ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ジャンキーの旅        アシアナ(医療監房)・・・・・23

2013-03-21 | 2章 デリー中央第4刑務所アシアナ


マダムへの取材が始まった。途中からドクターも参加し患者への質問が出された。右手を挙げ進んで報告する者、指名されいつものミーティングと同じように
「メロ・ナム・・・」
と名前を告げ自分のドラック体験やアシアナでの治療について語ったのだろう、数名の報告が続きスタッフが用意した質問も出尽くした感じがした。そろそろ終わりだろうと勝手に思い始めた時、突然マダムの声がした。
「トミー、ピーター前に出て来なさい」
皆、一斉に後ろを振り返った。前に出て行ったぼくとピーターはカメラを向けられ取材を受けた、がぼくらには曖昧な返事しか出来なかった。
 ぼくはデリー・パールガンジ警察署に逮捕された新聞記事をまだ読んでいなかった。デリー中央第1刑務所第2収監区に移送され、そこで再会したフィリップスからその記事の切り抜きを見せられた。120gのスメック所持、その背後関係を調査中であると。ピーターはデリー国際空港での手荷物チェックで数kgの薬物が発見されスイス人の彼女と逮捕された。カラー写真付記事で報道されたと彼は言っていた。2人ともまだ裁判中であり警察の調査も続いていた。アシアナという刑務所内、中毒者更生施設の内容、方法について語る事は出来るがそれ以外話す言葉は少ない。
夜から朝へ変わっていく狭間、分離した異質の夜と朝が融合する。夜の終息と朝の始まり、その接点を自然の鳥は知っている。不眠と右肩の痛みはまだ続いていた。禁断からの解放はそれほど容易ではない。眠ろうとすると痛み出す右肩に夜間水浴用に用意された凍るような冷水を流すと冷たさが神経の痛みを麻痺させた。身体に滲み込んだ美しいケシの花を残らず凍らせてしまえ、凍るような水が右肩から胸に流れる。その水がヒマラヤの氷河から流れ罪を清める聖なる河ガンジスの聖水と合流しぼくを救うだろう。夜と朝の引力が弛んだ瞬間、ぼくは底知れない深い眠りに落下した。
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ジャンキーの旅        アシアナ(医療監房)・・・・・22

2013-03-15 | 2章 デリー中央第4刑務所アシアナ


 気の抜けた午前のミーティングが続いていた。そこにテレビ局の撮影機材を乗せたリヤカーが入って来た。度肝を抜かれたインド人達はてんやわんやの大騒ぎだ。プライバシーの侵害なんて関係ない、目立つことが大好きなインド人だ。技術者が動き回り玄関フロアーから黒いコードが延び機材に接続された。カメラがセットされ照明係りが位置の指示を受けていた。本番前、カメラのテストをやっているのだろうか、そのカメラに向かってインド人達は喋ったり手を振ったりしている、後ろに下がれと大声で怒鳴っていた事務官は一番目立つ最前列に陣取った。彼らは自分の生涯で二度とないであろうテレビに写るというチャンスに興奮している。ぼくとピーターは立ち上がったインド人達の後ろに隠れるようにして座っていた。写っては不味い、どういう目的の取材なのか何も知らされていない。カメラマンが収監者を撮り始めスタッフはマイクにレポートを送っているようだ。暫らくするとマダムは取材者らしき人物と玄関に現れた。何時ものように用意された椅子にマダムはゆっくりと腰を掛けた。今日のために装ったのかもしれない優雅にサリーを着こなし束ねた長い髪がマダムの背中で揺れた。インドには確然としたカースト制度がある。最高カースト家系に育ったマダムは気品と愛、そして厳しさを合わせ持っているように思えた。
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ジャンキーの旅          アシアナ(医療監房)・・・・・21

2013-03-14 | 2章 デリー中央第4刑務所アシアナ


 熱暑の国インド、それでも12月の早朝6時は冷える。開錠後の水浴は患者達にとって辛い日課となっていた。ベッドの間に棒を持った模範囚が走り回る。震えながら決められた水浴を行う者やサンジのように頭に水を掛けるだけでチェックを逃れる要領の良い奴もいた、衣服を着てしまえば調べられる場所は頭髪だけだから。ぼくも水浴をするようにと注意を受けたが拒否した。仏教徒にはそのような宗教的習慣はない、いい加減んな言い訳だ。イスラム教、シーク教に対する宗教的感情と異なって仏教、キリスト教には寛容であったように思える。ハルジュダム、ピーターそれにぼくの3名は免除された。インド、ネパールを旅していて何度も
「お前の宗教は何だ?」と聞かれた。
説明するのが面倒臭くなって一度だけ
Idon`t believe in eny religion, と言ってしまった。
それまで「日本は金持ちで豊かな素晴らしい国だ」
と話していた彼は一変して蔑んだ顔でぼくを見て会話を中断してしまった。そのことがあってからぼくは質問される度に
「ぼくは仏教徒である」と答えた。
繰り返されたぼく自身の答えがぼくの心の中の意識の一部分として残った。
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ジャンキーの旅          アシアナ(医療監房)・・・・・20

