ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ジャンキーの旅          アシアナ(医療監房)・・・・・20

2013-02-26 | 2章 デリー中央第4刑務所アシアナ

ベッドに戻るとピーターは横になっていた。左端に身体を寄せぼくの寝場所を空けてくれている。それでもぼくが横になるとお互いの腕が触れた。引いた腕の肌に残る感触に不安があった。狭いベッドにドイツ人と日本人が身体も触れずに眠る事など出来ない、2人は禁断の不眠に苦しんでいる。ぼんやりと天井を見ながらぼくは考えていた。横に寝ているピーターも決して眠 っている訳ではない、無言だが何かを考えている。
「ピーター」と彼の名を呼んだ。
1日の施錠時間は夕方6時から朝6時までの12時間、それと日中12時から15時の3時間、病棟内拘束は合計15時間である。主に過す場所はベッドしかない、1日交替でベッドを使おうと彼に提案した。ぼくの話を聞き終わると彼は納得してくれた。ぼく達とハルジュダムのベッドの間を広げ1人が横たわれるスペースを作る為、彼とベッドを移動させた。今日入院したばかりのピーターにベッドを譲りぼくはフロアーに毛布を敷き寝仕度をした。夜の投薬が始まっていたがぼくの順番は随分と後ろの方になっていた。ここではもう古顔なのか、薬の量も少なくなり今日もひとつ減って2個だけになった。眠れないので睡眠薬の処方を願い出たが無視された。町の病院ではない、ここはデリー中央第4刑務所アシアナである。ドラック中毒者が刑期中、収監される更生医療施設だ。
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ジャンキーの旅          アシアナ(医療監房)・・・・・19

2013-02-25 | 2章 デリー中央第4刑務所アシアナ

 歌の上手い新しい患者が入所してきた。通路には毛布が敷かれステージは整った。打楽器タブラの代用食器が歌い手の前に届けられる。彼はどの位置からどんな音が出せるのかチェックしているようにみえる。禁断症状なのだ、目や鼻をしきりにタオルで拭いては本番前の準備に余念がない。タブラの前奏を追うようにして歌が始まった。張りのある声、インド独特の哀愁を感じさせるメロディーが収監棟に流れた。
 インドの四大聖地のひとつガンゴトリに行ったことがある。聖なる河ガンジスの源流はそこから1日登った標高約4000mの所にある。ヒマラヤ氷河の末端、巨大な氷河にポッカリと口を開けたような穴から氷河の溶け水が流れ出していた。ゴームクである。ヒンディ語で聖なる牛の口という意味らしい。その聖なる流れで沐浴をすればあらゆる罪は清められる、とインド人は信じている。身を切るようなという言葉道理、冷たい聖水でぼくは沐浴をした。ヒンズー教徒ではないからなのかぼくの心身は清められなかった。デリー中央刑務所でぼく自身の罪を自ら清めなければならない、当然の理である。
 頭に巻かれた真っ白い包帯の右側頭部にはまだ新しい血が滲み出ている、今日運び込まれたひょろりと背の高いインド人だった。顔色の青白さと血痕を見て彼はもう駄目だろうと周囲は話し合っていた。警察の拷問である。ここに収監された者は多かれ少なかれ拷問を受けていた。外国人のぼくはそれから免れた。逮捕の夜ぼくの部屋に踏み込んで来たポリは確かな情報を得ていた、ぼくのバック・パックから躊躇なく2袋のスタッフを見つけ出したのだから。密告されていた。密告者は拷問されぼくの事をゲロした。それは誰か推理すれば何れ解る。
「ボス話しがある。お金ならある十分なお金だ。ヘルプ・ミー・ボス」
その瞬間ポリの平手打ちが飛んだ。顔を反らせたぼくの頬を奴の指先が掠めた。
「ミリオン・ダラーか?」奴はそう言ってぼくの目をみてニヤリと笑った。
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ジャンキーの旅          アシアナ(医療監房)・・・・・18

