●『悪魔を見た』●(韓国語)
「公式サイト」(@「악마를보았다」というタイトルロゴをクリックすれば先に進みます^^)
DIRECTOR内
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<監督紹介>
型の中に捕われないジャンルの変奏者キム・ジウン(金知雲)
(1)
キム・ジウン監督は本人のデビュー作『静かな家族(クワイエットファミリー)』を通じ、”コミック残酷劇”という新しいジャンルを初めて披露した。山荘怪談という設定の中、抱腹絶倒のコメディが溶けている、新しいスタイルに対する的確な名称だったわけだ。
ジャンル映画の面白さを多くないながらも本人だけのスタイルを作り出すキム・ジウン監督のフィルモグラフィーは、そのように始まった。演劇俳優と演出家を経験しながら、ひどい映画マニアだった彼がデビュー作以降、たった1度もジャンルの反復がなかった理由は、ただ”観客として自分が観たい映画を撮る”という純粋な動機から始まった。
(2)
レスラーで逸脱を夢見る小心な銀行員の哀感をピリッとした笑いで描いたコメディ『反則王』。最も大切な存在を失った姉妹の愛と悲しみを美しく描いたホラー『薔花紅蓮(箪笥)』。アクションとスタイリッシュな画面が抜群だったノワール『甘い人生』。そして外臣からキムチウエスタンという新種のジャンルを引き出した『良いやつ、悪いやつ、変なやつ』まで。キム・ジウン監督はそれぞれ違うジャンルを行き来しながらも、そのジャンルの型に本人だけのスタイルを加味しながら作品を編奏して来た。コメディ、ホラー、ノワール、ウエスタンを隔てて来た彼は、新作『悪魔を見た』を通じスリラーというまた新しいジャンルに挑戦する。2010年夏、観客は”キム・ジウン印のスリラー”を通じ既存のスリラーとはまた違うスタイルに酔いしれるだろう。
<演出意図>
キム・ジウン Diretor's Statement
(1)
自分が見たい映画を作るという出発点だからだろうか。いつもジャンルに対する魅惑がその何より先に来たりした。しかし『悪魔を見た』はジャンルより人物の力、復讐の名前で苦痛を受け与えする2人の男の感情と行為を中心核に置いている映画だ。活火山のような狂気と氷塊のような狂気が衝突するとき出る原始的なエネルギーを、監督である前にファンの立場で、火の塊のような俳優チェ・ミンシクと精密な表現力の末が何処なのか気になる俳優イ・ビョンホンの火花飛び散る対決を通じて観てみたかった。『悪魔を見た』はタイトル通り平凡に生きていたある男が、思いもよらず悪魔のようなヤツに出会いフィアンセを殺害された後、その苦痛をそっくりそのまま仕返そうとするところから始まる。
(2)
だから映画は苦痛分担劇とし、悪魔と死闘を繰り広げるという点では宗教劇であり、ある男の骨身にしみる苦痛という点から受難劇であり。その凄切な征伐の方式が正当なものなのかと質問する道徳劇であると、愛する人の影像の前で復讐を誓うある男の純愛捕的愛情劇でもある。しかしそれ以前に2人の俳優が現場で出会い光輝く魔法。極端的なキャラクターの演技を観客が楽しんで観てくれたら良い。また、誰でも夢を見るが実行に移せない残忍さで強烈な復讐を実際に受け与える2人の俳優を見て、娯楽映画の痛快さと共に、なぜ誰かは悪魔として生き、誰かは平凡な人として生きているのか?一体何処から間違っているというのか?今私は何処へ向かっているのか?のようなことをもう一度ぐらい考えられる映画になったなら良い。
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<監督紹介>
型の中に捕われないジャンルの変奏者キム・ジウン(金知雲)
(1)
キム・ジウン監督は本人のデビュー作『静かな家族(クワイエットファミリー)』を通じ、”コミック残酷劇”という新しいジャンルを初めて披露した。山荘怪談という設定の中、抱腹絶倒のコメディが溶けている、新しいスタイルに対する的確な名称だったわけだ。
ジャンル映画の面白さを多くないながらも本人だけのスタイルを作り出すキム・ジウン監督のフィルモグラフィーは、そのように始まった。演劇俳優と演出家を経験しながら、ひどい映画マニアだった彼がデビュー作以降、たった1度もジャンルの反復がなかった理由は、ただ”観客として自分が観たい映画を撮る”という純粋な動機から始まった。
(2)
レスラーで逸脱を夢見る小心な銀行員の哀感をピリッとした笑いで描いたコメディ『反則王』。最も大切な存在を失った姉妹の愛と悲しみを美しく描いたホラー『薔花紅蓮(箪笥)』。アクションとスタイリッシュな画面が抜群だったノワール『甘い人生』。そして外臣からキムチウエスタンという新種のジャンルを引き出した『良いやつ、悪いやつ、変なやつ』まで。キム・ジウン監督はそれぞれ違うジャンルを行き来しながらも、そのジャンルの型に本人だけのスタイルを加味しながら作品を編奏して来た。コメディ、ホラー、ノワール、ウエスタンを隔てて来た彼は、新作『悪魔を見た』を通じスリラーというまた新しいジャンルに挑戦する。2010年夏、観客は”キム・ジウン印のスリラー”を通じ既存のスリラーとはまた違うスタイルに酔いしれるだろう。
<演出意図>
キム・ジウン Diretor's Statement
(1)
自分が見たい映画を作るという出発点だからだろうか。いつもジャンルに対する魅惑がその何より先に来たりした。しかし『悪魔を見た』はジャンルより人物の力、復讐の名前で苦痛を受け与えする2人の男の感情と行為を中心核に置いている映画だ。活火山のような狂気と氷塊のような狂気が衝突するとき出る原始的なエネルギーを、監督である前にファンの立場で、火の塊のような俳優チェ・ミンシクと精密な表現力の末が何処なのか気になる俳優イ・ビョンホンの火花飛び散る対決を通じて観てみたかった。『悪魔を見た』はタイトル通り平凡に生きていたある男が、思いもよらず悪魔のようなヤツに出会いフィアンセを殺害された後、その苦痛をそっくりそのまま仕返そうとするところから始まる。
(2)
だから映画は苦痛分担劇とし、悪魔と死闘を繰り広げるという点では宗教劇であり、ある男の骨身にしみる苦痛という点から受難劇であり。その凄切な征伐の方式が正当なものなのかと質問する道徳劇であると、愛する人の影像の前で復讐を誓うある男の純愛捕的愛情劇でもある。しかしそれ以前に2人の俳優が現場で出会い光輝く魔法。極端的なキャラクターの演技を観客が楽しんで観てくれたら良い。また、誰でも夢を見るが実行に移せない残忍さで強烈な復讐を実際に受け与える2人の俳優を見て、娯楽映画の痛快さと共に、なぜ誰かは悪魔として生き、誰かは平凡な人として生きているのか?一体何処から間違っているというのか?今私は何処へ向かっているのか?のようなことをもう一度ぐらい考えられる映画になったなら良い。