ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ちいさな畑

2013-03-30 | ちいさな畑
rr08
2月24日 種イモを植えた 1ヶ月が過ぎている 3月に入って気温が平年を上回った日が多い
今回は男爵10株、メークイン4株を植えた そろって芽を出し順調に育っている 

rr08
3月4日 ベランダのプランターに かぼちゃの種を植えた 3月20日に芽を出し育っている
土の表面がふくらみ その間から緑色の芽が見えた 重い土を押し上げる 太陽との出会いだ


「ジャンキーの旅」は しばらくお休みします         tomy

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・23

2013-03-26 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward


「すまん、すまん、俺が悪かった」
午前、別のアフリカンとランジャンからそれぞれ1パケ買った。短時間でどんな経路を通ってフィリップスの耳に入ったのか不思議でならない、しかし奴にしてみれば自分の客を他のプッシャーに取られるのは我慢ならない出来事に違いない。ぼくはただフィリップスが用意してくれる物よりもっと良いスタッフがワード内に流れてないか手を出しただけなのだが、その事も奴にとっては許し難いのだ。だが、だからと言ってぼくと喧嘩別れして大切な客を手放す訳にはいかないジレンマがある。奴とぼくの関係がはっきり切れたと分かれば他のプッシャーは必ずぼくに接触してくる。ぼくにとって奴は必要な存在だし長い付き合いだ。
「スタッフの事は俺に話してくれ、希望があれば何でもアレンジする。弁護士の件も手は打ってある、早ければ来年春にも出られるだろう」
少しお金は掛るだろうが奴と組んでここを出る、それが一番良い方法だろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・22

2013-03-24 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward
rr08
チラム 長さ100mm 広径25mm 小径15mm ババたちが使うチラムと同じものだ 未使用だと持ち込み可
 

  PEDOLAR ARRESTED
Japanese national was  arrested yesterday for possessing 
120 grams of smack, The accused was identified as ・・・ ・・・, He had come to Delhi from Kathmandu on Oct, 17 and was staying in a guesthouse in Paharganj, His passport indicated that he was a frequent visitor to India, the spokesman informed, The police was making efforts to find out his source of supply,
第2収監区のライブラリーには日付遅れだが新聞が届けられていた。恐らく1994年10月25日付の新聞だろうと思う。フィリップスがぼくと会ったとき渡そうと切取り持っていたものだ。ポリの調査の姿勢が理解出来たしパスポートも入念にチェックされていた。カトマンズにも調査が入るかもしれない。
 今日は3パケも吸ってしまった。効きの良いスタッフが手に入らないので売人のコネを広げていた。今まで買った中ではランジャンのスタッフが一等良かった。量は多いし効きも良い、ただ安定した供給は難しいだろう。それにショットだから手持ちの現金なりクーポンの支払いになる。午後4時頃フィリップスから呼び出された。外を散歩しながら奴は感情を抑えきれないかのようにアクションを交えながら怒りをぼくに叩きつけてきた。
「お前はデビルだ。お前は自分の危険な状況が分かっているのか、俺がいなければお前はどうなっている。スタッフもビリも弁護士も、それにお前が着ている服から食べ物まで全て俺が用意してやったじゃないか。これ以上何が不足なんだ、おぅ言ってみろ、この俺に」
と、ぼろ糞に文句を言いやがった。全部その通りなのだから反論のしようもない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャンキーの旅        アシアナ(医療監房)・・・・・23

2013-03-21 | 2章 デリー中央第4刑務所アシアナ


マダムへの取材が始まった。途中からドクターも参加し患者への質問が出された。右手を挙げ進んで報告する者、指名されいつものミーティングと同じように
「メロ・ナム・・・」
と名前を告げ自分のドラック体験やアシアナでの治療について語ったのだろう、数名の報告が続きスタッフが用意した質問も出尽くした感じがした。そろそろ終わりだろうと勝手に思い始めた時、突然マダムの声がした。
「トミー、ピーター前に出て来なさい」
皆、一斉に後ろを振り返った。前に出て行ったぼくとピーターはカメラを向けられ取材を受けた、がぼくらには曖昧な返事しか出来なかった。
 ぼくはデリー・パールガンジ警察署に逮捕された新聞記事をまだ読んでいなかった。デリー中央第1刑務所第2収監区に移送され、そこで再会したフィリップスからその記事の切り抜きを見せられた。120gのスメック所持、その背後関係を調査中であると。ピーターはデリー国際空港での手荷物チェックで数kgの薬物が発見されスイス人の彼女と逮捕された。カラー写真付記事で報道されたと彼は言っていた。2人ともまだ裁判中であり警察の調査も続いていた。アシアナという刑務所内、中毒者更生施設の内容、方法について語る事は出来るがそれ以外話す言葉は少ない。
夜から朝へ変わっていく狭間、分離した異質の夜と朝が融合する。夜の終息と朝の始まり、その接点を自然の鳥は知っている。不眠と右肩の痛みはまだ続いていた。禁断からの解放はそれほど容易ではない。眠ろうとすると痛み出す右肩に夜間水浴用に用意された凍るような冷水を流すと冷たさが神経の痛みを麻痺させた。身体に滲み込んだ美しいケシの花を残らず凍らせてしまえ、凍るような水が右肩から胸に流れる。その水がヒマラヤの氷河から流れ罪を清める聖なる河ガンジスの聖水と合流しぼくを救うだろう。夜と朝の引力が弛んだ瞬間、ぼくは底知れない深い眠りに落下した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャンキーの旅        アシアナ(医療監房)・・・・・22

