次男と積み木を組み立てていると、あのね昨日夢を見たんだけれどねと話し始める。火がぼーぼと燃えてすっかり囲まれる。突然火が人になって追っかけてくる。お姉ちゃんとMちゃんと一緒にいて、あと3人女の子がいて。それでママのところに走っていって大丈夫だったの。
寝る前読み聞かせ。”Blueberries for Sal” by Robert McCloskey 。ブルーベリーの丘でSalと熊の子供が入れ替わり、Salは熊のお母さんの後を、小熊はSalのお母さんの後をついて行く。母熊がが振り返り「私の子供じゃないわ!」と驚く。次男私の腕にしがみつき「僕だったらすぐにママのところに行ったのに!」。
ママが「安全地帯」なんだなあとつくづく思う。
三女はここのところ、学校から帰ってきた後、ほんの些細なことでえんえんと泣く。作ったレゴが壊れた、兄の姉の弟の手が当たった、持っていた紙皿をおとしてしまった、そんなきっかけから泣き続ける。「そんなことでピーピー泣かない!」と立たせて次のことをさせるということをしていたのだけれど、その日は、膝に抱え、少しゆったりと過ごしてみる。
話を聞いてみると、学校は毎日楽しい、先生も好き、お友達と遊ぶのも楽しい、学校へは毎日行きたいの、何も心配なことがあるわけじゃないないの。ただね、ママと遊びたいの、○○(次男)は一日中ママといるんだから、学校から帰ったらママと遊ぶのは私の番にしてほしい、と。普段周りが驚くほどの忍耐強さと優しさで次男の面倒を見続ける三女の言葉に、はっとし。
そこでここ何日か三女と向き合う時間を持つよう心がけ、笑っておしゃべりしながら食事をし、ゲームしたり本を読んだり。そしたら随分と落ち着いてきました。
とは言うものの、ママは一人。一人の身体ではきついです。ママ~と甘える次男に三女の世話、次女の宿題を見、弱い部分の家庭教師になり、そこへ思春期の長男長女。その上目の回る日々の送り迎えに、文字通り山のような家事に。夫は出張へちょこちょこ。
何かがうまくいかなくなったところは、少し気をかけ時間をかけると、また歯車が回りだす。それでも、あちらに気をとられていると、こちらが回らなくなっていてと切りのないいくつもの歯車の前で、途方に暮れてしまうこともある。
もう、私無理かも・・・、ふと気がつくと、へなへなと座り込み、そうぽつりと言葉が出ていたり。
それでも歩いていく。目の前にはまったなしで差し出される手。完璧からは程遠いけれど、自分のできる限りのことをしていくしかない。よたよたとでもお手玉しているうちに、徐々に前よりはお手玉がうまくできるようになるかもしれない。
完璧とはいかずとも、自分なりの最大限を続けていると、以前よりも随分とできる範囲が広げられているのに気がつく。ああ限界かも、そう思いながらも自分の精一杯で向き合い続けるのなら、限界の範囲が少しずつ広がっていく。
今だけ切り取ると、きついとしか思えないのだけれど、長い時間のスパンで見ると、以前のきつさの全てが、その後の糧になっていることに気がつく。
きつさは、より高い壁を越えるために鍛えられている時でもある、そう長いスパンの中でとらえていきたい。
寝る前読み聞かせ。”Blueberries for Sal” by Robert McCloskey 。ブルーベリーの丘でSalと熊の子供が入れ替わり、Salは熊のお母さんの後を、小熊はSalのお母さんの後をついて行く。母熊がが振り返り「私の子供じゃないわ!」と驚く。次男私の腕にしがみつき「僕だったらすぐにママのところに行ったのに!」。
ママが「安全地帯」なんだなあとつくづく思う。
