ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

逃亡・終章・・・10   追記 大使館について

2018-02-28 | ドラッグの深い闇・終章

   デリー在日本大使館
逮捕された翌日、パールガンジ警察署に二人の大使館員の面会があった。
「あなたのケースの場合、インド判例によればミニマムで10年の刑に相当します。良い弁護士を選任すれば少しは刑が短くなるかもしれません」
猛暑のデリー、10年生き延びて釈放される可能性はない、絶望的だった。
薬物中毒者の治療監房で50日、その後外国人収容監房へ移送された。そこで、顔見知りのジャンキーやプッシャーと会う。トミーのケースはノープロブレム、来年の春には釈放される、彼らは楽観的な判断をぼくに言った。記録的な猛暑を乗り越えた初秋、状況は一転し保釈へ進んだ。その時、大使館からの手紙
「どういう事情であろうと大使館、大使館員は個人の身元保証にはなれない」
保釈後、フィリップスからジャケットやネクタイとワイシャツを借りパスポート申請のために写真を撮りマリーと大使館へ行った
「お分かりでしょう、ここであなたにパスポードを発給できないことを・・・」
保釈中で裁判は進行している、そんなぼくにパスポートは発給できない、当然のことだった。デリー精神病院で治療が進みぼくは現実を理解し始めていた。マリーは逃亡に必要な情報を集め二人で計画を練った。Bさんの面会のとき、ぼくは逃亡計画のすべてを話した。退院しデリーに留まれば再び薬物に溺れる、薬物を断ったいまネパールへ逃亡し帰国する。
「それしか方法はないでしょう」Bさんは黙認された。
12月29日 退院手続きが遅くなり大使館に着いたのは暗くなっていた。28日、大使館は閉館されている がBさんは待っていてくれた。事務的処理が終わり、お世話になりました、とぼくがお礼を言うと
「ご無事で・・・」危険を伴なうぼくの逃亡について危惧されての言葉だ。
そして執務室を出ようとするぼくに
「無事帰国したら手紙を下さい」と付け加えられた。

カトマンズ在日本大使館についての推論はいずれ・・・

雨が降っている 南風が強い 暴風警報が発表された
ベランダの飛びそうな物は部屋の中に入れた
また渡船の桟橋が壊れるかもしれない
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逃亡・終章・・・9    峠を越える

2018-02-19 | ドラッグの深い闇・終章

Dさんは何故これほどまで親切にしてくれるのだろうか、ぼくは在インド日本大使館員Bさんの事を考えていた。ぼくの逃亡を知っているBさんが最後の別れの時「ご無事で・・・」と言ってくれた。運良く国境を抜けカトマンズに辿り着き大使館を訪ねたら日本へ帰らしてやろう、Bさんはそう考えておられたのではないだろうか。Bさんは立場上ぼくの逃亡を支援することは出来ない。何らかの方法でDさんにその意図を伝えられた、とぼくは考えた。薬物に溺れそこから這い出せないぼくに闇から抜け陽の下で生きよ。ぼくは多くの方達に助けられた。
 大使館が開くのは朝9時30分からだ。Dさんは書類をぼくに渡しながら
「これでもビザが取れなかったらすぐ連絡して下さい」と言われた。
2日間通った事務室の管理官はぼくが提出した書類に目を通すとビザ申請書に簡単にスタンプを押しサインをした。
「表のビザ申請受付けカウンターで手続きをしてくれ」そう言って申請書を戻してくれた。
それを持ってぼく達は表のビザ申請カウンターに行きトラベル・ドキュメントと一緒に提出した。ネパールのビザ代は高い、1週間で18・75ドルだ。20ドル札を払うとぼくのトラベル・ドキュメントの受取書とお釣りがカウンターに置かれた。これでぼくのビザ申請書はここ出入国管理事務所で受理された。今日の午後3時から4時の間にここへ来て受取書と交換にビザのスタンプが押されたトラベル・ドキュメントがぼくに戻される。全身から力が抜けていく自分を感じた。 
「トミー、やっとビザがとれたね」
ありがとうスンダル、ぼくは彼の手を握り締めた。

後 30枚ぐらいだろうか 「終わり」を記入するまで
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逃亡・終章・・・8     大使館

2018-02-09 | ドラッグの深い闇・終章

 走るバイクにカトマンズの1月の冷たい風が吹きつける、心の芯まで凍りつくようだ。大使館に着くとぼくは受付のネパール人に日本人スタッフに会いたいと告げた。愚図愚図しているネパール人にスンダルが面会の理由を説明した。ネパール人が執務室に入るとすぐ大使館員のDさんが出て来られた。ぼくは出入国管理事務所での経緯を話した。よほど憔悴した顔をしていたのだろう
「それは大変でしたね」と慰めてくれた。その後、Dさんは
「ネパールのボーダーにレコードがないというのは出入国管理事務所の責任であって、パスポートの盗難に合い苦労しているあなたは被害者じゃないですか。その被害者のあなたに速やかにビザを発給しないのはおかしい。早く連絡してくれたらよかったのに」
と言ってくれた。
「明日もう1度ここへ来て下さい。ビザ収得に必要な書類は用意しておきます。」
思いもよらないDさんの好意的な言葉にぼくは戸惑いながら
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
ぼくは深々と頭を下げ大使館を出た。
「良かったねトミー、これで明日ビザがとれるよ」

ブログの更新が遅れている 重い追想に心が疲れる

今年の冬は例年より寒い 湾での釣りは良くない イカもタコも駄目だ
ワカメの新芽が潮に揺れている それと青ナマコの数が多く少しは助かっている
海は変わっていく 湾が与えてくれるその恵みはありがたい
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