2013-02-23 | 2章 デリー中央第4刑務所アシアナ

 アシアナのゲートを一人の白人が入って来た。肩まで伸びた金髪、痩せてはいるが大きい男だ。気になったぼくはミーティング中にも関わらずトイレに行くような振りをして玄関フロアーに入った。男はぼんやりとドクター室の前の床に座っている、お互いの目線が会った時
「ハーィ」
と声を交わした、それがピーターだった。
午後の開錠後ぼくはマダムに呼ばれた。インド人とのベッドの共同使用を拒んでいたぼくにマダムはドイツ人ピーターとの共同使用を命じた。
「外国人同士でしょう、上手くやりなさい」
マダムは一時期、次々と患者を退所さていたがその方針を変えていた。11月中旬頃からだろうか、今ではぼくとシーク教徒ハルジュダム以外のベッドには2名が寝起きしていた。ベッドの間、通路にも収監者が溢れた。朝のティータイムでは不足しているコップを収監者同士が取り合った。朝6時の開錠後、水浴する為の行き帰りこっそり食器置場に入りコップを持ち出していたのだ。コップは列の前から配り始めるのだが早い順番の場所に莚を敷いてティー・コップを待ってもそれは回って来なかった。後から来た者が自分の前にコップを置きティーを待つ、コップのある所にしかティーは注がれない。先に使われたコップを洗いティーを飲む時には温くなり臭いが鼻につき不味かった。
 夕食が終わり施錠前の僅かな時間、患者達は病棟の外周を歩いていた。運動といえばそれくらいしかない、鉄扉を打つ金属音がした。玄関フロアーから外まで続いていた長い列が次第に短くなりぼくは病棟に入った。また遅々として進まない長い夜が始まる。

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ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・14

2013-02-20 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward

    12月24四日(土曜日)
ヒンズー教はインドの国教である。キリスト教のクリスマスについて何ら行事がなされる事はない。キリスト教の信者たちはクリスマスの集会と祈りを行っていた。集まったのはアフリカンだけでヨーロッパ人は参加しない。
 何故だか夕食のとき茹で卵がでた。恐らく第2収監区の外国人だけに配られたものと思われる。インド人は概ねベジタリアンでミルク、ヨーグルト以外動物性食品を口にしない。リシケシで茹で卵を買って食べたことがあるがそれ以外では滅多に卵を見たことはない 。
 収監者を宗教別に見るとキリスト教、イスラム教が多い、ぼくは仏教に分類されるだろう。国籍別に収監者数の多い順にみるとヨーロッパではイギリス、フランス、ドイツ各3~4名、スペイン、イタリア各2名それとポーランド1名。アフリカでは圧倒的にナイジェリアだ、次いでケニア、少数だがエチオピア、モロッコそれにガーナなど。その時点ではアメリカ人はいなかった。ナイジェリア人が多いのは内戦を逃れインドに逃亡していたからだ。相互国のヴィザが免除されていたからだろう。
 日没前の夕暮れ、どこからともなく一定のリズムを持った男達の唸り叫びが聞えてきた。ワードゲート前の通りをアフリカンの集団がステップを踏み鳴らし進んでいた。縦一列、リズムをとって前・前・ストップ・後・前・前と。濃くなっていく暗さにアフリカンの肌の色が同化し唸りと叫びだけが迫って来るようだった。近づいて来た集団の先頭に強靭な肉体を持ったエマがいた。いつものエマと違う、ぼくはすぐに理解した。集団トリップをしているのだ。大地を揺るがすかのようにステップを踏む。ゲートを潜り中庭へ進んで行くとそこで円を作りより強く激しくステップ踏んだ。アフリカを離れてしまったブラックは時間と共にアフリカの心を失いつつあるのだろうか、現在のアフリカのリズム、音楽を彼らは理解出来ないだろうとエマは言った。
「俺はピュアだ」
「あいつもピュアブラックだ」と、誇りを持って彼等は言う。
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ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・13

2013-02-19 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward

  12月23日(金曜日) 
昨日ショッカンは面会で10gのスタッフを手にした。皆に吸わせてやりご機嫌だ。夜中まで吸っては騒いでいた。お陰でぼくは睡眠不足になりついてない一日だった。頭がぼうとした状態で裁判所に出頭した。毎回理由もなくとしかぼくには思えないのだが、とにかく待たされる。待たされはするが担当の女性裁判官がサインをすれば今日の手続きは終わり護送車に乗って帰って来られる。ところがその担当がいない。あっちこっち刑務官に引っ張り回された挙句、留置場に戻された。朝、満員だった留置場の収監者の喧騒はなく静かだ。昼を過ぎただろう一人又、一人と呼び出されて行った。ぼくは膝を抱いて座り待ち続けた。空腹感が過ぎると軽いシックが始まった。薄暗くなり始めた頃やっと
「ジャパニーカモン」
と呼び出され、また裁判所内をぐるぐると歩き回った。
「エンドPS」
とはどんな意味なのか、それを理由にどの裁判官もサインをしようとしなかった。終ったのかどうか分からないが刑務所へ帰る待機房に入れられた。真暗になって第1刑務所へ戻って来た。
入る時のチェックは厳しい。裁判所での差入れ物は全てテーブルの上に並べ調べられていた。間隔をとって5名は横に並び靴を脱いで調べを待つ。他はその後ろに並び座って前列の調べが終わるまで待機だ。ポケットの中の物は全て出す。ボディーチェック、靴下、ズボンの裾、内股、特に靴は入念に調べていた。ゲート内チェックがやっと終って第2収監区に戻ると疲れきっていた。
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ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・12

