ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ジャンキーの旅             逮捕・・・5

2012-03-31 | 1部1章 逮捕
 デリーはジャンキーにとって非常に危険な都市に変っていた。デリー警察はドラッグの取り締まりに対しかってない強い方針でジャンキーやプッシャーをピックアップ、根こそぎ逮捕しデリー中央刑務所へ収監していた。うかつにもぼくはその事に気付かなかった。メインバザールに着いて直ぐピクニック・ゲストハウスにいる筈のフレッドとニナに会いにいった。以前、と言っても今年の5月、このホテルの殆どの部屋がアフリカンで溢れアフリカ料理とドラッグの臭いがしていた。ドアーの隙間からは白い歯と濁った目がこちらを窺っている。今、静まり返って人の気配がない。屋上から各階の廊下、階段を歩いて下りる。いつも流れていたボブマーレー、アフリカンが一人残らず何処へ行ってしまったというのか。気難しいが誇り高いアフリカン、だが知り合うと楽しい。フレッドは確実にスタッフを用意してくれた。
バザールを歩いていれば誰か売人に会えるだろう、と帰りかけたときホテルの入り口のソファーに座っていたマダムが
「買いに来たんだろう、二階にスリランカ人がいる行ってみな」
と教えてくれた。顔は知っていたが彼女と話したことはなかった。二階の部屋で会ったのはショッカンとサンダーだった。
「良質のスタッフを100gぐらい欲しい。g・400ルピーで用意できるか」
「捜してみる」
2日、3日が過ぎても誰にも会わない。夜遅くなって何人かのアフリカンに声を掛けた。
「持っていない、知らない」
何の情報も得られない。トランジット・ビザは通過許可書で二週間以内に第三国へ出国しなければならない。デリーに来て5日が無為に過ぎた。その間ショッカンが2度サンプルを持ってきたが使える代物ではなかった。奴は中卸しとの繋がりを持っていない。夜9時頃、何の手がかりもなくホテルへ帰ろうとメインバザールをぶらぶらと歩いていた。馴染みのレストランの前を通り過ぎ暗い路地へ曲がろうとしたとき
「トミー、トミー・・・」 とぼくを呼ぶ声がした、と同時にサンダルのぱたぱたと駆ける音がしてぼくの身体を抱きしめた。二ナとの再会だった。
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ジャンキーの旅             逮捕・・・4

2012-03-30 | 1部1章 逮捕
 今回、ぼくの旅は3年目に入っていた。安定した長期ビザの収得は不可能だ。ツーリストビザの範囲内でインド、ネパール、スリランカ、タイランド等を転々と移動し続けたぼくは疲れていた。94年7月、始業予定のビソバーサー・キャンパスの入学手続きは順調に進んだ。カトマンズにあるトリブバン大学内の外国語学校である。学生としてネパール語の勉強を始める事にした。特別ネパール語の勉強をしたいという強い意志があった訳ではない。ネパールの1年間のマルチビザは手続を終えた全学生に与えられる。この優遇制度は短期のビザでの移動に疲れたぼくとって有難かった。それと人種的に同じモンゴリアンであるという安心感をぼくは持っていた。相互理解の許容範囲内にあるのかもしれない。ネパールにある程度定住のような形で生活をしてみようと思い始めていた。
 70年代に旅をしたときドラッグのゴールデン・トライアングルと言われたゴア、カブール、カトマンズだが今その面影はない。
デリーへは定期的にスタッフの買出しに出かけていた。10月はヒンズー教の大きな祭りで学校は1ヶ月間休み。年内分150gぐらいのスタッフの買い付けが必要であり今回が最後だと考えていた。年明けタイのバンコクへ行きメタドン・クリニックでヤクとの生活を終わりにする為の治療を受けようと考えていた。ネパール人で息子のようにしていた青年から
「ドラッグだけはやめて下さい」 と、度々悲しい顔で懇願され心が動いたのかもしれない。
 今まで何度もデリーへ行っているのに今回はどうしてなのかぼくの気持ちはすっきりしない。不安に似たような精神の揺れを感じた。タメルの古本屋で安部譲二氏の『塀の中の懲りない面々』という文庫本に出会った。在カトマンズ・インド大使館はぼくに対してトランジット・ビザの発給は今回が最後だと通告した。増ページしたパスポートのインド入国記録を調べられていた。カトマンズ・ジョッチン、通称フリーク・ストリートのぼくの定宿の部屋は1週間程度で戻って来る予定だったから荷物を置きキープした。鍵はそのまま持っていてくれとホテルのマネージャ、94年10月初旬のことだった。ぼくが再び、この部屋に戻ってきたのは96年1月10日深夜12時過ぎだった。ネパール人のスンダルはぼくが帰ってくるまでの間、荷物を保管してくれていた。
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ジャンキーの旅             逮捕・・・3