2013-03-15 | 2章 デリー中央第4刑務所アシアナ


 気の抜けた午前のミーティングが続いていた。そこにテレビ局の撮影機材を乗せたリヤカーが入って来た。度肝を抜かれたインド人達はてんやわんやの大騒ぎだ。プライバシーの侵害なんて関係ない、目立つことが大好きなインド人だ。技術者が動き回り玄関フロアーから黒いコードが延び機材に接続された。カメラがセットされ照明係りが位置の指示を受けていた。本番前、カメラのテストをやっているのだろうか、そのカメラに向かってインド人達は喋ったり手を振ったりしている、後ろに下がれと大声で怒鳴っていた事務官は一番目立つ最前列に陣取った。彼らは自分の生涯で二度とないであろうテレビに写るというチャンスに興奮している。ぼくとピーターは立ち上がったインド人達の後ろに隠れるようにして座っていた。写っては不味い、どういう目的の取材なのか何も知らされていない。カメラマンが収監者を撮り始めスタッフはマイクにレポートを送っているようだ。暫らくするとマダムは取材者らしき人物と玄関に現れた。何時ものように用意された椅子にマダムはゆっくりと腰を掛けた。今日のために装ったのかもしれない優雅にサリーを着こなし束ねた長い髪がマダムの背中で揺れた。インドには確然としたカースト制度がある。最高カースト家系に育ったマダムは気品と愛、そして厳しさを合わせ持っているように思えた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャンキーの旅          アシアナ(医療監房)・・・・・21

2013-03-14 | 2章 デリー中央第4刑務所アシアナ


 熱暑の国インド、それでも12月の早朝6時は冷える。開錠後の水浴は患者達にとって辛い日課となっていた。ベッドの間に棒を持った模範囚が走り回る。震えながら決められた水浴を行う者やサンジのように頭に水を掛けるだけでチェックを逃れる要領の良い奴もいた、衣服を着てしまえば調べられる場所は頭髪だけだから。ぼくも水浴をするようにと注意を受けたが拒否した。仏教徒にはそのような宗教的習慣はない、いい加減んな言い訳だ。イスラム教、シーク教に対する宗教的感情と異なって仏教、キリスト教には寛容であったように思える。ハルジュダム、ピーターそれにぼくの3名は免除された。インド、ネパールを旅していて何度も
「お前の宗教は何だ?」と聞かれた。
説明するのが面倒臭くなって一度だけ
Idon`t believe in eny religion, と言ってしまった。
それまで「日本は金持ちで豊かな素晴らしい国だ」
と話していた彼は一変して蔑んだ顔でぼくを見て会話を中断してしまった。そのことがあってからぼくは質問される度に
「ぼくは仏教徒である」と答えた。
繰り返されたぼく自身の答えがぼくの心の中の意識の一部分として残った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・21

2013-03-12 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward

アフリカン・プッシャーの大半は逮捕されフィリップスやキシトーも含まれていた。ディクソン、セガそれにランジャンも24日以前に逮捕されていたに違いない。ショッカンとサンダーは見張られていた。24日を含めショッカンは3度ぼくのホテルに来ていた。ぼくの部屋で吸って小パケを持ってアフリカンが消えたピクニック・ゲストハウスに戻る、網は張ってあった、サンダーと吸っているところを踏み込まれた。取調べでジャパニーは100g以上のスタッフを持っている、翌朝カトマンズに飛ぶ、と全てをゲロした。
 フレッドは身を隠していた。見張られていたのだろうか?取引の後、奴はスタッフをバックに入れるな、下着のブリーフの中に隠して外に出ろ、と必ずぼくに注意をした。彼はトイレの奥に釘を打ち衣類を掛け、そこにブツを隠していた。もし踏み込まれたらトイレに入り内鍵を掛け粉をトイレに流すつもりだ、証拠は水に流れてしまう。フレッドは用心深い。奴を逮捕する為に見張っていたのだとしたら、ぼくに粉が渡っている証拠を掴もうとするだろう。ショッカンを泳がせぼくに接触させていたとしたら、ぼくが3度フレッドの隠れ家に出入りしたのは分かっていただろう。1週間足らずでぼくが100g以上の粉を持ち得たのはフレッドから渡された以外にない、と警察は確信した筈だ。だが、ぼくの取調べで私服は120gものスタッフを誰から入手したかを執拗に追求した。という事は警察の調査はフレッドまで読み切れていなかったのだ。ショッカンを締め上げてやっとぼくまでは逮捕出来た。フレッドは逃げ切れるだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・20

