ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ジャンキーの旅             逮捕・・・・・14

2012-11-28 | 1部1章 逮捕
彼はぼくを引き取りに来ていたのだ。 デリー中央刑務所は第1~第4までありそれぞれの刑務所は東京ドームぐらいの広さがある。その中は約10程の収監区に分かれ第1刑務所、第2収監区は外国人専用ワード、第1収監区は女性専用ワードになっていた。ぼくが逮捕された事は既に第2収監区では知られていた。後日、第2収監区のゲートを入りフィリップスと再会した時、彼はぼくが逮捕された新聞記事の切り抜きをぼくに渡してくれた。
 彼に連れられ第1刑務所のメインゲートに行った。ゲート内の端に膝を抱くようにして座り何をするでもなくただ待っていた。第1から第4刑務所内にあるアシアナ・ホスピタルへの移送の事務手続きが終わったのだろうカーキ服がニヤニヤしながら手で合図をしてぼくを呼んだ。鉄製の巾5cm程もある重い手錠が前に出したぼくの両手首をガッチリと挟み込んだ。太い鉄鎖の先を握ったカーキ服と巨大な鉄製のメインゲートの右端にある潜り扉から外に出る、眩い光の先に自動小銃やライフル銃を持った警備隊員を見た。手錠の先の鎖を引っ張っていたカーキ服の奴は自転車に乗ってのんびりとペダルをこぎ出した。見上げる程高い塀その上に有刺鉄線。今、ぼくは塀の外にいる。塀に沿って一本の赤茶けた小道が一面緑の下草の生えた中に通っていた。目の前にやはり巨大と思わせる鉄扉が現れた。第4刑務所である。外からだと鉄扉の左端下にくぐり扉があり、その上に小さな覗き窓ある。そこから紙切れが中の人間に渡されぼくは中に入った。
        

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ジャンキーの旅             逮捕・・・・・13

2012-11-26 | 1部1章 逮捕

クシナガラ 涅槃ブッダ インド逃亡の最後に立ち寄る地と考えていた

鍵を開ける金属音が朝になったことを教えた。鳥の鳴き声、視界がゆっくりと広がって空気が動き始める。動き出す人々の影が壁に残って消えた。のろのろとぼくは房の外へ出て中庭へ行った。皆、座ってティーを飲んでいる。ティーを飲もうと進んで行ったぼくの身体に胡散臭い視線が絡まった。ジャパニーか?ぼくはふら々と房へ戻り毛布でロープを作った。外房の天井の鉄格子からロープの輪を吊り下げ周りの気配を窺った。
「あなたのケースはミニマムで10年の刑に相当します」
ここ数年で約300g以上の粉をやってしまった、切る事は不可能だ。数ヶ月の長い禁断の苦しさを続けるぐらいなら一瞬の死をジャンプすべきだ。自分で分かっていた、死を迷うより一瞬のチャンスを失敗しないこと、そのことしか頭になかった。鉄格子を這い上がりロープに首を掛けようとした時、監房の外に人の気配を感じた。薄暗い房内に隠れ聞き耳を立て人が去るのを待った。外房の天井に吊るされ揺れるロープに外と内の空気が緊張した。何が起ころうとしていたのか感じとられたに違いない。インド人に見つかってしまった。抵抗する気力や体力は既になく中庭に集められた20名ぐらいのインド人の前に引き摺り出された。ヒンディー語の報告と理解不能なざわめきだけが続いていた。
「奴はシックだ、アシアナに入れるしかないだろう」
と言う英語だけが理解できた。白いインド服にブルーのベストを着た大きなアフリカンだった。
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ジャンキーの旅           逮捕・・・・・12            