2013-02-26 | 2章 デリー中央第4刑務所アシアナ

ベッドに戻るとピーターは横になっていた。左端に身体を寄せぼくの寝場所を空けてくれている。それでもぼくが横になるとお互いの腕が触れた。引いた腕の肌に残る感触に不安があった。狭いベッドにドイツ人と日本人が身体も触れずに眠る事など出来ない、2人は禁断の不眠に苦しんでいる。ぼんやりと天井を見ながらぼくは考えていた。横に寝ているピーターも決して眠 っている訳ではない、無言だが何かを考えている。
「ピーター」と彼の名を呼んだ。
1日の施錠時間は夕方6時から朝6時までの12時間、それと日中12時から15時の3時間、病棟内拘束は合計15時間である。主に過す場所はベッドしかない、1日交替でベッドを使おうと彼に提案した。ぼくの話を聞き終わると彼は納得してくれた。ぼく達とハルジュダムのベッドの間を広げ1人が横たわれるスペースを作る為、彼とベッドを移動させた。今日入院したばかりのピーターにベッドを譲りぼくはフロアーに毛布を敷き寝仕度をした。夜の投薬が始まっていたがぼくの順番は随分と後ろの方になっていた。ここではもう古顔なのか、薬の量も少なくなり今日もひとつ減って2個だけになった。眠れないので睡眠薬の処方を願い出たが無視された。町の病院ではない、ここはデリー中央第4刑務所アシアナである。ドラック中毒者が刑期中、収監される更生医療施設だ。
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ジャンキーの旅          アシアナ(医療監房)・・・・・19

2013-02-25 | 2章 デリー中央第4刑務所アシアナ

 歌の上手い新しい患者が入所してきた。通路には毛布が敷かれステージは整った。打楽器タブラの代用食器が歌い手の前に届けられる。彼はどの位置からどんな音が出せるのかチェックしているようにみえる。禁断症状なのだ、目や鼻をしきりにタオルで拭いては本番前の準備に余念がない。タブラの前奏を追うようにして歌が始まった。張りのある声、インド独特の哀愁を感じさせるメロディーが収監棟に流れた。
 インドの四大聖地のひとつガンゴトリに行ったことがある。聖なる河ガンジスの源流はそこから1日登った標高約4000mの所にある。ヒマラヤ氷河の末端、巨大な氷河にポッカリと口を開けたような穴から氷河の溶け水が流れ出していた。ゴームクである。ヒンディ語で聖なる牛の口という意味らしい。その聖なる流れで沐浴をすればあらゆる罪は清められる、とインド人は信じている。身を切るようなという言葉道理、冷たい聖水でぼくは沐浴をした。ヒンズー教徒ではないからなのかぼくの心身は清められなかった。デリー中央刑務所でぼく自身の罪を自ら清めなければならない、当然の理である。
 頭に巻かれた真っ白い包帯の右側頭部にはまだ新しい血が滲み出ている、今日運び込まれたひょろりと背の高いインド人だった。顔色の青白さと血痕を見て彼はもう駄目だろうと周囲は話し合っていた。警察の拷問である。ここに収監された者は多かれ少なかれ拷問を受けていた。外国人のぼくはそれから免れた。逮捕の夜ぼくの部屋に踏み込んで来たポリは確かな情報を得ていた、ぼくのバック・パックから躊躇なく2袋のスタッフを見つけ出したのだから。密告されていた。密告者は拷問されぼくの事をゲロした。それは誰か推理すれば何れ解る。
「ボス話しがある。お金ならある十分なお金だ。ヘルプ・ミー・ボス」
その瞬間ポリの平手打ちが飛んだ。顔を反らせたぼくの頬を奴の指先が掠めた。
「ミリオン・ダラーか?」奴はそう言ってぼくの目をみてニヤリと笑った。
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ジャンキーの旅          アシアナ(医療監房)・・・・・18

