を強請られるかもしれない。拒否したら警察へ密告される可能性もある、難しい問題だ。ジュース屋で会ったネパール人の事をやっと思い出した。ぼくが初めてスタッフを買った売人だ。カーストが低い奴はホテルの中には入られない、マネージャーに頼んで一度だけぼくの部屋に入れた。スタッフは初めてだったので吸い方が分からない、奴からチェーシングのやり方を教えてもらった。あのネパール人か、あの男ならそんなに心配する事はない、繋ぎだけは取っておいた方が良いだろう。
 駅のブッキング・オフィスでは汽車の切符は買えない、と朝マリーがやってきてそう言う。駅前のエージェントに当たってみると言って彼女は出て行った。デリー駅前の大通りに面して何軒もの旅行代理店がある。外国人旅行者を鴨にして法外な値段を吹っ掛けてくる悪質な代理店が多い、しかしマリーなら心配はない。暫らくして彼女が戻って来た、が切符はない。1軒だけゴラクプール行きの切符を持っていたが1枚だけだ。
「1枚1500ルピーだって。クレージー、どうする、1枚だけでも買う?」
少し考えてみたがやめにした。1週間延ばそう、そうすれば確実に手に入る。
 
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ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・33

2013-11-17 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward

 昨夕使った食器と残ったティーを持って井戸のある水場へサンダーと行った。バラック内には水場はない。夕方6時施錠後、夕食に使った食器は朝のティーの後洗うことになっている。ぼくらが日常生活でやらなければならない仕事は
 朝のティーの受取り、食器洗い
 昼食の受取り、食器洗い
 午後のティーの受取り、夕食の受取り
当番は決まっているようだがぼくはまだやった事がない。たぶん食事の受取りのとき食事の量や質を誤魔化されるからだろう。
 食事は大鍋に入れられリヤカーで運ばれてくる。昼はサブジ、ダルと主食のライス、チャパティーそれにアフリカフード、アタがある。それをグループ毎に分配しなければならない。どのグループは何名で何が必要か大体でも頭に入っていなければ出来ない仕事だ。古参のアフリカンがそれをやる、エマがやる事が多い。サブジの野菜もダルスープのダル豆も底に沈んでいる。食事を受取りにいくのはどのグループもちょっとうるさい奴だ。大人しくしているとスープの上澄みに野菜を少しだけで誤魔化される。ショッカンは食事をめぐってエマと度々口論していた。エマも職権で量と美味しい物は確保しておかなければならない。
 ダニエルはどうしょうもないな。お金もないのだから皆の手助けになるような事をやれば良いのにセコイ奴だ。自分のこと以外なにひとつやろうとしない。そして誰もいないとこっそり面会で差し入れられた食べ物をがつがつ食べているのを見た。サンダルを盗まれた奴は後で返すから15ルピー貸してくれないか、ぼくと2人きりになるのを見計らって頼んできた。ディクソンから奴には必要なお金は渡してある、貸さないでくれと言われていたから断った。奴には返せるお金なんてない、ポーランド大使館の面会がないのだから。嘘を言ってでも借りようとする、やはり塀の中の人間だな。どうも奴を好きになれない。アミーゴは我が儘だがまあ良い野郎だ。ディクソンも良い奴だし一応このグループのリーダーだ。人は良いが気の弱いところがある。
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ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・32

2013-11-15 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward

  12月30日(金曜日)
 デリーでも12月~1月の夜は冷える。鉄扉を打ち鳴らす金属音が眠りから現実へ引き戻す。暖かい毛布から抜け出すには少しの時間と気持ちの切り替えが必要だ。ざわざわと動き出した収監者の機嫌は一様に悪い。着た切りのジャージの上にジャンバーを引っ掛け出口に向かう。行き先は毎日同じバラック周りの下水用側溝だ。トイレに電燈は必要ない、夕方6時から12時間鉄格子は施錠され使用できないからだ。放尿が終った者からバラックの入口に集まった。全員が出てしまわないと中へは入られない、誰もが早く暖かい毛布の寝床へ戻りたいのだ。バラックの中に残って頭から毛布を被っているのはドイツ人のトーマスとマーシャルだ。毎朝のことだ。刑務官に呼ばれようと皆のブーイングが続こうと毛布に包まって出て来ない。刑務官が毛布を引きはがそうとするがしがみついて放そうとしない、結局諦めて2名を確認して入口から入る者を3名から再度人数のカウントを始めた。これが日常化していく。
毛布に潜り込んで暫くするとティー当番の
「ティー、ティー」
と言う声がした。食器の音がガチャガチャしてグループ毎にティーを受取りに行っているのが分かった。ぼくのグループはディクソン、ショッカン、セガ、サンダーのスリランカ人、アミーゴとダニエルそれにぼくの7名の大所帯だ。今朝はサンダーがティーとトーストを運んで来た。サンダーとダニエルそれにぼくの3名で食事だ、他の者は戻って来ない。ほかのグループでご馳走になっているのだろうか、売店に行けば塀の外と同じ美味しいティーが飲めるし炊きたてのカレー炊込み御飯が5ルピーで食べられる。温く冷めたティーは臭いがして不味い、トーストもぼろぼろだ。
 
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ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・31