三女はここのところ、学校から帰ってきた後、ほんの些細なことでえんえんと泣く。作ったレゴが壊れた、兄の姉の弟の手が当たった、持っていた紙皿をおとしてしまった、そんなきっかけから泣き続ける。「そんなことでピーピー泣かない!」と立たせて次のことをさせるということをしていたのだけれど、その日は、膝に抱え、少しゆったりと過ごしてみる。
話を聞いてみると、学校は毎日楽しい、先生も好き、お友達と遊ぶのも楽しい、学校へは毎日行きたいの、何も心配なことがあるわけじゃないないの。ただね、ママと遊びたいの、○○(次男)は一日中ママといるんだから、学校から帰ったらママと遊ぶのは私の番にしてほしい、と。普段周りが驚くほどの忍耐強さと優しさで次男の面倒を見続ける三女の言葉に、はっとし。
そこでここ何日か三女と向き合う時間を持つよう心がけ、笑っておしゃべりしながら食事をし、ゲームしたり本を読んだり。そしたら随分と落ち着いてきました。
とは言うものの、ママは一人。一人の身体ではきついです。ママ~と甘える次男に三女の世話、次女の宿題を見、弱い部分の家庭教師になり、そこへ思春期の長男長女。その上目の回る日々の送り迎えに、文字通り山のような家事に。夫は出張へちょこちょこ。
何かがうまくいかなくなったところは、少し気をかけ時間をかけると、また歯車が回りだす。それでも、あちらに気をとられていると、こちらが回らなくなっていてと切りのないいくつもの歯車の前で、途方に暮れてしまうこともある。
もう、私無理かも・・・、ふと気がつくと、へなへなと座り込み、そうぽつりと言葉が出ていたり。
それでも歩いていく。目の前にはまったなしで差し出される手。完璧からは程遠いけれど、自分のできる限りのことをしていくしかない。よたよたとでもお手玉しているうちに、徐々に前よりはお手玉がうまくできるようになるかもしれない。
完璧とはいかずとも、自分なりの最大限を続けていると、以前よりも随分とできる範囲が広げられているのに気がつく。ああ限界かも、そう思いながらも自分の精一杯で向き合い続けるのなら、限界の範囲が少しずつ広がっていく。
今だけ切り取ると、きついとしか思えないのだけれど、長い時間のスパンで見ると、以前のきつさの全てが、その後の糧になっていることに気がつく。
きつさは、より高い壁を越えるために鍛えられている時でもある、そう長いスパンの中でとらえていきたい。
以前、子育てで出口のない長い長いトンネルにいるようなそんな感覚に陥ったことがあります。とてもきつくて辛かったのを思い出しました。もう、私無理かも、、、、、その気持ちよくわかります。頑張ってくださいね。
今日は、三女と二人で一時間ちょっとほどでしたが出かけてきました。外では大人しめなのですが、家ではおしゃべり、今日はその普段の何倍もおしゃべりになり、はしゃいで。
何事も長くしていると、以前よりは今と見えることができていくものですね。それでもまだまだです。
「出口のない長い長いトンネル」、私も何度も途方にくれました、そして今でもしゃがみこんでしまうことも。それでも、常に出口の光が差しているのだと顔を上げていきたいです。いつか今を振り返り、トンネルを長く感じた時を、懐かしく思う時が来るのでしょうね。
いつもありがとうございます。mirumiruさんの温かい言葉に、励まされています。これからの活動、形が整ってきましたら、是非連絡させていただきたいです。少しずつ少しずつの歩みですが。
今週も素晴らしい日々をお過ごしください。氷点下のアンカレッジより。
今七人ほどで、具体的にどういった方向へ進みたいのか、そのために今何ができるのか、そういった話をしているところです。それぞれの思い気持ちがあり、土台ができるまで時間がかかりそうですが、じっくりと取り組んでいきたいです。
公開できる形になり次第、すぐに連絡させていただきたいです。mirumiruさんと創りあげていける日が来ること、楽しみにしています!感謝を込めて。