ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ジャンキーの旅        ブラック・アウト・・・2

2012-02-29 | 2章 ブラック・アウト
ラジューとマネージャーの大声で呼ばれて走って来た使用人、それが彼の名前だろう。インド人にしては珍しくころころとした体型だ。マネージャーから説明を聞き鍵を受取ると、ぼくの前に立ち3階へ向かった。荷物はロビーに置いていく、気に入った部屋がなければ他を探さなければならない。そんなに大きいGHではないのだが真中は吹き抜けになっていた。吹き抜けを各階の廊下が四角に囲んで、手すり側に寄ると上下を見渡せる。各部屋のドアは立っている通路側への引き戸になっている、こういうGHには全く窓のない部屋が多い。窓があるのはバザールの通りに面した数部屋だけではないだろうか。最初に見せられた部屋は裏側に面して、入口を除いて壁だけの暗い部屋だった。旅の移動中であれば1~2泊くらいだから我慢出来る、が1週間以上の滞在となれば部屋を決めるのも慎重になる。気に入らないと彼は次の部屋へ案内する、吹き抜けの反対側へ回った部屋だ。ドアを開けると通りに面したガラス窓から明るい光が差し込んでいる、気に入った。受付に戻って宿帳に必要事項を記入しなければならない、ぼくはバッグからパスポートのコピーを取り出した。名前、パスポート番号と国籍を書きビザ番号記入欄は空白のままで50ルピーをマネージャーに握らせ
「パスポートは盗難にあって大使館で再交付の手続きをしている」と説明、これで良いか?と彼の反応を窺った。
「OK、ノープロブレム」
何か問題になるかと心配していたが案外すんなりと決まってしまった。ぼくの荷物を部屋まで運んでくれたラジューに2ルピーのチップを渡した。いつもだったら自分の荷物を使用人には運ばせないのだが、彼は外国人旅行者に対して慣れていないようにぼくには感じられた、何かと役に立ってくれるだろう。良い部屋だ、満足している。通りの反対側には高い建物はない。見晴らしが良いし部屋の中を見られる心配もない。下を見ると行き交うインド人達の生活が垣間見えた。 
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ジャンキーの旅            ブラック・アウト・・・1

2012-02-27 | 2章 ブラック・アウト
「トミー、駄目だったら戻ってくるのよ」
「ありがとう、マリー」
彼女はオート力車を停め、行き先と料金交渉をしてぼくを乗せ出発するまで気遣ってくれた。ニューデリー駅前のメインバザール入口でぼくはオート力車から降りた。バザール内は車輌進入禁止になっている。荷物は中型の手提げバックだけだが、英和、和英中辞典や本それに洗面用具と衣類等が入っている、5kgぐらいの重さがありそうだ。メインバザール中心部の外国人旅行者が集中するホテルは避けよう、特に日本人旅行者には会いたくなかった。駅の近くでインド人ビジネスマンが使う安いホテルがある、まずそこから当たろう。駅前からバザールに入って50mぐらい行った左側に2軒のゲスト・ハウスがあった。表通りに面した1階は商店が並んでいる。その商店の間に大理石で作られた狭くてかなり急な階段がある。通りから見ると階段を上った正面が受付カウンターになっているようだ。看板に書いてあるゲストハウスの名前は、カイラスとキーランとあり、一つの商店を挟んだ両側に階段があった。どちらにするか、ちょっと迷った。同じ様な条件で恐らく料金も同じだろう、初めてのGHだ、どちらかに決める根拠は何もない、ぼくはキーランGHの階段を上った。カウンターの中に立っている30歳ぐらいのマネージャーの顔には嫌味がない。外国人旅行者が頻繁に出入りするGHはあまり信用が出来ない。旅の初心者だと分かるとホテル代を高く請求したり、旅行代理店と組んで悪さをする。ここのマネージャーは多分オーナーの息子だろう、勝手にぼくはそう判断した。1階の商店とホテルを一族で経営しているのではないだろうか。
「1ヶ月の滞在予定だけど、部屋ある?」
「良い部屋があります」
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ジャンキーの旅      マリー・・・終り