2013-02-23 | 2章 デリー中央第4刑務所アシアナ

 アシアナのゲートを一人の白人が入って来た。肩まで伸びた金髪、痩せてはいるが大きい男だ。気になったぼくはミーティング中にも関わらずトイレに行くような振りをして玄関フロアーに入った。男はぼんやりとドクター室の前の床に座っている、お互いの目線が会った時
「ハーィ」
と声を交わした、それがピーターだった。
午後の開錠後ぼくはマダムに呼ばれた。インド人とのベッドの共同使用を拒んでいたぼくにマダムはドイツ人ピーターとの共同使用を命じた。
「外国人同士でしょう、上手くやりなさい」
マダムは一時期、次々と患者を退所さていたがその方針を変えていた。11月中旬頃からだろうか、今ではぼくとシーク教徒ハルジュダム以外のベッドには2名が寝起きしていた。ベッドの間、通路にも収監者が溢れた。朝のティータイムでは不足しているコップを収監者同士が取り合った。朝6時の開錠後、水浴する為の行き帰りこっそり食器置場に入りコップを持ち出していたのだ。コップは列の前から配り始めるのだが早い順番の場所に莚を敷いてティー・コップを待ってもそれは回って来なかった。後から来た者が自分の前にコップを置きティーを待つ、コップのある所にしかティーは注がれない。先に使われたコップを洗いティーを飲む時には温くなり臭いが鼻につき不味かった。
 夕食が終わり施錠前の僅かな時間、患者達は病棟の外周を歩いていた。運動といえばそれくらいしかない、鉄扉を打つ金属音がした。玄関フロアーから外まで続いていた長い列が次第に短くなりぼくは病棟に入った。また遅々として進まない長い夜が始まる。

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ジャンキーの旅          アシアナ(医療監房)・・・・・17

2013-02-09 | 2章 デリー中央第4刑務所アシアナ


 アシアナの規則を破った者は厳しい仕置きを受ける。2人のインド人が許可を得てゲート外に出た。戻ってきたときは必ず別室でボディーチェックを受ける。ドラッグの所持、使用は懲戒用の監房があるし刑期の加算につながる。今回の2人はビリという煙草を持ち込もうとして見つかった。マッチ棒1本、マッチの擦り板、タバコ屑でも持ち込もうとして見つかると刑務官から激しい暴行を受ける。
 バケツの水に赤茶けた泥を入れドロドロに溶かしそれを腰巻きだけの全身に頭から掛けられた。隙間なく汚泥が塗られる、その姿で夕方まで外に立たされていた。当然、昼食もティーも抜きだ。全身に塗られた汚泥が乾いていくと本当の泥人形になってしまった。ぼくはあまりの滑稽さについ笑ってしまった。ふたりはマダムを見つけては後を追い真剣に許しを乞うたが夕方施錠まで許しは出なかった。
 原因はなんだったのか分からない、1人だけ全員の前に立たされていた。マダムから指名を受けた者は彼の正面に立ち力一杯平手で彼の頬を打った。次々と打つ人間をマダムは指名した。彼の唇に血が滲んでいた。一度だけマダムはぼくを指名した。
「ぼくには出来ません」
「命令です。やりなさい」マダムの厳しさを見た。
 前庭に広く筵を敷いた。ヨガを治療の一環としてマダムは取り入れた。それに参加した者には黒砂糖の塊が与えられる、みんな甘い物には飢えていた。ぼくはアシュラムでヨガを学んでいた、初歩的なハタヨガのポーズで難しくはない、毎回参加しそれを少しずつためてベッドの下に隠していた。食事の残りを病棟に持ち込む事は禁止されていたが禁断による不眠が続いていたぼくは夜中空腹に悩まされていた。夕食のチャパティーを一枚残しポケットに隠して持ち込んだ。冷えて硬くぼそぼそになったチャパティーにこっそり黒砂糖を挟んで食べた。
 
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ジャンキーの旅          アシアナ(医療監房)・・・・・16