2012-11-21 | 1部1章 逮捕
  

金網と鉄格子に囲まれた狭いバスの中、ひしめき合う犯罪者達はバスの発進とブレーキを利用して其々の数cmの自由なスペースを奪い合った。街の明かりが途切れ暗い闇をバスは突っ走る。対向車のヘッドライトが荒涼と乾燥した大地のショートカットを捕える。黒く深い前方に小さな灯りが見え隠れした。薄闇の中、家並みらしいものが近づいて来る。スピードを落し進むバスの先にぼんやりとした明かりが横から道路に延びていた。右折したバスの前方に左右上方からサーチライトに照らされた巨大な砦の赤黒い鉄扉がゆっくりと浮かび上がった。これがデリー中央第1刑務所のメインゲートだ。バスのヘッドライトがカーキ色の服を着、銃を肩に掛け配置についた数名の警備隊員を捕らえた。バスはUターンしバックでメインゲートの潜り扉に着けられバスの後部ドアーの鍵が開けられた。後部ドアーのその後ろに警備員室があり、左右1名銃を持った警備員がいた。そこを通りバスから降り外ゲートの潜り扉から中に入った。センターゲートは外と内の巨大な鉄扉によって閉ざされているがゲート内はかなり広い。中に入ると何故だか間を置いて前と後ろのグループに分かれていた。前のグループは5名ずつが立ち上がりカーキ服によるボディーチェックを受けていた。それが済むと収監者達は内ゲートの潜り扉から暗い刑務所内に消えていった。残された20名程の者は本人の確認が行われ、それが終るとカーキ服に連れられ仮監房のワード・ゲート内に入れられた。山積みされた毛布を引き摺り勝手に監房内に入り寝床を作った。カーキ服が内房の収監者の頭数をチェックし外房の扉に鍵を掛けた。サンダルは枕代りに二つ折りした毛布の下に入れその上に横になった。裸電球がひとつ、高い天井には大きな扇風機が一定の速さで回っていた。私服が執務室でやらせてくれたスタッフの最後の余韻が残ってはいたが確実に襲って来るであろう禁断症状を思うと息苦しさに囚われた。それから逃れる術はない。叫び出したいような、こみ上げてくる不安を圧し潰し壁に向かって寝返りをうった。連続した不安に疲労が積み重なっていたが今それらから解放された一時的な安堵感にまどろんだ。


画像ファイルの整理はなんとなく終わった。使いかってに慣れないがなんとかなるだろう。
わずかに残っているフロッピーの拡張子jtd・wordはJustビューアをインストールしたことで
読める それをコピーしワードパットに張り付けると編集が可能になった。
ないものはない あるものだけでやっていく
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ジャンキーの旅             逮捕・・・11

2012-10-28 | 1部1章 逮捕
私服の執務室の中、奴はまた机の上に粉を置き手で
「やれ」 という合図をした。
首に巻いたタオルで鼻をかみ出し左右の鼻の穴に粉を吸い込んだ。粉が置いてあった紙の上を舐めた指でなぞり舐めた。
 また2人の日本人の面会があった。スーツを着た男性とインド服を着た女性だった。外務省を通してぼくのパスポート記載の住所確認と東京にあるぼくの銀行口座の確認をしたようだ。裁判と生活に必要な費用の送金は大使館口座を使用しても良いという話だったように思う。面会が終わると警察署の前からオート力車に乗って街を走った。眩しかった。ぼくが自由に歩いていた街がそこにあった。金網を張ったオンボロの大型バスが何台も並んで停車している、その横をぼくを乗せたオート力車が大きな建物の奥へ進んで行った。私服に連れられ階段を上ったり下ったり、幾つかの部屋に行きその都度待たされた。両手の平と足裏にローラーで真黒い墨を塗られ白い紙に手足の紋形を押した。建物から一旦外へ出たとき水売りの荷車の前で私服は
「水を飲むか?」 とぼくに聞いた。
頷くと私服は小銭を払いコップ一杯の水をぼくに渡した。2日間ぼくが口にした物はその一杯の水だけであった。ぼくはパールガンジ警察署へ戻るものと思っていたが、その時点でデリー中央刑務所への収監手続きは終っていた。ぼくに与えたコップ一杯の水は私服が示したぼくへの最後の情けだったのだろうか、巨大なデリー中央刑務所へぼくを送り込んだ奴の。
 建物の中庭を歩いて鉄格子の並んだひとつの鉄扉の前で、紙切れと同時にぼくは裁判所警務官に引き渡された。放り込まれた留置場には20人程のインド人がたむろし、大声で喋ったりフロア―に食べ物を広げ仲間と食べていた。その間も次々とインド人達が入れられてきた。留置場内は座っていられない程のインド人で一杯になった。すると何か合図でもあるのか、彼等は鉄扉に殺到し押し合いを始めた。扉が開けられ彼等は吐き出されていった。留置場に静けさが戻り片隅の壁に背を凭れ掛け座り込んだ。次に何が起こるのか解かりもしない時間をなされるままに待っていた。喧騒が何度か終わって夕暮れの風の気配を感じ始めたとき、最後に残されていたぼくの名前が呼ばれた。日中見た金網を張ったオンボロバスの後部に立ち、オールドデリー裁判所ティスハザールを出発した。裁判所のゲートを出て右折し少し行くと赤や黄色の沢山のピラミットが目に入った。インドの食生活に欠かせないスパイス街だ。夕食の為ターメリック、ガラムマサラを買い求める自由な人々がいた。力車、大八車、のんびり歩く牛、井戸水で水遊びをし身体を洗う子供達。チャイ屋の長椅子に座りビリを吸うインド人。バス停の近くではスピードを落したバスから人々が吐き出され、人々が飛び乗った。ペプシコーラの看板のあるコールド・ドリンクショップ。人が群れた映画館。ベジタブル・バザールで買い物をする人々。赤信号で停止したバスの前を歩いていく自由な人々。
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ジャンキーの旅             逮捕・・・10

