靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

「カフェテリア宗教」

2012-04-11 00:00:36 | 思うに
「カフェテリア宗教」、原理主義者の人々が否定的に用いる言葉。あちらこちらから部分的に取捨選択して成る宗教のこと。

「カフェテリア宗教」でいいじゃないか、と思う。様々な宗教から学び、いいところを寄せ集めて。取捨選択の基準は、自身の良心。一人宗教。

ただ各宗教を守る人々は必要なのだろう、宗教の根幹にある知恵が伝えられていくためにも。日々決まった形をとる儀礼儀式に身を投じ知恵知識のコアを守る人々。縁によってそういった役割を担う人もいる。昔、ある宗教団体の熱心な信者の知り合いに、「あなたがどの神にしようかと選ぶのでなく神があなたを選ぶのよ」と言われたことがある。私なりに分かる、神というか縁のようなものがあるのだろうと。

科学的知識を積み重ねても至ることのない知恵、それはやはり宗教的なるもののコアに見出せるのだと思う。

聖書を読むのは好きだし、ユダヤ教の知恵は腹にくるものが多いし、仏教や父方が代々神官だったという神道については日本に育ち身体に染みついているのだろうけれど、様々な教えについてもっと学んでいけたら、そう思いつつ。

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