ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・32

2015-04-27 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

大便用は十個しかない。タイミングが悪いと暫らく空くまで通路で待つ事になる。10個のトイレ全部が使えればこんな事にはならないのだが何故だか3~4個が汚れて使えない。日本の和式用便器と同じタイプで、ただ前の金隠しの部分がない。普通に便の落とし穴に排便をすれば汚れる事はない。わざ々便器の前に座り小便の受け皿に排便している。後から入った者はとてもじゃないが使えない。普通に便器を跨いで座るとちょうど目の前にそれがある。トイレが終って持って来た水でお尻を洗う時にもそれは邪魔になる。目の前で手の平に水を溜めその手をお尻の下に持って行きお尻を洗うのだから。今回、新しく監房が替わってインド人がいなくなるからトイレは汚れないだろうと思っていたのに如何も良く分からない。
 オマールはインド食が食べられるようになった。彼は盗みをしたり嘘をついたりはしない、まあ良い奴だ。ただモロッコ大使館の面会や援助が全くなくお金に困っていた。ぼくは200ルピーを彼に貸してビリの商売をするように進めた。条件は、お金は返さなくて良いからビリ1本5ルピーで40本をぼくに戻すという条件だ。またそれ以後もぼくに対しては1本5ルピーの値段で売る。オマールはスタッフをやらない、ビリを売って少しずつだがお金を貯めているようだ。日用品や食べ物くらいは自分のお金で買えるだろう。
  
    2月25日(土曜日)
 スリランカ人グループが第5収監区へ移って来て一週間になるだろうか、やっと許可が出たのだろう。10房に入っているのはショッカン、セガ、サンダーそれにキタの4名だ。アンクル・チャチャは奴らとは別になりランジャンのいる8房の外房にベッドを持ち込み寝泊りしていた。チャチャが奴らと離れたのは理解できる、彼の収監理由はドラッグ事犯ではないような気がする。年齢も50歳くらいで紳士的なスリランカ人だ。だが良く分からないのは
ディクソンだ。グループのリーダーだった彼はインド人専用の第8収監区に替わっていた。



1960年代 ネパールは開国した 世界中のヒッピー達は何かを求めてカトマンズへ向かった
  
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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・31

2015-04-24 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

 ぼくとダイクはのろ々と来た道を帰って行った。売店の前に人が集まっている、夕食前トマトと紫オニオンがリヤカーで運び込まれたのだ。アフリカンも買物に来ていた。ダイクは少し立ち話をしていたが直ぐ戻って来た。2人並んで映画館の横を通り過ぎようとした所で前から歩いて来る2人の刑務官を見た。ダイクは小声で
「スタッフを持っているか?」
「ブリーフの中だ」と、ぼく。
近づいて来た刑務官はいきなりぼくをボディーチェックした。何事もなかった。だがもしポケットの中に入れていたら発見されただろう。一本道だ、刑務官を見て向きを変える事は出来ない。それをすれば尚、彼らに不信感を持たせ厳しいチェックが行われただろう。パッキングしたスタッフが発見された側溝はこの辺りだとダイクが教えてくれた。これから先ダイクと組んでいこう、少しスタッフの出費が多くなったとしても。いざという時、彼は何らかの手段を講じてくれるだろう。
  
   2月21日(火曜日)
 毎日、同じ事がくり返されている。退屈だ。朝の開錠後、外へ出ると少し明るくなっていた。ヘロイン系のドラッグをやると便秘になる。夜、入れたスタッフの効きが切れた朝どうしてもトイレを済ませておかなければならない。朝、起きると直ぐ電線をスパークさせて火を取りオイルランプに点火する。トイレでお尻を洗う水はミネラルウオーターのペットボトルに入れビリを吸いながらトイレへ向かう。グラウンドはまだ濃いガスが立ちこめていた。


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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・30

