ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

第13話   回収ババ・・・4

2015-08-30 | 第13話 回収ババ その他・2

岩の前はババの作業場だ。土に埋もれた石の台がありその前に今日回収したゴミをずだ袋を逆さまにしてふるい落とした。それはぼくから見るとただのゴミでしかないがババにとっては一定の価値を持った物であるということか。木や紙くずは部屋の中へ持ち込み残ったビンの蓋をかき集めるババ。これが金になる、というビンの蓋は15個程あった。木や紙くずは貴重な燃料として食事の煮炊きに使われる。ババは林の中に住んでいる、周りの木を燃料にすれば良いと思うのだがインド人はそれをやらない。枯れた枝や落ち葉は集めるが生きた木を傷つけることはしない。最後に残ったビンの蓋を手に持ってババはぼくの顔を見てにやりと笑った。ぼくは石の台の横に座って彼が何をやろうとするのか見ていた。ババは蓋を台の上に置くと手に持った石で叩き潰し中に張り付いていたコルクを取り出す、潰した蓋は小さいずだ袋に入れた。袋を持ってみるとずしりと重い、ババはどうだとばかりにぼくの顔を見てうんうんと頷く。金になるとはビンの蓋を回収して鉄くず屋に売るという事か、ぼくはあほ臭くなってアシュラムへ帰った。

8月だというのに夏は終わった 台風前 初秋に鳴く蝉 つくつくぼ~しの鳴き声を数度聞いた
季節は変わっていた もうすぐ秋になるだろう と思っていたのに
九州にある前線について気象庁は秋雨前線だという 2週間ほど早いらしい 早すぎる
前線は北上し明日から傘マークが続く それも自然 どうすることもできない 
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第13話   回収ババ・・・3

2015-08-27 | 第13話 回収ババ その他・2

こんなところに人が住んでいるのか?水はどうしているのだろう、ガンガからかなり高い場所だ。何処かに湧き水でもなければ生活は出来ない。道路沿いに巨大な岩がありその岩を大木が覆っている。道路はその岩を避けて通り過ぎると右へ緩やかに曲っていた。坂を上りきって巨岩の前に行くと、その岩に取ってつけたような屋根とドアがあった。
「これが俺のハウスだ」
とババは自慢顔だ。ドアは開いている。中へ入っても良いかと聞くとババはノープロブレムだと言う。巨大な岩の中は抉り取られたように入口から奥へと広がっている。奥の右側にはベッドが置いてあり左側には料理用のかまどや食器が整理して並べてある。岩室の中は涼しい、大木はその岩を覆って陽を遮っているのだろう、天然の冷房になっているようだ。


参道の上の通りだ 前には巡礼者バスが停まる広場 商売にならないとぼやくババの前を
回収ババと通り過ぎる

台風15号は時速40Kmで県を縦断した 局地的に大雨を降らせたが一過性で済んだ
心配していた暴風は大きな被害を残した 収穫前の県特産 豊水梨の大量落下は悲惨だ
ぶどう くりも被害を受けた 1年間の苦労が一瞬にして吹き飛んだ 
生産者の報われない苦悩を映像は映した 自然には逆らえない それは知っている だが・・・
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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・56

2015-08-24 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

ウインブルドン
「キミコがプレーしてる」
「センターコートなんだぞ。分かってるのかトミー」
奴らは興奮してぼくを呼びに来た。
ぼくらの監房には白黒で小さいけれどテレビがある、ニュースやスポーツは毎日見ていた。
 1995年7月。ウインブルドン・センターコート。伊達公子さんだ。キリッとヘアーバンド、小柄だが全身をエナジーと気品が包み込んでいた。アフリカン・ブラックはホワイトに対して素直になれない一面をもっている。
「キミコ」は勝ち進んだ。ひとつ勝つ度に彼等のエールは大きくなっていった。アフリカの目はヨーロッパを中心に見詰めてきた。今「キミコ」を通して日本を知ろうとしている。拙い言葉でぼくは日本を語った。
 アフリカンは歴史的不正常さの裏返しとして「キミコ」にエールを送ったのではない。「キミコ」の素晴らしいプレーに感動したのだ。ぼくは何故だか嬉しかった。
 