2012-09-14 | 1部1章 逮捕
それをやろうとするとガクガクと震えが来た。手も、顎から頭も禁断者特有の震えだ。紙の一部を破り細いパイプを作ろうと焦る。垂れた鼻水を袖で拭い、粉を入れようとしたが鼻が詰まって上手く吸えない、何度もやった。パイプの元が鼻水に濡れふやける。その部分を破りまた吸った。息苦しくなって吐いた息で粉の一部を吹き散らかしてしまった。ずるずると粉の付いた鼻水を飲み込む。粉が鼻の粘膜を通して脳に作用していったのだろう、息が通るようになった。注意深く粉を吸い込んだ。吹き散った少量の粉は舐めた指の唾液に付け舐めた。数分後、全身にエネルギーが注入され不安が薄らいだ。ほっと落着きを感じ始めた時、奴がついて来いと言ってぼくを別室へ連れていった。ドアーを開けたテーブルの向こう側に2人の日本人がソファーに座っていた。向かい合うようにしてぼくがソファーに座ると私服はドアーを閉め外へ出て行った。どういう風に話が始まったのか、その人たちはどういう資格を持って面会に来たのか、最初ぼくには理解出来なかった。彼らとどのくらいの時間、何について話したのか心に残ったものはなかった。ただ次の言葉だけは今日に至るも忘れる事が出来ない。
「あなたのケースはミニマムで10年の刑に相当します。10年の刑ですがお金があれば良い弁護士に弁護を依頼する事が出来ます。そうすれば少しは刑が短くなるかもしれません。希望を持ってがんばって下さい」 
彼らは大使館員であることをぼくに告げた筈だ。面会中、私服が呼ばれぼくの黒い手帳を持って来た。必要な内容を日本人が手帳に書き写している場面の記憶が残っている。 
1日目の取調べが終わり1階の薄暗い留置場に戻された。昼も夜も食事や飲み物の支給はなかった。空腹感もなかった。2人のインド人がぼくが作っていた寝場所で横になり小声で話をしていたがぼくを見て一瞬黙り込んだ。黒い塊から毛布を引き摺り出し乱暴に寝床を作った。重い疲労感に蹲るように横になり、私服がくれた粉の余韻にすがり付いていた。明日の朝、再び始まる禁断の苦しみへの恐怖感はあった、だが今夜は少し眠れるだろう。
 激しい禁断症状に苦しみながらぼくは2日目の取調べを受けた。フロアーに座らされ壁と長椅子にぐったりと凭れ掛かり遠くなるような時間に耐えていた。許可なしに自分の意志で動く事は出来ない。そんなぼくを奴らは弄んだ。ぼくのバックパックからウオークマン、スピーカー、テープ、時計などを取り出した。これは何だどうして使うのか、奴らはにやにや笑いながら説明をぼくに強要した。小型バックからリング、ストーン、ネックレスなどを我先に争って奴らは取り合った。どうでも良かった。1人にして欲しかった。
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ジャンキーの旅             逮捕・・・9