2015-04-21 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

 メインゲートから第6収監区までの道路は広い。恐らく食料輸送用トラックはここまで入り荷降ろしをするのではないだろうか、その輸送トラックをぼくはまだ見た事はないが。ワードゲートを入ると厨房建屋までの通路がある。通路に沿って右側に一棟、左側に並んだ二棟は奥へ延びている、食料倉庫だろう。厨房入口の左右には収監者監房があった、収監者数は100名を下らないだろう。デリー中央第1刑務所の収監者総数をぼくは知らないが1000名を越えている事は確かだ。その食事を準備するとしたらそのくらいの人数は必要だろう。インド人の主食はチャパティーだ、一人5枚と決まっている。そうすると1回に必要なチャパティーの枚数は5000枚になる。作業は分担されているのだろう、小麦粉を練る者、1枚分の大きさの団子を丸めそれを延べ棒で仕上げる者、一人が100枚を作るとしても50人が必要だ。粉を練ったり薄く延ばす機械等ないし焼き上げるオーブン等もない。作業は平行してダルスープとサブジも作らなければならない。各監房の収監者分を割り振りしリヤカーに乗せて食事前に届けなければならない、大変な仕事だ。厨房建物の真中の廊下を入っていくとすぐ右側にトーストの配給所がある。朝、ティーを受取って帰りに此処で人数分のトーストを貰う。その奥の左右がチャパティーを作る部屋だ、広い。この先が厨房だがどんな風になっているのか分からない、見ていると邪魔だと追い出された。ちょうど夕食の配給時間になっていた。



プランターのミニトマト 花が咲いていた ちょっと早いかな・・・
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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・29

2015-04-19 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

 吸い終わるとぼくとダイクは売店へ向かった。ぼくはまだ売店に行った事がなかったし第1刑務所の全体図が分かっていなかった。ワードゲートを出て右側へ行くとセンターゲートだ、その道は何度も通っている。左側への道は人通りが少ない、この道はたぶん1月だったと思うがダニエルと朝のティーを受取る為、厨房へ行った時に通った道だと思う。朝6時はまだ真っ暗で通りに何があったか分からなかった。道幅は2mくらい、左側は監房の外塀が続いている。その塀と道の間に側溝がある。生活廃水や雨季の雨水が流れるのだろう。収監者が使う生活用水は微々たる量で側溝はいつも乾いて草が生えていた。デリー中央刑務所の巨大な外塀に沿っていた道は、そこから緩やかに左へカーブしていた。道がカーブしていった先、外塀との間に2階建てくらいの大きな建物が見えてきた、ダイクの説明によれば映画館らしい。今日は上映されていないのだろう静かだった。左側に続く塀は第7、第8収監区の外塀だ。ゆっくり歩いて5分くらいだろうか売店に着いた。木製の台が置いてあるだけで調理の火は止められ誰もいなかった。小さな建物は売店だ。入口のドアーの横にある30㎝角くらいの販売窓口も閉まっていた。夕方の施錠までまだ時間がある。ダイクに頼んで刑務所内を案内してもらった。売店を通り過ぎると左側に真っ直ぐ延びる幅5mくらいの刑務所内で一番広い道路があった。メインゲートから来る中心道路である。左側には綺麗に手入れされた広い公園、反対側は大きな木が繁っていた。売店を過ぎ今度は右側へ進むと屋外の公会堂だった。以前、此処でパンジャビー音楽を聴いた事があった。公会堂の舞台の左奥は診療室だ。診寮時間は午前10・30分~12時迄。公会堂の右側を進むと広大な厨房監房に突き当った。第6収監区である。


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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・28

2015-04-15 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

 次の問題点は、シルバーペーパーの表面に張り合わせてある極薄いビニールだ。これがそう簡単には剥げない、だがこれを剥さないと使えない。包装用シルバーペーパーを5㎝角くらいに切って暫らくバケツの水に浸けておくとビニールが少し浮き出すようになる、その状態になってから剥す。銀紙を破らないように慎重に剥す、難しい作業だ。ぼくは一日に最低2枚は必要だ。
 次に必要なのはシルバーペーパーの下からスタッフを焙る火種だ。ライターのように火点が絞れて安定しているのが最適だがここでは手に入らない。新聞紙のようなものは火が広がって使えない。ビスケットや調味料の外箱くらいの厚みがちょうど良い。巾1㎝くらいの細長い紙を用意しておく。包装用シルバーペーパーはかなり薄い、火が強いと収縮したり穴が空いてスタッフをロスしてしまう。下からの火の調整が難しい。
 シルバーペーパーの上にスタッフを置く。唇で細いパイプを咥えシルバーペーパーを顔に近付け下からゆっくりと火で焙る。パウダーが茶褐色に丸まり下からの火に追われてゆっくりと転がす、それがこつだ。。良質のスタッフだとラーニングのラインは薄い茶色になる。不純物が多いと滓が残る、そういうスタッフの売人はジャンキーの信頼を失う。塀の中のシンジケートは外の中卸との信頼関係に成り立っているのだ。火が強いとスタッフが転がった後に黒い滓を残して早く燃え尽きてしまう。一度、通ったラインは出来るだけ避ける。一回の煙の吸い込みは呼吸の80%くらい、そこで一度、息を止め今度はビリを目一杯吸い込む。そこで又、息を止める。長く息を止めて吸い込んだ煙を肺から吸収させる、そうすればより効く様な気がして皆そうする。ぼくが一回目を入れ込んで息を止めている間にそのシルバーペーパーをダイクに渡す。スタッフはぼくの物だからぼくからスタートする。それと最後のスタッフの煙をぼくが吸い取り燃え尽きたスタッフの滓を2人で確認して終わる。もしまだ少しでもスタッフが残っているとダイクが判断すれば彼がもう一度吸う。この間ダイクは2回吸うが2回目はぼくが最後に吸う分を残さなければならない。ダイクで吸い終わってはいけないのだ。それがスタッフを持っている者とそうでない者とのルールなのだ。