*注 
1995年 ウインブルドンを調べてみた 伊達さんはこの年ベスト8に進んだが敗退した
1996年 ベスト4に進出しセンターコートでプレーした
インドのテレビ中継を観戦していた彼らは何故そうぼくに知らせたのか
分からない が文章を変更せず掲示します

台風15号は強い勢力を維持して九州北部への進路を進んでいる 明朝、暴風雨域に入りそうだ
家屋や農作物への被害がないことを祈るだけだ
ベランダに置いてある洗濯機の蓋が強風で飛ばされた そのとき買い替えた洗濯機 蓋の上に煉瓦を2個重しとして置いた 飛ばされそうな物は部屋に入れてある

 8月25日
「今まで経験をしたことがない」 自然災害に対する警戒を喚起させるため近年 気象庁が使うフレーズだ うぅ~ん そぅ~ いってもなぁ~ 災害の当事者ではない よそごとなのだ 大変だろうな と思うだけなのだ
6時 起床 風雨はそれほど強くはない 台風は通り過ぎたのか お茶の用意をし血圧を測る 
念のため そう ただ念のためにテレビをつけた いきなり画面には台風15号は勢力を維持したまま6時過ぎ熊本県荒尾市付近に上陸したと思われる 福岡県境の市だ 福岡沿岸部まで直線で100Km 時速40Kmで北上するとこれから本番なのだ あぃやぁ~と思っている間もない 暴風雨域に入ってしまった あぃやぁ~~だ
横殴りの雨 この言葉はイメージとして理解できる範疇にある それを超えるとどうなるのか
空から降ってくる大量の雨が暴風と出会う 雨は打ち砕かれ一面乳白色の水煙となり吹き飛ばされていく
しばらく ほげぇ~と見ていた「今まで経験したことがない・・・」
15号は風台風なのか 県内では水による被害は少ないようだ 全貌はこれから明らかになるだろう
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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・55

2015-08-21 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

ジャンキー達の死
 Jimi Hendrix 1970・9・18没 享年27才。
 ロンドン、サマルカンド・ホテル。昏睡状態で発見。救急車内で死亡。直接の死因は睡眠薬の多量摂取による呼吸困難の為の窒息死。自分で吐いた物を喉に詰まらせて死ぬ「ヤク自殺」Janisも同じようだった。
 
 Janis Joplin 1970・10・4没 享年27才。
 ハリウッドのランドマーク・モーテルの一室で死体となって発見。
死因はヘロインの多量摂取。長い間ヘロインとアルコールを常用していた。病的なほど覚醒剤に狂っていた。
 
 Jim Morrison 1971・7・3没 享年27才。
 パリのアパートで入浴中、心臓発作による死亡。浴室は中からロックされていた。 
 
 Brian Jones 1969・7・3没 享年27才。
 69年6月ローリング・ストーンズ脱退。薬物の濫用で分裂症状が酷かった。7月自宅プールにて水死体で発見。死因は麻薬のための心臓麻痺。(一部では他殺説もある)

 「医学書より引用」
 脳細胞は血流によって運ばれる酵素とグルコースによって生命を維持している。血流が停止すると数分以内に細胞死が始まる。一説によると細胞死に至る時間は
 大脳5分  小脳13分  延髄20~30分  交感神経60分
 脳神経以外の臓器では
 腎臓2時間  皮膚48時間  髪の毛・爪数日間。
 友人カルロスの死は刑務所に面会に来てくれたマリーから知らされた。カルロスの死を予感していたぼくは取乱すことはなかった。
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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・54

2015-08-20 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

 フィリップスのストレスは限界だった。朝起きるとフロアーにピーナッツの殻やバナナの皮が散乱していた。オマールもチャーリーもこれじゃまるでモンキーだと言った。開錠されるとフィリップスは飛び出してグラウンドを歩き回った。
 朝、ぼくはいつもの生活パターンでチェーシングをやっていた。今までぼくとは全く付き合いのなかったインド系イギリス人のボブが吸っているぼくの横に座り動こうとしない。彼は見栄も誇りも捨て東洋人のぼくに一服だけで良いから吸わせてくれないかと頼んできた。ぼくは黙って吸い続けた。彼は再び頼んだ。ぼくは振り向いて彼の顔を見、それは出来ないと断った。外房の壁の前に座り膝を抱いて俯いたボブをぼくは見た。彼が禁断に囚われている事は分かっている。しかし彼は既にお金もなく借りられる信用も失っていた。スタッフの手当てが出来ない彼に一回、助けてやっても意味はない、その場の禁断から逃れる事が出来ても。苦しいけど何れ襲ってくる禁断と正面から向かい合わなければならないのだから。迷い込んだドラッグの深い闇、どういう形であれ自分で決めるしかない。皆が寝静まった夜、ボブは外房の鉄格子にロープを架け首を吊った。長く続く禁断に絶望し奴は病院へ運ばれた。生きているのだろうか?