2012-03-27 | 1部1章 逮捕
 
 スタッフはテェイスト、ラーニングそれとキックの三点について評価されるが最も重要な要素は言うまでもなくキックだ。強いキック力とそれを持続させるパワーが必要だ。主な使い方は三種類ある。チェーシング、スニッフ最後にインジェクションだ。普通のジャンキーはインジェクションをやらない。理由は人それぞれによって異なるだろうがブラックを除いてホワイト、イエローのスキンは明らかな注射痕を残す。それに注射器、特に針の入手は難しくなっていた。強く持続的なトリップは注射器を使わなくてもドラッグの組み合せによって得られる。それを可能にしているのは比較的安価で多種類のドラッグが市場に供給されているからだ。持続するトリップの世界からリアリティーに回帰できるジャンキーはインジェクションを避けたいという潜在意識がある。超えたくない一線、回帰不能の領域へジャンプするという恐れのようなものを持っているのかもしれない。しかしドラッグの最後のトリップは死であろうという微かな予感はぼくも持っていた。友人カルロスの死はデリー中央刑務所に面会に来てくれたマリーから知らされた。
 普通チェーシングとスニッフを併用する事が多い。スタッフをチェックする時、アルミホイールの上に少量のそれを置き下から火で焙る。スタッフはその熱で丸まった液状に変化しアルミホイールを少し傾けると液状になったスタッフが下から火に追われるようにしてラーニングする。そのとき出る煙を細いパイプで吸い取る。不純物や混ぜ物が多いとぶす々と燻りラーニングせずテェィストも悪くキックも弱い。
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ジャンキーの旅             逮捕・・・2

2012-03-25 | 1部1章 逮捕
 コンノートンにあるネパール航空のカウンターに予約で来ていたぼくは迷っていた。今夕8時と翌朝10時のフライトがあるがどちらにするか、夕方のフライトでも十分準備は出来る。フレッドは約束どおりブラウン・シュガー、150gを用意してくれ今回ぼくがデリーに来た目的は達せられ満足していた。ぼくが迷っていたのはデリー空港をPM8時に出発すればカトマンズに着くのは9時過ぎになる。それからイミグレ、カスタムの手続きがあり、全てが終わるのは夜10時を回ってしまう。カトマンズの夜は早い。空港でタクシーが捕まるだろうか、そんなくだらない事を考えて翌朝の出発に決めてしまった。 午後3時頃、ショッカンが来た。二人で少し吸ったが帰って行った。全くいつもどおり明日のフライトでカトマンズへ戻れることを100%信じ切っていたぼくは奴にぼくのスケジュールとスタッフの隠し場所を自慢げに話してしまった。  
 ニューデリー、パールガンジ。通称メインバザール、貧乏旅行者が集中する街、100mスクエアー足らずの場所にあらゆるドラッグが集中しそれに呼び寄せられるようにして世界中からオールドヒッピーやジャンキー達が来、去り、また帰って来た。メインバザールの表通りから狭い薄汚い路地が迷路のように延び、そんな所に安いゲストハウスがあった。そこを巣屈としてアフリカン・ブラックは独自のドラッグ・シンジケートを形成していた。
 ブラックの90%はナイジェリア人、他にはケニア、エチオピア、ガーナ、タンザニア等、彼らの収入源はドラッグ売買の差益だ。上客はヨーロッパ、北米、オーストラリア等の白人そして金離れの良い日本人だ。
 ブラウン・シュガー。これはタイランドで出回っているホワイト・ヘロインに対しそう呼ばれる。パキスタン、アフガニスタン国境の町ペシャワールに一度、集められパキスタン経由でインドのデリー、カルカッタの巨大マーケットに運び込まれ捌かれる。タイホワイトに対しそのカラー、ブラウンによってそのように呼称されるが同じ植物ケシから採取される。取引の時はパウダー、スメックあるいはスタッフ等のスラッグが使われる。
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ジャンキーの旅             逮捕・・・1