2013-02-06 | 2章 デリー中央第4刑務所アシアナ

  
10時の投薬が終ったのに誰もフロアーを動こうとしない。何かあるのか?すると事務室の方からキャスター付きテレビ台の上に乗った大きなカラーテレビが注意深く運び込まれた。今日は日曜日だ。ミーティングもなく昼食までテレビ鑑賞となった。マダムもドクターも休みで当直の事務官だけだ。アシアナ内の空気はのんびりとしていた。3時の開錠後まだ太陽は暖かい、身体を洗った。下着を水洗いしていると飴色の虱が2匹いた。冷たい水に浸けられ動きが鈍い。薬局から貰った薬で傷ついていた肌は良くなっていた。ベッドも替わったがそれでも虱に刺されているのだろう、でも今では気にならなくなっていた。 
アシアナに時々床屋が来ていた、当然彼も収監者だ。刑務所内には理髪店などない。家族から商売道具を差入れてもらい開錠時間、各ワードを自由に回り商いをしていた。基本料金は髭剃り、整髪各5ルピーだ。支払いは刑務所内のみ使用できるクーポン券、集めたクーポン券は定価の70%で所内ヤミ両替者によって現金化される。現金所持は当然禁止されている、見つかると没収だ。稼いだ現金の所外持ち出しはポンプという方法で現金をビニールに包み裁判所への出頭日、尻の穴に入れ持ち出す。裁判所で家族と面会したとき渡すらしい、綺麗とはいえないが実のある行為だとは思う。収監者が多く娑婆より稼ぎが良いかもしれない、床屋は人気者だ。見栄っ張りで気位の高いインド人は裁判所への出頭前日、髭と髪を整えてもらう。服や靴は借物でもビシーと決めて行く。
 刃物のカミソリや鋏の所持、使用についてはセンター事務所の許可書が必要だ。刃金で作られた長いカミソリは危険で禁止されていたのかもしれない、確かな事は分らないが。髭や髪の事もあるがそれと同じように皆が困っていたのは長く伸びる爪であった。床屋は取り替え自由な替刃で仕事をしていた。切れなくなった替刃が内緒で収監者に渡った、爪を切るにはそれしかなかったからだ。
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ジャンキーの旅          アシアナ(医療監房)・・・・・15

2013-02-05 | 2章 デリー中央第4刑務所アシアナ
 
 夕方6時の施錠後、彼はいつものように左手の包帯を取り替えていた。ぼくは気になっていたが何となく聞けなかった。ある夜、彼が話をしてくれた。シーク教とヒンズー教の宗教的対立はぼくも知っていた。
シーク教徒はインド北西部に位置するパンジャブ州の分離独立を強く望んでいた。1984年、首相を警護する警察官の一人がインディラ・ガンジー首相を暗殺した。暗殺者はシーク教分離独立派のテロリストであった。
 パキスタンとの国境にアムリッツアという都市がありそこにシーク教の総本山ゴールデン・テンプルがある。ガンジー首相暗殺に対するヒンズー教徒の報復はインド全土に広がりシーク教徒数千人が殺害されたといわれている。インド警察はシーク教の心臓部である美しきゴールデン・テンプルに銃を向け発砲した。その銃痕は今でも残っていると彼は言った。
 ハルジュダム・シンはヒンズー教の警察官による取調べで激しい拷問を受けていた。左手の親指と人差し指の間を警棒のような物で打ち砕かれていた。アシアナに入所して約2ヶ月、傷は良くなっていたが2本の指は曲げることは出来ない。ハルジュダムはターバンを巻き直していた。いつもはライトブルーを着用することが多い。淡いエンジや鮮やかなオレンジそれに黒を使うこともある。それを使い分ける何か理由があるのだろうがぼくには分からない。






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ジャンキーの旅          アシアナ(医療監房)・・・・・14

2013-01-26 | 2章 デリー中央第4刑務所アシアナ
 ぼくの禁断症状も少しずつだが日を追って回復に向かっていた。食事もかなり食べられるようになりぼくの食事を狙っていたサンジの取り分が少なくなった。この時期、監督官マダムは患者を次々と退所させ一般監房に送り出していた。虱に悩まされていたぼくはもう少し清潔そうなベッドに替わりたいと思っていた、日当たりの悪いトイレ側のベッドだったから。それとインド人の盗みに閉口していた。シーク教徒のハルジュダムが横のベッドが空いるので移って来いと親切に誘ってくれた。彼は古参で何かとぼくを助けてくれた。
 アシアナには小部屋はなく大部屋だけで常時約40名の患者がいた。症状の回復具合にもよるが毎日2~3名の退所者がいた、と同時に入って来る者もいた。彼らはドラッグの常習者であると同時に盗みのプロでもあった。日本人のぼくはスキだらけなのだろう狙われていた。大切なサンダルが盗まれた。退所者が盗み履いて出て行ったのだろう、病棟内を探したが見つからなかった。早朝の地面は冷い、ぼくは裸足で過ごすしかなかった。トイレに行くときだけサンジのサンダルを借りた。事務所に預けさせられていた貴重な二ナの差し入れのお金でサンダルを買おうと思った、刑務所内に売店があるのは聞き知っていたから。ぼくはゲートの外には出られない、一人の模範囚にお金を渡し頼んだ。2~3日が過ぎても奴は買ってこない、品切れとかサイズがないと言うだけで。ぼくは頭にきて事務官に報告した。奴は渋々サンダルを買ってきたがぼくの踵の半分が出てしまうような小さなサンダルだった。本当にサイズがなかったのかもしれない、それでもぼくは自分のサンダルをやっと手に入れた。そんなぼくをハルジュダムは見ていたのだろう、彼には時々家族の面会がありそんな日はバナナやりんごを
「食べろよ」
と言ってぼくに分けてくれた。
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