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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・53

2015-08-17 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

  6月28日(水曜日)
 皆、熱波に疲れきっていた。
「あの黒い鳥だ」とアシュラム。
石を投げて鳥を仕留め食べた彼は激しい腹痛と下痢で3日間、寝込んだと言った。顔はげっそりしている、彼が指差した黒い鳥は鴉ではなかった。木の下の台座に元気なく座っているエマ、あのはち切れんばかりの筋肉は削げ落ち一回り小さくなっていた。1週間以上、下痢が止らず困っていた。事情を聞いて診療所の薬を見せてもらった。1月だったと思う、ぼくの私物が一部返還されその中のウエストバックに体温計と薬が入っていた。日本を出発する前、病院に勤めているぼくの友人が薬を用意してくれた、当然、抗生物質も2~3種類あった。どの抗生物質も効かない時はこれを使えと言われた薬もあった。一度、アフリカンの具合が悪いというので様子を見に行った。熱がありそうなので体温を計らせた。彼は体温計を見たことがなかった。原因は分からないが高い熱があったので軽い抗生物質を一錠飲ませた。彼らは薬をあまり使った経験がないので薬が効き過ぎることがある。6時間後に体温を計りたいのだが夕方の施錠があってそれは出来ない。6時間後に飲むようにくれぐれも念を押してもう一錠渡した。翌朝、体温を計らせると熱は下がっていた。そんな事があったので体調の悪いエマはぼくの意見を神妙に聞いた。
「ゲップがあるか?」
「卵の腐ったような臭いがするゲップか?」
そうだ、と言うエマを連れて房へ行きFLAGYL-400という薬を飲ませた。原因は分からないがぼくも何度かこの病気に罹った事があった。ぼくはマリーに頼んでこの薬を十錠差し入れしてもらっていた。エマは良くなった。

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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・52

2015-08-10 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

刑務所に収監されている者はただの犯罪者であるが一人の人間でもある。その人間としての人権は守られなければならない。だがそこに大きな落とし穴がある。その人権を利用して刑務所内のアフリカン・ドラッグ・シンジケートは麻薬の網を張り巡らせ生き続けている。もし裁判所が医療的検査であるとして全員の身体検査(肛門を含む)を行えば組織は壊滅する。スタッフはポンプされ肛門内にあるのは刑務官達が知っている。インドはいつその部分にメスを入れるのだろうか。
 マリーに頼んでいたモスキートネットが手に入った。ベッドの4隅の棒に紐を掛けるだけで使える。扇風機の風を長時間、肌に直接受けるよりネットを通した方が風が柔らかくなり身体に良いだろうと思った。まだ生きようとする気持ちが残っている。食欲もある。夜、9時頃チャーリーがアフリカ料理を作ってくれた。トマトとトマトピューレのスープにソヤビンを入れた簡単な料理だがそれにアタをつけて食べる。アフリカ人の主食アタは高カロリー食品らしい。外房の角で火を使って煮炊きをしているのを巡回の刑務官が見ても何も言わない。
 裁判は全く進んでいない。古い審理書類が山積され弁護士も成す術はないのだろうか、あれ以来一度も顔を見せない。フィリップスの動きもない。時間だけが過ぎていく。第1刑務所に収監されて8ヶ月が経った。ぼくの気持ちの中から早く出所するという望みは失われそうだ。

お盆が過ぎるまで ブログの更新はお休みします
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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・51

