靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

ユダヤとの交流、そして「日本人・日本的なるもの」

2010-12-02 00:57:33 | 思うに
過去にユダヤ教のラビ一家と家族ぐるみで親しくしていた時期があった。たくさんのことを学んだように思う。外から覗いた立場だったけれど。

ユダヤ暦に従い、年に何度か行われる祭や儀礼。それらの意味が、明確に何千年もの間受け継がれている。用いられる道具や食べ物一つ一つの象徴的意味までも。

例えば「ハヌカ」でいえば、油を使った料理は紀元前150年頃に起こった聖油の奇跡を、ドレイドル(独楽)ゲームは教典の勉強をギリシャ人により禁止されたときのこと(独楽回しで教典の勉強をしていないふりをした)を、象徴している。何千年もの間、毎年繰り返される祭や儀礼を通し、何代にも渡りユダヤの歴史が明確に受け継がれていく。

祭・儀礼だけでなく、日々の生活の隅々まで行き渡る何千年も受け継がれた決まり。一つ一つの決まりに関する何世代にもわたる議論が書き記される教典もある。

書かれた歴史、受け継がれるシステム。度重なる迫害・離散を経たことがこういったシステム確立を促していったともいえるのだけれど。


こちらに暮らし、母となり、「日本人であること・日本的なるもの」を伝えるシステムの未熟さを痛感している。

元々、根がアナーキーなのでそもそもそういうことを伝えていくことの意味も考えてしまう。

多分、「いいとこどり」でいいのではないだろうか。過去の過ちを反省しつつ、悪かったことにもきちんと向き合いつつ、「日本的」ないいもの、他の文化・人々のいいところ、それらを組み合わせて「地球的ないいもの」を創っていく。「日本人・日本的なるもの」を掘り下げていくのはその「地球的なるいいもの」創造の過程という文脈でこそ意味を持つ、というように。

では受け継いでいきたい「日本的なるもの」とは。模索していきたい。


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4 コメント

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Unknown (ウラン)
2010-12-02 19:31:18
コメント欄に書き切れないほど、いろいろ考えさせられました。まだ、まとまらない・・・。
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ウランさんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2010-12-03 00:26:18
わたしもまだまだ書きたいことがあって、それでも書き出すとあれもこれもと広がって、結局何が言いたいのかわからなくなりそうだったので、ひとまずこれだけ切り取ってのせました。

頭がうまく整ってなかったせいもあり、のせたあとも、付け加えたい部分とか、言い回しを変えたい部分とか、日本語が変な部分とかあって、ちょっと変更したりも。

ひとまずその時点で未熟だとしても出しておいて、その上に見直しながら少しずつ積み重ねていきたいです。

感謝!
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ほぉ~! ()
2010-12-04 14:26:15
凄い!考えさせられるね。
私もアメリカに引っ越してきてから、日本人で良かったって思う事が良くあるけど、何が良いのか、それをどう娘に教えて受け継いで行っていいのか良くわからない。
日本人である事に誇りを持ってるけど、どこにどう誇りを持ってるのかも漠然としてるし。
ESLに通った時に、自分の国の知識の未熟さを私も痛感しました(^^;
1つ、アメリカ人になくて、日本人にあるいい所。それは謙虚な気持ちを持ってる所かな?でもアメリカ人の謙虚じゃなくて、自分の持ってる力を存分に出す自信満々な所も好きなんだけど。笑
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桜さんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2010-12-06 03:16:53
ね、考えさせられるよね。

確かに自分の知識の少なさもあるよね、同感。

ラビ一家を通して様々なユダヤ人家族と付き合う機会があったのだけれど、「ユダヤ人である」というシステマティックなキットが目の前にそろっているという風に感じます。確固としたユダヤ人としてのアイデンティティ確立キット、生活態度から、思想から、信仰から、子育ての仕方から。もちろんそのキットを一生用い続けるかどうかという選択もできるのだけれど。大人になって選択しないと決めたとしても、子供時代に培われた土台はとても強固だと感じます。

日本人は感覚的な部分が大きいね。「日本的な感じ」、というような。それだけ周りとの葛藤も少ないという良い面もあるよね。

謙虚な気持ち、確かに、日本ではあれができるこれができると表に出さないのが美徳だよね。こちらは1できたら10できると言わないと、みたいなところあるよね。

あと、こちらはまずは自分、日本はまずは相手、というようなところあるよね。うまく合わさるといいのにね。どちらも大事に尊重というように。

日本、アメリカなどの枠組みを越え、バランスとれて素晴らしいなあと思う人々に会うこともあります。そういった人々はどこへ行ってもきっと調和しているんだろうな、と感じるよ。

ありがとね。
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