ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

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2019-12-31 | 心の旅・追想
カトマンズの朝


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1970代・カトマンズ追想
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心の旅・追想・・・3  クリスからの手紙

2019-12-02 | 心の旅・追想


手紙は東京から神奈川の姉宅へ送られていた。帰国してぼくはこの手紙を読んだ。フランス人の彼とぼくは英語のネイティブではない、“これほんま英語かいな”と思われるかもしれませんが、ぼくらの正真正銘の英語なんです、多々不明な個所がありますが。
まず驚いたのは“19/11/95/フランスを出発”である。ぼくはその時、デリー・メインバザールの安宿でブラックアウトしていた。彼は旅の予定を書いている、インド滞在6ヵ月その後ネパールへ入国、約1年の旅を考えていると。それにしても甘いよ君は、5年前のインドが大きく変化し思っていた以上の出費が重なり財布が厳しくなったとは。しかしまだ帰国はしたくない、“GOA(this year)で会ったKasumiとコンタクトをとり日本で働きたいと書いてある。だがその時、ぼくが93年フランスへ出した手紙、どこをどう彷徨っていた のか彼の手元へ届いたのだ、おかしな話である。But I got it in Nepal I don’t know how それはぼくも同じだ。93年に出した手紙の内容は94年からカトマンズの外国語学校でネパール語の勉強をする、だった様に思っている。それ以前に彼女に赤ちゃんが生まれたので1年、旅に出られない、とクリスからの手紙を受け取っていた。もしカトマンズで待てないようだったら東京へ行くことは可能だろうか、彼女はフランス語の先生をしている、日本でもそれはできる、とフランスへ帰国するより東京へ行く事に望みを寄せていた。Can I see you? Can I work? だがぼくはそれに応えられる状況になかった。デリー、カトマンズ、同じ時期に滞在していたのに会えなかった、もし会えていれば、それはもう過ぎた去ったこと、お互いの道を歩くしかない。Sex&Drugs&Rock&Roll That’s my way man IAN DURY Let’s go to see you smoke a big Joint together
インドでの経緯などを書いた手紙をクリスへ出す,文末に福岡で落ち着いたら新しいアドレスを連絡する、だがぼくはそれをしなかった、薬物治療を受け社会復帰しなければならない、旅とのつながりのすべてを断った。
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