2015-08-06 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

 Cバラックの収監者は約40名、2人1組でティー受取りの当番が回ってくる。昨日、ランジャンとステンレス製バケツと棒を持って厨房へ行った。厨房の仕事は本当に大変だ。この熱さの中で1日中、火を使うのだから。厨房に入ると廊下にティーを受取りに来たインド人達が長い列を作って待っていた。20組以上はいただろう、それを尻目に横を通り過ぎる。厨房内にも並んでいるインド人の最前列にぼくとランジャンはバケツを置いた。これは刑務所内の決まりだから誰も文句は言わない。大きな寸胴でティーを準備しているインド人から声が掛かるのを待っていた。待っているだけでも熱い、早くティーを貰って外へ出たい。インド人達は早い順番を取ろうと監房が開錠されると急いでやって来たに違いない。列の最後尾だとお茶葉混じりの不味いティーを持ち帰る事になり皆から文句を言われるだろう。
 毎日、1番遅い外国人が1番ティーを貰う事にインド人は快く思っていないだろう、食事の差別もある。クラス、スポーツ用品の支給やライブラリーそれら全ては外国人専用の第5収監区だけの優遇処置だ。インド人は厨房の仕事、食料品の荷受、各監房のゴミ処理、公園の手入れ等の作業を行っている。Cバラックの前に建設を中断した建物があった。それは何れ第5収監区専用の厨房に改造されると聞いた事がある。外国人は毎月一回、大使館の面会がある、そこで刑務所の待遇に対して苦情が出されると大使館としてもインド外務省へ何らかの待遇改善の要望が出される。刑務所の監督官はそれについての対応をせざるを得なくなるだろう。特にヨーロッパのイギリス、フランス、ドイツ等は人権の立場から十分な配慮が要望されているのかもしれない。
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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・50

2015-08-03 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

   6月1日(木曜日)
 内房の入口の鉄格子に毛布を掛ける房が増えてきた、熱風を房内に入れない為だ。日本では暑ければ窓を開け外の涼しい風を室内に入れるがここでは逆だ。内房の天井の高さは4mぐらいある。焼けた天井のコンクリートの熱気を扇風機が掻き回し房内は一定の温度に保たれている。入口に毛布を張り密閉した房内は当然だが暑い、それでも外の熱風より10度は低い。夜、テレビの天気予報では連日、人間が生きていく限界の最高気温、最低気温を報道していた。例年にない熱さでパンジャブ州ではラクダが死んだというテレビ画像を見た。路上生活者や低カーストの人間が何人死んでもニュースにはならない。この時期ビザの関係でデリーに立ち寄る事はあっても長期滞在をした事はない。

ファイルには最高気温47度 最低気温37度と書いてある 本当だろうか?
段ボールの中を調べた

左の2冊は逮捕~NO2WARD 右はマリー~逃亡だ 間のNO5WARD~保釈のノートが見つからない
確かめようがない 気温は削除して 人間が生きていく限界 と変更した
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第13話   回収ババ・・・2

2015-08-01 | 第13話 回収ババ その他・2

 回収ババはちょくちょく出店のババの露店へ立ち寄ってはチラムを吸っていくようになった。ぼくのチャラスを使っているので誰がこようと出店のババは文句を言わない。
「毎日ゴミを回収してお金はどこからでるんだ?」
とぼくが聞くと、ババは出店と顔を見合わせていた。どぅれぇ、とババはずだ袋に手を突っ込んでごそごそやっている。そしてどうだ、とばかりに数個のビンの蓋を取り出しぼくに見せる。
「これだ、これが金になる」
見ればコカコーラ等のただのビンの蓋だ。それが何故お金になる?蓋の中のコルクを剥いだら大当たりでもするのか、どうも奴の話が呑みこめない。
「俺のハウスへこい、見せてやる」
ババは何を見せるというのか、チラムを吸ってちょっとハイになっている、興味が芽ばえババについてハウスへ向かった。 ガンガ河畔から本通りへ出る階段を上るとここまで平坦だったリシケシからの本通りは参道と分岐し左側の山の方へ上り始める。巡礼者用のバス溜まりを過ぎ林の中をババと2人で上って行った。右斜面の木々の間から谷の下にちらちらとガンガが見える。バスも人も通らない山間の静かな道だ。坂を上りきる辺りにぽつんぽつんと林の中に小屋が現れた。



出店のババ 4月頃の乾季 向かって左がぼくの定位置 右に回収ババが座る
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