ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・57

2012-12-19 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
これは病院からの請求明細である どうしてこんなものが残っていたのか もう一通は処方箋だろうが
それはない 今も通っている精神科クリニックへ治療のため先生へ渡したのだろう
ソラナックス ヒルナミン トリブタノール アビリット レンドルミン等を服用していた
現在はレンドルミンだけ 精神的な調子によってはヒルナミン パキシルを2週間分処方してもらうこともあったがそれもない 安定している


  
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・56

2012-12-17 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
   12月29日(金) 退院

 午前中に退院ができると思っていたが遅くなった。昼食が終り前庭の椅子に座っていると1人の刑務官が病院の中へ入って来るのが見えた。制服を見ると分かる、一般のポリや刑務官ではない、裁判所から調査に来た上級刑務官だろう。彼はぼくを見たが何も言わない。ドクターを待っているのだろうか待合所の椅子に座っている。何時に退院が出来るのかシスターに聞いてみたがドクターが来ないので分からないと言う。病室に戻って入院用のトレーナーを脱ぎ私服に着替えた。明るい内に退院したい、陽が落ちると寒くなる。
 外が薄暗くなり始めた5時頃だろうか、やっと退院手続きが終った。入院費用請求明細と退院後にぼくが飲まなければならない薬名を書いた処方箋がドクターから渡された。
ラウラシカがオート力車を停めて待っている。シスター達はゲートまで出てぼくを見送ってくれた。彼女達は手を振りながら
「元気でね、トミー」
「ありがとう、さようなら、シスター」
ちょっと淋しい別れだった。1ヶ月足らずの入院でしかないのに遠い旅をしたような気がする。ひとつ々の別れの悲しみを耐えてぼくは生きていかなければならない。
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・55

2012-12-15 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
昼食をしているとドアをノックする音がする。こんな時間にドクターが来るわけはないのだが、しかし病室に入って来たのはドクターだった。ぼくは急いでベッドから降りるとドクターの方へ歩み寄り、右手を出しながら
「サプラィズド」
と言ってドクターの手をしっかりと握った。2度も握手を求めるぼくの顔から、自然に笑みが込み上げていたのだろう、彼も嬉しそうだった。
「全て順調に進んだ」
ドクターは安心して病室を出ていった。
 どうやら禁断は抜けたようだし、明日の午後には退院ができる。先の事を考えるとまだ大変であるに違いないのだが、今ぼくはハッピーな気分だ。分離したリアリティーを彷徨った5年間だった。ぼくの旅は終ろうとしている。無事に日本へ帰ることが出来たら暫らくは休養をしたい。日本で何をやるのか、ネパールへ戻るのか、休養後に考えよう。5年間の長い過酷な旅に耐えてくれたぼくの心身に感謝と労わりの言葉を贈りたい。失ったものは大きいかもしれない、でもこの旅はぼくにとって必要だった。良い旅であったとは言えないかもしれないが。

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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・54

2012-12-02 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録


   12月28日(木)(入院して25日)

 抜けたな、たぶん抜け切ったと思う、ドラッグの深い闇から。26日の夕方からドラッグをプッシュアウトする新しい薬に替え、27日は非常に大切な注射を打った。今日の朝もシスターはぼくの顔を見ては何度も
「大丈夫、気分は悪くない?」
とぼくに聞いた。27日は朝から少し頭痛がするし背中も痛んでいた。それが時間の経過に従って痛みは酷くなり我慢ができなくなった。夜の投薬後に追加の痛み止めを貰って飲んだが頭はぼぅとして眠れない辛い一夜だった。3~4時間は眠ったのだろうか、目が覚めると外はまだ暗かったが痛みは消えていた。朝のティーと朝食が終り、時間が過ぎていくと身体の動きが良くなっているのに気づいた。頭もすっきりしている。ドクターは今回の治療に自信を持っていたように思えたが、ぼくは
「あぁ、そうですか」
と言っただけで内心は信用していなかった。
この病院で後、一晩だけトラブルを起こさなければ退院が出来る、そんな事しか頭になかった。
 ぼくは前庭へ出て歩いてみた。身体が軽い。前に出した足にぼくの力や筋肉の働きを感じる。足を前に出し惰性的に身体を移動させていたのとは違う、前足が後ろに残っている身体を引きつける筋肉の力があり、後ろ足は地面を蹴る、これが歩くということか。昼前にぼくの体内から何かがすぅと抜け出していくのを感じた。本当だろうか、ぼくはまだ信用できない。ぼくの体内の表層部のドラッグをプッシュアウトする事ができたとしても脳の深部に巣食っているスタッフの赤い蓮華は生き残っているのではないだろうか。一部の不安が残っているにしても26日と27日の治療は素晴らしい効果を生み出したのは事実だ。
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・53