2012-09-10 | 1部1章 逮捕
何時頃なのか時間の感覚はない。ただ廊下を動く気配が多くなった。朝になり署内の勤務が始まっているのかもしれない。1人になり色んな事を考えていた。今日のフライトタイムは10時だ、乗れるのだろうか、もし乗れたとしても粉なしでカトマンズに戻ってどうする、やっと手に入れた120gの粉を没収されて。天井の一点を見続けながらどうしても、どんな方法を使ってでもここから逃げ出さなければならない。それ以外生きている理由は何もない。そんな妄想に耽っていた時、昨夜の私服がやって来た。様子を見に来たのだろうか、少し経ってから鉄格子越しの廊下にティーとトーストが置かれた。
「ジャパニー、ティー」
ちらっと見ただけで手が出ない。禁断の始まりで全く食欲はない。暫らくして留置場の外に出され二階の取調べ室へ連れて行かれた。机の横のフロアーに座らされ壁に凭れ掛かっていた。粉がない以上どうなろうと良い事など一つもない。私服が来て取調べが始まった。
どこで、誰からスタッフを買ったのか。目的は。二ナ、フレッドの名前、隠れ家を話すことは出来ない。私服の調べの中心は新たなプッシャーの特定と逮捕にあった。
「誰から、売った奴は誰だ」
リンという女性からコンタクトを取ってきた。バザールの裏路地をぐるぐる回らされたので場所の特定は出来ない。
「目的は?」
「パーソナル・ユースだ」
身体がだるく、もうどうでも良かった。横の長椅子に延ばした右腕に頭を乗せ凭れ掛かっていた。とろんとした目の先でぼくの指から指輪が抜かれていたが抵抗する気力もなかった。テーブルの上の書面にサインをしろと言う。何枚にサインをしたのか何の書類なのか、確かめようにも視線が定まらず身体は動かなかった。   
ドアにノックがあり私服は出て行った。戻って来ると私服は自分の執務室にぼくを連れて行き、中にいた警察官を追い出しドアに鍵を掛けた。フロアーに座り込み見るともなく奴の動きを目が追っていた。鍵の掛かった机の引き出しから紙包みを取り出し机の上に置き、同時に一枚の白い紙もそこに置いた。その包みは昨夜ぼくから押収したスタッフだった。何をしようというのか奴は。スニッフ一回分としては多い量のスタッフが白い紙の上に置かれた。
「早くやれ」
粉への欲望がそう聞き取らせた。自分の耳を疑った。ぎょろと眼をむいて奴の顔を見た。もう一度
「早くやれ」
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ジャンキーの旅             逮捕・・・8