2012-03-23 | 1部1章 逮捕
 メインバザールにある安宿の一軒、ウパハル・ゲストハウスのぼくの部屋のドアがノックされた。明朝10時のフライトでカトマンズへ戻るための仕度は終っていた。そろ々スタッフを一服して寝ようと思っていた夜11時過ぎだった。こんな時間にノックする奴は誰なのか思いつかなかった。ホテルの支払いは夕方、全て終わらせていた。今夜と明朝吸う分と空港のトイレで使うスタッフは小分けし他はフランス製のバックパックの背当てが二重になった奥に隠していた。誰とも分からないノックは少しの間をおいてしつこく続いていた。音を立てずドアーの外の気配を探っていたが我慢できず
「誰だ、何の用だ」
といった直後、ドアーは強い力で押し開けられた。何がどうなっているのか粉でキックしていたぼくの頭では理解できなかった。
 注意深く部屋の様子を見ながら二人の男が入ってきた。入口にはホテルのボーイがおろおろしていた。肩に星が二つ付いた制服のポリと、もう一人はセーターを着ているが私服だろう。私服は通りに面した窓側に立ち制服はドアー側、ぼくの右前の出口を塞ぐようにして立った。
「やばい」
いくらキックした頭でもこの非常にやばい状況を理解した。ここから逃れる有効な方法は・・・ぼくの脳の配線回路が回っていた。
「荷物を調べる」
制服は有無を言わせずぼくのバックパックを調べ始めた。奴は迷う風もなくスタッフの入った二つの袋を背当ての奥から掴み出し、ベッドの上に全ての荷物を曝け出した。スタッフ、チャラス、ガンジャ、それにオピュームとアルミホイール、小分け用パケ、スケール
「君はドラッグの売人か、このスケールで小売をしているのか?」
口の中が渇き擦れる声でぼくは
「ボス話がある、プリーズ・ヘルプミーお金はある十分な金だ」
と言った瞬間、ポリの平手が避けようとしたぼくの右頬を掠めた。
「ミリオンダラーか?」
そう言って奴はにやりとした。奴らは本気だ。これは情報提供者による密告に違いない。誰だ、先ず考えられるのはスリランカ人ショッカンだ。
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・37

2012-03-21 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
 アユミの帰国が決まった。2日後、水曜日の夜、だとすればデリー警察が関与せず大使館の保護下で帰国することになる。日本からお父さんが迎えに来られ、それまで何かしら張詰めていた彼女の心は解放されているようだ。二十代の女性ひとり旅、多分20Kgぐらいはあるだろうバックパックを背負って、どういう目的があっての旅だったのかぼくは知らない。だが厳しい旅であったに違いない、それだけはぼくにも理解できる。男のぼくでさえ気を弛め心身を休める事が出来るのはホテルの部屋に入り内鍵を掛けてからだ。バックパックを担いでの移動中は神経を使う、一瞬のミスが全てを奪い取ってしまう。アユミはネパール行きを止めて日本へ戻ることを選択した。肉親の愛は旅に疲れたアユミの心を和ませてくれるだろう。
 手紙など書かない姉が今回3度も心配して手紙をくれた。何度も何度もその手紙をぼくは読んだ。日本に帰りたい、肉親に会いたいと、そうも思った。生き続けることの辛さ、苦しさだけを感じて旅を歩いている。痩せこけ白髪の老人のようになったぼく、自分の姿に自分自身情けない。でも楽しかったんじゃないのか、ドラッグをやっていたときは。楽しいドラッグだったよな、だったら死ぬまでドラッグを続ければ良いんじゃないのか。粉を続ければ日本へ帰ることは出来ない、どうせくたばるつもりで日本から逃げ出してきた。未練だな。日本、肉親、友人、未練に生き煩悩に苦しむ。人生とは何ぞや、仏陀は何と云うか。あぁ長生きなんてするものじゃない、今日も生きる事は面倒臭いと書いて終る。  
 