2012-11-30 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録


「気分はどうトミー、気分が悪くなったら直ぐに言って」
「大丈夫、何ともない」
1人はぼくの脈をチェックしている。枕元に立っているシスターはぼくの顔色を見ながら声を掛けてくる。
「気分は悪くない、もう直ぐ終るからね」
「大丈夫だよ、ぼくは何ともない」
余程ゆっくりと注射液を入れているのだろう大分、時間が経ったような気がする。注射が終り彼女達が引き上げた後も、シスターが度々ぼくの様子を見に来ては声を掛ける
「気分はどう、トミー」
「今のところは何ともない」
とぼくは答えたが、頭がぼうとしている。強い薬なんだろう、ベッドで横になって動かないように言われているが動けそうにない。
 夜、シスターに痛み止めを頼むと、これが新しい痛み止めだと言って薬をくれたが全く効かない。自分の身体なのだが右と左半身が別々になった様な感じがしている。目が良く見えないと思っていたが今、分かった。左は良く見えるのだが右はぼやけている、左右の視力がかなり違うから視点が合わないのだろう、片目を瞑って調べたらそうなっていた。右手を開くと指がぶるぶると震える。どうなってしまったのか、指が震えて字が書けない。右目の奥から右脳や首の右側それに右手と右足等の右半身の神経がおかしい。注射の後どうも調子が悪い、身体は痛いし眠る事など出来そうにない。あまり調子が悪いとか痛いとか言うと退院を先へ延ばされそうで騒ぎたくはないのだが我慢が出来ない。事務室へ行って以前に使っていた痛み止めを貰って飲んだ、効いてくれると良いのだが。
 
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・52

2012-10-23 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録

   12月27日(水)(入院して24日)

 ドラッグの闇のトンネルから抜け切れない、入院して24日間では当然だろう。アシアナで50日間スタッフを断ったけどその後、1年間も吸い続けてしまった。良い薬を使ったとしても後2週間ぐらいは肩の痛みと不眠は残るだろう。上手くいけば日本へ帰った頃、ちょうど抜け切るかもしれない。昨夜から新しい薬に替えるとドクターが言っていた。ぼくの体内に残っているドラッグをプッシュアウトするための薬だ。今まで薬が多かったのは肝臓やダメージを受けた脳を治療する薬が含まれていたらしい。後2日で退院し外へ出られる。しかし今、入院しているのはぼく1人だけなのか、男性の大部屋を見てきたが誰もいない。
日本の精神病院には大部屋があるのだろうか、患者にはそれぞれに異なった病状や症状があると思うが、もしぼくが精神科に行くとしても入院はしない。アシアナのように同じ薬物症状の患者が多くいると何となく気分が紛れた。暗く寒々とした病院に後2週間も1人ぼっちでいたら鬱になりそうだ。
 午後5時頃、3人のシスターがぼくの病室に入って来た。いつもの彼女達とちょっと違う、顔の表情が硬い。何かあるなと思っていたら、
「今から注射をします」
これか、ドクターが言っていた注射とは。容器に入った注射器や血圧計等がテーブルの上に置かれた。
「細心の注意が必要だ、健康状態を見て決める」とドクターは言った。
ベッドの上で横になり左腕を出すと血圧や脈拍数をシスターが調べている。普通の静脈注射のようだ、そんなに神経質になる事はないだろう、とぼくは思っているが彼女達は真剣だ。担当のシスターが上腕部に黒いゴムを巻き注射器を受取った。大切な注射だというのにドクターは姿を見せない、左腕の中を冷たいものが流れた。
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・51

2012-10-19 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録


午後4時頃、Bさんが来てくれた。ぼくはすべてを話した。こうして治療を受けている間は禁断を圧さえる事ができる、しかし依存症は残る。暫らくは我慢出来るだろうが何れまたスタッフに手を出す。治療が終った今、帰国し日本の精神科で治療を続ければ依存症を治す事が出来る。
印・ネ国境はネパール人の手助けがあれば抜けられる。カトマンズの日本大使館が速やかにパスポートを交付してくれるなら帰国は可能だ。Bさんは黙ってぼくの話を聞いてくれた。ぼくの話が終るとBさんは
「それしか方法はないでしょう。29日の退院という事でドクターに話しをしましよう」
それしか方法はない・・・Bさんは黙認した。逃亡による成否の責任の一切はぼくにある。
大使館は28日で年内の日程が終り閉館される。Bさんは29日も仕事があるらしい、ぼくの退院手続きが遅くなっても大使館で待つ、と言ってくれた。
 夜中だが何時頃だろう、薬を減らしているので肩の痛みと不眠は続いている。シスターは夜間巡回をしていたのか、以前は眠っていたので知らなかった。先程、シスターから痛み止めを貰って飲んだ、効いてきたのか少し痛みが引いたような気がする。29日、金曜日の退院が決まった。退院してデリーに滞在できるのは4日間だけだ、出発の準備は整うだろうか。ネパールの滞在を含めて約2週間でぼくの旅は終る、帰国するしか他に方法はない。1月の最も寒い季節の帰国となるがそれで良い、2ヶ月も経てば春になる。今が底だとすればこれ以上、下に落ちる事はない。長いどん底の生活だった、もう終わりにしたい。
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・50

2012-10-17 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
   12月26日(火)(入院して23日)