2012-02-26 | 2部1章 マリー

 
 テーブルに立てたローソクの灯を見ながら ぼくは小舟に乗って揺れている、遠くへ、遠くへ流される。身体が左右にゆっくりと心地よく揺れる、仄かなローソクの陽炎。夢遊、ドラッグの幽玄に意識が流れる、それは無に近づく意識の放棄。身体が円を描き始める、回りながら円は大きくなり闇の中へぼくは落ちた。
「どうしたの、トミー」
「キャー、ひどい血だわ、動かないでトミー、お願いだから」
「じっとしてるのよ、分かった」
ぼくは円を描いていた、テーブルを倒しながらベッドから間へ落ちた。上へ延ばした腕に頭を乗せ横たわっている。割れたガラスの破片がぼくの右手首の静脈を切ったのだろう、手首から流れる鮮血。それは妖しいケシの花弁。
彼女はぼくを抱き起こし、ベッドに凭れ掛けさせ血を拭くとその腕を頭の高さに持ち上げた。無言で片付けをするマリー。終るとぼくの手首に包帯を巻き
「明日は病院よトミー、ガラスが入っているかもしれないから」
「ごめん、マリー」
「トミー・・・」
「うぅん」
「何でもない、おやすみ」
トミー、もう駄目だわ、マリーが胸に飲み込んだ言葉をぼくは気付いていた。傷が治ったらぼくは街へ戻る。
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・32

2012-02-23 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
   
   
    12月17日(日)(入院して14日) 
 
 昨日マリーが帰った後、ぼくは異常な心理状態に陥った。
「逃亡」
成否に関わりなく様々な要因が、まだ正常に機能していないぼくの脳内に渦巻いた。危険度数は、成功率は、体内に共鳴し聞こえてくる心臓の鼓動に息苦しくなった。だが思考は中断なく進もうとする。
「冷静になれ」
何度も呟いた。ぼくはまだ薬物禁断の治療が必要だ。回復率は60パーセントぐらいだと判断している。退院まであと1週間から長ければ2週間は必要だ。
「急ぐ事はない」
治療による正常な脳機能の回復と同時に綿密な逃亡計画を作成すれば良い。
夜間当直のシスターに睡眠薬の追加を頼んだが断られた。
少し眠ったのだろうかドアを開ける音を聞いた。テーブルに朝のティーを置いて出て行くラウラシカの後姿を見た。
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・31

2012-02-22 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
 ネパール行きについてマリーは何度もぼくに勧めた、がそれを理解することができなかった。毎日スタッフがぼくを破壊し続けているのに。
彼女はアルファーに預けてあるぼくのスタッフはもうないだろうと言った。
「ナイジェリア人のアルファーを信用するなんて、馬鹿げてるわ。彼はそのスタッフを売り捌いているのよ」
自分の馬鹿さ加減に嫌気がさしてきた。もうそんな事はどうでも良い、早くここを出てカトマンズへ行こう。粉はどうする、止めると淋しいだろうな、ドラッグのない生活をやっていけるのか。もうインドへ買出しには来られない、自然に吸えなくなるのか。カトマンズでは高いし自由に手に入るわけじゃない。100gは買っていくか、そんなことを考えると面倒臭さいな、生きることも面倒臭い。目は悪くなっている、歯はガタガタだし身体はボロボロだ。だから生きていたくないんだ、自然に死ねないのかね。
一度日本に帰ってみるか、最後の日本。
でも帰ってみても楽しい事など何にもない。
とにかくカトマンズに無事着いて落着いたら先の事はその時点で考えよう。今ある問題を一つ々解決していかなければならない。
 
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・30

2012-02-21 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
 彼女の話しではピーターは11ラークを支払ってリリースされると直ぐネパールへ逃亡したそうだ。ビルは大きな事件に関与していたのだろう、保釈されていたが毎日パテラハウス高裁への出頭を命じられていた。彼は綿密な計画を立てチャンスを待っていたに違いない、オートバイを準備し決行の日をヒンズー教の祭日と決めていた。裁判所への出頭後、彼はオートバイで国境へ走った。翌朝カトマンズのイギリス大使館に逃げ込むと、後は大使館が出国の手続きをやってくれる。
 外国人の相次ぐ逃亡によってデリー裁判所は管理を強化するだろうし、国境の警備も厳しくなっているだろう。馬鹿なのかぼくは、何一つ自分で決断が出来ない、マリーから何度もネパール行きを進められていたのに。
 最初、依頼した弁護士は7ラークを払えば3月迄にぼくの裁判を終らせると言っているそうだ。ちゃんとした弁護をしたとは思えない彼には弁護費用を一切払っていない。バクシ弁護士に4ラーク払ってもそれは単なる保釈のための費用であって裁判の終了を意味しない。来週には病院を退院し直ぐネパールへ逃げよう、それしか方法はない。迷うな、迷いは決定的なミスを生む。印・ネ国境はパスポートがなくても何とか抜けられる。だが安全に通過するにはネパール人のサポートが必要になる。カトマンズで新しいパスポートを作らなければならないが、これがそう簡単ではないかもしれない。在インド日本大使館がどのような動きをするか、それ次第と言えるかもしれない。
 逃げるのか、あまり良い気持ちじゃない。裁判を終らせてネパールへ戻りたいのだが、後7ラークはとても払える金額ではない。弁護士はどんな手を使って裁判を終らせるつもりなのかぼくには分からない。もし7ラークを払ったとしても確実に裁判が終るという保障はない。何でぼくはこうへまばかりやっているのか。
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ジャンキーの旅         マリー・・・・・24