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竹の子掘り

2015-04-10 | エッセー


雨と寒の戻りで先っぽの芽だけが枯草の間から顔を出していた 泥をどけて目印を立てる

シートベルトをしてエンジン始動 軽自動車にしては珍しい シフト車だ シフトを確認する
次はクラッチの高さだ 左足の踵を起点にしてクラッチペダルをゆっくり上げる 音が変わる
場所が半クラの位置だ しゅっぱぁ~つぅ 
2人とも考えている事は同じだ 竹の子を掘って帰ってきたら呑む つまみが必要なのだ
最初の行き先は湾 通称エビ養殖だ 倉庫として使っているコンテナの下にワカメ用道具が
置いてある ワカメのときは物干し竿の先端に鎌を取り付ける 芽かぶでは4本のスチール
バンドが必要だ ワカメをバンドに巻きつけ岸壁に張り付いた根をはがす 根に芽かぶが 
ついているのだ かなりきつい仕事である 「もうよかろうばい」 食べる分は採った
体力はこれからの為に温存しておく
山に入ると曲がりくねった上り坂だ シフトチェンジを繰り返しながら細い山道を進む
3日間 雨と寒の戻り 竹の子を見つけられるだろうか 二手に分かれて竹林に入る
鍬を持っていたぼくが運よく1本見つけ掘った 次の竹の子に鍬を入れていると彼が
ないねぇ~と言ってぼくと合流 ある所にはあるのだ 目が良いねぇ~と言われ
ぼくは探しに回った 5~6本、目印を立て戻るとTさんはばてばての状態だ 交代する
やがて2人ともばてた もうよかろうぅ うん ビールは? ないぃ ないのかぁ~
帰り道 安売りの酒屋で量り売り焼酎5Lボトル2本とビール2ケースを買って帰ってきた
荷物を降ろすとTさんは車を荘に置き自転車で戻ってきた 
つまみは芽かぶの酢の物と竹の子の刺身 フライパンで焼き竹の子だ うぅ~うまかぁ~ 
海と山の恵みだ 「もう自転車は押しきれん」 呑んべぇ~Tさん地獄坂を歩いて帰って行く
きつかぁぁ~  


今日は1日中 雨 あす晴れると3日間雨の予報 明日8:30分迎えにくると連絡があった
今回 竹の子は全部ぼくが貰った お返しをしなければならない 
「こっちにきちゃらぁ~ん」そうならないことを まぁどっちゃでもいぃ~ゃぁ~
 