 前庭の椅子に座り冬の太陽を身体に受けていた。
「トミー、お薬の時間よ」
シスターは水の入ったコップをぼくに渡し薬を手のひらに置いてくれた。
「随分、薬が少なくなったわ」
「あ~、ぼくはもう直ぐ退院するんだ」
彼女の瞳を捕らえてぼくはそう言った。一瞬、彼女の動きが止った。
「そう」
一つ頷いて彼女は病棟の方へ戻って行った。
数日前、ぼくはドクターと年内退院について話し合った。その時、ドクターは
「退院する前に大切な注射を君に打たなければならない」
非常に大切な注射とは、ぼくの体内に残っているすべてのドラッグをプッシュ・アウトするために必要な注射だと彼は言った。
「細心の注意が必要だ、君の健康状態を見て決める」
 退院した例のインド人が今日も診察に来ていた。眠れないし身体が痛い、と言っては何度も生欠伸をしている、同じドラッグをやった人間だから症状はぼくにも良く分かる。彼がスタッフを断つことができたのは家族の愛だろう、妻や子供が身近にいる。薬物へ逃げようとしても彼を引き止める家族の絆がある。もしぼくが日本へ帰る事が出来たら母の住む町で生活をしよう、薬物への欲求があっても母の顔を見ていたら出来ない。これ以上、家族を悲しませたくはない。
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・49

2012-09-27 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
 夕食と投薬が終って、いつものように日記を書いているとシスターが病室に入って来た。昨日に比べるとシスターの表情はちよっと硬い
「クリスマス・パーティーを始めるので来て下さい」
気が進まない、ぼくが愚図っていると
「ドクターがお呼びです」
そう言って待っている。一緒に連れて来るようにドクターから言われているのだろう、ぼくは渋々ベットから下りシスターの後ろについて行った。事務室を通り過ぎた別の部屋の前で、どうぞとシスターがぼくに合図をする。ノックをしてドアーを開けると部屋の中は色紙を使ってクリスマスの飾り付けがなされていた。
「ハッピー・クリスマス」
ドクターと奥様そしてシスター達が一斉に立ち上がってぼくを迎えてくてた。
「ハッピー・クリスマス」
そう言ったが、ぼくは照れてしまった。奥様に椅子を勧められ逃げて帰るわけにはいかない、観念してお付き合いをすることにした。テーブルの上にはショートケーキやビスケット等の食べ物に、コーヒーとミネラルウオーターが置かれていた。いつも煩いラウラシカ等3人の使用人は落ち着きがなく入口に立っていたが、食べ物を貰うと早速逃げ出した。若いシスター達も恥かしがってケーキに手を出さず奥に集まっている。ドクターが立ち上がると皆も立ち、祈りが始まった。シスター達の賛美歌が終わると雰囲気は少し和らいだ。奥様は東京に来られた時の様子をぼくに話される、ドクターはぼくの裁判の事を心配して状況を聞かれた。本当の事は言えない、後1ヶ月くらいで裁判は終るだろうと、ぼくはドクターに嘘をついてしまった。ぼくが逃亡した新聞告示の記事をドクターは読まれるかもしれない。ぼくは大切なインドを裏切る、身から出た錆だ。1週間後には出発する、身体は動いてくれるだろうか。
デリー、クリスマスの夜。   
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・48

2012-09-24 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
   12月25日(月)(入院して22日)

 明日、Bさんが来る。退院の日が決まるだろう、27か28日の2日しか残されていない。ネパール行きをBさんに話すべきか、そればかり1日中考えていた。
 アルコール中毒だった父の血を受け継いだのか、ぼくはスタッフ中毒で薬物が止められない。金だらいに激しく吐血した父の濃い小豆色の液体をぼくは見た。もう吐き出す力はなかったのか、胃壁に開いた穴から出血した血液は腹膜に流れ出していた。最後のアルコールを口に含んだ時、父は何を考えていたのだろうか。スタッフでブラック・アウトしたぼくは父と語った
「親父さん、あんたは偉いよ。アルコールに飲まれたのではない、飲み尽くしたんだ」
父は黙ってぼくを見ていた。
 裁判を終らせてネパールへ行きたい、だがいつ終るか分からない。その間にまたスタッフをやりだすに違いない。奴との関係を断ち入院している今でさえ、抜け切ってしまえば吸いたいと思っている。体重も50kgに回復してきた、スタッフを断った今しか帰国するチャンスはない。退院してもすぐには手を出さない、2週間ぐらいなら何とか我慢できるだろう。その間にスタッフが吸えない日本へ帰ろう、奴への依存症から逃れるにはそれしか方法はない。国境で再逮捕されデリー中央刑務所で薬物死するならそれでも良い。国境を無事通過し日本へ帰ることが出来るなら、それも良い。
 カトマンズで土産物店をやりながら学校へ通う、ネパールの子供を養子として育て、平穏なネパールの生活を考えて出国した5年前、何もかも狂ってしまった。人生とはそうしたものなのか、ぼくには分からない。明日、ぼくは本音でBさんに話そう、話すだけで良い。
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