2012-09-07 | 1部1章 逮捕
スタッフの隠し場所をホテルのボーイが知っている訳はない。暫らくして警察官がぼくを呼びに来て私服の執務室に入れられた。私服はスタッフの計量を行っていた、120g、20gぐらいフレッドに抜かれていた。犯罪者は取調官と同じ高さの椅子に座ることを許されない、その事を初めて知らされ、それは保釈されるまで続いた。フロアーに直接座らされ真夜中まで荷物の調べが続いた。一応の調べが終わったのだろうか警察官に連れられ1階の鉄格子の留置場に入れられた。廊下の裸電球の光が暗い留置場内にぼんやりと差していた。後ろで鉄格子の扉が閉じられ鍵を掛ける金属音がした。暗い留置場内に目が慣れるまでその位置に立っていた。人の気配はない。10畳程の広さ、右奥がむき出しの土間に穴を掘り便器を置いたトイレ、左奥に無造作に積み上げられた毛布の黒い塊り、左側には鉄格子で区切られた小監房があった。毛布を引き摺って来て寝床を作り横になった。これから如何なるのか何も分らなかった。目を瞑っても眠ることなど出来はしない、だが他にする事もなかった。この苦境から抜け出す手立てはないのか。このまま何時間か過ぎると如何なるのかそれだけは分かっていた。禁断が始まるのだ。涙、鼻水、下痢、身体の痛み、不眠、頭の中を切り裂くように電気が走り出す。両膝を抱いた腕に顔を伏せ、ただ時間が過ぎていくのを待つしかない。過ぎ去っていく時間、日数分だけゆっくりと身体の中から痛みを引き摺りながら薬物が抜け出していく。1時間の長さを24時間耐え続けなければならない。眠りはその時間だけでも苦痛から解放してくれるのだがスタッフの禁断はそれを許さない。   
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ジャンキーの旅             逮捕・・・7

2012-09-05 | 1部1章 逮捕

1日の内、ジャンキー達が動き出す夕方の時間帯、プッシャー達が網を張っている筈なのだがマリー、キシトー、フィリップス達には会えない。3月、カトマンズのビソバーサ・キャンパスの入学手続きは全て終った。7月始業までの約3カ月間、ネパール人のスンダルを連れ北インドへ旅をした。避暑地ムスーリ、聖地リシケシやハリドワールを旅して5月末、熱風の吹くメインバザールへ戻って来た。標高1000mのネパール、カトマンズ郊外の山育ちのスンダルにとってその熱さは耐え難いものであったに違いない。早くカトマンズに帰りたいと言う。その時フィリップスからスタッフ50gを買った。奴に会ったのはそれが最後で以来会っていない。10月ぼくがデリーに入った時、既にフィリップス、キシトー達は逮捕されデリー中央第1刑務所、第2収監区、Aバラックに収監されていた。94年12月、ぼく達はそこで再会することになる。
 ホテルのベットの上、取調べの為に広げられた荷物をぼくはバックパックに再び詰めさせられた。それを背負って私服のスクーターの後部シートに乗せられパールガンジ警察署に連行された。明日のカトマンズ行きは如何なるのだろうか、朝、帰してくれるのだろうか、そんなありそうもない事を粉で効いた頭でぼんやりと考えていた。2階の広い会議室のような部屋で待たされた。何故だかホテルのボーイも連れて来られている、奴が密告したのだろうか? 
チェンマイで銃を構えて踏み込んで来たタイ・ポリスの姿が頭をよぎった。昼飯でも食べに行こうと友人のホテルに寄った時、廊下に脚立を立て何か作業をしている1人のタイ人を見た。部屋に入ったぼくはそれまで開けたままになっていたドアーを粉を入れる為に閉めた。どの部屋にも高い通気用の小窓があり、そこから粉を入れていたぼく達は覗かれポリへ通報された。その夕方、チェンマイから夜行列車でバンコクへ戻る事になっていた。列車の切符、少しのタイ・バーツと旅行小切手を残してドル・キヤッシュ約2000ドルぐらいを巻き上げられて放免された。タイ・ポリスの目的は逮捕ではないお金だ。密告者との配分比率も決まっているらしい。密告者は熱心に何時も獲物を物色している。
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ジャンキーの旅             逮捕・・・6