2013-02-18 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward


 明日は裁判所への出頭日だ、面倒なのもあるが帰りが遅くなるとシックになり辛い、しかし行かない事には裁判が進まない。古い人は1~2ヶ月に1回ぐらいだがぼくは月に2回は出頭する。朝8時頃メインゲート前広場に出頭する収監者がぞろぞろと集まって来る。第1刑務所からの始発は毎日、大型護送バスで3便ぐらいは出る。護送車の便数が多いのは途中、2、3、4刑務所を経由するからだ。
机が置かれ先ず1便からの名簿が読み上げられる。名前が呼ばれると机の前に一列に並んで座って待つ、確認が終るとメインゲートの左端下の潜り戸からゲート内に入る。又整列して座って待たされる、これがインド的だと分かってはいるがもうちょっと何とかならんのかと言いたくなる。護送車が来るのを待っているのだ、バスのエンジン音が聞こえるとそろそろだと分かる。出る時はメイン外ゲートの右端下の潜り戸から出る。出る時は軽いボディチェックだけだ。
裁判所へ行くインド人達は精一杯めかしこんで行く。恐らく借物だろうが散髪して髭を剃ってスーツや皮ジャンでビシとキメる。裁判所の広場に護送車が入ると窓の鉄格子に顔を押しつけて周りを見回し人を捜している。妻や家族だろうか、見つけると大声で呼んでいた。ぼくもディクソンのズボンやジャンバーに靴下から靴まで借りて行った。
刑務所からオールドデリーの裁判所までは一時間位かかる。娑婆の風景を楽しむのはこの時だけだ。護送車はガラスなしの窓に鉄格子と金網が張ってある。座席は両サイドの窓に沿って各一列と真中の広い板は左右から背中合わせに座る。全員が入ると中ドアーが外からロックされる。その後ろに警備員が乗る座席があり外ドアーを中から閉める。警備員室の覗窓から護送車内が見えるようになっている。運転は荒っぽい。出発すると2~3ヵ所からビリを吸う煙が流れる。信号で護送車が停まると車内から歩道に立っている人間にビリやマッチをせびる。並んで停車した一般バスの市民は手を伸ばしてビリを金網から入れてくれる。警備員室から丸見えなのだが御咎めはない。
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ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・11

2013-02-14 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward


   12月22日(木曜日)
何だかこのグループに感情的な割れが出ている、国が違うのだからすべてが上手くいく訳ではない。アミーゴがかなり怒ってセガにビリを出せとしつこく文句を言った。そして最後にはショッカンと口喧嘩だ。夕方の施錠後、ディクソンとインド人がCバラックの奥便所の中でスタッフを吸っている現場を模範囚のリーダーに捕まって問題になった。無表情で目の細い奴だ。
「奴には気をつけろ」
と何度か聞いたことがある。既決囚で生活態度が良いと判断されると白いインド服上下とブルーベストが支給されリーダーとなる。
 朝、面会に行っていたショッカンが帰ってきた。スタッフ10gが持ち込まれた。携帯用シャンプーのケースみたいなオイル容器の中に隠して持ち込んだ。一度中のオイルを出してスタッフをビニールで何重にも巻いてケースに入れ、もう一度オイルを流し込んで蓋をする。8gは売って皆で吸った残りはぼくにくれると言うが当てには出来ない。8gを売れば8000ルピーにはなる、大金だ。刑務所内の相場は外の2倍以上だ。


 
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ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・10