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・36

2012-03-19 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録


   12月18日(月)(入院して15日)

 気分が重い。動かない身体がそれを助長する、悪の循環だ。小さい病室では歩き回るスペースもない。毎日大量の薬を飲んでいる、気持ちが苛立つ。入院して15日目か、禁断の峠は越えたが回復率は50パーセント以下だろう、身体の痛みと不眠は残っているはずだ。処方薬で抑えているが退院は無理だ。この病院で治しておかないと帰国は出来ない。後どのくらい入院が必要なのか、ぼくには分からないが最終的にはドクターが決める。耐えるしかない。退院したら1週間以内にカトマンズへ逃亡しなければならない。それ以上デリーに留まるのは危険だ、スタッフの魔力に引き摺り込まれる。落とし穴と罠が仕掛けらたデリー。
 今日大使館員のCさんと日本からアユミのお父さんが病院へ来られた。お父さんを一目見てちょっと吃驚した、60歳だとアユミから聞かされていたので、ぼくなりに頭の禿げたおっさんをイメージしていた。スーツにネクタイ姿で頭には黒い髪がちゃんとあった。痩せこけて白髪だらけのぼくの方が余程、年寄りに見える。長い旅と11ヶ月の刑務所生活そして精神病院と辛い日々が続いている。ベルトコンベヤーで流されるような東京の生活から逃避し、のんびり楽しく生きようとネパールを選んだ。デリーへスタッフの買い出しに来て1年と3ヶ月が過ぎた。ぼくはまだカトマンズへ戻る事が出来ない。ぼくにとって良き日々はないのか、八方塞がりで出口は遠い、気力も体力も失ってしまいそうだ。ドラッグだけが唯一の旅とは、どうしてそんな人間になってしまったのか、ドラッグ、ドラッグの毎日だった。
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ジャンキーの旅              ブラック・アウト・・・9

2012-03-18 | 2章 ブラック・アウト
 お金が底を突きだした。カトマンズに置いてある金150gと日本円約20万円が入手出来れば今の状況は少し良くなる。友人スンダルと連絡を取りデリーへ持って来てもらう為の方法を二ナと話し合った。彼女にはネパール人の友達がいる。カトマンズは狭い、そのネパール人に頼めばスンダルに連絡が取れるかもしれないと彼女は言う。後日、二ナに会ったらカトマンズのスンダルにファックスを送ったとぼくに言った。何をどうしてそれが出来たのかぼくには分からないが、もし彼がそのファックスを手にすれば何らかの連絡があるだろう。
 ゴールデン・カフェに網を張っていた。日本人とはあまり接触したくはないのだが、送金を受取る為にはパスポートに記入されている名前と番号が必要だ。その名前と番号に送金をする。これはアフリカンや白人でも頼めない。その点について日本人は信用が出来る。旅の初心者には頼まない、単独で行動しているジャンキーらしい日本人を待っていた。しかし1人で旅をしようと日本を出て来た筈なのに、どこへ行っても日本人はすぐグループを作ってしまう。日本に興味を持って外国人が仲間に入ってきても皆の会話は日本語だ。フランス人の中にぼくが入ると彼らはフランス語から英語に変えてくれる。フランス人の英語は上手くないがそうしてくれるので、ぼく達は友人になれる。
 数日ゴールデン・カフェで何度か見かけ、的を絞っていた日本人が夕食を終え店の外へ出た。
「デリーにまだ暫らく居るんですか?」
「はぁ、その予定ですが」
「日本からの送金を受取るので、パスポートの名前と番号を貸してもらえませんか?」
何言ってるんだこの人は、という顔をして彼は立ち去った。
「どうしたんですか?」
という興味も示さなかった。このやり方では駄目だ。変な日本人がいると、もうデリーの狭い日本人社会に広がっているだろう。 
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ジャンキーの旅              ブラック・アウト・・・8