2012-09-02 | 1部1章 逮捕
二人とも話すことが山ほどあって話の食い違いなど関係なく喋り合いながら身体をぶっつけ合うようにして暗い路地を歩いていった。入り組んだ路地の奥、インド人の子供の門番がいる家の前に着いた。鍵束をガチャ々させながら大きなドアーを開けてもらい暗い建物の中に入る、外で鍵を掛ける音。2階の一室にフレッドがいた。スタッフをやると筋肉が落ちる。5月に会ってから5ヶ月しか経っていないのにフレッドの強靭な肉体は削げ落ちていた。
「ハーィ・フレッド」
「ハーィ・トミー」
握りあった手を大きく振り大声で笑った。
「カトマンズに出した手紙を読んだか?」
ぼくはその手紙を手にしてなかった。
(在カトマンズ日本大使館にその手紙は届いていた。30・SEP・1994 の赤いスタンプ。もしその手紙をぼくが読んでいたら事情は少し変っていたかもしれない)
「スタッフを100g至急用意してくれ、何日くらい必要か?」
「3~4日だ」
ぼくはその時点でもフレッドが何故こんなにも厳重な見張りを立て、隠れるようにして生活をしているのかさえ疑問を持たなかった。久し振りに再会しトリップしたぼく達はボブ・マーレィに酔った。その日ぼくは50gを手にした。残り100gは印・パ国境近くまで行くので4日後になるだろうと言う、奴は信用できる、もう心配する事はない。フリップスは売人だが一切粉をやらない。その為、量と値段は信用できるが粉の質は自分で見分ける事は出来ない。フレッドはジャンキーの売人だ。量と値段を誤魔化すが質は自分で確かめているだけ信用できる。一長一短だ。
 デリー滞在はいつも長くなる。気長に良質で異なった粉を半々ぐらい買っていた。中卸しが異なるとタイプの違う粉が手に入る事もある。中卸し1g・200ルピー。小売値は質にもよるが300~400ルピーが相場だ。支払いはドルのブラック・マーケットの相場が高い時はドル紙幣、100ドル紙幣や1万円紙幣は少しレートが高い。インド・ルピーは日本円3円ぐらいに換算して取引をしていた。               
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ジャンキーの旅             逮捕・・・5

2012-03-31 | 1部1章 逮捕
 デリーはジャンキーにとって非常に危険な都市に変っていた。デリー警察はドラッグの取り締まりに対しかってない強い方針でジャンキーやプッシャーをピックアップ、根こそぎ逮捕しデリー中央刑務所へ収監していた。うかつにもぼくはその事に気付かなかった。メインバザールに着いて直ぐピクニック・ゲストハウスにいる筈のフレッドとニナに会いにいった。以前、と言っても今年の5月、このホテルの殆どの部屋がアフリカンで溢れアフリカ料理とドラッグの臭いがしていた。ドアーの隙間からは白い歯と濁った目がこちらを窺っている。今、静まり返って人の気配がない。屋上から各階の廊下、階段を歩いて下りる。いつも流れていたボブマーレー、アフリカンが一人残らず何処へ行ってしまったというのか。気難しいが誇り高いアフリカン、だが知り合うと楽しい。フレッドは確実にスタッフを用意してくれた。
バザールを歩いていれば誰か売人に会えるだろう、と帰りかけたときホテルの入り口のソファーに座っていたマダムが
「買いに来たんだろう、二階にスリランカ人がいる行ってみな」
と教えてくれた。顔は知っていたが彼女と話したことはなかった。二階の部屋で会ったのはショッカンとサンダーだった。
「良質のスタッフを100gぐらい欲しい。g・400ルピーで用意できるか」
「捜してみる」
2日、3日が過ぎても誰にも会わない。夜遅くなって何人かのアフリカンに声を掛けた。
「持っていない、知らない」
何の情報も得られない。トランジット・ビザは通過許可書で二週間以内に第三国へ出国しなければならない。デリーに来て5日が無為に過ぎた。その間ショッカンが2度サンプルを持ってきたが使える代物ではなかった。奴は中卸しとの繋がりを持っていない。夜9時頃、何の手がかりもなくホテルへ帰ろうとメインバザールをぶらぶらと歩いていた。馴染みのレストランの前を通り過ぎ暗い路地へ曲がろうとしたとき
「トミー、トミー・・・」 とぼくを呼ぶ声がした、と同時にサンダルのぱたぱたと駆ける音がしてぼくの身体を抱きしめた。二ナとの再会だった。
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