2013-02-13 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward
 

 ショッカンは信用出来ない、人は良さそうだが口ばかりだ。毎日少しだがスタッフを吸わせているのに奴の借金の分までぼくのお金を当てにしていた。返済が当てにならない。
「スタッフが入る、タブレットもお金も入る。明日は100%間違いない」
明日々が数日続いた。はっきりした方が良い。情報や噂が混じって大きくなっているのかもしれないが数名のスリランカ人と日本人がスタッフを吸ってマークされているという、有難い情報じゃない。今のミスは高いものになる、失敗は許されないのだ。毎夜ショッカンと吸っているのも危ない、スリランカ人が大きな声をだしてうるさく騒ぐので周りの目を引いている。グループを離れた方が良いのか考えている。
それと関連してワード変更の噂はどうも本当らしい。そう遠い話しではなく近々あるという、だとしたらその時点で別のグループに入る。新しく替わるワードは独房で4~5名単位で入るらしい。アミーゴは一緒に入ろうと頻りにぼくを誘う。メンバーはアミーゴ、ダニエルとアフリカン2名、ハッサンは知っているがデブは知らない。
「皆、良い奴だから心配いらない」とアミーゴ。

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ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・9

2013-02-11 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward


   12月21日(水曜日)
今日やっと大使館員の面会があった。取調べ中の警察署に面会に来てくれた方だった。差入れはトレーナー上下、セーター、それに下着等の衣類と毛布や日本の週刊誌だった。週刊誌のページをめくってみるとマジックで黒く塗りつぶした個所がかなりあった。おつとめをしている生身の人間をセクシーな写真であまり刺激してはいけないという心遣いなのだろうか。お金の方はちょっと少なくて1000ルピーだったが無理を言って彼のプライベートのお金1000ルピーを借用して計2000ルピーとなった。これで次の面会日まで何とかやっていかなくてならない。ドラッグをやっているのでどうせ足りないだろう、でもあまり使い過ぎると大使館で何かと問題になりそうだ。借金だらけのぼくだったが今はちょっとリッチな気分になっている。クリスマス、正月は少し余裕をもって過せそうだ。ぼくの私物の返還請求について大使館は裁判所へアプリケーションの提出を了承してくれた。次回1995年1月5日、裁判所出頭のとき受取りの許可書がでるだろうということだった。小切手は大丈夫だろうがドル・キャシュは危ない、どのくらい残っているのか心配だ。


(74年 旅へ出るとき新橋駅前のビックカメラで中古一眼レフを無理して買った 帰る前それを売って旅費にする為だ カラーフィルムはまだ高いのでモノクロを多くした 昨年プリンターを買った 古いモノクロ写真は使えないと思っていたが一応スキャンしてみた 退色復元 コントラスト 明暗調整機能で何とか使えるかもしれない 今日それを貼ってみた)

  ヨドバシカメラでしたっけ ???
 

 
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ジャンキーの旅          アシアナ(医療監房)・・・・・17

2013-02-09 | 2章 デリー中央第4刑務所アシアナ


 アシアナの規則を破った者は厳しい仕置きを受ける。2人のインド人が許可を得てゲート外に出た。戻ってきたときは必ず別室でボディーチェックを受ける。ドラッグの所持、使用は懲戒用の監房があるし刑期の加算につながる。今回の2人はビリという煙草を持ち込もうとして見つかった。マッチ棒1本、マッチの擦り板、タバコ屑でも持ち込もうとして見つかると刑務官から激しい暴行を受ける。
 バケツの水に赤茶けた泥を入れドロドロに溶かしそれを腰巻きだけの全身に頭から掛けられた。隙間なく汚泥が塗られる、その姿で夕方まで外に立たされていた。当然、昼食もティーも抜きだ。全身に塗られた汚泥が乾いていくと本当の泥人形になってしまった。ぼくはあまりの滑稽さについ笑ってしまった。ふたりはマダムを見つけては後を追い真剣に許しを乞うたが夕方施錠まで許しは出なかった。
 原因はなんだったのか分からない、1人だけ全員の前に立たされていた。マダムから指名を受けた者は彼の正面に立ち力一杯平手で彼の頬を打った。次々と打つ人間をマダムは指名した。彼の唇に血が滲んでいた。一度だけマダムはぼくを指名した。
「ぼくには出来ません」
「命令です。やりなさい」マダムの厳しさを見た。
 前庭に広く筵を敷いた。ヨガを治療の一環としてマダムは取り入れた。それに参加した者には黒砂糖の塊が与えられる、みんな甘い物には飢えていた。ぼくはアシュラムでヨガを学んでいた、初歩的なハタヨガのポーズで難しくはない、毎回参加しそれを少しずつためてベッドの下に隠していた。食事の残りを病棟に持ち込む事は禁止されていたが禁断による不眠が続いていたぼくは夜中空腹に悩まされていた。夕食のチャパティーを一枚残しポケットに隠して持ち込んだ。冷えて硬くぼそぼそになったチャパティーにこっそり黒砂糖を挟んで食べた。
 
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