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竹の子掘り

2015-04-09 | エッセー



8:30分出発の約束なのだが7:30頃 呑んべぇ~Tさんから電話あり
「0,4が出てでられん」
彼が住んでいるのは市から第3セクターへ委託運営となったおっさん、おばんの荘だ 3食個室6畳で
山の上にある 事務所からマークされている呑んべぇ~Tさんは出かける前には必ず
アルコール検知器の検査を受けなければならない 
0,4はかなり高い飲酒数値だ 昨夜ソフトバンクと楽天の試合をラジオ中継で終了までちびちび
呑みながら聞いていたのだろう あいやぁ~ これじゃぁ出発するのは昼過ぎになるだろうと思っていると
「こっちにきちゃらん あんたが運転したらでられるやろぅ」
荘までの上り坂を彼は地獄坂と言っていた 車を持たない時期 毎日、自転車で湾へ釣りにきていた
早朝 自転車での下り坂は爽快だっただろう しかい日中 帰り道は地獄坂となる
熊本からデコポン(大きいミカン)が届いたから 酒のつまみにわさび漬けを すでに食した
今日か明日かと竹の子を待っている善意の人がいる 急がなければならない
「あと10分したらそっちに着く」そう言って荘へ向かった やっぱしぃこの坂はきちいぃ~
玄関に入るとTさんが待っていた 職員の方に挨拶をすると許可が下りた さあぁ出発だ~
                                ・・・つづく・・・
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ジャンキーの旅        遠い道・逃亡・・・・・41

2015-04-06 | 4章 遠い道・逃亡

     国境・・・13


 無理をして2日に出発しないで良かった。マリーの気紛れで8日の出発は流れた。逃亡の第1難関である国境を抜ける日は今日だったのだ。2日でも8日でもない、今日、10日しかなかったのだ。昨夜から何度かあった逃亡計画の重要な選択肢の分岐点を間違うことなく進んできた。ぼくは迷い続けた。だが追い詰められてだした、最後の決断には誤りはなかった。窓の外を見ていた、気持ちの良い天気だ。
 ぼく達が乗った力車の車夫がレストランに入って来た。何の用があるのか、ボスが払ったお金に不満があるのか、マダムのところへ行って文句を言っている。しかしマダムの方が貫禄が上だ、彼女にまくし立てられ車夫は渋々と出て行った。まずいな。車夫が直接イミグレーションに入って行く事はない、がそれらしいカーストのインド人に話しを持ち込めばイミグレーションの捜査があるかもしれない。カトマンズ行きの夜行バスの発車は夕方からしかない、出来るだけ早くスノウリを出発する方がベターだ。
 ボスが出掛けて30分は経っている、遅いなと思っているとちょうど戻って来た。ぼくがテーブルの上に身を乗り出し手招きをするとボスが顔を寄せてきた。
「車を一台チャーター出来ないか?カトマンズまでだ」
「カトマンズまでか?車はあるかもしれないが高いぞ」
「当たってみてくれ、値段もな」
分かった、と言うと再びボスは出て行った。
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ジャンキーの旅        遠い道・逃亡・・・・・40

2015-04-02 | 4章 遠い道・逃亡

     国境・・・12 


国境線を超えると10mくらい右前方にネパールのイミグレーションがある。前庭が見えるが誰もいない、管理事務所は広い。シーズンにはバックパックを担いだ旅行者で一杯になる事もあった。壁際にはビザ申請書を書くための立ち机があり、奥には書類受付の管理官用机が置いてある。今日この国境をインド側から通過したのは、列車で一緒だったヨーロッパ人だけだろう。ネパールに入ると車夫はスピードを加速し、イミグレーションとカスタムの前を走り抜けた。ぼくは後ろを振り返り、離れていく国境とイミグレーションの建物を見た。(ボーダーを抜けた。どうだ、やったじゃないか)どうしてこんなに上手くいったのかぼくには分からない、が何だかぼくの身体から緊張感が抜けていくようだ。ボスが道を指示していたが目的のレストランへ着いた。ぼくは力車代をボスに渡し入口で彼が来るのを待った。ネパール側のスノウリにはレストランを持ったホテルが何軒もある。中へ入るとボスはマダムと気安い会話をしている、ぼくは窓側のテーブルで外と入口が見渡せる椅子に座った。後はカトマンズへ行くだけだ。1人でも可能だ。ここでボスと別れるか、どうする。カトマンズ行きの夜行バスまでまだ時間がある、それまでに決めれば良い。
 ボスがテーブルに着くと頼んであったのだろう、マダムがウイスキーの小瓶と小振りの茶碗を持ってきた。ウイスキーを2つの茶碗に入れると乾杯の真似事をした。お互いにどんな言葉がこの場に相応しいのか分からない。それでも上手くやったなという満足感をぼく達は味わった。遅れて来る3人が気になるのかボスは一杯だけ飲むと立ち上がり、
「ちょっと待っていてくれ」
荷物を椅子の上に置いたままで外へ出かけて行った。
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