2012-02-20 | 2部1章 マリー

 
 食事が終るとその計画と可能性について話し合った。カトマンズへ逃亡し一週間以内に日本、又は第三国へ出国しなければならない、可能性が最も高いのはカトマンズだ。テーブルにメモ用紙を置き彼女の話しを記入する。
マンディー ユーマストゴーコート ・・・エンド・・・
月曜日 裁判所へ出頭する、この日の夜行列車で印・ネ国境へ向かう。チケットは用意できる。翌朝、ゴラクプール着。
火曜日 印・ネ国境の町スノウリを通過。夜行バスでカトマンズへ。
水曜日 朝、カトマンズ着。友人スンダルに会い、カトマンズ警察が発行するパスポートの盗難証明書を収得する為に必要な手続きをする。 
木曜日 カトマンズ警察署へ行き、証明書を入手、それを持って在ネパール日本大使館へ。パスポートの交付には数日必要だ、ここで足止めされる訳にはいかない。トラベル・ドキュメント、これだったら即日に発行してくれるはずだ。帰国まで一回使用可の通行許可書だ。
金曜日 トラベル・ドキュメントを持ってネパール出入国管理事務所へ行きビザを収得しなければならない。今までの計画が順調に進んだとしても、恐らくここが重要な問題点になるだろうとぼくは考えている。入国記録の照合確認だ。もしぼくが正規の手続きでカトマンズ空港から入国していればそこにはぼくの入国記録が残っている。スノウリから入国したにしても偽造パスポートや密入国をしていれば入国記録は残らない。ビザが取れなければ出国は出来ない。
土曜日 ネパールは土曜日が休日だ、政府機関は休み。
日曜日 大使館は休館。
月曜日 裁判所出頭日、この日ぼくは出頭をキャンセルする。裁判所はどういう動きをするのだろうか、全く予想がつかない。ネパールのビザが収得できればエアーチケットを購入し出国する。
 この計画には希望的要素が多く成功率は低い、危険過ぎる。その上もし計画を実行するとしても、それ以前に確実にクリアしておかなければならない問題がある。スタッフの禁断治療だ。薬物の後遺症が残ったとしても、初期の激しい禁断治療だけは終らせなければ帰国は出来ない。スタッフを持ってカトマンズへ行くのか、無事に出国する事が出来たとして後はどうするのか。最後にスタッフを身体に入れるスニッフのチャンスは機内だけだ。帰国すると直ぐに禁断が始まる。狂った擬似脳は肉体を攻撃し続ける。誰にも見られず、知られず薬物を抜いていく、どこでどのようにして。そんな帰国だったら、ぼくは日本へ帰りたくない、帰る事は出来ない。
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ジャンキーの旅         マリー・・・・・23