2012-03-15 | 2章 ブラック・アウト
 毎朝、決まった時間に影の薄いアフリカンが通りを歩いていた。ぼくはデリー刑務所に収監されていたから彼を見るのは一年振りだ。今、彼の歩く足どりを見ているとしっかりしている、スタッフを止めているようだ。ピクニックGHの屋上の部屋で彼に会ったことがある。ぼくはアフリカンとスタッフの取引きをしていたが、部屋の奥で片膝座りしてる彼を見た。ブラックの黒い肌に光を反射して流れ落ちる液体、床が赤い。ブラックの肌から血管は見えない、太股から血を流しながら彼が注射を打っていた。腕には針を打つ場所がもうなくなっていたからだ。どうしてスタッフを断つことができたのか、アフリカンの肉体は強い。
 コンノートは高級な店が軒を並べるニューデリーの中心的な商業地だ。お金持ちのインド人や旅行客で華やかに賑わっている。何を思ってかぼくと二ナは恋人のように腕を組み、宝石店やブティックをうっとりとウインド・ショッピングをして楽しんだ。マクドナルドで昼食をしアイスクリームを持って公園を散歩した。
「トミーは日本へ帰るんでしょう。私も行ってみたい」
「うぅん、いずれ帰るけど、まだ裁判が終っていないからね」
「明日、裁判所でしょう。一緒に行ってあげる」
「本当、助かるよ。朝、迎えに行く」
帰りのオート力車の中でスタッフが効いて眠くなったのか、彼女は痩せて尖ったぼくの肩に頭を寄せた。
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ジャンキーの旅              ブラック・アウト・・・7

2012-03-13 | 2章 ブラック・アウト
 牛がやってきた。餌があるのを知っているのだ。オレンジやフルーツを搾った滓は人間にとっては厄介な生ゴミだが、牛にとっては甘くて栄養豊富な食料になる。ジュース屋はバケツに溜めて牛が来ると与える。牛は綺麗に平らげ感謝の気持ちだろうか、べちゃべちゃと落し物をばら撒いて飛び散る、ぼくにとってこれはあまり有り難くはない。しかし乞食にとっては恵みの落し物なのだ。これをバケツで集め乾燥させると日々の燃料となる。バザールにはかなりの牛がたむろしている、ぼくは野良牛だと思っていた。ある朝、牛の尻を細い棒でペタンペタンと打ちながら、兄ちゃんがどこかへ牛を追っている、ぼくは後ろからついて行った。バザールの外れ辺りに行くと、杭に繋がれた数頭の子牛がいた。分かるのだろう一頭の子牛はロープを張って母牛に近寄ろうとして鳴く、母牛の張った乳房は母性によって母乳を出す用意をする。子牛に少し乳を吸わせると後は兄ちゃんの仕事だ、牛乳をバケツに搾り出している。乳房が軽くなった母牛の尻を、ポーンと兄ちゃんが打つと、トットットッと牛はバザールへ戻って行った。牛に餌を与えているわけではないので飼い主とは言えないが持ち主はいたのだ。雌牛はバザールに残る、数頭の種牛を残して他の雄牛は荷役用に使われる。牛はバザールから出る膨大な生ゴミを処理し、インド人にとって大切なミルクを提供してくれる。インドの牛はやはりヒンズー教の神の使徒である。
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