2013-11-12 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward

 刑務所内にビリを持ち込んでいた刑務官3名がメインゲートのチェックでSPに逮捕された。短期間に2度目だ、密告によるものらしい。お陰でビリの値段は1本10ルピーでも入手が難しいくらいになった。供給が止れば必然的に値段が上がる需要があるのだから。
 屑たばこを長さ5㎝くらいのスティック葉巻風にしたものがビリである。20本パッケージが2ルピーで売っている。低カーストのインド人が吸う煙草もどきだ。塀の外にいるとき普段ぼくらは吸わない。だがここでは非常に大切な役割を担っている。スタッフを吸った後ハイの状態をビリで引っ張るのだ、キックするという。ビリの頭の部分を破り中の屑たばこを一部取り出しチャラスを入れる、その後屑たばこを元に戻し吸う、これをジョイントと言うがキック力が強い。スタッフだけを吸っていても平均化したハイしか得られずそれに値段も高い。スタッフとチャラス入りのビリの組合せは強いキックとハイの持続を生み出す。
 ぼくらがビリを吸っているとインド人が近くまで寄って来る。親指と人差し指で摘まんで吸っているのでその部分だけビリの熱で黄色く焼けてくる。そこまで吸ったちびたビリをインド人は狙っているのだ。それを集め小さく刻んで紙で巻いて吸っていた。5~10ルピーもするビリを奴らは買えない。
 ビリが刑務所内に入ってくるルートは3通りあると思う。面会の差し入れ物に隠して持ち込む。次に外部と接触できるのは裁判所への出頭日。ビリを入手しても刑務所へ戻った時の荷物、身体チェックは厳しい。それを免れる方法はポンプである。この部分だけは人権の配慮からか行われない、肛門の中に入れるのだ。ビリをポンプで5パッケージ持ち込んだと自慢していたインド人がいた。テーブルコショーの蓋の部分がない小瓶、そのくらいの大きさだ。それを次々と5個肛門から入れると直腸を通って大腸に達するのではないかと思っていた。だがそうではないようだ。肛門を通り抜けると収縮自在の排泄物一時保管場所のような溜まりの部分がある筈だ。1日食べた物はかなりの量だ、それを溜めるとすれば一定の広さがなければならない。ビニールに包んだビリをそこへ押し込む、それは上に伸びるのではなく円を描くようにして入る。それにしても裁判所から刑務所まで乱暴な運転の護送車に乗って約1時間その苦痛に耐えなければならない。だがこの2通りで入ってくるビリの量は刑務所内で吸われている総量から見ると微々たるものだ。刑務官の持ち込みが主要なルートであることは間違いない。20本入りパッケージ2ルピーのものが刑務所内では50ルピーで仲卸しに流される。10個売れば500ルピーが手に入る美味しいビジネスだ。
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ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・30

2013-11-10 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward

昼アミーゴに半分粉を回したから明日の分の1パケを夜に吸ってしまった。またパケが小さくなっているのだ、パケが大きければ半分で済んだのに。昼にはもう1パケ買わなくてはならないだろう、今ではもう1日、最低でも2パケが必要な身体になっている。危険だしお金は掛かる、何より身体に悪い。良い事は何もないが溜まるストレスは吐き出さなくては頭が可笑しくなってしまう。ここにいる者は誰しも狂気の火種を持っている。インド人はよく喧嘩をするしアフリカンの殴り合いは激しい。
   12月29日(木曜日)
 午前中なんとなく風邪気味だった。昨夜、吸ったスタッフの効きが弱かったのだろうか寝る時すでに少し足の方に痛みがあった。眠っている時、寒さを感じたのは新入りのスリランカ人に毛布を一枚貸したからだと思っていた。風邪なのか禁断のシックなのか、スペイン語のクラスに出ていたが寒気で辛くなり監房に戻り毛布に包まって暫く眠っていた。
 ショッカンがスタッフを持って面会から戻って来た。昨夜は嫌々ながら奴にパケの半分を回していたので今日は気持ち良くスタッフを回してくれた。スタッフを身体に入れると寒気を感じなくなった、やはりシックだったのだ。今回奴が手に入れた粉は文句なく最上級だった。ぼくはこの粉が欲しい、奴と喧嘩しても粉は回ってこない、態度の変化を余儀なくされた。意地を張っても身体の方が良い粉を知っていてはしょうがない。5gくらいは確保しておきたい、こんなスタッフはちょっと手に入らない。
 スタッフの相場は外の仲卸しで1g-200Rsだ。プッシャーを通すと400になる。当時のレートはアバウトだが1ドル=120円=3500Rs、1Rs-3.5円弱ぐらいになる。仲卸しは信頼できるプッシャーとのみ取引きをする。彼はシンジケートのパイプを機能させ守らなければならない、最も重要なかなめだ。プッシャーを仲介すると値が上がる、が生きた仲卸しはいつでも必要量を供給してくれる。ジャンキー達はシンジケートなしには生きていけない。
塀の内の相場は1g-800Rsだ。5gで4000Rs右から左へ回せる金額ではない。1パケは塀の内で流通するクーポンだと70、現金では50、誰も紙屑を欲しがらない必要なのは現金だ。ショッカンは2000まで下げるかもしれない、次のスタッフ10gを入手するには最低でもその金額を準備しなければならない。大使館にはぼくのお金が保管されている、しかし申請する正当な理由がない。
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