2012-02-16 | 2部1章 マリー
 フィリップスからスーツ、ネクタイ等を借りたがサイズが大きい、まぁしょうがない。
それを着てパスポート用の写真をとる、デリーで用意出来るのはそれだけだ。住民票と戸籍抄本は日本にある、どうするかは大使館に行って相談してみよう。日本の姉へはマリーの身元保証人の依頼とぼくの裁判は年内にも終り年明け早々にでも帰国する事が出来るでしょうと書いた手紙を出した。大使館のBさんから依頼されていた第一刑務所のレポートを書き終えていた。
 駄目だ、何もかも上手くいかない。
「ご存知でしょう、貴方のパスポートを再交付する事が出来ない理由を」
Cさんは優しく噛んで含めるようにぼくに説明をされた。パスポートが欲しい、それだけしかぼくの頭の中にはなかった。状況を正常に理解する能力を失っている。渡航中に有効期限に達した時、ページに余白がない、盗難で紛失、不可抗力によるパスポートの破損、パスポートの記載事項の変更、等が再交付の条件だ。判決が出るまで何年掛るのか分からない、有罪判決が確定すれば再びぼくは刑務所に収監される、保釈中のぼくに在インド日本大使館は新たにパスポートを交付する事は出来ない、当然の事だ。ぼくはBさんに提出するレポートをCさんに渡し大使館を出た。
 マリーとメトロポリスで夕食をする約束をしている。このレストランはメインバザールの中では一流だ、ぼくにとってはと限定すべきだろうが。冷房の設備がある、乾季の暑い日には良く冷えたビールが美味しかった。メトロポリスの一階は吹き抜けになっていてぼくが座っている中二階のテーブルから入口が良く見える。ブラックティーを飲みながら本を読んでいると店に入ってくるマリーに気付いた。テーブルを挟んでぼくの前に座ると
「どうだった?パスポートの件」
「駄目だ、どうにもならない、パスポートを作るのは無理だ」
「他の方法、可能性を考えてみましょう」
彼女は以前から考えていたのではないだろうか、ぼくに話すべきか少し迷った様子を見せたが
「一つの方法よ」 と、次のように話し出した。
「偽造パスポートを使ってネパールへ入国し、在ネパール日本大使館へ行く。そこで新しいパスポートを作り日本へ帰国する。偽造パスポートはフィリップスが何とか用意してくれるわ」
 
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ジャンキーの旅         マリー・・・・・22

2012-02-15 | 2部1章 マリー
 保釈されて一ヶ月が過ぎた。裁判はどうなっているのかぼくには分からないが、何も進んでいない事だけは確かだ。バクシ弁護士への依頼は保釈までの仕事であって、その後の弁護の依頼はしていない。裁判を進め終わらせるには新たに弁護士を選任しなければならない。保釈までは良く働いてくれたフィリップスとマリーだがその件について今は何も言わない。
 大使館から引き取った約二十万ルピーのお金は、いつの間にか九万ルピーしか残っていない。日本からの送金を受取る為にはどうしてもパスポートが必要だ。裁判所に保管されているパスポートが返還されたとしてもパンチの穴があっては使い物にはならない。とにかく至急新しいパスポートを作ろう、そうしなければぼくは身動きがとれない。
 マリーは日本大使館に寄ったのだろう、日本のビザを収得する為には何が必要か相談してきたとぼくに言った。彼女はぼくの裁判に関して正式の代理人として大使館に出入りしBさんとも面識がある。Bさんはわざ々彼女に面会して下さり、アフリカ人が日本のビザを収得するのは大変難しいと説明された。だが日本滞在中の経済面を含めた正式の身元保証人がいれば可能だとして、ビザと身元保証人の申請書類を渡してくれたそうだ。最後にマリーは
「トミーはドラッグをやっているではないか?」 とBさんから聞かれたとぼくに伝えた。大使館への出入りは極力避けなければならない、ぼくは不信感を持たれている。
 
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ジャンキーの旅         マリー・・・・・21

2012-02-14 | 2部1章 マリー


 朝だけは気持ちよくスタッフを吸え、朝食も美味しく食べられる。その後だ、昼食を食べる頃になると吐気がする。もう粉を止めたい、ここを出て早くカトマンズへ戻りたい、日本に帰りたい。しかし日本へ帰る前に粉を断たなければならない、どこで、どうしてスタッフを抜くのか、地獄のスタッフを。もう何もかも嫌だ、ここの生活もうんざりだ。
夜中、ベッドの横のテーブルを引っくり返してしまった。ぼくの部屋は広い、出入り口のドア右横に照明と扇風機のスイッチがある。十月下旬だがスタッフを入れるとき以外は天井の扇風機は回している。ライターやロウソクは使えない、暗い部屋の中を恐る々歩いてスイッチを入れトイレへ行く。終れば照明を消してベッドへ戻る、何度も危ないなと思っていたのだが。灰皿やティーカップ、受け皿などがフロアーに落ちた。ベッドとテーブルの間に倒れぼんやりとチョッパルのパタ々する音を聞いた。
「どうしたの、トミー?」ぼくの部屋へ入るとマリーが照明のスイッチを入れた。
ベッドに近づいてフロアーと横たわるぼくを見ている。
「驚かしてごめん、ちょっと転んだだけだよ、後は自分で片付けるから」
膝を強く打ったようだ、直ぐには立ち上る事が出来ない。割れて飛び散ったティーカップや吸殻、ノート、本、破れたパケから零れたスタッフ。手の付けようがない、ベッドに座ってぼくはじっと見ていた。
 ディワリ祭に入って裁判所への出頭日が二週連続で土曜日、翌週が木曜日と変更された。
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