こちらで何らかの助けを申し出ると、「もしあなたがしたいのなら“If you want to”」と返ってくることがある。
例えば、
何か重たそうに荷物をもっている人に:
「持ちましょうか?」
「もしあなたがしたいのなら“If you want to”」
グループでの話し合い:
「じゃあ、これで皆一品ずつもってくるもの決まったけれど、家に紙がたくさんあるからそれも余分に持ってくる。」
「もしあなたがしたいのなら“If you want to”」
友人と:
「来週もご飯用意しておくからね」
「もしあなたがしたいのなら“If you want to”」
こちらに来たばかりのときは、この反応にぎょっとした。
したい? 私は したい? のだろうかと自身に問うてみる。
「したく」て申し出たというより、周りの状況をみて自分が「すべき」と申し出ていたように思う。もっと言うと、周りによく気がつく優しいいい人だと思われたい、というような期待も含まれていたり。
この「もしあなたがしたいのなら“If you want to”」は自分が「したくてしている」というところに立ち返らせてくれる。そう、私が「したく」て申し出ているのだ。「べき」を遂行することによる報酬や見返りも必要なく。
どの国へ行こうと色々な人がいるけれど、自己中心的な「したい」の枠にとどまる人もいれば、驚くほど労力や努力のいる自分の枠以外のことに嬉々として「したい」と取り組んでいる人々もいる。
周りの状況や相手の気持ちをくみ取った上で、「したい」と動く、そうできたらいいなと思っている。まだまだまだです。
例えば、
何か重たそうに荷物をもっている人に:
「持ちましょうか?」
「もしあなたがしたいのなら“If you want to”」
グループでの話し合い:
「じゃあ、これで皆一品ずつもってくるもの決まったけれど、家に紙がたくさんあるからそれも余分に持ってくる。」
「もしあなたがしたいのなら“If you want to”」
友人と:
「来週もご飯用意しておくからね」
「もしあなたがしたいのなら“If you want to”」
こちらに来たばかりのときは、この反応にぎょっとした。
したい? 私は したい? のだろうかと自身に問うてみる。
「したく」て申し出たというより、周りの状況をみて自分が「すべき」と申し出ていたように思う。もっと言うと、周りによく気がつく優しいいい人だと思われたい、というような期待も含まれていたり。
この「もしあなたがしたいのなら“If you want to”」は自分が「したくてしている」というところに立ち返らせてくれる。そう、私が「したく」て申し出ているのだ。「べき」を遂行することによる報酬や見返りも必要なく。
どの国へ行こうと色々な人がいるけれど、自己中心的な「したい」の枠にとどまる人もいれば、驚くほど労力や努力のいる自分の枠以外のことに嬉々として「したい」と取り組んでいる人々もいる。
周りの状況や相手の気持ちをくみ取った上で、「したい」と動く、そうできたらいいなと思っている。まだまだまだです。
確かにぼくも何度も仰天しました
「助けたろーかって聞いてやってんだよ」と
何回も言いかけたよ。
この言葉をヒネクれずに素直に受け入れられる
心の広さ、深さを手に入れないとね。
ね、初めて聞くとぎょっとするよね。
何度か「If you want to」に出会ううちに、ああ色々なニュアンスがあるんだな、と思えてきたよ。優しく思いやりのこもった「If you want to」もありうるんだな、と。
「私はどちらでもよいのよ、そしてあなたがそこまでする必要もないと私は思うのだけれど、でももしあなたがしたいのなら、是非してくださいね」みたいなこちら側を気遣って立ててくれるような意味での「If you want to」。
確かに言い方によっては「勝手にやったら」みたいなのもあるかもしれないね。
こちらの育った環境で培われてきた解釈の仕方と、あちら側の意図と、色々とズレること多いね、異文化で暮らしていると。私も相手の本当の意図を汲み取るように努力したいよ。「心の広さ、深さ」、本当だね。
ありがと。カレー君、海外にいたことがあるんだね。また話聞かせてね。