2013-03-11 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward


ぼくに初めて注射を打ってくれたフランス人がインド人組織の中継ぎの場所を教えてくれた。中継ぎは電話をして組織のインド人を呼んだ。そうしてぼくはインド人組織と初めて接触する事が出来た。デリー郊外の大きな家だった。kg単位のブラウンシュガーが入った数個のダンボールを見た。彼は袋を開けプリーズという、シルバーペーパーを貰いテェストとラーニングをチェックする、良い粉だ。異なった2種類の粉を各50gメジャーで量りパッキングしてもらった。100gの取引きが終わりコンノートンの東京銀行で支払いが終った後、ターバンを巻いたシーク教徒のボスは中継ぎに連絡すればいつでも用意すると言ってくれた、だが一度だけの取引で終った。
 金の無い、信用出来ないスリランカ人がインド人組織から100gのスタッフを前金なしで持って来られる筈はないし、サンプルの小パケさえ手に入れられなかったのだ。シックの奴はぼくに少しの粉を無心した。ぼくの依頼で粉を探してくれはしたが一度も取引はしていない。小パケを渡して明日、出発の準備があるからと言って奴を追い出した。恨めしそうな顔をして奴は帰って行った。午後2~3時頃だった、それから2人のポリがぼくの部屋に踏み込んできた夜11時までの間に何があったのか、最初ぼくはショッカンがぼくに恨みを持ちポリに密告したと思っていた。それでは辻褄が合わない。ぼくがアシアナから第2ワードに替わった時、既に奴も逮捕されていたのだから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・19

2013-03-08 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward


今回ぼくを密告したのはやはり奴ではないかと疑っている。例のブツの隠し場所を知っていたのは奴だけだ。10月24日昼過ぎショッカンはぼくの定宿ウパハル・ゲストハウスに来た。そのとき奴はシックだった。この時期、デリーのアフリカン・ドラック・シンジケートはダメージを受けていた。仲卸しから末端までのパイプが機能していなかったのだ。その為、奴はぼくからの依頼、スタッフ100gを用意出来なかっただけでなく自分のスタッフさえ不自由をしていた。
 今回フレッドは何とかぼくの為150gを用意してくれた。それは仲卸しとのパイプを継続していたからだ。一見の客を相手にせずフレッドは基地として機能し安定していた。信頼出来るプッシャーだった。多くのプッシャーが収監された時でさえ彼は逃げ延びた。その相棒が二ナである。ショッカンはシンジケートとのパイプを失いインド人組織とコンタクトを取ろうとしていた様に思える。2度サンプルを持って来たがぼくの希望とはかけ離れていた。
 インディアン・シンジケートのプッシャーはブツを持たない、持たせられないのだ、奴らは自分で吸ってしまうから。上客がいれば中継ぎに引き合わせる。販路はインド人の中継ぎを中心にして上部と連絡をとる。中継ぎは信用できる客からの注文は受けるが常時ブツを持っている訳ではない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・18

2013-03-07 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward

 1月5日、裁判所への出頭のとき私物とお金の返還許可が出されるだろう。弁護士は当然来ている筈だ。塀の中で動けないぼくの代わりに弁護士や大使館との折衝をしてくれる信用出来る人間がどうしても必要だ、フィリップスに頼んでみよう。
 刑務所内には鏡もガラスもない。鏡の破片を持っていたインド人がいたので頼んで見せてもらった。自分の顔を久し振りに見て照れ笑いをした。痩せこけた顔にギョロとした目、髪も髭も白いものが増えた。白髪混じりの鼻髭に長く延びた鼻毛が突っ込んでいる、見苦しいおっさんの顔だ。
 ショッカンに粉が入ってグループ内がギクシャクしている。スリランカ人とぼくとアミーゴ、三者三様上手くいかないだろう。ディクソンはぼくに気を使ってくれているが顔はスリランカ人グループの方を向いている。それはしょうがないことだ。亀裂は日毎大きくなってきている。早くグループを離れた方がベターだ、用がある時だけ御互い利用すれば良いのだから、その方が上手くいく。ショッカンの粉の残りは1gぐらいだろう、今のペースで吸い続ければ3~4日で終る。月曜日にもう一度粉が入ると言っているが分からない。もし入らないと奴の吸い方からみてもシックは厳しそうだ。今のショッカンを見ていると頭が狂っている、キックによる躁の後に深い猜疑心で荒れる。粉をやるとそんなふうに変わるジャンキーがいることをぼくは知っている。何をするか分かったものじゃない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする